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陽気過ぎる大阪1920年代のモダン大阪を探訪する『モダン・シティふたたび』(海野弘著)では、北尾鐐之助の『近代大阪』をはじめ、織田作之助、藤沢桓夫、宇野浩二などの当時の大阪を題材にした作品からの引用が多いが、画家でありながらも、谷崎潤一郎をして座談の名手と感嘆せしめた小出楢重の随筆からの引用も多い。 ◇小出楢重「帽子をかぶった自画像」 小出楢重が生まれ育った島之内及び船場には、1920年代にはまだ伝統的な和風の商家が多く、実際に楢重が住んでいたのも和風の住宅で、かつて日本画家・北野恒富の住居だったという。 このような中で、大阪にモダニズムはあるかと問いつづけ、まさに格闘しながら絵を描いたのであった。 1921年にフランスに行ってから、楢重は生活様式を和風から洋風に一変させた。 代表作のひとつであるこの「帽子をかぶった自画像」の背広姿は、そのような画家の立脚点を求めようとする決意の表明であったという。 しかしながら、当時はそんな洋画を飾るべき空間もまだあらわれておらず、そこでまた楢重は悩むのであった。 今日からみれば、様式のごった煮のような建物も、モダニズムとの格闘の結果であり、また新しい時代へ踏み出すための啓蒙の現場でもあった。 『モダン・シティふたたび』の中でもふれているが、楢重は、モダン文化の特質を、毎年新しいものを求めて古いものを捨てていくものであるという。 しかしながら、年輪によって磨かれて出てくるつやや、さびのようなもの…それを「新しき雅味」と呼び、 <巴里(パリ)なぞにはこの新らしき雅味が至る処に存在する。それが巴里の羨やましい処で仏像を洗い落したような尖端は発祥しない。それが芸術家をして巴里の生活を憧れしめる重大な原因の一つでもあるといっていいかも知れない。> と書いている。 楢重自身もモダン建築を見て歩くのが好きだったようだが、「西洋館漫歩」(『めでたき風景』)の中で、次のように書いており、私はとても共感してしまう。 <近来大阪の都市風景は日々に改まりつつあり、新しき時代の構図を私は中之島を中心として、現れつつあるのを喜ぶけれども、同時に古き大阪のなつかしき情景が消滅してしまうのを惜むものである。 私は本当の都市の美しさというものは汚いものを取り捨て、定規で予定通りに新しく造り上げた処にあるものでなく、幾代も幾代もの人間の心と力と必要とが重なり重なって、古きものの上に新しきものが積み重ねられて行く処に新開地ではない処の落着きとさびがある処の、すくい切れない味ある都市の美しさが現れて行くのだと思っている。 私はそんな町を眺めながら味わいながら散歩するのが好きだ。> <ところが学術、文芸、芸術とかいう類の多少憂鬱な仕事をやろうとするものにとっては、大阪はあまりに周囲がのんきすぎ、明る過ぎ、簡単であり、陽気過ぎるようでもある。簡単にいえば、気が散って勉強が出来ないのだ。> 「陽気過ぎる大阪」(『大切な雰囲気』) ◇小出楢重「六月の郊外風景」 結局、小出楢重は1926年に、当時まだ漁村であった面影を残す芦屋に、洋風の本格的なアトリエを建て、移住してしまうのであった。
by suzu02tadao
| 2012-07-17 14:30
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