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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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「大阪商船」 大久保一郎

◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】広告より
「大阪商船」 大久保一郎_c0239137_1195191.jpg

 関西のデザイン界を戦前戦後を通じて牽引した今竹七郎は、『日本デザイン小史』の中で、戦前の大阪デザイン界を次のように語っている。
 <その当時、社会的地位は別として、大阪には神戸で見られない華やかな図案家の存在があった。そのトップは、松竹座美術部の山田伸吉であった。全国に行きわたった映画広告独特のレタリングは、そのオリジナルが彼の創案によるものであった(※注)。アール・ヌーボーとセセッションのミックス字体を古い年代の人なら誰でも知っているだろう。彼の名声は大したものだったが、純粋美術でも春陽会の入選者という事実が、彼の人気をいっそう確実なものにしていたようである。また大阪商船に大久保一郎という著名な存在もあった。主要な仕事はポスターに見られたが、船を描かせば日本一というほまれの高い彼ではあったが、春陽会に油絵が入選すると、大臣にでもなったようにマスコミが騒ぎ立てたものである。~>
(※注:実際は山田伸吉の創案ではないが、むしろ「キネマ文字」として洗練・普及させたところに意味があるといってよい。)

 以前からよく取りあげている山田伸吉が松竹座の顔となるデザイナーであったとすれば、大阪商船の顔は大久保一郎であった。
 大久保一郎(1889-1976)は大阪商船(株)の嘱託画家として、PR雑誌『海』をはじめポスターやパンフレットを数多く手がけており、用途に応じて多種多彩な表現をしている。

◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】表紙
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◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】カットより
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◇ポスター・スタンプ各種
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◇パンフレット「南洋航路案内」【1929(昭和4)年】
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◇パンフレット「第二回 支那・日本 周遊の船旅」
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 下図のパンフレットは昭和10年のものだが、春陽会に油絵が入選した後のものと思われ、【I.OHKUBO】サインが入っている。
「大阪商船」 大久保一郎_c0239137_935878.jpg

 尚、大阪商船の貨物船や客船は、第二次世界大戦勃発と並行して、ことごとく戦時徴用され、その多くが被災した。大久保一郎はそういった徴用船の最後を伝える絵画も描いている。
by suzu02tadao | 2012-08-07 11:30
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