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『銀座百点』~佐野繁次郎
◇『銀座百点 No.37』 1958年1月号(表/裏)
『洋酒天国』、『あまカラ』 とくれば、当然、『銀座百点』をとりあげなければならない…。 実際、『銀座百点』の創刊号には「大阪に『あまカラ』という気のきいた雑誌があり、本誌もスタイルはそれにならいました。」(編集夜話)との一文があるという。 『銀座百点』については、私は佐野繁次郎の独特の手書き文字が気に入って手に入れた、上図のやや傷みのはげしいものしか所有していない。 佐野繁次郎による装幀本は数多くあり、そのデザインにはファンも多く、数年前にもコレクターによる『佐野繁次郎装幀集成』という本も刊行されているくらいだが、私が佐野繁次郎(1900-1987)に興味をもったのは、例によってパッケージ・デザインからであった…。 もう15年程前の大阪は老松古美術祭、伝説の店「あぜくら」で、以前に紹介した骨董雑誌『遊楽』にも掲載されていた、古いパッケージのちょっとした出物を購入した際、値切る代わりに、下図(手前)の化粧品「パピリオ」のパッケージをお願いして付けてもらったのだった。 見てのとおりのモダンなデザインで、その際、「あぜくら」のオヤジも、「あれ!?…、これは戦前か…、それにしては垢ぬけてるなぁ、うん、まあ、いいよ…」と言っていたのを覚えている。 その後、2005年に改装される前の東京ステーションギャラリーで開催された展覧会で、はじめて私は、佐野繁次郎の活動(絵、装幀、デザイン)の全貌を知ったのだった。 この時の展覧会図録によると、佐野繁次郎が当時の伊東胡蝶園で「パピリオ」の商品デザインを引き受けたのは、1935(昭和10)年からで、その斬新なデザインで一躍有名ブランドへと押し上げ、佐野自らも重役を務め、低迷していた会社を一気に盛り立てたという。 当時、「パピリオ」の宣伝部にいた花森安治が、『暮らしの手帖』の誌面のキーとなった、手書き文字で顧客に語りかけるスタイルを佐野から受け継いだことは有名な話である。 佐野繁次郎はもともと大阪・船場の生まれで、画家を志したのは、十代の頃からの知り合いであった佐伯祐三(1898-1928)の影響であった。 佐伯が亡くなった翌年、佐野は佐伯祐三の絵について次のように語っている。 <佐伯の繪には僕は豫てから音楽を感じてゐる。が、それはリズムといふ言葉では言ひたくない。音楽とリズムは放せない。が、佐伯はリズムある音楽といふより音だ。一つ一つのところから放つてゐるたまらない美音だ> そして、大阪の信濃橋洋画研究所では小出楢重(1887-1931)に師事することになる…。 <小出氏は、その本式の方の仕事、油絵からいつても、日本洋画中、僕の最も尊敬する人の一人だ。~あんな大したくせをもつてゐて、そしてそれで本格をあすこまでに築いてしまつた作家、-即ち、よそにはない、ヨーロッパのどこにもあんなのはない、~僕は、絵は、その自分のくせをこめて、~それを本格にもつてゆく仕事でなきや嘘だと思つてゐる。> さて、下図の新生社の雑誌『女性』(1946年8月号)の表紙も佐野繁次郎であるが、人物の頭をカットするという大胆で斬新なレイアウトが異彩を放っている。 また、「墨のデッサン」と題して(1)足をふく女、(2)着物をきんとする女、(3)荷物背負う女と、3ページにわたって作品が巻頭を飾っており、さらには、菊地寛の連載小説「瓶中の處女」のカットも描いていて、まさに「サノシゲ」ワールドのオンパレードになっているのだった。 ◇雑誌『女性』 1946年8月号(表紙) ◇「墨のデッサン」(1)足をふく女 ◇「瓶中の處女」 なお、この雑誌『女性』については、藤沢桓夫「君に告げん」(宮田重雄画)や小島政二郎「六月雪」(岩田専太郎画)も載っているなど、他にもいろいろと楽しめる内容になっている…。
by suzu02tadao
| 2012-10-26 14:44
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