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「白鬚橋」 ~ 藤牧義夫前回の十三大橋と同じく増田淳が設計した白鬚橋(しらひげばし)だが、これは数年前の写真で、私は向島に行った際には幾度かこの橋を渡っている。 1931(昭和6)年に完成した白鬚橋は、アーチは中央部のみだが、両サイドのトラス部に続く造形がダイナミックで、重厚感あふれる橋に仕上がっており、同時期に造られた十三大橋とはまた違った造形美をみせている。 ◇藤牧義夫 『隅田川絵巻』より「白鬚橋」 さて、『モダン都市東京』(海野弘著)の中で、モダン都市の風景を発見した画家として藤牧義夫をとりあげているが、藤牧にとっての白鬚橋については、次のように記している。 ~『隅田川絵巻』の中でも白鬚橋はひときわ印象的である。藤牧は館林から東武鉄道に乗ってやってきて、浅草に住みついた。彼にとってこの大都市の光景は驚異であり、その象徴が鉄骨アーチの白鬚橋だったのである。彼は浅草に住んで、銀座に勤める。そして大都市と格闘するが、激しくたたきつけられ、生活に敗れてゆく。藤牧のメトロポリスへの想いは二つに引き裂かれている。鉄とガラスのダイナミックな現代都市は彼を強くひきつける。しかしこの都市は残酷であり、彼を貧困の鎖によってぎりぎり締めつけてゆく。藤牧の版画の都市風景には、この二重の想いが表現されている。そしてついに生きる道を失った時、このメトロポリスのうちで彼が最も親しみ、しばしばもの想いにふけりつつその堤防をさすらった隅田川を描き遺しておきたいと藤牧は望んだのではないだろうか。この都市の周辺地区こそ、彼の東京だったのである。 ◇藤牧義夫 「赤陽」1934年 藤牧義夫(1911-1935?)は、群馬県館林に生まれ、16歳で上京し、働きながら独学で木版画を習得。関東大震災後に復興した1930年代の東京の風景を中心に、独自の視点から構成し表現した。全4巻・全長60メートルに及ぶ白描『隅田川絵巻』はその代表的作品だが、24歳のとき東京で失踪した。
by suzu02tadao
| 2013-01-17 21:13
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