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かささぎ橋
今日は七夕ですね。
大阪府枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代の頃は「交野が原」と呼ばれ、日本における七夕伝説発祥の地と伝わっており、この地を流れる天野川を始め、七夕や星に関わる地名が多く残っているが、天野川が淀川に注ぐ合流点の近くの橋に、前回に取りあげた「鵲(かささぎ)」の名を冠した橋がある。 かささぎ橋の袂には、1932(昭和7)年に架橋された橋の一部の鋼鉄のモニュメントと古い親柱が置かれている。 やはり、親柱のデザインはアールデコだったようです。 現在のかささぎ橋は、1996(平成8)年に架け替えられたもので、鵲をモチーフにしたモニュメントがあります。 かささぎ橋については、北尾鐐之助が『淀川』(昭和18年刊:趣味の京阪叢書)「天の川の今昔」の中で触れており、次のように記している。 これやこの七夕つめの恋ひわたるあまの川はらの鵲の橋(中務内侍日記) 「かさゝぎの橋」といふのは、七夕の夜に一滴でも雨が降ると、天の川があふれて、牽牛、織女の二ツの星が逢ふことができなくなる。それで鵲が集ひ合ひ、自ら浮橋をつくって渡らせるといふ七夕の伝説をとったものである。 この「鵲橋」も、昔はずっと上流にあったものらしいが、いまでは、国道筋の立派なコンクリート橋になってゐる。 ~(略)~その天の川も、いまでは昔のおもかげを全く失ってしまひ、浅く埋もれた川底は、一面に雑草が生ひ茂り、その中をわづかにあるかなきかの小川が流れてゐる。国道を横切り、草の堤を分けて、ずっと淀川河口の方へ歩いてみたが、昔王朝の詩人たちが、うちさわいだやうな美しい天の河原の風景は、全く一の夢となってゐる。 ◇かささぎ橋から見た天野川の上流側。 江戸時代には、向こうに見える京阪本線の橋と今のかささぎ橋との中間くらいの所に橋があったようだ。 ◇かささぎ橋から見た天野川の下流側。 この先で淀川に合流している。 昔のかささぎ橋の袂は枚方宿の東端、東見附跡で、案内板には「河内名所図会」の「天川」が紹介されています。 この辺りからは京街道沿いに、問屋役人の家など古い建物がいくつか残っている。 ◇京阪枚方市駅近くにある道標 右 大坂みち 左 京 六リ やわた 二リ 右 くらじたき 是四十三丁 道 【追記】 交野市にある機物(はたもの)神社は七夕に関する伝説で知られており、7月6日~7日は七夕祭りが行われている。
by suzu02tadao
| 2013-07-07 11:25
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