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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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前衛デザイナー : 山田伸吉

◇松竹座ニュース【1925(大正14)年10/22~10/28】
前衛デザイナー : 山田伸吉_c0239137_11105259.jpg
◇松竹座ポスター「罪と罰」【1925(大正14)年】
前衛デザイナー : 山田伸吉_c0239137_11115217.jpg
 前回の「三科展」が開催されたのと同じ時期の松竹座ニュースとポスターですが、どちらも山田伸吉がデザインしたもので、「三科展」の出品作と同じくらい前衛的な表現になっています。

 実際に、前衛美術グループ「マヴォ(MAVO)」のメンバーが装丁や挿絵を手がけたものと比べてみると、同じような表現であることがよく分かります。

◇雑誌『マヴォ(MAVO)』(1924~1925)
前衛デザイナー : 山田伸吉_c0239137_11122787.jpg
◇詩集『死刑宣告』萩原恭次郎【1925(大正14)年10/18 発行 】より
前衛デザイナー : 山田伸吉_c0239137_11131925.jpg

 海野弘著『モダン・シティふたたび』の中で、<キネマと都市 松竹座>と題して次のように書かれています。
 <~映画というメディアによって、東京と大阪、さらに、ニューヨークやパリ、ベルリンなど世界中の都市が、2、30年代に交流しあっていたことを思い出そう。松竹座は、大阪のモダニズムの窓だったのである。>

 そして、昭和8年の『モダン常識辞典』の中では<日本美術界概観>として、次のように述べられています。
 <~近世になつて科学が発達して来ると、迷信が流行らなくなるので、自然主義から立体派、未来派、表現派、超現実派、無産派、等々と様々の姿で、どれもこれももつともらしい姿で表れた。
 現代人は形式には最早驚かなくなつた、求めてゐるものは内容と形式の一致した健康な美術である。
 画壇は余りに退屈な絵を我々に見せ過ぎてゐる。
 今人が五十銭持つてゐるとするなれば誰でも活動を見る、活動は我々の生活に近いからだ。美術も亦人の生活に近づかなければならない。
(※この辺り、前回の村山知義の主張と共通していますね…)

 その当時の映画は時代の先端を行く芸術表現だったわけで、しかも最も大衆に支持されていたものだったのです。
 そして、モダンデザインの父と呼ばれた今竹七郎が、若き日に最も注目していたのが山田伸吉だったことを思えば、やはり山田伸吉は前衛デザイナーだったと言えます。

 当ブログのタイトルに使っている、私のお気に入りの山田伸吉デザインの「松竹座ニュース」も、それを証明していると思うのです。

◇松竹座ニュース【1925(大正14)年9/11~9/17】
前衛デザイナー : 山田伸吉_c0239137_16425192.jpg

by suzu02tadao | 2014-02-07 11:30
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