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銃後の大阪 <その2>
◇寺内萬治郎 「編物する少女」
『銃後の大阪』第6報の編集後記で山本光雄は、 <本号の内容に於て特筆すべきは、大阪出身洋画壇の宿老にて文展審査員のお歴々たる寺内萬治郎、伊原宇三郎、大久保作次郎、鍋井克之各氏及春陽会の水谷清、齋藤清二郎両氏、二科会の早川國彦氏等が打ち揃って力作を寄せられた事であります。> と記していますが、前回の足立源一郎の手紙と一緒に、もう一つ落札したのが、寺内萬治郎(1890-1964)から山本光雄に宛てた手紙です。 この手紙は、1945(昭和20)年10月22日のもので、すでに終戦を迎えており、宛先も大阪市役所市民局軍事課から大阪市役所教育局社会教育課に変っています。 のため御多忙御察し申上ます 御自愛を切に祈り致ます 東京美校は罹災学生の合宿 外語学生に教室を貸し其外に罹 災教師小使に室貸し等なかなか 大変ですから六ヶ敷(むつかしい)と思いますが 市から公式に問ひ合されたら如何ですか 内藤伸氏には面識ございません が諏訪は焼けてはないと思います (中澤弘光先生宅も無事ですから)小生 假寓は浦和駅まで一里半 歩 かなければなりませんので 火曜金曜 学校へ出る外 引籠って居ます始 末で悪しからず御容赦願います 鍋井様 赤松様へ宜しく御伝え 願います 十一月御上京の節は 美校(火曜午后)金曜(午前午后) 師範科教官室へ御出で下さいますれば 好都合に存じます 草々 寺内萬治郎 山本光雄様 十月二十二日 正直なところ、私は寺内萬治郎といえば下図のような作品しか知らず、あまり好印象を持ってはいませんでした。 ◇寺内萬治郎 「赤い団扇」(1937年 第24回光風会展) しかしながら、この手紙を手に入れてから調べてみると、戦前に非常に意欲的で斬新な佳作を描いていた作家が、戦後に画壇のボスにまつり上げられると共に、作品の質も落ちていくといった例が多かった中で、寺内萬治郎については、手紙の文面からもその誠実な人柄が伺えるように、むしろ、戦後に佳い作品を描いた作家だということを知りました。 『銃後の大阪』第6報には、寺内萬治郎「編物する少女」の他に、大阪出身の洋画家の作品がいくつか載ってますが、ここでは、手紙にも登場している鍋井克之の作品をあげておきます。 ◇鍋井克之 「奈良公園」
by suzu02tadao
| 2014-05-03 09:30
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