1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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「蕩児余聞」

◇北野恒富「茶々殿」(部分)
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 この作品は、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、松子がまだ根津清太郎と結婚する以前の森田松子だった頃をモデルに描かれています。
 私が北野恒富の展覧会を見たくなったのは、先日、芦屋市谷崎潤一郎記念館で観た資料映像の中で、すでに80歳を過ぎているにもかかわらず、妖艶なオーラを発していた谷崎松子の姿が脳裏に焼き付いていたからなのです…
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 三田純市の小説「蕩児余聞(とうじよぶん)」(『道頓堀物語』)を読むと、船場の有名な綿布問屋・根津商店の御曹司であった根津清太郎と北野恒富の関係がいかに深いものであったのかがよく分かるのですが、根津清太郎と松子との縁談をまとめるために奔走する北野恒富の姿が書かれています。

◇山田伸吉画「蕩児余聞」より
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 ところで、『道頓堀物語』には以前とり上げた「富田屋八千代」も載っていますが、挿画が山田伸吉であるところもうれしいのです。

◇根津清太郎と出会った頃、北野恒富が画室にしていた上本町の蔵鷺庵(ぞうろあん)
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 根津商店の社長となった根津清太郎は北野恒富の紹介で、菅楯彦、その弟子の生田花朝・山口艸平・岡本大更などの日本画家、そして小出楢重を中心に、黒田重太郎・国枝金三・鍋井克之の信濃橋洋画研究所のパトロンになりました。
 まさに根津清太郎は大阪のモダン・アート勃興の立役者の一人だったわけです。

◇北野恒富「朝のクラブ歯磨」ポスター
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 一方で根津清太郎は放蕩の限りを尽くし、船場の極道の名をほしいままにして、やがて家産を傾け、松子との離婚のあとその生活はさらに零落していきました。
 しかしながら、最後まで交際をつづけた北野恒富は次のように語っています。

「芸術家は、ほんとうの贅沢というものを知らないけまへん。ほんとうの贅沢を芸術家に見せてくれはったのが、根津さんだす。その見せて貰うた贅沢を、どれだけ汲み取るか。それが芸術家の器量というものでっしゃろなア・・・・・」

◇北野恒富「宝恵籠」(部分)
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 さて、北野恒富は中河内を終の棲家としていたとのことで、展覧会の後に河内小坂駅周辺をブラブラ・・・
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 司馬遼太郎記念館。
 「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と司馬遼太郎は記していたようですが、決してそのような町ではないようです・・・?
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by suzu02tadao | 2015-11-21 06:45 | Comments(0)
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