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「吾八」と「柳屋」

c0239137_91415.jpg

 二度、三度、店の前を往ったり還(き)たりしたあと、清太郎は思い切って、吾八の店のガラス戸を開け、
「あのう・・・、表に飾ってある絵を」
 値段も訊(き)かず、がま口から何枚かの十円札をとり出した。絵は十円札二枚で、若干(なにがし)かの釣銭があった。絵を抱えて表へ出た清太郎が、平野町を西へ行くのを、
「一寸お待ちを・・・」
 吾八の主人が追ってきた。
「じつは今、あの絵を描きはった先生が、ちょうど店へ来てはりましたのや」
 見ると、まだ学生はんらしいぼんぼんが、自分の絵を買うてくれはった。どちらのぼんぼんか知りまへんが、一寸ご挨拶したい。
「こない言うてはります。お手間はとらせまへん。憚りさんでございまっけど、もう一遍、手前どもまで・・・」
 画家の名は北野恒富といった。


 前回取り上げた三田純市「蕩児余聞(とうじよぶん)」(『道頓堀物語』)の中で、根津清太郎が初めて北野恒富と出会う場面です。
 ここで、「吾八の主人」とあるのは山内金三郎ですが、以前にも取り上げたように、鶴屋八幡の広報誌『あまカラ』に絵と文を載せています。

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 ところで、ご覧のとおり『あまカラ』はモダンで洒落た表紙のデザインが魅力ですが、これを手がけた大久保恒次は、若い頃に北野恒富の弟子であったということで、さもありなんと思うと同時に、意外なところで人脈がつながっていることに興味をそそられます。

 つながりといえば…この『あまカラ』は先日の芦屋市立美術博物館の古本市で手にいれたものですが、ここに「半可通」と題した文を載せている長谷川幸延が『大阪歳時記』の中で、< 中にも夢二の封筒や書簡紙、勇・幹彦・潤一郎ら文人の色紙・短冊で私たちの胸をかきむしった >と書いているのが、船場の平野町の「吾八」の近所にあった「柳屋」のことです。
 「柳屋」については、藤沢桓夫も次のように書いています。
 < この平野町の通りには、南側に、私の好きな店が一軒あった。それは「柳家」と言う気の利いた封筒などを売る文房具店であった。(本屋であった様な気もする。)その店の陳列窓には竹久夢二の木版の大きな女の絵が幾つも飾ってあった。それらのひどく新しい色の感じの絵を見るのが私には非常な楽しみであったのだ >
(『大阪 我がふるさとの・・・』)

 平野町の通りには御霊神社があって、この当時は一・六といわれた夜店の賑わいも有名だったようです。
 「吾八」や「柳屋」があった辺りに今は湯木美術館があります。
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 さて、先月の四天王寺の古本市で均一台を漁っていると…なんと!「柳屋」の三好米吉による道楽絵はがきが本に挟まっているではありませんか(^^)
 別に本はいらなかったのですが、とりあえず購入しました。

◇宝船 中田一男画(昭和8年)
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 この絵はがきは「柳屋」の店舗を島之内に移してからのものです。

 三好米吉は、宮武外骨の『滑稽新聞』に関わり、柳屋(画廊・書店)を開いて、雑誌『美術と文芸』『柳屋』を発行していた人物です。
 伝説のジャーナリスト、北村兼子が恋人だったらしいですが・・・不倫?
 これまた、興味をそそられます…
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by suzu02tadao | 2015-11-23 09:30 | Comments(0)
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