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岬にての物語
「鵜原風景」安井曾太郎(1935年)
このところ、終戦間際の昭和20年代に刊行された雑誌にハマっている私ですが… 年末の古本市で、1946(昭和21)年の文芸雑誌『群像』11月号を手に入れて、三島由紀夫『岬にての物語』を読み進めるうちに、上図の絵が目に浮かび、調べてみると、やはり、三島が1937(昭和12)年の夏、12歳の時に母と妹と弟と訪れた房総半島の鵜原を舞台にしたものでした。 2013年に兵庫県立美術館で開催された展覧会「昭和モダン:絵画と文学 1926-1936」の中でも、「鵜原風景」はとても印象深い作品だったのですが、図録では次のように解説されています。 真夏の太陽の下のダイナミックな外房の風景によって、1930年代の安井は独自の筆触、色彩の明度を感得できた。足場の悪い戸外で描かれたが、不安定な立ち位置が緊張感のある構図をもたらした。 陽光が降り注ぎ、草花の生い茂る夏の岬を舞台に、恋人たちが自ら選んだ恩寵としての死を描く『岬にての物語』。 この絵を眺めながら読むと、「“憂愁のこもつた典雅な風光”にふさわしい古典的な文体」がより一層リアルに味わえます… 以下、抜粋。 < 遥か遥か下方の巌根に打寄せる波涛の響き、その遠く美しい風景からは、抽象されて、全く別箇の音楽となり、かすかに轟く遠雷のやうになつて天の一角からきこえて来るので、めくるめく断崖の下に白い扇をひらいたりとざしたりしてゐる波涛のさま、巌にとびちる飛沫、一瞬巌の上で烈々とかゞやく水、それら凡ては無音の、不気味なほど謐かな眺望として映るのであつた。> < 多くの野萩や盗人萩がひきとめるのに任せながら。ある地点まで来ると気付いた。忽ち断崖があらはれて、向ふの別荘との間に深く切り込んだ海の峡谷を示してゐたのだ。しかしそこに立つて呆然とした私の耳は、風に乗つて来る先程の音を明瞭に聞き分けはじめた。――オルガンだつた! 私はたまらない気持に襲はれ、その峡谷を跳越えたいとさへ思つた。目で道を求めると、あのまるで別方向へ向ふかにみえた小径は、峡谷の鋭角に沿うて曲りながら、目の前の別荘へとゆるやかな迂路をゑがいてゐるのが発見された。> < 或る音が不思議な軋りを立て或る音が全くきこえないオルガンはこはれてゐるらしかつたが、それがその音楽に云はうやうのない神秘な感じを与へるのだつた。歌声は次第に耳に馴れた。澄明な夏の小川の底にすれあつてサラサラ音立てる小石の数々がみえそめるやうに・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・夏の名残の薔薇だにも はつかに秋は生くべきを けふ知りそめし幸ゆゑに 朽ちなむ身こそはかなけれ ・・・・・・・・・・・ それは哀愁のこもつたなつかしい歌声であつた。> < 断崖ははるかに水平線を超えて空を限り、今去りゆく雲のために白い岩床を眩しく刃のやうに輝かせてゐた。私は疲れた足をひきずつてやがてその先端に立つた。沖は続く紺青がそこへ近づくに従つて色濃く、そこから截然と明るい雲の峯が立ち昇る美しい境界をみせて、やがて没せんとして傾きかけた太陽の、雲の間から目じらせする赫奕たる瞳に応へてゐた。> 『岬にての物語』は、1945年、戦禍が悪化し空襲が激しくなる中で、三島が遺作となることを意識して書かれた作品で、まさに三島の小説の特長が凝縮されています。 この作品が載った『群像』11月号は、戦後の混乱期の中で文芸復興を目指した創刊第2号ですが、編集後記には次のように書かれています。 本誌創刊号が描いた波紋は、われわれの想像の一線を、はるかに越えるものがあつた。さまざまの声の中に立つての心持ちは、率直に言つて、感動――の一語につきる。すべての声を、われわれは謙虚に「励まし」とうけとつて、歩いてゆきたいと思ふ。 この雑誌の巻頭口絵が印象派の画家、モネの「エトルタ(アヴァル)の断崖」というのも象徴的に思えます。
by suzu02tadao
| 2016-01-06 09:15
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