1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2012年 03月 ( 13 )   > この月の画像一覧

軽井沢のヴォーリズを訪ねて

◇軽井沢集会堂 1926(大正15)年
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 軽井沢に行く機会があったので、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの建築物を見てきた。
 時間があまりなく、「旧軽井沢銀座」の近くにあるものだけしか見れなかったが、それでも実用に沿いながら意匠に優れ、簡素でありながら風格あるヴォーリズ建築の特徴を示すものばかりだった。

◇軽井沢ユニオンチャーチ 1918(大正7)年
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◇日本基督教団軽井沢教会 1929(昭和4)年
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◇軽井沢会テニスコート・クラブハウス 1930(昭和5)年
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一部修復工事中のようです?
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ヴォーリズレーン入口近くの公園
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by suzu02tadao | 2012-03-26 15:30 | Comments(0)

「牧神」復活…中之島フェスティバルタワー

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◇旧フェスティバルホールの「牧神」
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 現在建設中の中之島フェスティバルタワーの南側外壁に、旧フェスティバルホールのシンボルだった「牧神」のレリーフが再びお目見えしたというので、見に行ってきた。
 このレリーフは、彫刻家の故建畠覚造さんがデザインした「牧神、音楽を楽しむの図」で、太陽と月、星のもと、ギリシャ神話に登場する音楽好きの牧神(パン)が竪琴や笛を奏でる様子を表現した作品。
 1958(昭和33)年に開館した旧フェスティバルホールの外壁に掲げられていたが、半世紀を経て劣化が進んだため、建て替えにあたって、建畠さんの長男で彫刻家の朔弥さんと彫刻家の鷹尾俊一さんの監修のもと、再制作し、設置されたという。

 現在建設中の建物はツインタワーの内のイーストタワー棟で、ウェストタワー棟にあたる朝日新聞ビル及び大阪朝日ビルディングも、数年以内に解体が予定されている。
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 この建物の近くにあった旧「大阪ビルヂング」も、「ダイビル本館」として再建される際には外装及び装飾も復活されるということだ。
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 この辺りには「大阪ビルヂング」をはじめ、1920-30年代に竣工した建物が多くある。
 中之島フェスティバルタワーの対岸にあったヴォーリズ建築事務所が設計した大同生命ビルはすでに1993年に再建されているが、住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店営業部)などは竣工当時のままである。
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 もうじき解体される宇治電ビル(1937年)の「稲妻や波と電球を手にした女神」のレリーフ も、再建後には復活されないのだろうか…。
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by suzu02tadao | 2012-03-22 15:03 | Comments(0)

「民衆娯楽の理想郷…」 開場記念のコピーライティング

◇昭和四年八月三十一日開場記念 辨天座ブックレット
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◇開場記念 辨天座パンフレット【昭和4年8/31発行】
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大大阪興行界の新鋭出現
モダン辨天座開場
欧米映画芸術の殿堂 民衆娯楽の理想郷
発声映画界の名機 !! シネ・フォン設置


 時は今、昭和四年八月三十一日!
 赤い灯、青い灯の道頓堀の、燦(さん)たる秋のシーズンに栄(は)ゆる時、善美を盡(つく)せる新装のモダン劇場、わが辨天座は、花々しくその晴れの舞台びらきを就(な)さんとします。
 吁(あゝ)!大大阪(グレートおおさか)興行界に、鮮烈なる新鋭は意気熾(さか)んなる行進曲を奏でつつ勇ましく歩(ほ)武(ぶ)を行(や)りつつあります。しかもわが辨天座がその新しき舞台の上演に資(し)せんとするものは、映画、舞踊、音楽、演劇等、あらゆる民衆芸術、民衆娯楽の粋(すい)を網羅し、或(あるい)は有名なる海外の諸芸術家の来朝を促し、之(これ)が紹介に盡(つく)さんとするなど、その「世界」の広汎(こうはん)なる、又、その規構(きこう)の自由なる、――隨(したが)って折にふれ時に応ずるプログラムの、みなさまの意表を衝(つ)く変化はまことに民衆娯楽、民衆芸術の殿堂として完璧を就(な)すものであります。就中(なかんづく)、我等は、日と共に繁(はん)褥(じょく)を極める近代生活圏に處(しょ)せられんとするみなさまのために、わが辨天座をしてよりよき存在たらしむべく、専(もっぱ)ら時間の短縮、諸経済の低減を期し、一方、設備万端(ばんたん)を改め、暖房装置の完全を致し、通風換気を厳しく整え、冬もなお春の如(ごと)く、夏も亦(また)、爽涼(そうりょう)たる秋の日を思わせて、快適なる享楽気分を醸成(じょうせい)するに全努力を傾倒し、尚、従来の下足制度を全廃し、みなさまが「お下駄のままでお気軽な御鑑賞」の便に供(そな)うるなど、すでにて江湖(こうこ)への最善なるサービスに立ちつつあるものであります。
 かくて我等は、一(い)つに「あなたの辨天座」のモットーの下に、誠心誠意、斬新なる興行法と、珍奇奇抜なるプログラムの編成を以(もっ)て、常にすべての興行界に先駆(せんく)し、実にお手頃な享楽殿堂として汎(あま)ねくみなさまの御満足に適(かな)う自信と衿持(きんじ)とに輝きつつ今や華々しくそのスタートを切るのであります。
 吁(あゝ)!あなたの辨天座!願わくばみなさまよ!我等が今日(こんにち)の誕生を、みなさまの歓呼(かんこ)と喝采(かっさい)の下(もと)に、幾久(いくひさ)しく意義あらしめ、栄(さかえ)あらしめられんことを。――


◇(神戸)開場記念号 新松竹座パンフレット【昭和4年10/31発行】
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みなさまの新松竹座!
民衆芸術民衆娯楽の理想郷
善美を盡せるモダン大劇場出誕


 時維(ときこれ)、昭和四年十月三十一日!
 茅(ちぬ)の浦曲(うらわ)に、六甲摩耶(まや)の山(さん)色(しょく)に、秋(しゅう)日(じつ)燦(さん)として照り映(は)ゆる時、新築茲(ここ)に就(な)りしわが新松竹座は堂々として其の晴れの舞台びらきを行なわんとします。
 吁々(あゝ)今こそ、グレート扇港(せんこう)興行界に、善美を盡(つく)せる真のモダン大劇場が、花々しく其の巨(きょ)姿(し)を出現するのであります。 そして、われらが五大都市連衡(れんこう)、六大松竹座チェーン・ショウに俟(ま)ちたる新松竹座が、その新しき舞台の上演に資(し)せんとするものは演劇、舞踊、音楽、映画等、あらゆる民衆芸術、民衆娯楽の粋(すい)を網羅し、或(あるい)は有名なる海外の諸芸術家の来朝を促(うなが)し、之(これ)が紹介に盡(つく)さんとするなど、その「世界」の広汎(こうはん)にして、又、その規模の自由なるを期し、就中(なかんづく)、我等は日と共に繁(はん)褥(じょく)を極める近代生活圏に處(しょ)せんとする諸賢(しょげん)のためにわが新松竹座をして、よりよき存在たらしむべく舊(きゅう)松竹座が三週年史に鑑みて、専ら時間の短縮、諸経済の低減を旨とし、名機「シネ・フォン」の設置はもとより、諸備万端(ばんたん)、暖房装置の完全を致し、通風換気を厳しく整え、冬もなお春の如(ごと)く、夏も亦(また)、爽涼(そうりょう)たる秋の日を思はせて、快適なる享楽気分を醸成(じょうせい)するに全努力を傾倒するなど、もって江湖(こうこ)百般への最善なるサービスに立ちます。かくて我等は、一(い)つに「みなさまの松竹座」のモットー下(か)に、誠心誠意、斬新なる興行法と、独特の名プログラムの編成を以(もっ)て、常にすべての興行界に先駆(せんく)し、神戸唯一の大享楽殿堂として汎(あま)ねく諸賢(しょげん)の御満足に適(かな)はんとするのであります。
 あゝ!みなさまの新松竹座の出現です。
 願はくば諸賢(しょげん)よ!我等の今日の出誕(しゅつたん)を、諸賢(しょげん)の歓呼(かんこ)と喝采(かっさい)の下(もと)に、幾久(いくひさ)しく意義あらしめ、栄(さかえ)あらしめられんことを希(こいねが)ひます――。


以上は、辨天座と神戸・松竹座の開場記念の紹介及び挨拶文です。
どうも同じ人のコピーライティングだと思われます。
しばし、この時代(1929年)の雰囲気を味っわってみてください。
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by suzu02tadao | 2012-03-19 14:00 | Comments(0)

惜別、そして懐古。

    佃島にて
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 吉本隆明さんが亡くなった。
 実は、この前の天神橋の古書市で田村隆一対話集『青い廃墟にて』(昭和48年刊)を購入したところ、吉本隆明さんとの対談もあって、最近はどうしているんだろうと思っていたところだった。
 その対談「下町について」の中で、田村隆一さんは、吉本さんの著書『都市はなぜ都市であるのか-都市に残る民家覚え書』の一節 <~わたしはマンモス都市のなかに置き忘れられたような民家の古い様式の名残りを愛惜する。~わが近代の展開がもたらした諸悪と諸善が、これらの民家とその住人のまうえをとおりすぎたにもかかわらず、いかなる意味でも爪跡をのこすことができなかったという証拠を、これらの民家が提供しているからである。~をとりあげて、
田村 ぼくは吉本さんの都市と民家に関するエッセイを読みかえしてみて、この一節に心うたれた。とくに「わが近代の展開がもたらした諸悪と諸善」という表現は、ぼくに考えるヒントをあたえてくれた。明治以降の百年の歴史をふりかえると、「近代化」ということを抜きにできないのは当然だが、その近代化が実質的になんらの影響をおよぼさなかった部分そのものにも、ぼくは諸悪と諸善があると思うんだ。>と語っている。
 また、吉本さんは佃島の生まれだが、次のように語っている。
吉本 ぼくは東京の町の要点ともいうべきところは、すべて歩いてみました。下町、すなわち隅田川の東は、もはや下町情緒なんてありませんね。~佃島にしても、もうダメですね、掘割りは埋められてしまうし、ただの場末の町に転落してしまいました。>
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 さて3月16日には、新幹線の100系、300系も最終運転を迎えたが、先日、すでに引退している0系新幹線を見る機会があった。
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 この新幹線は1969年製造のものだが、運転席の操作部や計器を見ると、今日のタッチパネル等のインターフェイスと比べて、なんともアナログで、その当時は未来的だと思っていたものが、非常に古臭く感じられ、また別の意味で「ブリキのおもちゃ」などと同じようなレトロな魅力も感じた。
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 下の写真は私が生まれたのと同じ年に造られた電気機関車(EF15-120)の運転席。完全にレトロです…。
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 最後にもう一つ、3月16日に引退した寝台特急「日本海」のヘッドマーク。
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by suzu02tadao | 2012-03-17 11:00 | Comments(0)

「歌舞伎番組」 広告から…

◇「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年10月
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 歌舞伎番組のパンフレットには「三越」以外にも当時を代表するような百貨店や商品などの広告が多く載っている。
 「銀座松屋」は1925(大正14)年5月1日に開店、今に続いている。当初は贅を尽くした内装が特長で、正面玄関入ってすぐの中央ホールの天井には華やかなステンドグラスがあり、また柱などの装飾も話題を呼んだという。
 「カルピス」は1919(大正8)年7月7日の発売。<この一杯に初恋の味>のコピーが初めて使われたのは1922(大正11)年からで、またオットー・デュンケルスビューラー図案の黒人マークが使われたのは1924(大正15)年だが、1990年より差別問題から今では使用を中止している。
 「ドン白粉」は今はもうないが、野口雨情作詞、中山晋平作曲で「ドンの歌」というCMソングがあったようだ。

次も「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年10月の他のページ。
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 ビールの広告では「エビスビール」をはじめ「ユニオンビール」、「キリンビール」の他、珍しいところで「シーズンビール」が載っている。尚、この当時のビール1本(大壜)の値段は34銭。
 「COTY」はフランス製の化粧品。ルネ・ラリックがデザインした香水瓶が有名で、<粉白粉=1円15銭、(小型)65銭。コンパクト=1円35銭。>とあるとおり高級品です。
 「日本橋 白木屋」はかつて日本を代表した百貨店の一つ。尚、有名な「白木屋大火」があったのは、この広告より後の1932(昭和7)年12月の事。
 百貨店ではこの他に「高島屋」と「松坂屋」が載っています。
 「国産 ポリドールレコード」。日本ポリドール蓄音器商会が日本国内でレコードの製造・販売をはじめたのは、この広告の少し前の1927(昭和3)年であり、当時のレコードは一枚1円50銭~3円とあるように高級品だったことが分かります。
 蓄音器の広告では「ビクター」「コロムビア」「マーヴェル」が載っています。「マーヴェル」の広告には値段が記されており、50円から150円となっていて、やはり庶民には買えない贅沢品です。
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 料亭や料理屋の広告も多く、「銀茶寮」はあの「星岡茶寮」の姉妹店。広告も北大路魯山人の書のようです。
 他には「東洋軒」や「精養軒」など、今日もある西洋料理店も載っています。 
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「虎屋」の1930(昭和5)年の広告です。ここにある商品は現在も販売しているようです。
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カフェーの広告では、「本郷座番組」1929(昭和4)年9月掲載、上野公園前の「カフェー世界」。
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【参考】同じ「カフェー世界」の広告。
    これは時刻表で、1931(昭和6)年9月1日改正版。
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◇「明治座番組」1930(昭和5)年7月
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 「現代ユーモア全集」の広告が載っていたので、何故か?と思ったのだが、これは演目の「新家庭双六」の原作者が佐々木邦であるためで、いわゆるタイアップ広告となっている。
 佐々木邦(ささき-くに、1883-1964)は日本のユーモア小説の先駆けにして第一人者。夏目漱石やマーク・トウェイン等の欧米のユーモア作家に影響され、多数執筆。その作風は、良識に裏打ちされたユーモアに富み、昭和初期のサラリーマン階級を舞台に、家庭的な笑いに焦点を当てている。
 また、この芝居で主役を演じている花柳章太郎と(初代)水谷八重子は、戦後も名コンビとして次々に傑作を世に送りだしている。
 「現代ユーモア全集」では、佐々木邦作「明るい人生」と共に第一回配本の「涙の値打」の田中比左良(たなか-ひさら、1891-1974)は大正-昭和時代の漫画家・挿絵画家。当時は岡本一平などと同じように人気作家で、昭和初期のモダンガールを描いた風俗画が有名。
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by suzu02tadao | 2012-03-16 15:20 | Comments(0)

「 お買物は三越 」 杉浦非水

◇「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年6月【左】、7月【右】
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 「今日は帝劇、明日は三越」というのが大正から昭和初期頃のセレブのライフスタイルだったようだが、上図は帝国劇場の歌舞伎番組パンフレットの「三越」の広告。
 さて、前回は大阪市電切符の裏面の広告だったが、今日は東京の劇場のパンフレットの広告をとりあげてみたい。どのパンフレットも裏表紙は「三越」の広告となっている。そして作者はもちろんのこと、杉浦非水。

◇「東京劇場・番組」1931(昭和6)年4月【左】、3月【右】
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◇「明治座・番組」1930(昭和5)年7月【左】、1929(昭和4)年10月【中】、11月【右】
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◇「歌舞伎座・番組」1930(昭和5)年1月【左】、7月【中】、1929(昭和4)年10月【右】
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◇「新橋演舞場・番組」1926(昭和2)年2月【左】、「新歌舞伎座・番組」1929(昭和4)年11月【中】、 「歌舞伎座・番組」1931(昭和6)年4月【右】
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◇【左から順に】「本郷座・番組」1929(昭和4)年10月、9月、 「市村座・番組」1928(昭和3)年1月、1926(大正15)年1月※「ひすゐ」サイン
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 杉浦非水は商業美術の先駆者であり、現代日本のグラフィックデザインの礎を築いた作家の一人で、三越のPR 雑誌『三越』がよく知られているが、三越の広告についてはこのような小さなものにも秀作が多い。
 例えば下図の同じパンフレットの他の広告と比べてみれば明らかなように、非常に小さなスペースの中ではあるが、その表現力・構成力はさすがに見事なものである。
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by suzu02tadao | 2012-03-15 10:00 | Comments(0)

モダン考古学?古本市は発掘現場!?

◇大阪市電切符【1943(昭和18)年2月27日・28日】
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 私がもともと古本市に行くようになったのは、古書というよりは、ポスター、あるいは引き札などのチラシやパンフレット等のいわゆる「紙もの」と呼ばれるものに興味をもったからであるが、そんな中で思わぬものが、その時代の情勢を如実に示す証拠となっていることがあるので、それもまた楽しみのひとつになっている。
 奈良時代くらいの遺跡から、年号を記した木簡等が発掘されると大きなニュースになったりもするが、近代ともなるとそういう訳にもいかない。が、やはり、そのものができた年月日が正確に分かるということは、その時代の詳細を知る上では大切である。
 古本市には、鉄道関係のマニア向けに、よく電車の切符が出ていることがあり、数年前に裏の広告の図柄が面白いので、昔の大阪市電の切符を購入したのだが、これには使用された時点での日付が入っており、それと合わせて眺めてみると、その時代の様子が浮かび上がってくる事に気が付いた。

◇大阪市電切符【1925(大正14)年6月27日】裏/表
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上図のものは、かつて大阪市港区にあった「市岡パラダイス」がオープンした時の広告である。
  東洋一 大楽園 市岡パラダイス 七月一日開園
  園内実に1万2千坪
  動物演技、歌劇、活動写真、世界的曲芸、伊太利(イタリア)演芸団
  アイススケート、水泳プール、大瀑布、飛行塔始め最新式運動機多数
  築港線夕凪橋下車


市岡パラダイスは1930(昭和5)年1月には閉鎖されたが、大劇場(パラダイス劇場)は戦後、港区一帯の地盤沈下対策としての盛土工事で撤去されるまでは残っていたそうだ。

◇大阪市電切符【1928(昭和3)年6月23日】裏/表
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「日乃丸食堂」は大正から昭和初期にかけて、大阪を代表するカフェーであったらしい。
  新時代の嗜好に依って生まれた 趣味のカフェー!!
  日乃丸独創 グランドジャズバンド毎夜連奏

とあるが、どんなところだったのか是非行ってみたくなる。

◇大阪市電切符【1941(昭和16)年1月15日】裏/表
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昭和16年というと、太平洋戦争の開戦の年であるが、まだこの時点では、松竹座でもアメリカのワーナーブラザーズ製作の映画が上映されていたことが分かる。

◇松竹座週報【1941(昭和16)年12月28日発行】
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これは切符ではなく、かつての「松竹座ニュース」(※敵国語!)改め「松竹座週報」だが、12月8日に真珠湾を攻撃して宣戦布告した後になると、このようになる。
「一億捨身だ、米英屠(ほう)れ!!」 まさに鬼畜米英!!…。
当然、上映されるのはドイツ製の映画である。
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◇大阪市電切符【1943(昭和18)年2月27日・28日】※冒頭の切符の広告面
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昭和18年の春には、まだ「春のおどり」が上演されていた。
事実、本土空襲に備えて学童疎開が始まったのは翌年の昭和19年からであり、この頃にはまだ観劇を楽しむ余裕があったようだ。

 尚、これらの切符は1枚、100円であった。切符を購入した際には、広告の図柄の面白さで選んだのだが、時代性という観点で選べばもっと別のものも買えたのではないかと思う。ちなみに、大正14年と昭和3年の切符のサイズは13cm×5.5cm、昭和16年と昭和18年の切符は9.5cm×4.5cmと大きさも違っている。
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by suzu02tadao | 2012-03-12 08:20 | Comments(0)

「東西美術提要」~「美術と図画」~「洋画通」

◇「東西美術提要」原貫之助・石谷辰治郎共著、1923年(大正12年)修文館
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 なんとも云えず奇妙な表紙に魅かれて購入したのが上図の『東西美術提要』。
 著者の原貫之助、石谷辰治郎は共に広島高等師範学校教授で、他にもいくつかの図画の教科書の著作があるが、この本は旧制高校レベルの学生を対象とした美術史の教科書である。内容はその表紙の印象とは裏腹に、西洋美術の項目で、既にカンディンスキーをはじめ立体派、未来派等の作品を紹介している。※原文は旧仮名遣い、人名は原文に従った。

 <~スペイン人 パブロ・ピカソ(1881~)はパリにおいて、また一新主義を発表した。いわゆる立体派 Cubismである。後期印象派の一層進化した表現主義であって、およそ一切の物象は、皆三角、四角等の幾何学的形状より成立するものとし、これを単位に分解し、数学的計量の関係において、一定の調和を見出さんと試みるのである。
 現世紀の初め、イタリアにおいてまた芸術上の新運動が起こった。すなわち未来派 Futuristeである。またこの派は過去の芸術と情調とをいっさい排斥し、未来の要求をもって、新しき芸術を造ると云うのである。~運動の連続状態をそのまま表現するから、この派は空間と併せて時間を現わすのである。肉眼に映ずると同時に、心眼に映ずるものを描くと主張し、物象の一面と他の面とを、同時に表わすのである。今やこの主義は絵画のほか、音楽、彫刻、詩歌舞踏乃至文学等に及んでいる。
 未来派の主導者はイタリア詩人エフチー・マリネッチ(1873~)である。>
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 <表現主義を極度までに徹底したのは構図派 Compositionalism である。ロシア人ワッシリー・カンヂンスキーの主唱するところであって、芸術の第一義を、作家内面生活の表現にあるとし、しかも自然の外観を全く度外視し、抽象的なる線や色とを組合せて描くのである。而して自然の形似を混入することは、それだけ却って観者の知識の働きのために感情の発生を妨げると云っている。すなわち客観の世界から脱して絶対的なものを、象徴的に色や形で表現せんとするのである。故にまたこの派は絶対派あるいは色彩象徴主義とも云われている。>
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 1912年(大正元年)、画家で美術評論家の石井柏亭によって、文芸雑誌『早稲田文学』で、カンディンスキーの作品を紹介したのが、日本で抽象絵画が紹介されたはじまりのようだが、その頃より多数の若い美術家がフランス等に遊学する中で、当地で最新の芸術運動に出会い、帰国後の日本で新しい潮流を形成するといった現象が生じた。
 中川紀元もそのような画家の内の一人で、フランス留学後は二科会などで活躍したが、小学生全集として『美術と図画』を著している。

◇「美術と図画」小学生全集41 中川紀元著、1929年( 昭和4年)
  興文社・文藝春秋社、 装幀・東郷青児
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 この本は、未来派の作家として華々しくデビューした東郷青児の洒落た装幀であるが、小学生向けということもあり、立体派や未来派など最新の動向については省かれている。
 <現代のフランス美術 ~美術の流派というようなものもそれからそれへと新しいものが起って、ことに世界大戦の前にパリに勢力を占めた立体派と未来派とはあまねく世に知られたものであります。
 私はあなた方にこの立体派や未来派のことをお話しようと思って永い間頭をひねりましたが、どうもこれらの流派の理屈がむずかしくて、簡単にわかりのよいように説明できそうもないので困ってしまいました。
 ~これらの新しい絵の説明はもうすこしあなた方が大きくなったからのこととして、ここには省いておきます。~>

◇「通叢書 洋画通」中川紀元著、1930年( 昭和5年)四六書院
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 中川紀元の著書では他に『通叢書 洋画通』があるが、こちらでは、「現代洋画の諸流派」の中で、立体派については9ページにわたって解説している。ちなみにフォービズムは5ページ。未来派は4ページ。表現派は3ページ。更にここではシュールレアリズムについても紹介している。
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by suzu02tadao | 2012-03-10 09:45 | Comments(0)

北尾鐐之助 -風景を切る-

 北尾鐐之助といえば『近代大阪』(昭和7年刊、創元社)が有名で、その写真と文章には定評があるところだが、写真家としての北尾が自身の写真に対する考えを著したものに、『風景を切る-カメラの美と旅-』(昭和27年刊、創元社)がある。
 本書の「あとがき」で、北尾は<私の写真画に関するささやかな文集の一つにすぎない。>と云い、挿入されている著者以外の作品は、<本書の上梓を聞いて、旧知諸氏から好意的に寄せられたものである。~日本の現写壇における巨匠の作品を網羅した自選画集のような形になった。>と述べているとおり、ここに掲載されているメンバーがすごい…。

◇入江泰吉「雪の東大寺」       ◇木村伊兵衛「水戸光子さん」
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◇土門拳「ぽんと町界隈」
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◇ハナヤ勘兵衛「夕餉」-ジャンジャン横町にて-
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 他には、塚本閤治、本庄光郎、小石清、西山清、河野龍太郎、上田備山、岡田紅陽、川崎亀太郎、河野徹、池宮清二郎、福田勝治、井深徹、小野由行、棚橋紫水、長谷川梅之助、相浦勝、紅村清彦、天野竜太郎、渡辺義雄、中藤敦、長浜慶三、北野邦雄、真継不二夫、佐保山堯海、永田二竜、と錚々たる顔ぶれだ。

 北尾は本書の中で、次のように述べている。
 <~写真画の本質とは、絵画の追随できぬ機械操作による現実の造形美、知性ある感覚がその焦点でなくてはならぬ。いまの日本の写真芸術は、あまりに視野が狭く、そこには人間及び生活の深い探求もなく、風景における季節感覚のすぐれた抽出もなく、風刺や比喩などの時代的・即興的な知性もまた、存在しない。題材は依然として、外来作品を真似た同じ繰返しにとどまっている。カメラはよろしく、もっと国民性に生きて、生きた風景感情、動植物の生態美、現実の社会性、人間性の解釈などへも、勇敢に突き進むべきである。>

 また、『近代大阪』は「近畿景観」の第三巻として刊行されたものであるが、
 <「景観」の文字は、近来、風景と同じ意味に使用されているが、この文字を、はじめて私が旧著「近畿景観」(昭和二年 第一巻)に用いて以来、風景と混同しないように、〈景観する〉とか、〈景観的には〉という風に、つとめて使用してきた。景観とは「眼に映ずる景色の特色と考えてよい」~「風景形態の厳密なる研究の意である」~などのごとく、単なる風景写真とは、その目的と性質とが異なっており、地形、林相、栽培、集落の発展状況のような、地理学上、一つの説明に資するのを目的とする写真である。>

 北尾の写真に対する姿勢は「近畿景観」をはじめ、『近畿・山陰の風物』(昭和14年刊、大阪鉄道局)の写真においもみられ、ここでも、単なる風景写真や観光写真とは違ったものになっている。

◇友禅(京都桂川)
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◇姫路城
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◇奈良公園
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◇大阪中之島
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 尚、『近畿・山陰の風物』は、装丁が持田卓二、扉(下図)が川西英、挿絵が鍋井克之という豪華な顔ぶれで、北尾鐐之助も「車窓景観」と題して紀行文を載せている。
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by suzu02tadao | 2012-03-08 12:55 | Comments(0)

「大阪城」-ザ・大阪のデザイン-

 『月刊 大阪人』が4月2日発売の5月号増刊を最後に休刊する。私のような街歩きが趣味の人間にとっては、大きな情報源だっただけに、大変に残念でならない。
 現在発売中の4月号増刊でも特集「ザ・大阪のデザイン」ということで、大阪を代表する様々なものが紹介されているが、さすがと思うのが、最初にまず「大阪城」をもってきているところだ。しかも、後で「ザ・大阪名作デザイン史」にも1930年代を代表するデザインとして、ちゃんと登場させている。

【絵葉書】大大阪百景(昭和10年頃か?)
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 『大阪人』の記事でも紹介されているが、現在の大阪城の天守閣は、1931年(昭和6年)に、昭和の御大典事業の一環として、豊臣期天守の外観を復元考証して鉄筋コンクリート造の「永久建築」として建てられたものだ。しかも、その建築費150万円(現在の金額だと600億円以上!)は市民の寄付によってまかなわれたのだった。

 関一(せき はじめ)が市長だった当時の大阪市役所が発行した「御大典記念 大阪案内記」(昭和3年11月)では、大阪城について以下のように記述しいている。
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大阪城
 ~今回御大典奉祝記念事業として、二百万市民の協力を以て城内約二万六千坪の地域を公園とし、ここに豊公当時そのままの八層楼新天守閣が現代建築術の粋を集めて復興し、毅然として空にそびゆることとなったのである。~
 <現代建築術の粋を集めて>とあるように、なるほど大阪城天守閣はモダン建築であったのだ。
 この辺については以前に、『大阪人』の編集委員である橋爪紳也氏が監修した『大大阪モダン建築』(青幻舎)でも大阪城を登場させている。

 大阪城天守閣が完成してからは、大阪城は大阪の顔となり、大阪のシンボルとして絵葉書や観光パンフレットなどには必ず登場している。

◇観光と産業の大阪(大阪市産業部)昭和11年頃
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◇大阪遊覧バス(大阪乗合自動車株式会社)昭和10年7月発行
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【参考:大正時代の絵葉書】
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【おまけ】初代・通天閣
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by suzu02tadao | 2012-03-06 11:57 | Comments(0)