1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2012年 08月 ( 12 )   > この月の画像一覧

「加悦SL広場」

◇重要文化財 「123号蒸気機関車」運転席より
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 SLにも重要文化財に指定されているものがあることを、「加悦(かや)SL広場」を訪れるまでは知らなかった。
 「123号蒸気機関車」は1874(明治7)年に開通した大阪-神戸間で活躍したもので、日本の鉄道の黎明期を支えたものだという。

◇「123号蒸気機関車」の銘板
 英国最古参機関車メーカー Rt.Stephenson製 1873年6月製造
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 ここでは27両の貴重な車両を展示しているが、ほとんどの客車は新造時の姿に修復されていて、内部に入ることができるため、当時のノスタルジックなインテリアを堪能できるのが魅力である。
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 鉄道旅行がまだまだ贅沢だった時代のものだけに、ディテール等もひとつひとつが凝った造作になっており、丁寧に仕上げられている。
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 1925年製造の客車を改造したヨーロピアン調インテリアの「カフェ蒸気屋」では食事もできる。
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 「加悦SL広場」のある与謝野町は、かつて大正から昭和初期には「丹後ちりめん」の里として栄え、また与謝蕪村や与謝野鉄幹・晶子などのゆかりの地でもある。

【参考】与謝野モダンの旅
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by suzu02tadao | 2012-08-30 15:20 | Comments(0)

「ランランチック」 今竹七郎

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 上図は、今竹七郎(1905 - 2000)がデザインした「ランランチック」のパッケージ及び、1935(昭和10)年の「ランラン油粧品」新聞広告(大阪朝日新聞社主催彩色広告競技特選受賞作品)【昭和のモダニズム 今竹七郎の世界(1989年)より】である。

 「昭和のモダニズム 今竹七郎の世界」は、1998年に西宮市大谷記念美術館で展覧会が開催された時に購入したもので(※その時には今竹七郎はまだ健在【92才】であった!)、先日、久しぶりに取りだしてきて、解説や本人自身がまとめたバイオグラフィーを読みなおしてみると、これがなかなかおもしろい。

 1926年、21才の頃、まだ神戸大丸でデザイナーとして本格的に活動する前に、関西初の月刊少女雑誌「乙女の園」の全ページのイラストとカットを担当しており、この雑誌の表紙は小磯良平であった。
 1929年には中山岩太らと神戸商業美術研究会を発足させ、1937年にはデザイン・ジャーナル誌『プレスアルト』の発起人となるのだが、主動メンバーには日本におけるモダニズム建築の先駆者のひとりである本野精吾がいた。
 また、「具体美術協会」を結成した吉原治良とは家も近く、かなり親密な交際があったようで、吉原治良から「具体」への参加を求められていたという。

 関西を中心に、日本のグラフィック・デザイン界にあって、その胎動期から戦後を通じて活躍し、モダンデザインの父と呼ばれる今竹七郎だが、その活動の範囲はデザイン界だけにはとどまらない。

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by suzu02tadao | 2012-08-27 14:34 | Comments(0)

『美術入門』 森口多里

◇『美術入門』初版:1950(昭和25)年6月15日発行【表紙カバー】
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◇『美術入門』三版:1951(昭和26)年9月20日発行【表紙カバー】
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 以前にもとりあげたことがある美術評論家・森口多里の著書、『美術入門』。
 三版の方が、この間の「下鴨納涼古本まつり」で購入したもの。以前から所有していた初版のものと表紙カバーが違うので、内容も違っているのかと思って購入したのだが、内容は一緒のようだ。

 ただし、表紙カバー絵の他、表紙絵と扉絵はそれぞれに異なっている。
 また、カラー図版については、マチスとゴッホの絵は初版にもあるが、ブラックとルノワールの絵が三版では追加されている。
 なお、作家の名前表記について、図版ではゴッホとなっているが、文中ではヴァン・ゴーグとなっているところが、時代を感じさせてくれる。

◇少女とアネモネ(マチス)【カラー図版】
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◇オーヴェル風景(ゴッホ)【カラー図版】
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◇きづた(ブラック)【カラー図版】
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◇裸婦(ルノワール)【カラー図版】
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 内容については「あとがき」の中で次のように記されている。

 <本書は美術を味識するための手引きとして書かれたものであるから、美術入門と題されているけれども、実際の内容は美術鑑賞入門である。~(略)~あくまで鑑賞本位である。それも作品の直接の鑑賞を主としているから作品から時代性・民族性・社会性といったようなものを抽出して考えることにも殆んど触れていない。こういう方面の考察のためには別個に美術概論風のものが必要なわけである。>

 三版の方には、当時の図書目録がそのまま挟まれていて、こういう事も私のような者には嬉しいのだが…、以前にもここで取りあげた『現代風俗帖』(木村荘八著)が紹介されている。
 それにしても、この当時の東峰書房の本は、なぜか途中で変更されるものが多かったようだ…。
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by suzu02tadao | 2012-08-24 14:00 | Comments(0)

清水寺 -安来紀行(3)-

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 安来・清水寺の歴史は古く、用明天皇2年(587年)、尊隆上人により開かれた天台宗のお寺で、盛時には48の僧坊を抱える勢いで、山陰随一の境内を誇っていたと伝えられている。
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 1859(安政6)年建立の三重塔は山陰唯一であり、清水寺のシンボルとなっている。また、1393(明徳4)年の建立以来、数々の戦火をまぬがれた「本堂」は国の重要文化財になっている。
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 清水寺境内及び参道は、松や杉の老木が枝を差しかわす中に、モミジや桜が四季折々に彩りを添え、一刻一刻と変化する陰影の情景を醸し出しており、自然美と千年の時の流れが、訪れる人をやすらかな表情にさせてくれる。
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by suzu02tadao | 2012-08-22 09:00 | Comments(1)

安来市街地 -安来紀行(2)-

 安来は『記紀神話』にも登場する歴史の古い町で、ヤマタノオロチ伝説が生まれたように、古くから製鉄技術が発達していた雲伯地方の中心地であったという。
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 中心市街地の大市場商店街の一角にある「やすぎ懐古館 一風亭」は、おおよそ100年前の明治時代後半に建てられた、市内指折りの呉服・雑貨商を営んだ大商家跡で、各種文化イベント等に利用されており、朝市も開催されている。
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 かつては国内の鉄生産量の実に90%以上にものぼる素鉄・素鋼品の製造・流通を取り扱い繁栄を極め、現在も「安来鋼」をはじめとする日本有数の鉄鋼開発拠点の一つとなっているということで大きな屋敷も多い。
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 安来というと民俗舞踊「どじょうすくい」が有名だが、これは、「安来鋼」を作るたたら吹き製法の際に原料として使われる砂鉄採取の所作を踊りに取り込んだものだといわれている。

◇和鋼博物館
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 陶芸家、河井寛次郎の生誕地でもある。
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 かつてこの地にあった銀行のモニュメントとして玄関部分だけを残したもの。ちょっとシュールです…。
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 ちょうど、「やすぎ月の輪まつり」の最中でした。
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 「やすぎ月の輪まつり」は出雲風土記にちなんだ伝統の神事で、三日月型の行灯は、串刺しにされたワニ(鮫)を表しているということです。(安来港にて)
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by suzu02tadao | 2012-08-19 12:00 | Comments(0)

「足立美術館」 -安来紀行(1)-

 米国の専門誌やフランスのミシュランなど、国際的にも高い評価の日本庭園が有名な足立美術館だが、館内にある茶室「寿立庵(じゅりゅうあん)」は、桂離宮の茶室「松琴亭」の面影を写し、京都の専門の工匠によって建てられたもので、襖の大胆な青と白の市松模様のデザインなど和風モダンな雰囲気を醸し出している。

◇茶室「寿立庵」
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 さすがに日本庭園は、ポスターやガイドブックそのままの情景が眼前に広がり、本当に一幅の絵画のようだ…。
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 この庭園の他にも横山大観を中心とした近代から現代の日本画の名作の数々や、河井寛次郎と北大路魯山人の陶芸作品が鑑賞できるなど、見ごたえのある美術館になっている。
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by suzu02tadao | 2012-08-18 14:51 | Comments(0)

下鴨納涼古本まつり ~『絵画の美(油絵編)』

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 世界遺産である京都・糺の森で開催されている「下鴨納涼古本まつり」は周囲の自然環境もあって、本当に贅沢な気分にさせてくれる。
 広い会場の古本の海の中で、たとえ漂流して疲れ果てても、木々の緑と渓流が心と身体を癒してくれて、また新たなる漁?に向かわせてくれるのである。
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 こういった古本市の楽しみは、なんといっても、自分の好きな作家や関心のある分野のものを古本の海の中から探し出してきて格安で手に入れることだが、それとは別に、値段の安さもあって大して期待もせず、とりあえず買ったものが、後になってから自分にとってはなかなか楽しめるものである場合もあって、それがまた嬉しい…。まあ、どちらにしても「掘り出し」の楽しみになるのは同じで、結局、気がつけばまた数冊購入しているのであった…。

◇『絵画の美(油絵編)』内田巌著:1943(昭和18)年刊
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 『絵画の美(油絵編)』も、300円均一台の中にあったもので、著者の内田巌の名前に見覚えがあったので、とりあえず購入したものだ。
 内田巌(1900 - 1953)については『池袋モンパルナス』(宇佐美承著)「第二部 第七話 祖国と異国」 野田英夫の項で下記のように書かれている。
 <野田が日本にきて、最初に会った絵かきは内田巌であった。やはり絵を描く野田の従妹が内田の家に出入りしていて、その手びきで内田邸を訪れたのだった。
 内田は文人内田魯庵の息子で裕福であった。美校藤島教室で学んだあとフランスへわたり、昭和七年に帰国したばかりの有望な新人であり、光風会に属し帝展に出品していた。すこし先の話をすれば、内田は野田と出あったあと、文相松田源治の画壇統制策に抗して昭和十一年、官展系の光風会を割って出て新制作派協会をおこした。さらにずっとのちの戦後には共産党に入党して「歌声よおこれ」「一九五二年」など、赤旗はためく絵を描いた。坊っちゃんそだちの内田はロマンチストで正義漢であった。そんなところが、アメリカぐらしのせいで率直をよろこぶ野田と通じたのかもしれなかった。>


 この『絵画の美(油絵編)』は青少年を中心とする美術愛好家の美術精神理解の手引き書として著したもので、次のような文章は<ロマンチストで正義漢であった>内田をよく表している。

 <徳川の鎖国の後に、日本では宮本武蔵や宗達や光琳といふ、もっとも日本的な大画家があらはれてゐる。「それは日本をふりかへる機会が来て、今まで輸入してゐた外来文化を日本的気質の上にはげしく吸収した為だ。」とある美術の歴史家が述べてゐる。さあ、日本人の立派な油絵を、皆して作らうではないか。
(第三章 四 日本の油絵)>

 <この稿を終るにあたって、私は美術国日本に、新しいルネサンスの起ることを願ひ、百人のレオナルド、百人のミケランジェロ、百人のラファエロが、諸君の中から出現することを望むものである。
(第九章 これからの絵は日本が中心だ)>


◇「わが室内」藤田嗣治(『絵画の美(油絵編)』)より
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 近代化の中で、いわゆる西洋美術の日本社会への導入及び推移に、私は関心があり、ここでもとりあげた中川紀元や足立源一郎、小出楢重などが著した戦前の美術解説書や技法書を面白く読んでいたのだが、最近になってまた、『印象派という革命』(木村泰司著)を読んでいて、改めて当時の洋画家及び評論家の意識について興味を持っていただけに、これはまた嬉しい一冊になったのだった。
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by suzu02tadao | 2012-08-13 17:30 | Comments(0)

「神戸みなとの祭り」 宇崎純一

◇第4回 神戸みなとの祭り 【1936(昭和11)年】絵葉書
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 「神戸みなとの祭り」は1933(昭和8)年より開催されており、前回とりあげた小磯良平作のポスターがよく知られているが、上図の絵葉書は宇崎純一(うざき すみかず、1889 - 1954)のものである。
 これは「大阪の夢二」と呼ばれた純一の典型的な画風ではないが、例えば市章山の表現など、下手をすれば陳腐になるところを、さらっと上手く描いており、また全体的にも洒落た味をだしていて、当時の人気と実力の程がうかがえる。

 宇崎純一については、2010年に大阪市立中之島図書館で展覧会が開催された時には、私はあまり関心はなかったのだが、その後、この絵葉書を手に入れてからは興味をもつようになり、先日も、堺市立文化館で開催されている「大阪の夢二 宇崎スミカズと華やかな大阪出版文化」展に行ってきたのだった。

 パンフレットの案内文の中で<純一は当時道頓堀にあったカフェ「パノン」や弟祥二の経営する「波屋書房」を通じて、文士や画家、俳優、若き文学青年たちとの交流があり、大阪の出版文化の一翼を担っていたのは確かです。>とあるように、藤沢桓夫の同人雑誌『辻馬車』を出版したのは「波屋書房」であった。
 宇崎純一については、藤沢桓夫も『大阪自叙伝』のなかでもふれているが、談話としてまとめられた『回想の大阪文学』では次のように語っている。

 <宇崎純一さんは絵かきさんでね、丸の中にカタカナでスという署名でした。いわゆる子どもの自由画みたいなちょっとしたペン画をかいていました。純一絵手本みたいなもの、これはずいぶん売れたんですよ。それから高島屋とか商業的な雑誌なんかに広告が載るでしょう。それにちょっとした絵をかいたりね。何かいわゆる大阪のイメージを自分でまとっておられたのじゃないかと思うんですね。この人が店の仕事をしているのを一度も見たことがないですよ。そしていつでも松竹座の向かいにあったライオンという喫茶店で、昼間、商家の旦那衆でいて、やっぱり芸術家であるような人や、ちょっと歌舞伎の脚本を書く人なんかが集まっているその中で、のらりくらりしているんですよ。それで弟はバイオリンを弾いているわけでしょ。それこそ芸術生活をしている人だったのと違うかな。>

 また会場に展示されていた「パノン」(キャバレー・ヅ・パノン)での仮装会での写真には、純一とともに、画家の住田良三、足立源一郎、赤松麟作、松田種次や歌人の段谷秋比登などが奇抜な仮装で写っており、当時の大阪には華やかな文化交流があったことがうかがい知れる。
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by suzu02tadao | 2012-08-12 18:25 | Comments(0)

「大阪商船」 高千穂丸

◇雑誌『海』第38号【1934(昭和9)年4月発行】表紙
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 前回もとりあげた大阪商船のPR雑誌『海』第38号では、この年(1934年)の2月に処女航海を行った「高千穂丸」を特集している。
 表紙の絵は、この処女航海に同行して台湾まで乗船した小磯良平(1903 - 1988)のものである。

 特集記事「処女航海 -高千穂丸に試乗して-」の中では、小磯良平と共に乗船した田村孝之介の絵もカットとして使用されている。
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 また「高千穂丸処女航海を記念して」では下記のように記されている。
 <平和と繁栄の使徒として、内地台湾を結ぶ新造船高千穂丸。神戸港頭昭和九年二月十日、如月の空は碧瑠璃色に澄み渡り、六甲の残雪が白銀に輝く。此の日正午、彼女は檣頭高く社旗を翻し歓呼渦巻く埠頭を後に、晴れの処女航海へ出航したのである。>
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 高千穂丸は台湾航路の貨客船で、一時期は徴用船として使用されたこともあったが、戦時中も神戸・基隆航路で就航し続けた。
 しかし、1943年3月19日朝、高千穂丸は基隆沖で、アメリカ海軍潜水艦キングフィッシュ からの攻撃を受け、魚雷が命中して沈没した。
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by suzu02tadao | 2012-08-09 13:40 | Comments(0)

「大阪商船」 大久保一郎

◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】広告より
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 関西のデザイン界を戦前戦後を通じて牽引した今竹七郎は、『日本デザイン小史』の中で、戦前の大阪デザイン界を次のように語っている。
 <その当時、社会的地位は別として、大阪には神戸で見られない華やかな図案家の存在があった。そのトップは、松竹座美術部の山田伸吉であった。全国に行きわたった映画広告独特のレタリングは、そのオリジナルが彼の創案によるものであった(※注)。アール・ヌーボーとセセッションのミックス字体を古い年代の人なら誰でも知っているだろう。彼の名声は大したものだったが、純粋美術でも春陽会の入選者という事実が、彼の人気をいっそう確実なものにしていたようである。また大阪商船に大久保一郎という著名な存在もあった。主要な仕事はポスターに見られたが、船を描かせば日本一というほまれの高い彼ではあったが、春陽会に油絵が入選すると、大臣にでもなったようにマスコミが騒ぎ立てたものである。~>
(※注:実際は山田伸吉の創案ではないが、むしろ「キネマ文字」として洗練・普及させたところに意味があるといってよい。)

 以前からよく取りあげている山田伸吉が松竹座の顔となるデザイナーであったとすれば、大阪商船の顔は大久保一郎であった。
 大久保一郎(1889-1976)は大阪商船(株)の嘱託画家として、PR雑誌『海』をはじめポスターやパンフレットを数多く手がけており、用途に応じて多種多彩な表現をしている。

◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】表紙
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◇雑誌『海』第20号【1929(昭和4)年8月発行】カットより
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◇ポスター・スタンプ各種
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◇パンフレット「南洋航路案内」【1929(昭和4)年】
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◇パンフレット「第二回 支那・日本 周遊の船旅」
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 下図のパンフレットは昭和10年のものだが、春陽会に油絵が入選した後のものと思われ、【I.OHKUBO】サインが入っている。
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 尚、大阪商船の貨物船や客船は、第二次世界大戦勃発と並行して、ことごとく戦時徴用され、その多くが被災した。大久保一郎はそういった徴用船の最後を伝える絵画も描いている。
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by suzu02tadao | 2012-08-07 11:30 | Comments(0)