1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2013年 01月 ( 10 )   > この月の画像一覧

「街角レトロ」 面格子ギャラリー <2>

 面格子のある風景の続き…
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 電柱や電線などのいわゆる美観や景観で問題になるものも、面格子とともにあれば、何故かレトロな風情を感じさせてくれる。

 植木などのグリーンとの相性も良いようだ…。
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 中には和風の意匠をとりこんだものもある。
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 これは、少しわかりにくいが菊花の図案で、供花を扱う花屋のもの。
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 面格子&フェンス扉。
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 そして結局、行きつく先は…
 面格子ではないが、これも同類ではないだろうか。

◇螺旋階段用鉄製ガード(17世紀)フランス
  「古道具、その行き先」図録より
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by suzu02tadao | 2013-01-29 14:25 | Comments(0)

「街角レトロ」 面格子ギャラリー<1>

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 街を歩いていて、レトロだな…と思うのは、街並みはもちろんのこと、街角の佇まいや建物の一部分であることが多い。
 前回の冒頭の写真もそうなのだが、窓の面格子はレトロを感じる重要なアイテムのような気がする。
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 最近では、面格子はアルミ製かあるいはステンレス製の非常にシンプルなものが一般的だが、一昔前のものには、庶民的な長屋や文化住宅においても、様々なデザインがあってとてもおもしろい。
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 いちばん多く見かけるのは、「唐草パーツ」と私が勝手に名付けた唐草模様に由来していると思われるものだが、唐草模様は元はつる草を図案化したもので、砂漠のような過酷な自然条件でも繁殖する生命力に、発展や繁栄への願いが込められており、洋の東西を問わず古代より使用されている。
 この「唐草パーツ」は、取り付ける角度の変化や他のパーツとの組合せにより、様々なバリエーションが可能なため、さかんに使用されたようだ。

 「唐草パーツ」の展開例として、よく見かけるハート形…。
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 当然のことながら、同時代のレトロなものとの相性も良く、タイルとのコーディネイションが絶妙だったり…。
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 最近では見られなくなった模様入りの窓ガラスとのコンビネーションがいい味をだしていたりする。
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 パウル・クレーの作品に、こんなような絵があったような気がするが…。
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 ほのぼのとしたメルヘンチックなものもある。
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私とは趣旨がちょっと違うが、こんなサイトもあるようだ。
【参考】面格子ファンクラブ
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by suzu02tadao | 2013-01-26 15:30 | Comments(0)

「街角レトロ」 表参道をゆく

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 大阪ニット会館の前は大阪天満宮の表参道で、7月25日の天神祭本宮では陸渡御(りくとぎょ)の行列の通り道にもなっている…
 この陸渡御が乗船場に到着した後に行われる、多くの船が行き交う船渡御(ふなとぎょ)と花火が天神祭の名物になっていますが、大阪天満宮から老松通りに続く表参道沿いにはレトロな街並みが今も残っています。

 大阪ニット会館から西に歩くとすぐの所に、阪神高速下の道がありますが、ここは昔の天満堀川で、樽屋橋の架かっていたところには当時の親柱が残っています。
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 古くからある町屋もところどころに残っています。
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 この建物は築100年、明治末期に建てられたものらしく、ここから続く町家の一つが中国茶の喫茶・レストランになっています。
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 ここから、西天満小学校の横を抜けて西天満交差点を渡ると老松通りになるのだが、今のようにバイパスが通る以前には、この辺りにはもっといろいろとレトロな建物があったと記憶する。

 老松通りに入ってすぐの所には、かつてNHK朝ドラ「ぴあの」の舞台にもなり、ロケ地ともなった屋敷があったが、現在は跡地にピアノ型?のビルが建ち、塀の一部だけが残っている。
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 建物全体でなくても、街角のあちらこちらにレトロな箇所が散見されます。
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 私にとって老松町はとても懐かしいところで、1990年代には毎週とはいえずとも、月に2~3度は訪れ、私の骨董の師匠であった、今は奈良の自宅を店舗にしている松本さんの「古民芸まつもと」に通い、その後、当時は喫茶店であった「カンタータ」でコーヒーを飲みながら、マスター・吉村さんから昭和レトロ物の情報を仕入れていたのだった。

 今はもうかつての面影はなくなりつつある…
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by suzu02tadao | 2013-01-23 14:50 | Comments(2)

side view も…「いいビル west」

◇大阪ニット会館【1973(昭和48)年】
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 BMCの『いいビルの写真集 west 』を見ていて、おやっ?と思ったのが、「いいビル20選」にも選出されている大阪ニット会館。
 この本の中ではインテリアの写真を中心に紹介されていたので、以前から、ビルの前を何度も通っていながら、このビルのことだとは最初は気づかなかった。

 先日、確認しに行って改めて見てみると、本でも紹介されているとおりで、1階の外回りの窓の格子は全て、このビルを象徴するかのようなニット柄になっていた。
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 そして、全体的によく見ると、本には載っていないこのビルの魅力を他にも発見することができた。

 外観的には側面から見たほうがこのビルの特徴をよく表しているように思うのだが、建物の各端の部分を本体とは素材も異なる仕上げにして、またそれぞれに色も形も変えるなど、シンプルさのみを目指していないことがよくわかる。
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 特にこの建物の一番端のやわらかなカーブの造形は、このビルのテーマを表現する抽象彫刻のようにも見えて、こんなところにもこだわりを感じる。
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 また、インテリア同様に、丸みを帯びたディテールやパーツがこのビルのテーマになっているようだ。
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 過剰なくらいにディテールに凝ったり、異なる要素を組合せたりで、全体的にはチグハグな構成になっているのだが、それが不思議と魅力になっているという、1950~70年代に建てられたビルの特徴をもつ大阪ニット会館は、やはり「いいビル」であることを認識した・・・と、ここまで書いて、調べてみたら、なんとBMC本部がこのビルの2階にあることがわかった。イベントもここでやっているようだ…。
【参考】BMC
 なるほど…、大阪ニット会館はBMC本部にふさわしいビルだと納得したのであった。

 なお、大阪ニット会館の前の通りは、大阪天満宮の表参道で、ここから老松通りの道沿いにはレトロな町並みが続いているので、その辺を次回には紹介したいと思う。
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by suzu02tadao | 2013-01-20 20:12 | Comments(0)

「白鬚橋」 ~ 藤牧義夫

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 前回の十三大橋と同じく増田淳が設計した白鬚橋(しらひげばし)だが、これは数年前の写真で、私は向島に行った際には幾度かこの橋を渡っている。
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 1931(昭和6)年に完成した白鬚橋は、アーチは中央部のみだが、両サイドのトラス部に続く造形がダイナミックで、重厚感あふれる橋に仕上がっており、同時期に造られた十三大橋とはまた違った造形美をみせている。
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◇藤牧義夫 『隅田川絵巻』より「白鬚橋」
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 さて、『モダン都市東京』(海野弘著)の中で、モダン都市の風景を発見した画家として藤牧義夫をとりあげているが、藤牧にとっての白鬚橋については、次のように記している。
 ~『隅田川絵巻』の中でも白鬚橋はひときわ印象的である。藤牧は館林から東武鉄道に乗ってやってきて、浅草に住みついた。彼にとってこの大都市の光景は驚異であり、その象徴が鉄骨アーチの白鬚橋だったのである。彼は浅草に住んで、銀座に勤める。そして大都市と格闘するが、激しくたたきつけられ、生活に敗れてゆく。藤牧のメトロポリスへの想いは二つに引き裂かれている。鉄とガラスのダイナミックな現代都市は彼を強くひきつける。しかしこの都市は残酷であり、彼を貧困の鎖によってぎりぎり締めつけてゆく。藤牧の版画の都市風景には、この二重の想いが表現されている。そしてついに生きる道を失った時、このメトロポリスのうちで彼が最も親しみ、しばしばもの想いにふけりつつその堤防をさすらった隅田川を描き遺しておきたいと藤牧は望んだのではないだろうか。この都市の周辺地区こそ、彼の東京だったのである。

◇藤牧義夫 「赤陽」1934年
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 藤牧義夫(1911-1935?)は、群馬県館林に生まれ、16歳で上京し、働きながら独学で木版画を習得。関東大震災後に復興した1930年代の東京の風景を中心に、独自の視点から構成し表現した。全4巻・全長60メートルに及ぶ白描『隅田川絵巻』はその代表的作品だが、24歳のとき東京で失踪した。
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by suzu02tadao | 2013-01-17 21:13 | Comments(0)

「十三大橋」

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 十三橋から西に河口まで、凡そ四粁(km)の長堤を歩いてゐると、秋の日の午後、西風の強く吹く日など、思ひもよらず展開される大都会の姿を見ることがあった。さうゆふときには、大阪特有の濛気(もうき)を吹き払って、あからさまに描き出された大建築の簇立(ぞくりつ)が、さながら、夢にみる蜃気楼のやうな美しさであった。それは、どこの露台からみたよりも明るく、大きく、かつ魅力をもってゐた。しかし、翌日また同じ時、同じ所に立ってみても、大阪はただ漠々たる煙霧に閉されて、何ひとつ見えない灰色の海であることが多い。~
北尾鐐之助著 『淀川』(昭和18年刊:趣味の京阪叢書)「新淀川漫歩」より

 十三大橋(じゅうそうおおはし)は、1932(昭和7)年に開通した橋で、北尾鐐之助は同年に刊行した『近代大阪』でも、同様に「新淀川漫歩」と題した中で、この橋について、やはり新しくできた大道路とともにふれており、近代的に様変わりした十三の町の様子を記している。

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 橋の親柱のたもとには、その当時の日本を代表する工業都市「大阪」を象徴する歯車をモチーフにした装飾があるが、冒頭の文章にもあるように、十三側の堤から見た大阪市街地は、いつも工場の煙で灰色に霞んでいたようだ。

 十三大橋を設計した増田淳(1883-1947)は、『モダン都市東京』(海野弘著)でもとりあげている白鬚橋を手がけており、優美な5連の鋼タイドアーチが特徴的な十三大橋が、まさに近代的な機能美を誇る建造物であり、重要文化財に指定されている永代橋や清洲橋にも匹敵するモダンデザインの傑作であることは、この橋を歩いて渡ってみれば実感できる。
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 両端の梁だけが、アールデコ風にデザインされており、それが、より一層この橋を優雅なものにしている。
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 橋のたもとにたたずみながら、私は次のような情景を思い浮かべて、昭和のはじめ頃にタイムスリップしてみた・・・。

 ~そして河を横切り河に沿って、都会と田舎をつなぐほゝ笑ましい風景が点綴(てんてい)される。長い箱の上に河風を受けながら、吹かれ歩く風車屋が行くかと思ふと、一台の車に、ごてごてと一切の荒物、台所道具を飾り立てゝ、祭車を曳くやうに動いて行く荒物屋。水桶をこぼすまいと、腰を据ゑて、堤を下って行く金魚売。騒然として河風に鳴り渡って行く風鈴屋。虫屋。盆栽屋など、都会を彩る夏の風物が、みなこの大河を渡って、大都会の霧の海に溶け込んで行くのである。~
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 そして、しばらくすると・・・
 野球の練習をしている少年達の元気な声とともに現代に呼び戻されるのであった。
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by suzu02tadao | 2013-01-14 14:43 | Comments(0)

レコード・パンフレット<1930年>

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 今年最初の古書の買い物は、以前とりあげた昨年最後の買い物と同じく矢野書房であった・・・といっても、紙ものなのだが…。
 今度は古書市ではなく、天神橋の店先で、雑誌や同人誌など雑多なものが入った段ボールの箱を、なにげなく覗くと見覚えがある女性の顔のイラストがあって、興味をそそられて購入したのが、1930年のポリドール・レコードのパンフレットであった。

 『現代思想』1979年6月臨時増刊号「総特集・1920年代の光と影」には、海野弘をはじめ山口昌男、多木浩二、池内紀、種村季弘、常盤新平、淀川長治など錚々たるメンバーが執筆しているのだが、この雑誌の表紙になっているのがこの女性の顔のイラストであり、オリジナルはデンマークの作家、スヴェン・ブラッシュ(Sven Brasch 1886-1970)がコペンハーゲンのカジノのために作成したポスターで、1920年代を代表する作品のひとつといわれている。
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 このイラストは当時のカフェのマッチラベルなどにも見られ、時代の先端をいくモダンガールのイメージとして広く使われていたようだ。
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 同じ箱には他にヒコーキレコードのパンフレットもあり、こちらの表紙も流行の先端をいくアールデコ調のデザインになっている。
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 ヒコーキレコードは帝国蓄音器商会のレコードレーベルで、1912(大正元)年にヒコーキ印として登録されており、これはライト兄弟の初飛行から9年目で、まさに時代の先端をレーベル名とマークに採用したことになる。
 ヒコーキレコードは1921(大正10)年には、後のコロムビア・レコードの前身である日本蓄音器商会(ニッポノホン)の傘下となり、1925(大正14)年に設立された合同蓄音器㈱のレーベルとなったが、1932(昭和7)年、合同蓄音器㈱が解散となると共にレーベルも消滅している。

 この当時のレコード業界は、今日のIT業界と同じように最先端のハイテク産業であり、コロムビア、ポリドール、ビクター等の大手の他に零細インディーズメーカーによるレーベルもたくさんあり、技術革新に伴う外国資本の導入などで、著しく変動していたようだ。
 そのような時代状況が、これらのパンフレットの表紙のデザインにも表われているといっていいだろう。
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by suzu02tadao | 2013-01-11 12:05 | Comments(0)

大阪千一夜

◇南海ビルディング(高島屋大阪支店/南海電鉄難波駅)
 【1933(昭和8)年】設計:久野節
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 南海ビルディングは、ローマ神殿ばりの壮大なコリント式大オーダーが特徴のルネサンス様式のターミナルビルで、大阪の二大繁華街のひとつ「ミナミ」の玄関口にふさわしい大建築である。

 ここから道頓堀までの界隈には、なんばグランド花月(吉本会館)や千日前道具屋筋商店街、法善寺横丁など、大阪の代名詞とも言える所がひしめきあっている。
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 そんな中に、今では料理書専門店として、知る人ぞ知る、大正8年創業の老舗「波屋書房」がある。
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 かつて藤沢桓夫が学生のころ、後に大阪文学を代表する作家になった仲間と作った同人誌『辻馬車』の発行所が「波屋書房」だったのだ。
 繁華街のど真中に、このような店がさりげなくあるのも大阪の奥深さを物語っているように思える。

◇藤沢桓夫【『大阪千一夜』(昭和14年刊)より】
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by suzu02tadao | 2013-01-08 12:24 | Comments(2)

「あがたの森文化会館」

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 「あがたの森文化会館」は、松本市街の東に位置するヒマラヤ杉に囲まれた「あがたの森公園」内にある「旧松本高等学校」の校舎だった建物で、明治末期から大正時代にかけての代表的作例を示すモダンな木造洋風建築であり、重要文化財に指定されている。

◇旧松本高等学校本館【1920(大正9)年】
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 <昭和二十年八月一日、新入生たちはヒマラヤ杉に囲まれた古風な校舎のある松本高等学校の門をくぐった。そして一場の訓辞のあと、校舎とは縁を切られ、そのまま大町のアルミ工場へと送られた。~>
 北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』の舞台にもなった校舎は、市民の文化活動のための施設として、サークル活動及び研修の場や、コンサート、展示発表会の会場などとして、現在も利用されている。

◇旧松本高等学校講堂【1922(大正11)年】
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by suzu02tadao | 2013-01-03 18:55 | Comments(0)

元旦の「姨捨駅」

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 千曲川流域の広大な盆地「善光寺平」の絶景が広がる「姨捨駅」からの眺めは「日本三大車窓」の一つに数えられている。
 また、山の中腹に位置するこの駅は全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅としても有名である。

 そして、上図の右側にも少し棚田が見えるように、古くから姨捨の里は「田毎の月」の名所として知られており、松尾芭蕉の『更科紀行』の一句「おもかげや 姨ひとりなく 月の友」が有名だが、明くる正月には次の句も詠んでいる。

 「元旦は 田毎の月こそ 恋しけれ」
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by suzu02tadao | 2013-01-01 21:16 | Comments(0)