1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2013年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

浪花ことばせんべい

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 阪堺電気軌道上町線の松虫駅から歩いてすぐのところにある「はやし製菓本舗」の『浪花ことばせんべい』は、知る人ぞ知る隠れた大阪みやげの逸品。

 「えげつない」「けったいな」「かんにん」「いけず」などの浪花ことばが、焼きごてで一枚一枚焼き付けられたこのお菓子は、昭和38年に郷土史研究家で『大阪ことば事典』の編者でもある牧村史陽氏と協力して作り上げたもので、包み紙も浪花ことばの番付表になっている。
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 他にもいろいろなお菓子がある中で、私が気に入ったのが、この『野球せんべい』。
 このお菓子も60年ほど前からある古いものだそうです。
 後でよく見ると、ユニフォームと帽子に「H」マークが…これは「阪神タイガース」というよりは「南海ホークス」ではないのか・・・?。
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 帳場からふと店の外の方を見ると、そこには子供のころに見た情景が広がり、懐かしくも爽やかな風が流れているようだった…。
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 「はやし製菓本舗」と同じ通りにあるこの日本茶販売店も創業80年くらいの古い店だそうです。
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 「洋服のエキスパート」…昔の商店街には必ずあった仕立てができる洋服店「テーラー」。
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 これは何か?と思ったら、銭湯の壁の色ガラス窓でした。
 お風呂場から見たら、きっときれいなのだろうと思います。
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 この辺りの地名の由来となった伝説の史跡「松虫塚」。
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 松虫通から阪堺電気軌道阪堺線の北側を見たところ。
 次回はこの路線の「北天下茶屋駅」界隈を取りあげてみるつもりです。
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by suzu02tadao | 2013-05-29 14:50 | Comments(1)

汐見橋駅

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 はたして、大阪市民の内でどれだけの人が、南海電鉄汐見橋線という路線を知っているのだろうか?
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 南海電鉄高野線の列車は難波駅から発車しているが、本来の始発駅はこの汐見橋駅で、以前は高野線堺東方面と線路が繋がっていたのだが、現在では高野線の本体とは完全に分離されたローカル路線として運営されている。
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 阪神なんば線の桜川駅とも隣接しているが乗降客は少なく、電車も30分毎に1本しかない。
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 1956年(昭和31年)に建てられた駅舎はかつてのターミナルらしく、天井も高いものだが、ひとけも無く時間が止まったままのようで、がらんとしている。
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 昭和30年代当時の「南海沿線観光案内図」が一部が剥落しながらも現存しており、田舎に来たような不思議な雰囲気が味わえる。
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 プラットホームから見た駅舎も、いい雰囲気だ…。
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 沿線にもレトロな駅舎が多くて、こんなふうに大都会の中でのんびりした田舎気分が味わえるなんて、ある意味で、とても贅沢なことではないのか…と思う。
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 高野線接続駅の岸里玉出駅の汐見橋線ホームからは、はるか向こうに「あべのハルカス」が見えていた…。
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by suzu02tadao | 2013-05-27 09:55 | Comments(0)

旧精華小学校

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 大阪・難波のど真ん中に、こんなに素晴らしいモダン建築があることを、今まで知らなかった…。
 上の写真のように、玄関から見ると、まるで高島屋の向い側にある「なんばマルイ」と一体の建物のようだ。
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 竣工は1929(昭和4)年で、戦前の鉄筋コンクリート造の小学校としては大阪市内に唯一残された建物なのだそうだ。
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 耐震耐火構造の地上4階、地下1階で、当時は20人乗りエレベータが2基もあって、全館スチーム暖房完備だったという…。
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 設計したのは、ここでも取りあげた「新世界国際劇場」などを手がけた増田清(1888-1977)。
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 精華小学校は生徒の減少のため、1995(平成7)年に廃校となり、その後、「精華小劇場」や「生涯学習ルーム」として使用されていたのだが、2011年には閉館になったようだ。
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 残念なことに、なんばエリア一帯の活性化へと向けた再開発により敷地は不動産会社に売却されて、この校舎は解体撤去され、その跡地には複合的商業施設が建設される予定で計画が進められているようだ…。
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 当初、私はこの「もじゃハウス」な佇まいに惹きつけられて、このモダン建築を発見したのであった。
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 この時代の特徴であるアール・デコのデザインであることがよく分かる細部の装飾。
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【追記】
 ここにある「なにわのアール・デコ」は、現代にも引き継がれているデザインなのかもしれません…。

◇「YES NAMBAビル」より「なんばグランド花月」を望む
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◇南海なんば駅の「ラピート」
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by suzu02tadao | 2013-05-24 09:00 | Comments(2)

摩天楼(争闘篇)

◇「TOKIWAZA NEWS」
 (千日前常盤座:1929(昭和4)年11月1日発行)
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 「TOKIWAZA NEWS」の表紙を飾るのは、主役の中野英治と映画のタイトルでもある『摩天楼』のビルディング街。
 あまり上手い絵ではないけれど、いい雰囲気をもっていたので手に入れたもの。

 この映画は、ジョセフ・フォン・スタンバーグ作『暗黒街』などの影響もあって、当時流行していたいわゆる「ギャング映画」で、中野英治の他に入江たか子も出演しており、第6回キネマ旬報ベストテン第5位になった作品ということだ。

 監督の村田実(1894-1937)は、大正・昭和初期に日活現代劇の基礎を築いたといわれており、黒澤明が映画人初の文化勲章を授与された際に行われた共同記者会見で、「今回の受賞は自分が映画界の長老になってしまったということであって、あの人たちが生きていれば当然あの人たちも受賞の対象になったはずだ」として溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男と共に村田実の名前を挙げており、中野英治は「これはわからないことですが、生きていれば村田さんはもっとトップ・クラスの人、もちろんその当時でもトップでしたが、になっていたと思いますよ。四十四歳で亡くなってしまいましたけど、溝口健二よりははるかに上になったと思います。」と語っていたという。

 また、映画の主題歌は、時雨音羽(しぐれ おとわ、1899-1980)作詞、佐々紅華(さっさ こうか、1886-1961)作曲ということで、『君恋し』(昭和3年12月)や『浪花小唄』(昭和4年6月)と同じ流行作家コンビが手がけている。

 歌詞を見ると、日比谷や銀座が登場しているので、舞台はやはり東京のようです。
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 さて、昭和4年に『摩天楼』が上映されていた「千日前常盤座」は、現在はパチンコ屋や飲食店が入るビル「ナンバグランデ」になっており、(向って)右隣にはかつてOSSKの「春のおどり」が上演されていた「大劇」があったが、今では「なんばオリエンタルホテル」になっている。
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 下の写真は反対側から見たところ。
 「千日前」の看板下に見えるアーケード「難波センター街」を入ってすぐ右側は、その昔は「千日前デパート」、戦前は「大阪歌舞伎座」だった場所で、アーケードを進んで行くと、織田作之助が愛した名物カレーで有名な「自由軒」がある。他にも、いろいろと・・・もうコテコテの大阪でんなぁ。
 今回のタイトルも「なにわの摩天楼」とすべきだったかも…?
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 これから、しばらくの間は、ディープな大阪を取りあげていく予定です…。
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by suzu02tadao | 2013-05-21 16:35 | Comments(0)

なにわの摩天楼 -あべのハルカス-

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 地上300m日本一の超高層ビル「あべのハルカス」は、展望台、ホテル、オフィス、美術館、百貨店を備えて、2014年春には全面開業の予定だが、今年の6月13日に百貨店フロア「あべのハルカス近鉄本店・タワー館」が先行オープンするということで、外観的にはすでに完成しており、周辺に新しい景観をつくりだしている。
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 「地蔵尊」と「ラブホ」と「あべのハルカス」、関係ありそで…無さそで…。
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 天王寺公園から「あべのハルカス」を望む。
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 「阪堺電車」と「あべのハルカス」。
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by suzu02tadao | 2013-05-20 11:14 | Comments(0)

隅田川 -モダン幻影-

◇中洲全景(『東京文学散歩』1955年刊より)
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 前回、与謝野晶子が随筆の中で「百選会」にふれていると書いたが、それが『月二夜』という作品で、「百選会」の審査会が終わった後の隅田川での異国情緒あふれるモダンな月見の情景が書かれていて、とても興味深い。

 <~昼と違って濁った水が見えず、両岸の建築物と川幅とがテエムスの河口を連想させない事もない。言問橋を初め新しく架った多くの鉄橋が、夜目に見て聞いていた程醜い形でもない。紅黄青白の灯光の倒影も高い建築物と共に異国的である。画家や詩人ばかりであるだけ、芸術的な談話はベニスや巴里に及んだ。誰も江戸情調の失われて行く隅田川を嘆かなかった。柳橋の亀清が屋根一ぱいに電灯装飾をしているのも不自然でなく、月もまた是等の水の街に適して新しい情調を漂わせている。ただ隅田川はセエヌ川でないから、永代橋まで来て、今夜の落潮に船を繋いで上陸する階段の設備がないのに困った。>

◇「言問橋」深沢索一 1930年(新東京百景より)
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 ここにあるように、関東大震災以後にできた隅田川に架かる鉄橋やイルミネーションなどが、異国情緒もあって、隅田川をテムズ川やセーヌ川にも例えられている。

◇清州橋(『東京文学散歩』1955年刊より)
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 しかしながら、関東大震災前の隅田川には木製の橋が架けられており、まだ江戸の面影を残していたのだが、すでに明治時代の末には、青年文芸・美術家の懇談会「パンの会」が、隅田川をセーヌ川に見立てて結成されており、大正時代には、田山花袋が『東京近郊 一日の行楽』の中で次のように書いている。

 <隅田川の流が、大都会の脈路を成しているさまが面白い。倫敦のテイムス、巴里のセイネ、それに比して面白いのは、この東京の隅田川である。絶えず上下する帆船、汽船、モーターボート、潮の加減の好い、風の好い時には、帆が無数に川を上って行く。それが頗る奇観である。秋の晴れた日などは、水が思切って碧く、その上流に筑波の双尖を仰いで、工場の烟突もまた一種の新しい趣を添えて見られる。吾妻橋を出て、言問小松島に寄って、千住の方へ通っている小蒸気の青い白いペンキ塗の動いて行く形なども絵のようである。>
 更に続けて、朝早く土手の上から見た隅田川を、<マネーの絵にでもありそうな光景である>とも書いている。

◇向島対岸(『東京文学散歩』1955年刊より)
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 『大正幻影』(川本三郎著)の中で、
 <「隅田川」は大正期の作家にとってもすでに、”幻影の川” になっていた。それはもはや現実の川ではなく、ここにはない川だった。言葉の中にしか存在しない川だった。>とあるが、まだ昔の面影を残していた高度成長期前の1955年発行『東京文学散歩(角川写真文庫)』には、この評論集『大正幻影』の発端となったともいえる隅田川の中洲(日本橋中洲)が、取りあげられている。

 蜃気楼のような中洲の写真を眺めつつ、先日の「みやこめっせ」で手に入れた『美しき町・西班牙犬の家』(佐藤春夫作、池内紀編)を読みながら、隅田川の幻影を楽しんでいる今日この頃なのです…。

◇(旧)新大橋から中洲を望む(『東京文学散歩』1955年刊より)
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by suzu02tadao | 2013-05-17 15:00 | Comments(0)

高島屋「百選会」~与謝野晶子

◇「夏の百選会グラフ NO.64」(京都高島屋:昭和14年5月発行)
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 この「百選会」の冊子は「四天王寺春の大古本祭り」で、5冊で1000円になるというK文庫のコーナーで、以前とりあげた「大阪朝日新聞社案内」と一緒に手に入れたものだ。

 例によって、しゃれた表紙に惹かれて求めたものだが、内容を見ると、なんと…なんと、与謝野晶子(1878-1942)の短歌が10首も載っているではないか!。
 それで、調べてみると、これらは今まで歌集にも全集にも収録されていない453首の内の一部で、今年になってから初めて全容が判明したものだという。
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 この中では、

 初夏の盛夏に移り行くころの女姿の清きおもむき
 美しきうすものの季の近づくにときめかざらん心あらめや


の2首が、個人的には好きだなぁ(ほんま、おっさんの趣味やなぁ…)。

 これらの歌は、この「夏の百選会グラフ NO.64」のような顧客向けの冊子には掲載されたが、与謝野晶子は随筆で百選会のことにふれる程度でその作品を歌集にも取り上げていないのだという。
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 与謝野晶子が高島屋の要請で「百選会」に関わったのは大正7年からで、病気で顧問を辞める昭和15年まで、審査会で歌心を触発された着物や工匠の技などを題材に詠んだ歌は「百貨店の催事であることを超えて、それらは晶子の和装文化に対する讃歌だったのでは」といわれている。
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【参考】百貨店の歴史に迫る「暮らしと美術と高島屋」展、世田谷美術館にて開催中。
    会期は6月23日まで。
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by suzu02tadao | 2013-05-14 13:00 | Comments(0)

昭和初期 ポップ・アート<2>

◇楽譜「ヴァレンチノタンゴ」表紙:1927(昭和2)年
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 これは、「みやこめっせ」の後で行った「ブックカフェ・ユニテ」の古本市で見つけて、一目で気に入って求めたもの。
 本当にポップで、こんなのを見ると、やっぱりこの当時が、粋でカッコ良くお洒落だったことがよくわかります。

 「みやこめっせ」で手に入れた「現代商業美術全集 8」(昭和5年発行)にも、ポップでお洒落なネオンサインのデザインがたくさん載っていました。
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 これも同様で、「現代商業美術全集 12」(昭和4年発行)の包装紙のデザイン。
 作者は以前にもとりあげた藤沢龍雄です。
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 「みやこめっせ」のすぐ近くにある京都国立近代美術館で開催されていた展覧会「交差する表現」では、上野伊三郎+リチ作の「スターバー」【1930(昭和5)年】が再現されていて、これも、ポップでモダンでとてもお洒落なものでした。
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◇「スターバー」内装デザイン画
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by suzu02tadao | 2013-05-11 13:30 | Comments(0)

昭和レトロな佇まい<京都編>

◇新洞小学校【1931(昭和6)年】
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 先日、京阪三条駅から「みやこめっせ」までブラブラと歩きながら、途中で見つけたのが「新洞小学校」。
 レトロな感じでいい雰囲気だな…と思って、後で調べてみると、やはり、1931(昭和6)年に建てられた鉄筋のモダン建築だった。 
 なお、新洞小学校は別の小学校に統合されたために、今年の3月で閉校になったということだ。
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 ところで、この建物などは京都の近代建築を紹介するような本には載っていないのだが、祇園や先斗町のようなガイドブックに載っているような場所でなくても、ちょっと脇道や小さな路地を歩いただけで、レトロな建物に出会えるのが京都のすごいところだ。

 「みやこめっせ」でお気に入りの古本を格安で見つけるのも、ブラブラと歩きながら、いい感じのレトロな建物や街並みを見つけるのも、私にとっては同じことなので、京阪三条駅から「みやこめっせ」までの途上にあった、ちょっと気になる昭和レトロな佇まいを少々とりあげてみた。
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by suzu02tadao | 2013-05-08 11:35 | Comments(0)

大阪朝日ビル

◇朝日ビルの夜景(「大阪朝日新聞社案内」【1934(昭和9)年】より)
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 四天王寺春の大古本祭りで手に入れた、1934(昭和9)年発行の「大阪朝日新聞社案内」の中で、わが国を代表するモダニズム建築として1931(昭和6)年に竣工した大阪朝日ビルは次のように紹介されている。

朝日ビルディング
 大阪一の高層建築の偉観


 ~その外観は第一、第二階の外部は未だかつて世界の建築界に試みられたことのない「錆びない鋼鉄板ニッケルクロームスチール」をもって装被した鮮麗な銀色であります。第三階から上は純白色のモザイックタイル張りにし、窓ガラスの面積を非常に多く取入れた壮大にしてモダーンな設計で夜間の大電飾(イルミネーション)を全館に施し、高塔上に設置する「航空標識塔」は光達距離実に百キロメートル(二十五里)に及び灯質は紅、緑、白光の交三連閃光で、その燭光数は五十三万燭光、実に偉観を呈しているのであります。
 設備の概要は第一階の半部は朝日新聞営業局が進出し、表玄関内にはサービスショップを設け正面には自動一分間五百尺昇降のエレベーター四基を備え、特別の装置を有するポスターケースあり。
 第二階全部は「朝日ビル専門大店」の経営する商店街となり、中之島洋画研究所(旧信濃橋洋画研究所)と飛行家倶楽部は三階に室を持ち、第五階は朝日会館公演場に通じ、社交倶楽部、理髪、美粧、歯科医院等のほか朝日会館の集会休憩室もあります。


 説明はまだ続くが、上記にあるように、このビルには商業施設や文化施設などもあって、小出楢重や鍋井克之らが設立した「信濃橋洋画研究所」も大阪朝日ビルの竣工とともに「中之島洋画研究所」と改称して移転してきており、昭和19年戦争激化に伴い閉鎖されるまで、大阪の近代洋画界の発展に大きく寄与したのであった。

 表紙には大阪朝日新聞社全景の写真が載っている。
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 土佐堀川に面した本社別館裏口の桟橋から巻取紙を運んでいる写真。対岸には旧大同生命ビルと住友ビルディング(現三井住友銀行大阪本店)が見えている。
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 さて、時代は下って、「あまカラ」終刊のあとをうけて、季刊のPR誌として刊行された「甘辛春秋」1969年春の巻。この表紙にイメージではあるが、大阪朝日ビルが登場している。
 なお、この巻の執筆陣は藤沢桓夫、司馬遼太郎、小松左京、佐多稲子、岡部伊都子など豪華な顔ぶれであった。
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 つい最近の大阪朝日ビル(ほんの数ヶ月前の姿はこちら)です。
 すでにネットが張られ、全体がフェンスに覆われるのも時間の問題のようです…。
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by suzu02tadao | 2013-05-05 13:10 | Comments(0)