1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2013年 09月 ( 11 )   > この月の画像一覧

元官舎洋館

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 木造2階建て下見板張りの洋館は、国登録有形文化財の住宅です。
 大阪市西区江之子島2丁目にあって、裏手を木津川が流れており、対面の道路を挟んだ近くには1874(明治7)年から1926(大正15)年まで大阪府庁舎があった場所で、この建物も大阪府庁の官舎として大正初期に建てられたということです。
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 明治・大正期の建築物は意匠が凝っていますが、この玄関の切妻破風の瓔珞(ようらく)飾りも仏教からきているようで、西洋と東洋が入り混じった独特のエキゾチックな雰囲気があります。
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 また細部を見ると、ペンキは塗り替えられていますが、やはり100年の歴史が感じられます。
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 木津川の対岸は外人居留地のあった川口で、レンガの洋館が並び、まさに大阪の文明開化発祥の地だった所で、ここ江之子島も明治から大正にかけては大阪の中心地だったわけですが、今では、そんな面影もまったく無く、このささやかな洋館だけが忘れ形見のように佇んでいます。
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 大阪府庁舎の建物は大阪府工業奨励館として活用され、その増築棟として1938(昭和13)年に建てられた建物は現在、大阪府立江之子島文化芸術創造センターとして、アーティストやデザイナー等の活動交流拠点の施設となっています。
 この建物の玄関から見た洋館もなかなかいい雰囲気です。
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by suzu02tadao | 2013-09-29 11:00 | Comments(0)

さぬきや旅館とグレート大阪

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 前回に続いて戦前にあった旅館のパンフレット。今回は「さぬきや旅館」です。
 これは片面全体が大阪市の地図になっていて、部分的に大正13年発行「大阪市パノラマ地図」が使われています。
 下図は、その一部を拡大したものですが、ちょうど「日本橋」の表示がある左側に「さぬきや旅館」があります。
 また、前回の「稲田家旅館」は印のところだと思われます。
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 地図の「さぬきや旅館」の手前の緑色のところは現在も公園になっていて、「贈従五位安井道頓・安井道卜紀功碑」(大正4年建立)が建っています。
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 公園の向こう側に見える駐車場の所に「さぬきや旅館」があったようで、パンフレットでも次のように紹介しています。

 安井道頓の碑はさぬきや旅館前の公園にあり本館客室より見る事を得。
 安井道頓は慶長十七年、秀吉の許を得て木津川まで廿二丁の堀り半にして秀吉の奮恩に報ゆる為め大阪役に立ち戦死、大阪道頓堀は三百年の歴史を伝ふ。


 なお、この碑は安井道頓・道卜兄弟の紀功碑となっていますが、その後の考証により道頓・道卜兄弟説は否定され、道頓の姓は成安というのが現在では定説になっているようです。

 さて、このパンフレットのパノラマ地図には当時の道頓堀から千日前、難波の辺りまでの部分が載っています。
 参考までに、「大阪市パノラマ地図」は国際日本文化研究センターが所蔵しており、ネット上で閲覧可能です。
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 この当時の道頓堀や、「楽天地」の近くにあった千日前常盤座の様子は以前にも当ブログで紹介してますが、ちょうどこの図の真ん中やや下あたりにある、最近話題の織田作之助『夫婦善哉』の舞台にもなった法善寺界隈については、北尾鐐之助も『近代大阪』の中で紹介しています。

 細い横道から、ちょっと南に入ると、暗い法善寺の境内にぽかりと出る。全くぽかりと云った感じである。~(略)~
 こっぽりと、日和下駄と、フェルトの音が毎日毎夜、絶間なくそこの長い石鋪道に響き渡ってゐる。花櫛の半玉から、丸髷の仲居から、銀杏返しの姐さんから、どうかすると断髪の女給たちから、絶え間なく、これ等の神様、仏様に浄財、不浄財が捧げられるのだ。~(略)~
 周囲をかこむ不夜城の明りが、高く塀越し来て、小さな堂の屋根瓦を照らすところ、洗心水の傍らで、空に向って何かくどくどと願文をとなへながら、拝んでゐる男がある。どこかで見た顔だがおもひ出せない。やっと、おもひ出してみると、何とかいふ一度聞いた落語家であったり、弁財天の堂の前に立ってゐると、突然堂の背後から、白いショールの、目覚めるやうな高島田が風のごとく現れて、またすっと暗に消える。
 いまの法善寺の夜の風景である。


 ところで、パンフレットの中で「大阪城」の案内には<大阪市は御大典記念として天守閣を築き本丸址を公園とする計画あり>とあるところから、これは昭和3~4年頃のものかと思われますが、下はパンフレットの大阪市の地図の一部で、この当時には、御堂筋は南御堂の辺りまでしか出来ていないことがわかります。
 ちなみに全線が開通したのは昭和12年5月です。
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 前回の「稲田家旅館」同様に当時の大阪観光の目玉は<東洋一の商工業地>だったようで、このパンフレットでも「グレート大阪と概説」と題した中で次のように述べています。

 都会を観察するならば第一に都会の裏面からそして表面を観察してこそ最も有意義、如何に苦境にあるか、商工業としての大阪を目察し顧慮以って万金を期せねばならぬ、それら観察団の便宜としてグレート大阪概説に筆を染め以下名所、旧蹟、商工業の中心地、東洋一の大阪、その大阪の中心、道頓堀の楽園より歩みを運ばんとす。裏より表の大阪実地御踏査を斬界の為め希望し以って歓迎す。
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by suzu02tadao | 2013-09-26 11:35 | Comments(0)

「産業の大阪」稲田家旅館

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 戦前に道頓堀川に面してあった「稲田家旅館」が発行した大阪の観光案内(冊子)。

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 外国のポスターのデザインをそのままパクっているのはご愛嬌だが、「発刊の辞」として次のように述べています。

 大百貨店、タクシー、映画館、劇場、カフェー、摩天楼、断髪、街に氾濫するジャズ、ほがらかに空を飛ぶ旅客機、日夜間断なき旅客の出入、貨物商取引の活況 etc. etc ・・・、これは国内的には日本一の大都市、対外的には東洋のニューヨークとしての近代大阪の化粧した顔だ。
 この名実共に世界的大都市である大大阪市を近き将来見学せらるむとする皆様に試みに、脂粉を洗ひ落し、衣装をはぎとって見た、大都会の資本主義の表裏その他産業の諸種状況を御知らせすると共に皆様の旅館である当館の営業案内を入れ共に知って戴く為本書を発刊致した次第である。


 ということで、この冊子の内容は名所旧跡の紹介ではなく、まさに近代大阪の紹介を中心としており、「大阪の沿革」では更に次のように述べています。

 ~グレートなる大阪の経済的発展は大阪をして日本の大阪から、世界の大阪にと名実共にした。
 ~向後、世界各国との通商関係は益々緊密を加へ、交渉を増し、在留外人の数も漸時増加して行くから、大阪の都市も近く北米合衆国ニューヨークの塁を摩すであろう。


 <塁を摩す(るいをます)>とは、ほとんど同等になるという意味で、なんとも鼻息が荒いですね!・・・
 もっとも、この「大阪の沿革」の中で、大阪の人口:245万人(昭和6年)と記していることから、この冊子は昭和7年頃のもののようで、ちょうど、市民の募金150万円によって大阪城天守閣が再建された直後で、まさに大阪が最も元気な時代だったわけです。
 そういえば、北尾鐐之助著の『近代大阪』は昭和7年12月の発行でしたね。

 そして、本題の「産業の大阪」についてはその見出しだけを下記に並べてみましたが、まるで社会科の教科書のような内容です。

貿易の発展と大阪港の特長、貨物の集散、会社・銀行、取引所、食料品市場、百貨店と商店街、商工会議所と商品陳列所、府立商品陳列所、工業、工場、電気と瓦斯

 続いて、工業組合などの各種組合の住所一覧表も載っていて、鐘ヶ淵紡績、福助足袋、中山太陽堂、仁丹など当時の有力会社及び工場の見学交渉案内も請負っています。

 冒頭には大阪名所写真を載せており、当時の大大阪の様子を紹介しています。
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 「稲田家旅館」は当時ではめずらしい4階建の建物で、屋上からの見晴らしのよい眺めも売り物にしていたようです。
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 ~水と火と音楽の交響楽・・・東洋のブロードウェイ又ベニスたる道頓堀を見なくては大阪を語る資格がないと云わねばなりませぬ。当館此の道頓堀にありしかも各駅へ通ずる道、各乗物の御乗降等、真に大阪の中心に置かれてあります。
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 「稲田家旅館」の【位置】は 道頓堀日本橋北詰東一丁浜側 とあり、下の写真の原田病院の辺りにあったと思われます。

◇下大和橋より日本橋を望む
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 この界隈に今も残るレトロな佇まい・・・
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by suzu02tadao | 2013-09-23 14:30 | Comments(2)

有田市箕島 (Remember 20世紀)

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 和歌山市から少し南に足を延ばしたところにある有田市箕島は、市役所などがある市の中心地ですが、何の変哲もない郊外の町で、ここにもエドワード・ホッパーの絵の世界と同じような空気が流れていたのでした。

◇日曜日の朝(1930年)エドワード・ホッパー
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 ホッパーは都会及び郊外の生活における孤独や寂寥、静かなメランコリーを表現し続けましたが、それは、モダン・ライフの1シーンを切り取ったもので、その意味では単にアメリカだけに限らず、グローバルなものなのだと思われます。

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 そして終戦後、昭和のニッポンにはアメリカ文化が怒涛のように押し寄せて入り込んでいるので、昭和レトロにはアメリカ風味が効いているのかもしれません・・・
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 あるいは、石垣栄太郎をはじめ和歌山からアメリカへは多数の移民を送り出しており、美浜町には帰国した人達が洋風の家を建て、洋式で暮らす「アメリカ村」があるように、風土的にも共通するものがあるのかもしれません・・・
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 この町の街角に流れる空気は昭和というよりは、やはり、20世紀と言ったほうがふさわしいと思ったのでした・・・
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by suzu02tadao | 2013-09-20 15:20 | Comments(3)

石垣栄太郎 ~ エドワード・ホッパー

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 現在、和歌山県立近代美術館では「生誕120年記念 石垣栄太郎展」が開催されている。

 和歌山県太地町出身で、出稼ぎ移民としてアメリカに渡った後に、1920年代以降のアメリカの風俗や大恐慌時代の労働者やデモ、人種差別を描いた石垣栄太郎(1893-1958)の作品には、同じように移民としてアメリカに渡った国吉康雄(1889-1953)の描く世界とも共通する社会情勢とのかかわりの中で変化していく空気を感じるのだが、なぜかエドワード・ホッパー(1882-1967)の作品と共通する空気も感じたのだった。

◇カフェテリア(1927年)エドワード・ホッパー
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 エドワード・ホッパーは都会の街角や郊外の田舎家などのアメリカ人には見慣れた風景を描いており、「アメリカン・シーン」の画家の一人と見なされているが、当人にはそんな意識はなく、次の様にコメントしている。

 「私がどうしても我慢ならないのは、あの『アメリカン・シーン』という営業区分だ。私がやろうとしてきたのはベントンやカリーや中西部の画家たちのようにアメリカン・シーンを描くことじゃない。私に言わせればアメリカン・シーンの画家たちはアメリカを戯画化しているんだ。私はいつも自分自身であろうとしてきた。フランスの画家たちは『フレンチ・シーン』を描いたわけじゃないし、『イングリッシュ・シーン』のイギリス画家なんているものかね」

◇ナイトホークス(1942年)エドワード・ホッパー
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 ホッパーの作品、そして石垣栄太郎の作品は、1920年代以降の近代化渦中のモダン・アメリカ文化の一端を描いていると言っていいだろう。

 そして、黒川紀章が設計したこの近代美術館にも、その名の通りモダンな空気が流れていたのだった・・・
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◇海辺の部屋(1951年)エドワード・ホッパー
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by suzu02tadao | 2013-09-17 11:25 | Comments(0)

アール・デコの館

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 長浜でルネ・ラリックの作品を観たら、東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)のことを思い出したので調べてみると、現在、庭園美術館は改修工事中(来年にはリニューアル・オープン予定)だった。
 そこで、以前に一般公開の時などに撮影した写真をアップしてみた。

◇ルネ・ラリック作の正面玄関扉・女神像
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◇大広間・大理石レリーフ
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◇次室(つぎのま)・香水塔
 これはアンリ・ラパン(1873-1939)の作品
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◇大客室・ガラスエッチング扉
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◇大食堂・壁画(アンリ・ラパン作)
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◇大食堂・壁面レリーフとガラスエッチング扉
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◇各部屋のラジエーター・グリル
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◇照明器具
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◇2階・ベランダ床と3階・ウィンターガーデン
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 東京都庭園美術館は、もともと朝香宮鳩彦王の邸宅で、1933(昭和8)年に完成した当時流行のアールデコ様式の粋を尽くした瀟洒な建物。
 建築設計は宮内省内匠寮、内装デザインはフランスのインテリアデザイナー、アンリ・ラパン、 また正面玄関にある女神像のガラスレリーフなどはルネ・ラリックの作品で、建物と家具や内部装飾そのものが芸術品の美術館となっている。
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by suzu02tadao | 2013-09-14 13:35 | Comments(0)

長浜アール・デコ と街角レトロ

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 長浜では、ガラスのアートギャラリーである黒壁ガラス館とは別に、成田美術館で、ルネ・ラリックのアール・デコスタイルのガラス工芸作品を堪能することができた。

 ルネ・ラリック(1860-1945)は当初、アール・ヌーヴォー様式の宝飾デザイナーとして名声を得た後、アール・デコのガラス工芸家としても活躍したが、成田美術館では、アール・デコ博覧会で話題となった野外噴水塔のガラスの女神像などの作品が展示されていた。

 アール・デコは1920年代から世界中の都市で同時代に流行し、大量生産され大衆に消費された装飾であったために、悪趣味なものも数多くあるのだが、さすがにルネ・ラリックの作品は洗練された色彩と造形が素晴らしいものばかりだった。
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 長浜の街のあちこちにあったアール・デコとレトロな街角・・・
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 おいでやす 長浜 ・・・
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 長浜市街地には米川やその支流などが町家の裏手を縫うように流れており、その清流は四季折々に様々な光を映す、まさにガラス工芸品のようでした・・・
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by suzu02tadao | 2013-09-11 13:40 | Comments(0)

伊吹山(2) 長浜

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 長浜は、地方都市の「まちおこし」の見本となっている黒壁スクエアの辺りが観光スポットになっているのだが、伊吹山を望める風景を訪ねて行くうちに中心市街地からはどんどん外れた場所を巡ることになったのでした・・・
 しかしながら、それはそれで観光エリアとはまた別の魅力あふれるレトロな情緒が感じられたのだった。
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 この辺りは住宅地です・・・
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 演出ではない日常生活の中で息づく昭和レトロな長浜の街角・・・これはこれで魅力的です。
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 こちらはお馴染みの黒壁ガラス館界隈。
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 北陸本線の車窓から見た伊吹山・・・
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by suzu02tadao | 2013-09-08 16:30 | Comments(0)

伊吹山(1) 近江長岡

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 近江長岡は、昔から伊吹山登山の最寄り駅になっていますが、上の写真は天然記念物に指定されているゲンジボタルの里として有名な天野川から撮影したものです。
 毎年6月上旬には「天の川ほたるまつり」が行われており、この近辺が一つの鑑賞スポットになっているようです。

『東海道線 車窓展望』名古屋鉄道局編(昭和11年刊)より
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 <柏原に行くと偉大なる伊吹山が右窓に押し掛つて来る様に近くなる、此山は名古屋辺から、幾度か其半円形の山容を車窓の左右に現はして、旅客の眼を楽しませたものだが、今は其真下を汽車が走るので、全容をさらけ出して目前に峙つことゝなつたのである、海抜四三〇〇尺、江濃の境に聳え、江州第一の高山である。~
 長岡からは尚伊吹山を右窓に眺め、左窓梓、河内の山丘を見つゝ醒ヶ井に行く、~>
『汽車の窓から』谷口梨花著(大正8年刊)より


 「青春18きっぷ」を使って、名古屋から米原辺りまで普通列車で行くと、今でも上記にあるとおりの大正時代とまったく同様の伊吹山の車窓風景を楽しむことができる。
 新幹線の車窓からも伊吹山は間近に見えるが、やはり車窓風景をゆっくりと楽しむのには鈍行列車が一番ですね・・・。

 東海道線の柏原-近江長岡間は、伊吹山をバックにした鉄道写真の撮影名所で、また大阪住友セメント伊吹工場専用線の廃線跡もあります。
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 これは三島池から望む伊吹山
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【参考写真】Wikipedia より
 伊吹山の姿が水面に写し出される「逆さ伊吹」を見るには、やはり冬がいいようです。
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 下の地図は『東海道線 車窓展望』名古屋鉄道局編(昭和11年刊)のものですが、③が伊吹山です。
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 次回は北陸線の長浜から伊吹山を見てみたいと思います。
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by suzu02tadao | 2013-09-05 14:00 | Comments(0)

ポスター グラフィックス 展

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 北野恒富・作「朝のクラブ歯磨」ポスターをはじめ、様々な本や展覧会で紹介されている「クラブ」の歴代の商品広告ポスターの展示を行っていました。
 明治末期の創業当時から、大正、昭和を経て平成の現在に至るまでのグラフィックデザインの変遷が楽しめます。

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by suzu02tadao | 2013-09-03 17:40 | Comments(0)