1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2013年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧

旧煉瓦工場

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 JR京橋駅のすぐ近くに、古い煉瓦塀に囲まれた建物があります。
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 周囲にはロープが張りめぐらされており、廃屋になっているようですが、大きな煙突と壁面に「耐火煉瓦」の文字があるところから、煉瓦工場だったようです。
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 浪速鉄道や大阪鉄道の橋台に使われた煉瓦も、ここで製造されていたのでしょうか・・・?
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 この建物の反対側に回ってみました。
 こちらもいい雰囲気です・・・
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by suzu02tadao | 2013-11-28 11:25 | Comments(0)

京橋駅の煉瓦

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 またまた、煉瓦です。(やはり歴史あるものには「レンガ」と表記するよりは煉瓦ですね…)
 JR京橋駅の学研都市線、かつての片町線のホームの向い側の広告板のフェンスの間から、歴史を感じさせる煉瓦が見えますが、これも浪速鉄道時代の遺構のようです。
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 最初は昔の駅舎の遺構なのか?と思ったのですが、浪速鉄道時代(1895-1897)には京橋に駅はできておらず、これらの煉瓦がどのような構築物の遺構なのかは不明です。
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 さて、大阪環状線の京橋駅は、1895年8月に浪速鉄道が開業した後、大阪鉄道(初代)の、当時は城東線の駅として同年10月に浪速鉄道との交差地点に設けられました。駅のホームの高架下の煉瓦と石は、白い塗料が塗られていますが、開業当時のもので、100年以上の歴史があるものだと思われます。
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 この高架下の煉瓦に続くようにあるのが、15年くらい前にできたマンションの外郭にある建造物です。イギリスの100年前の建造物を解体した古煉瓦を用いているそうですが、JR京橋駅の煉瓦とは何の関係もないようです。
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by suzu02tadao | 2013-11-25 11:30 | Comments(0)

浪速鉄道の遺構

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 引続きレンガの構築物ですが、今回はちょっとマニアックです・・・

 浪速鉄道は、現在のJR学研都市線、かつての片町線の元になった私設鉄道で、1895(明治28)年に開業しましたが、1年半後の1897(明治30)年に関西鉄道に買収され、さらに鉄道国有法により国有化されたということで、「幻の浪速鉄道」とも言われています。
 その浪速鉄道時代の遺構が、現在も鴫野(しぎの)駅の近くに残っています。
 遺構とはいっても、開業以来 100年以上も、ちゃんと橋台として現役でレールを支えていると思うと感慨ひとしおです。
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 この橋台は楠根川橋梁で、大小のガーター橋を組み合わせた3連橋の一部です。
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 これは楠根川橋梁の別の橋台ですが、右下の道路は浪速鉄道時代は川でした。
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 上図の橋台を川の上流側から撮影したのが下の写真で、水の流れを分散するように橋台が鋭角に尖っています。
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 これは野堵井路架道橋です。
 現在、鴫野駅周辺は「おおさか東線」北区間建設に伴い工事中ですが、ここにも開業当時からのレンガと石が残っています。
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 これは寝屋川沿い京橋駅側の府道168号線の中央部に建っている寝屋川橋梁の橋台です。
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 後の時代に作られたコンクリートと鉄筋で補強されていますが、レンガと石で作られた浪速鉄道時代からの構築物が基本となっているようです。
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【おまけ】
 レンガと言えば、大阪市中央公会堂…本日の姿です。
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 中之島界隈も、もうすっかり色づいています・・・紅葉に染まる淀屋橋。
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 淀屋橋からの眺めです・・・左に見える建物は大阪市庁舎です。
 こうやって見ると、大阪の街もなかなか雰囲気のある、レトロ・モダンないい街ですね・・・
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by suzu02tadao | 2013-11-22 15:30 | Comments(0)

旧大阪砲兵工廠 化学分析場

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 前々回にとりあげた「旧京都電燈送電所」以来、レンガの構築物の魅力に取りつかれてしまっている私ですが、大阪城公園の一角に「旧大阪砲兵工廠 化学分析場」があります。
 置塩章(おしお あきら、1881-1968)の設計で、1919(大正8)年竣工の地上2階・地下1階の建物です。
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 第二次世界大戦後は阪大工学部校舎、その後1964年から1998年まで自衛隊大阪地方連絡部として利用されていましたが、現在は放置されており、荒廃が進んでいます。
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 ネオ・ルネサンス様式ということで、左右対称の建物の東西それぞれの出入り口にはアールデコ調の装飾がなされています。
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 周囲だけでなく建物本体にも雑草が生えており、カマキリが日向ぼっこしていました。
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 大阪砲兵工廠は、第二次世界大戦時にはアジア最大の兵器工場といわれましたが、終戦前日の昭和20年8月14日の大空襲でそのほとんどの施設が破壊され、現存しているものは、この化学分析場の他数か所のみとなっています。

大阪砲兵工廠については下記を参照のこと
◆十三のいま昔を歩こう
  大阪砲兵工廠って?   大阪砲兵工廠本館の取り壊し
写真の中の明治・大正
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 先日の古本市で、表紙が「大阪城と旧大阪砲兵工廠の残骸」の『大阪 -昨日・今日・明日-』小野十三郎(昭和42年刊)があったので、思わず買ってしまいました。
 この本の中で、小野十三郎は、<大阪が、人間の文化への志向を定める拠点として補修してでも残しておきたいもの>として、旧大阪砲兵工廠の跡地を挙げていました。
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by suzu02tadao | 2013-11-20 10:00 | Comments(0)

新地湯

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 前回の旧京都電燈送電所を訪ねて京阪中書島駅を降りると、50mほど歩いたところに、こんなステキなアールデコ風のデザインの銭湯がありました。
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 この銭湯がある辺りは伏見城の外堀だった濠川の半分を、昭和初年に埋め立てて開発された場所で「南新地」というのですが、この「新地湯」も1931(昭和6)年の開業ということです。
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 中書島のある伏見といえば日本三大酒どころのひとつで、私も酒蔵直営の食事処で美味しい酒と共に昼食をいただいたのですが、濠川沿いには、柳並木越しに白壁土蔵の酒蔵が立ち並び、季節の花が茂く風景が美しい散策路となっていて、こちらの方が観光的には有名ですね・・・
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 濠の石垣には、こんな凝った模様のレリーフがありますが、よく見ると、真ん中にちゃんと京都のマークが入っています!
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 中書島でもうひとつ有名なのが、坂本龍馬と関わりの深い寺田屋です。
 下の写真の右側が竜馬通り商店街で、この通りを歩いて行くと寺田屋があります。
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 中書島には豊臣秀吉の時代から遊郭があり、赤線廃止まで賑わっていたということですが、現在ではわずかにいくつかの痕跡を残すのみとなっているようです。
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 駅の脇に残る昭和レトロな風景・・・
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by suzu02tadao | 2013-11-17 13:20 | Comments(0)

旧京都電燈送電所

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 以前、旧京都電燈本社を取りあげたが、この小さなレンガの建物は旧京都電燈送電所だということだ。

 建物についているマークは京都電燈の社章で、かつて京都電燈の鉄道事業であった京福電鉄の社章として現在も使用されている。
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 以前この建物は農業用倉庫として使われていたようなのだが、現在は廃屋状態で、ところどころにはヒビが入っていて、窓も壊れるに任せてある。
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 裏側から見たところ。
 この建物は道路側からみると低い建物に見えるが、かなり高い建物だということが分かる。
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 窓のない西側の壁には昔送電していたことを物語る碍子の跡がいくつも残っている。
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 すぐ近くには旧京都電燈伏見発電所の建物がモリタ製作所本社工場として残っていて、こちらの竣工は1902(明治35)年頃ということだが、このレンガ小屋も同じ頃に建てられたのではないかと思われる。
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by suzu02tadao | 2013-11-16 18:00 | Comments(0)

昭和レトロな佇まい <アイワオート>

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 前回の「京都府警青雲寮」のすぐ近く、今出川通に面してある「アイワオート」。
 竣工年など詳しいことはわからないようだ。
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 典型的な看板建築ですね…やはり、昭和初期のものだと思われます。
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 表側は細部もなかなか凝っています。
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 「アイワオート」の前の横断歩道を渡ったところから出町柳の駅までの間にあったレトロな佇まいをいくつか・・・
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by suzu02tadao | 2013-11-13 14:25 | Comments(0)

昭和レトロな佇まい <京都府警青雲寮>

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 知恩寺の古本まつりに行った際、百万遍交差点の近くにあるこの建物について以前から気になっていたので調べてみると、1931(昭和6)年築、設計:山田次郎の京都府警青雲寮(旧京都アパート)だということだ。
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 以前にも書いたように、京都市内では、ちょっとブラブラ歩いただけで、こういったレトロなモダン建築にあちこちで出会えるのが嬉しい・・・
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 この建物の辺りから出町柳駅までの間にあったレトロな佇まいをいくつか・・・
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 <元来がかくの如く目的のない私の散歩にもし幾分でも目的らしい事があるとすれば、~(略)~ 何となくそのさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和して少時(しばし)我にもあらず立去りがたいような心持をさせる。そういう無用な感慨に打たれるのが何より嬉しいからである。>
 永井荷風『日和下駄』より


 次回も引続き、この近辺の「昭和レトロな佇まい」を紹介します。
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by suzu02tadao | 2013-11-10 14:45 | Comments(0)

DOMO DINAMIKA 山越邦彦

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 先日の京都・知恩寺の古本まつりで、四天王寺でもおなじみのS書房の均一台にあったボロボロの『婦人之友』(昭和8年10月号)をなにげに開くと、なんと…巻頭から上図の写真やマルセル・ブロイヤーの作品かと見間違えるようなスティールパイプの椅子のあるインテリアの写真が載っているではないか・・・

◇居間と食堂
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◇書斎
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◇玄関
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◇寝室と台所
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 「DOMO DINAMIKA」は、山越邦彦(やまごし くにひこ、1900-1980)が、1933(昭和8)年に結婚を機に建てた自邸として、乾式工法と床暖房、ピロティ等を採用したもので、設備や間取りの考え方など、当時としては画期的な提案を行っており、誌上では「あらゆる意味での実験住宅」と題して、設備等について詳細な説明が記されている。

 <私達二人はお互に生活を揚棄(アウフ・ヘーベン)し合い乍ら、飛躍的な生長発展をさせる道具として、この実験住宅 ドモ・デイナミカ(動力学的の家)を作った。>

 <生活条件に従へば、我々二人の生活を容れる住宅は現代の最も進歩したアパートであるべき筈である。ところが、現在建つてゐるアパートには何れも私達を容れるに必要な充分の設備がないので、仕方なく将来の理想的アパートのつもりで実験的に建てゝみたのがこのドモである。>

 <住宅は、生命のある人間の容器であるから、生命の発展に伴って生長しなければならない。その為に生長する家としての条件も充分に考慮したつもりである。>


 いささか若さゆえの意欲が先行し過ぎているきらいもあって、そこがまたほほえましくもあるが、この「DOMO DINAMIKA」は、今日のサスティナブルデザインに繋がる「エコロジー住宅」の先駆をなすものだったようだ。
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 面白いことに、山越は第一高等学校では村山知義と同期だったということで、村山と共に活動した画家の玉村方久斗邸を1925年に設計しているが、そのあたりで、『婦人之友』との繋がりがあったのかもしれない。

 この号で「DOMO DINAMIKA」は「小住宅建築特集」の中で紹介されているが、その他に市浦健(1904- 1981)が「乾式建築の住宅」の実例として自邸及び土浦亀城(1897-1996)邸を紹介しており、また土浦亀城は、誌上コンペの「理想の我が家 課題:小住宅設計」の審査員として入選作の講評を載せている。
 こういった記事をみると、1920~30年代という時代がいかに文化的に充実していたかということを改めて思い知らされるのだった・・・
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【参考】
山越邦彦については「野沢正光建築工房BLOG」で詳しく紹介している。
また、現存する作品としては耀堂ビル(横浜)があるようだ。
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by suzu02tadao | 2013-11-08 09:30 | Comments(0)

『家庭・生活』 六月号(終刊号)

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 『家庭・生活』 六月号(昭和16年6月1日発行)。

 『ホーム・ライフ』から引き継いできた『家庭・生活』 だが、開戦の半年前となると、いよいよ時局下の都合によりこの号が最後となり、表紙は前回同様で小磯良平、カットは荻須高徳となっている。

 いきなり巻頭から「心身鍛錬に薙刀を振る歌劇女優たち(大劇)」の写真があって、ますます戦争が近くなっている事を象徴しているようです・・・
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 彫刻家の北村西望は、代表作である原爆犠牲者の鎮魂と永遠の平和を願って戦後に制作された「長崎平和祈念像」が有名だが、この時は皇族で参謀総長であった閑院宮載仁親王の馬上像を制作している。
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 これはハンガリーの写真家、ハール・フランソワの作品だが、昭和15年に「ぜいたく禁止令」発令されてからは、このようなモンペ姿が一般的になってなっていたようだ。
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 そのような中でも、「淀川の渡船場」では、造幣局裏や山崎の渡場が紹介されており次のような解説がされている。
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 <“渡し船”はほほゑましい文化の紐帯である、長閑な櫓の音に数々の伝説の夢を哺む和船でも、ドーナツのやうな煙を吐きながらひょうきんに走るポツポ船でも、自然に人生を点綴して美しい景観を描き出すばかりでなく、縦の流れを横に跨いで人間の交通を助け、その生活に寄与した功績は大きい>
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 また、「忘れられぬ風景」では、近藤浩一路が潮来北浦の返照、野間仁根は狩野川の挿絵を載せていて、なんとも、のどかですね・・・

◇近藤浩一路
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◇野間仁根
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by suzu02tadao | 2013-11-05 20:50 | Comments(0)