1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
more...
お気に入りブログ
ヴォーリズを訪ねて
近代建築Watch
レトロな建物を訪ねて
Books & Things
最新のコメント
そうですね… 黄葉..
by モダン周遊 at 10:40
こちらの重厚さも良いです..
by 雪だるま at 06:00
普段の屋上テラスは、 ..
by モダン周遊 at 16:03
芝川ビル 雪だるまもこ..
by 雪だるま at 05:53
それほど見栄えのするもの..
by モダン周遊 at 12:46
これは知りませんでした ..
by 雪だるま at 22:45
内部はイケフェスの時に撮..
by モダン周遊 at 06:49
こちら 外観は何度も撮..
by 雪だるま at 05:46
そうなんです 見所が随..
by モダン周遊 at 11:10
元はホテルだったこの建物..
by 雪だるま at 05:56
メモ帳
最新のトラックバック
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
マルモッタン・モネ美術館..
from dezire_photo &..
美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..
【姫路の老舗映画館が消え..
from ジョニー暴れん坊デップの部屋
個性的なビルがいっぱい:..
from 本読みの記録
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2014年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

京都国際マンガミュージアム(旧・龍池小学校)

c0239137_1105621.jpg
 「京都国際マンガミュージアム」は、もともとは京都市立龍池小学校の校舎で、1929(昭和4)年に建てられたものですが、アール・デコを基調としたレトロ・モダンなインテリアをうまく活かした施設になっており、小野佐世男展の会場のある2階に上がる階段のアプローチが素晴らしくて、何枚も写真を撮ってしまいました。
c0239137_1115934.jpg
c0239137_1121779.jpg
c0239137_1125256.jpg
c0239137_1131019.jpg

 床のタイルのデザインがステキです・・・
c0239137_1134336.jpg

 使いこまれて味わいのあるテクスチャーが渋くてたまりません・・・
c0239137_114244.jpg

 ちばてつや、やなせたかし、里中満智子など100名を超すマンガ家が描いた「個性豊かな舞妓さん」の常設展示もレトロなインテリアに溶け込んでいます。
c0239137_1145656.jpg
c0239137_1154361.jpg
c0239137_1155912.jpg
 2006年11月に開館した「京都国際マンガミュージアム」には、国内のマンガ本を中心に、明治期以降のマンガ関連歴史資料、世界各国の著名マンガ本、雑誌、アニメーション関連資料等を約30万点収蔵しているそうで、その内のマンガ単行本約5万冊は、館内の棚に配架されていて、自由に手にとって読むことができるようになっています。
c0239137_1164292.jpg

 この施設のシンボルともいえる「火の鳥オブジェ」が迫力満点でした。
c0239137_1171830.jpg
 やはり私なぞは少年時代、手塚治虫のマンガとアニメで育った世代ですから、このオブジェを目の前にすると、感慨無量なのです・・・
[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-29 11:10 | Comments(0)

小野佐世男

c0239137_11514527.jpg
 小野佐世男が装丁と挿絵を手がけた『現代ユーモア小説全集 1 世路第一歩 求婚時代』佐々木邦著(1935年5月初版)です。
 これは記念すべき今年最初の古書の買い物でした…♪
 この本の表紙の絵は、過去にも展覧会のチラシ等で使われた代表作のひとつです。
c0239137_11522057.jpg
 裏表紙および函にも小野佐世男ワールドが展開されています(もちろん中身の挿絵にもです)・・・
c0239137_1152559.jpg
c0239137_11531145.jpg

 小野佐世男(1905-1954)は、モボ・モガが銀座を闊歩した1930年代から戦後にかけて活躍した、まさにエロ・グロ・ナンセンスの世相を描いた画家・漫画家ですが、私が小野佐世男を知ったのは、漫画家で漫画評論家でもあった須山計一著の『漫画100年』(昭和31年刊)を読んでからで、この本の巻頭口絵が小野佐世男の作品「エプロン・ステージ」だったのです。
c0239137_11534289.jpg

 須山計一は、小野佐世男とは東京美術学校(現東京芸大)洋画科の同期だったこともあり、この本の中で次のように書いています。

<小野はいった。
 「おれはロートレックみテエな絵が描きテいナ、でなかったらグロッスみテエな漫画が描きテいんダ--」
 ある年の夏、須山は小野から漫画絵手紙をもらって、その見事なデッサンと、匂いのあるエロチシズムに感動した。それから間もなく、須山や松山(文雄)は彼を下田憲一郎の「東京パック」などに推薦した。>

<クラス会があると、「カルメン」のドン・ホセをやり、ひろい料理屋の部屋中をとび廻った。小野は罪のない嘘や馬鹿話の名人で、級友から嘘つき村の助役という妙な仇名をもらって、かえってよろこんでいた。
のちに
 ホラ男爵
 嘘つき佐世男
 ほらさせ
 与太佐世
 洞佐書店
 空談子
 デング、マラリア、オノサセオ
 などという新興宗教の呪文のような文章(?)をかいたが、そもそも漫画スタートは美校時代であった。>


◇海の尖端ガール
c0239137_11565570.jpg

 ちょうど今、京都で「小野佐世男展 ~モダンガール・南方美人・自転車娘~」が開催(H25.10/31~H26.2/11)されており、ここでは以前の展覧会の時の図録『モガ・オン・パレード 小野佐世男とその時代』も販売していたので、さっそく手に入れたのでした。
c0239137_11562574.jpg

 なお、展覧会場となった「京都国際マンガミュージアム」も、なかなかおもしろい施設だったので、次回に紹介したいと思います。
c0239137_1156586.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-26 12:00 | Comments(2)

昭和モダンな街角「豊岡」 -2-

c0239137_16282436.jpg
 豊岡復興建築群。
 やはり細部の造形や意匠が魅力的です。
c0239137_16281271.jpg
c0239137_16342751.jpg
c0239137_1634221.jpg

 復興建築以外でも、昭和レトロないい雰囲気の佇まいがありました。
c0239137_16352786.jpg
c0239137_16374570.jpg

 路地の向こうに見えているのが市役所旧本庁舎です。
c0239137_16374696.jpg

 こちらは昭和といっても「三丁目の夕日」時代のモダンですね・・・
c0239137_16382896.jpg

 上の建物の近くにあった洋菓子屋さんで、私の家人が買った懐かしい感じのショートケーキが安くて!その割にはけっこうおいしかったのですが、包装紙がこれまた昭和モダンでおしゃれだったのでした・・・
c0239137_16391328.jpg

【おまけ】
 豊岡に行く途中のJR和田山駅にあったレンガ造りの機関庫は、1912(明治45)年に建築されたものだそうです。
c0239137_16405318.jpg
c0239137_1641176.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-24 16:45 | Comments(0)

昭和モダンな街角「豊岡」 -1-

c0239137_10532629.jpg
 兵庫県豊岡市のJR豊岡駅前から続く「大開通り」を中心に豊岡復興建築群があります。
 1925(大正14)年の北但大震災で、建物が倒壊または火災により焼失したのですが、その後に復興計画が進められ、補助を出して鉄筋コンクリート建築への建て替えが推奨されたため、多くの建物が当時の姿のままで残っているのだそうです。
c0239137_10531843.jpg
 ほとんどの建物の1階部分は改装されているので、見どころはアーケードの上の部分なのですが、様々のバリエーションがあって楽しめました。
c0239137_10535344.jpg
c0239137_10541044.jpg
c0239137_10542527.jpg
c0239137_10561722.jpg

 市役所旧本庁舎の周辺は工事中でした・・・
c0239137_10561819.jpg

 ここからは「宵田通り(カバンストリート)」の建物です。
c0239137_10564715.jpg
c0239137_1057420.jpg
c0239137_10572178.jpg
c0239137_10574554.jpg

 「生田通り」にもモダンな建物がありました。
c0239137_10581923.jpg
c0239137_10583575.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-23 11:00 | Comments(0)

大阪朝日ビル~東京宝塚劇場

c0239137_1101757.jpg
 大阪朝日ビルは大阪歴史博物館の「近代建築の記憶」でも紹介されており、展示されていた最上階10階の「本みやけ和食堂」の大広間にあった幾何学文欄間が、とてもモダンなデザインだったのが印象的でした。
c0239137_111460.jpg

 大阪朝日ビルについては、幾度か当ブログでもとりあげていますが、昭和7年頃のガイドブック『新近畿行脚』でも、東洋を代表する新聞社として大阪毎日新聞社と共に紹介されています。
c0239137_1115668.jpg

【参考】
大阪朝日ビル
つかの間の景観 -大阪朝日ビル・朝日新聞ビル-
c0239137_1131452.jpg

 この大阪朝日ビルを設計した石川純一郎(1897-1987)の作品には、他に東京宝塚劇場がありましたが、1999年に解体され、劇場と映画館、事務所の複合ビルとして建替えられました。
c0239137_116528.jpg
 下の写真は20年位前に京都のアスタルテ書房で、モダンな建物を活かしたデザインが気に入って購入した戦前(昭和16年9月4日の消印があります)の東京宝塚劇場のチケットです。
 余談になりますが、当時の私が古書店で購入するものといえば、美術及び骨董関係の本以外はこのような紙物ばかりでした・・・
c0239137_1165116.jpg
 思えば、これらを購入した頃には建物は現存していたわけで・・・今となれば1枚も写真を撮っていないことが惜しまれます。
[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-20 11:10 | Comments(0)

ダイビル(大阪商船本社)の記憶

c0239137_145223.jpg
 大阪歴史博物館の「近代建築の記憶」では、ダイビルのテラコッタの装飾も展示されていましたが、もともとダイビルは大阪商船の本社として、宇治川電気と日本電力との共同出資で建てられたもので、前回の宇治電ビルは、宇治川電気のダイビルのオフィスが本社として手狭になったために、新たに社屋として建てられたものだったということです。

 上図は、1926(大正15)年2月発行の大阪商船「南米航路案内」パンフレットの一部ですが、前年(1925年)9月に竣工したダイビルの写真と本社支店代理店が載っています。

 この当時の大阪商船は、全世界に航路拡大を図っており、まさに国際的な事業拠点にふさわしいオフィスとして建てられたのがダイビルだったという訳です。
c0239137_1462635.jpg

 昔からダイビルの外観は豪華客船に例えられていましたが、船の舳先を思わせる曲線を描くコーナー部分の造形など、やはり、大阪湾から世界に向って航海しようとする船のイメージに見えます。
c0239137_147141.jpg

 また、ダイビルには正面玄関の大アーチを始め、低層階の随所に様々な装飾彫刻が取り付けられていますが、これらは世界の国々の多彩な文化を象徴しているように思えてくるのです。
c0239137_147301.jpg
c0239137_1492191.jpg
c0239137_1495310.jpg
c0239137_1495833.jpg
c0239137_14102893.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-17 14:15 | Comments(0)

宇治電ビルの神像

◇宇治電ビルディングの神像(2012年2月撮影)
c0239137_209823.jpg

 現在、大阪歴史博物館で開催(H25.12/18~H26.2/3)されている「近代建築の記憶」では、建て替えられた近代建築の忘れ形見ともいえるテラコッタやステンドグラスの装飾などを展示していますが、その中には宇治電ビルディングの神像テラコッタもあって、下記のように紹介されていました。
c0239137_2095176.jpg

宇治電ビルディング
▼ 竣工:昭和12年(1937)
▼ 設計:長谷部竹腰設計事務所


 現在の北区西天満に建てられた宇治電ビルディングは、現代のオフィスビルに通じる洗練されたデザインで、正面には電力会社のビルらしく電球とモーターを持った神像のテラコッタ(建築装飾用のやきもの)レリーフがありました。レリーフは、設計者・長谷部鋭吉のデッサンをもとに、彫刻家・奥田勝が原型をつくり、京都の泰山製陶所で製作されたものです。
c0239137_201196.jpg

◇宇治電ビルディング 正面玄関(2012年2月撮影)
c0239137_2016124.jpg

◇宇治電ビルディング 壁面タイル(2012年2月撮影)
c0239137_2017661.jpg

 下の写真は、約1年ほど前に撮影した宇治電ビル解体工事の現場です。
 フェンスに映る電線などの影が美しかったのでシャッターを切ったのですが、このような情景も、現代の街の風物詩といえるのかもしれません・・・
c0239137_20175196.jpg
c0239137_20188100.jpg
c0239137_2018364.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-14 20:25 | Comments(0)

「一九三〇年協会 批評」 中河与一

c0239137_1056925.jpg

 前回の『中央美術』1929年6月号には、この年の1月に開催された「一九三〇年協会 第四回展覧会」について、小説家の中河与一(1897-1994)が<季節はづれの批評>を載せています。
 上図にもあるように、この展覧会は前年にフランスで客死した佐伯祐三の遺作展の観もあって、興味をそそられる内要になっています。

 以下抜粋…
 私は多くの絵画展覧会の中で、一九三〇年協会を好む。
 何よりも新鮮であるからだ。速度を持つてゐるからだ。生活を持つてゐるからだ。技術を持つてゐるからだ。わけても佐伯祐三、在世当時の協会は、私にとつて一つの血縁であつたからだ。
 今年の一九三〇年を評して、或る人は云つた。「二科会創立当時の慨がある」
 私も其処にある張りみちた空気を何よりもうれしく思つた。以下記憶に残つた作品に就て短い感想を書いてみた。


◇前田寛治「棟領の家族」
c0239137_10574884.jpg
 先づ前田寛治氏の絵を見る。
 何と云つても「棟領の家族」にある、あの憂鬱と親和との中間色であるセピアの色調を愛する。
 この画家の感じやすい、然し正確な描写力を尊重する。ポーズの斬新さを取る。技術の集積を喜ぶ。


 なお、前田寛治(1896-1930)はこの翌年に33歳という若さで早逝しています。

◇佐伯祐三「オプセルヴァトワール附近」
c0239137_1121291.jpg
 佐伯祐三氏
 私は彼の遺作を見ながら、暗くなつてゆく彼の部屋からどうしても立ち去る事が出来なかつた。私は看視人に注意せられてから外へ出た。それほどに彼の絵は私の心を囚へ私に故人を懐かしむ感情を起さした。
 どうも彼は不世出の才能であつたやうに思はれる。彼のやうに豊富な色彩家が、そして彼のやうに確実な把握力を持つた画家が、何処にゐたらう。わけてもあの励しい熱意を持った画家が。
 大阪は誇るべきと思ふ。
 私は彼のあの奇妙な然し充分客観性を持つた画材の選択が好きである。
 「ロプセルバトアール広場」の枯れ木の下を通る、メダカのやうな人間。


◇佐伯祐三「カフェのテラス」
c0239137_1144566.jpg
 「キヤフヱのテラス」にある糸のやうに縺れながら天に登る線。あのザマクゲな美しさ。

◇佐伯祐三「ガス灯と広告」
c0239137_117114.jpg
 「瓦斯灯と広告」のあの美しい吐息のやうな効果。歩いてゐる婦人の肩と股の恰好。赤い着物。

◇佐伯祐三「郵便配達夫」
c0239137_118381.jpg
 「郵便配達夫」の鋭い描写。眼の表情と、足の位置。

 そこには何時まで立ちつくしても見飽きることを知らない。豊富さと強烈さがある。近代都市の最も励しい形式の尖端「広告ビラ」が充満してゐる。
 吾々は幾度惜んでも、この画家の早世を惜み足りない気がする。一度私が私の親しい医者に彼の写真を見せたら、医者はその写真のコメカミの所を指摘しながら、
 「彼は気違ひでなかつたら天才だつたのです」
 と医学的に説明した。私は彼の絵が来年から見られなくなる事を思ふと淋しい。


 中河与一は横光利一、川端康成らと共に、新感覚派文学運動を起こした作家ですが、若いころ画家を志しただけに、佐伯祐三の個展を見に来てその作品に共鳴し、刊行予定の短編集『恐しき私』(1927年)の装幀を佐伯に依頼、ついでに自分の肖像画も描かせて過分の礼金をはずみ、知人たちにもカンパを呼び掛けたほどで、『形式主義芸術論』(1930年)の装画も佐伯の作品になっています。
c0239137_1113586.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-11 11:15 | Comments(0)

『中央美術』1929(昭和4)年6月号

c0239137_10521558.jpg

 前回とりあげた北園克衛の評論が載っていたこの『中央美術』の表紙は東郷青児(1897-1978)の装幀です。
 東郷青児は、古賀春江や阿部金剛らと共に、後(1933年9月)に「アヴァンガルド洋画研究所」を設立したように、この年には、モダニズム絵画の典型とも云える「超現実派の散歩」を二科展に出品しています。

◇東郷青児「超現実派の散歩」1929(昭和4)年
c0239137_10531939.jpg

 東郷青児といえば、戦後一世を風靡した通俗的でロマンチックな甘い女性像の作品が有名ですが、この当時はフランス留学の成果ともいえる最先端を行くモダンな作品を描いており、同時期にフランスに留学した画家の前田寛治は次のように言っています。

 <氏の作品の一つ一つに第一に感じられるのは、色彩の冷たく低く理性的な明晰さのある諧調である。ロンデイズムとも云ふべきであらうか。徒らな芸術讃美の心だけでは、ちょつと近寄れない境地である>

◇東郷青児「花を持った姉妹」滞欧作品【二科展(昭和3年)出品作】
c0239137_10543791.jpg

 このように前衛アーティストとして活躍していた東郷は、愛人とガス自殺未遂事件を起こした後に取材に来た宇野千代と同棲を始めるなど、その甘いマスクで浮き名を流していたのもこの頃で、東郷が宇野千代と一緒に住むために建てた家というのが、いかにもという感じで、ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの建築を思わせる白い壁とガラスの立方体のモダン・スタイルなのですが、この本の中で、美術評論家の外山卯三郎が<バウ・デル・ツァイト -新時代の建築->と題してコルビュジエやミースやバウハウスなどの建築を紹介しています。
c0239137_1057328.jpg
 この外山卯三郎の記事は、何を言っているのか分かりにくく、解説としては要領を得ないもので、専門外のことについて書いているからなのかと思ったのだけれど、美術評論でもやはり分かりにくいらしい・・・

 このように『中央美術』には、絵画だけでなく建築や工芸など美術全般についての評論が載っており、国画会の工芸部門に出品されたバーナード・リーチ、浜田庄司、富本憲吉の作品も紹介されています。
c0239137_112413.jpg
c0239137_1114629.jpg

 さて、『中央美術』は、1915年日本美術学院から田口掬汀が創刊したもので、この1929年6月号で休刊(1933年復刊、1936年終刊)するのですが、巻頭の<中央美術の発行を休止す>が印象的です・・・

 以下抜粋。
 <先ず結語を逆叙するを許されよ。休止の主因は、本誌の続刊今後数年を重ぬるとも、私の初志を貫く見込がないからである。初志とは何か、曰く「美術知識の普及」之れであつた。>
 <経済の事を云為するは心苦しいが、如何なる事業も経済の支配を免れぬ以上それに言及せずに已まれない。本誌十五ヶ年の経営は悉く損失の連続であった、それは私の商売下手が一因となつたでもあらう。要するに努力の総てが縁の下の力持となつたのだ。私は今、正直に告白する、前途の成算なきものに対して終生損失に堪える勇気がない、寧ろ此の損耗を転換して他に為すべき事の多々あるを認め、今後は別途の方法を以て美術界に貢献すべく決意し、忍び難い遺憾の中に一ト先ず休刊するのである。たゞ「中央美術」なる誌名は法律の保護に於て私が所有する。その再生は何時のことか、今は此れに言及するを差控える。>


 なお、巻頭口絵の木村荘八の春陽会出品作「室内婦女」がなかなか佳いのです・・・

◇木村荘八「室内婦女」(『中央美術』1929年6月号より)
c0239137_1141797.jpg

 1929(昭和4)年は、まさに百花繚乱という感じですね・・・
 下記も参考にしてください。
 「都会交響楽」
 「浪花小唄」
[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-08 11:10 | Comments(0)

NOUVEAU PARNASSIAN 古賀春江

◇古賀春江「文化は人間を妨害する」1933(昭和8)年
c0239137_2075274.jpg
 「文化は人間を妨害する」は、前回の「サーカスの景」と共に第20回二科展に出品された最晩年の作品ですが、現存していないようです。

 この作品は、代表作である「海」や「窓外の化粧」などと同様に、シュルレアリスム的傾向を示していますが、昨年末の古本市で手に入れた、1928(昭和3)年12月号『中央美術』の表紙は古賀春江の装幀で、すでにシュルレアリスムの影響が見られる表現になっています。
c0239137_208488.jpg
 よく見ると、近代的なビルの向こうに五重の塔が見えていますが、詩人でもあった古賀春江は次のような詩も書いています。

晩餐」(1929年)

僕は五重の塔を見たいのである
素敵に蒼い五重の塔を見たいのである

空気が孤独に素早く虹色に映る景色で

僕はてっぽうを持ってゐないのである



 ちょうど、この『中央美術』の内容は、古賀に大きな影響を与えたデ・キリコの特集になっていて、(だからこの本を購入したのだが・・・)なるほど、のっぺらぼうのマネキンのような人物や無味乾燥な廃墟のような建物など共通する特徴があることがよく分かります。(もっとも、古賀に限らず、ダリなど多くのシュルレアリスムの作家の作品にも見られる特徴ですが・・・)

◇デ・キリコ「考古学者」
c0239137_20101346.jpg
◇デ・キリコ「テツサリイの海岸」
c0239137_20142928.jpg

 古賀はモダニズム詩人の北園克衛(1902-1978)と交流するようになってから、デ・キリコへの傾倒が強まったと言われており、同じ古本市で手に入れた1929(昭和4)年6月号『中央美術』の中で、北園克衛は<未来の麦酒>と題して、古賀春江についての評論を書いていますが、まるで「古賀春江讃歌」といった趣の詩のようです・・・

 以下、抜粋。
<1929年の彼れはパウルクレエの系列より游離して完璧なる彼自らの世界の中に非常に叡智的に円熟した。
    *
 彼れの温暖な夢の秘密、温暖な夢のメカニズム、そして彼れの優婉なる音調的色彩の世界、そして永遠の砂漠に追放せられたるおびただしい美学者の群を想像する。最早や彼れの芸術は如何なる美学者バウムガルテンの頭脳をもつてしても理解する事が出来ないであらう。>

 <NOUVEAU PARNASSIAN 古賀春江の生誕は日本にとって記念すべき世界的の記憶となるであらう。私は且つて数度びそれを確信し、断言し、その占断の上らに坐り夥しい三角旗を立てて明言し記録した。
 NOUVEAU PARNASSIAN 古賀春江の生誕は日本にとって記念すべき世界的の記憶である。>


 NOUVEAU PARNASSIANとは、新・高踏派作家という意味なのだろうけれど・・・
 もちろん、北園克衛自身もNOUVEAU PARNASSIANなのだと思われます。

 ところで、年末に「昭和モダン 絵画と文学 1926-1936」展を観て初めて知ったのですが、改造社の新鋭文学叢書(1930年刊)のモダンな装幀も、古賀春江だったのですね・・・
c0239137_20275755.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2014-01-05 20:30 | Comments(1)