1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2014年 04月 ( 11 )   > この月の画像一覧

「煙の都」…大阪

◇宇崎純一「風水害復興記念・大阪商工祭」(昭和10年11月)絵葉書
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 これは、前年に関西を襲った室戸台風による風水害からの復興を記念した大阪商工祭の絵葉書で、特に大きな被害が出た河川流域の、商工業都市を象徴する、水の都そして煙の都である大阪の風景が描かれています。
 宇崎純一は美人画が有名で「大阪の夢二」とも呼ばれましたが、やはり、竹久夢二同様に様々な作品があって、こういった作品も手がけていたんですね・・・

 さて、この「煙の都」を象徴していたのが安治川と六軒堀川の合流地点にあった春日出発電所の煙突で、特に「八本煙突」は、見る位置によって様々な本数に見えたことから、東京の旧千住火力発電所と同様に「オバケ煙突」と呼ばれていました。

◇北尾鐐之助『近代大阪』より
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 当時は発電所のすぐ脇に「三丁目の渡し」と呼ばれる渡し船があって、多くの人々が日々、「オバケ煙突」を見ながら安治川を渡って通勤・通学しており、身近な風景のひとつだったようです。

 この煙突は、高さ約74m、直径約4mというもので、昭和11年頃の「大阪遊覧バス」パンフの中では、通天閣や朝日ビルなどと共に近代大阪名所のひとつとして紹介されています。

◇「大阪遊覧バス」パンフより(部分)
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 一方で、今日の中国同様に煤煙の問題もあったようです・・・

 煤煙受難の大阪
大阪市内に散在する三万五千の大小工場、之に民家の三十五万戸を併せて、大小煙突四十万本。之れから吐き出される煤煙の降下量一日に平均千五百貫、一ヶ年五十五万貫と云ふ莫大なものです。

(※参考:千五百貫=5,625kg、五十五万貫=20,062,500kg)

 同様に昭和11年頃発行の「観光と産業の大阪」(大阪市産業部)でも、この安治川沿いの煙突は紹介されており、また裏表紙も煙突の風景になっています。
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◇「観光と産業の大阪」(大阪市産業部)裏表紙より
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 先日の古本市で、この煙突の写真が載っていたので買ったのが、小野十三郎『詩集 大阪』(昭和28年刊)です。
 この詩集は、小野十三郎が生まれ育った重工業地帯を原風景として、大阪を「葦の地方」と捉えた代表作ですが、以下はその中の「葦原拾遺」(抜粋)です・・・
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端から数えると
巨きな煙突が
一本
二本
三本
四本
八、九、十、十一、・・・‥
十五本見える。
みなゆっくりと煙を吐いている。

   〇

あの四本ずつ二列に束になっているのは
××× だ。
いつか海から見たこともあった。

   〇

街の方を見ると
夕陽の中に
細い煙突が電柱と入りまじっている。
とても数えきれない。
僕の家の屋根からも
針金で支えたやつが一本出ている。
茶碗を洗う音や
水を流す音や
母さんの声が
そこからする。

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 春日出発電所の煙突も、1964(昭和39)年には無くなり、現在では発電所の跡地はホームセンターとディスカウントストアになっています。
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 今日の大阪は「煙の都」でもなければ、もちろん「葦の地方」の面影もありません。
 しかしながら、「煙の都」のシンボルであった発電所の跡地に建つホームセンターとディスカウントストアの景観というのは、とても大阪的なような気もするのですが・・・
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by suzu02tadao | 2014-04-29 14:45 | Comments(0)

武庫大橋

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 北尾鐐之助は「阪神風景漫歩」(『近畿景観』第1巻)の中で、淀川大橋から国道沿いを西に向かい、尼崎を経て武庫大橋にやって来ます。
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 <ある日、私は武庫大橋の上に立って、六甲山脈を眺めた。
 尼崎では、まださうとはおもはれないが、この武庫川まで来ると、はっきりと、東西に文化の程度が変ってゐるのに気がつく。赤い、青い屋根は、武庫川を西に越すと著しく殖える。山が近いのだ。人間はどうしても、山を背にして住まうといふ、先住民の心持をもつものだ。
 水が美しい。
 阪神間を流れる川の中で、何と云っても一番武庫川の水が美しい。>

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 <私はこの川の堤を歩くことが好きだ。こゝをあるいて、誰もが何でもなく見逃す、あの松林をいゝ景色だと思ふ。冬の日など、強い武庫颪しをむかへて、松は一せいにふるひ立ち、大空に向って雄叫びを上げる。>
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 武庫大橋は、十三大橋白鬚橋を手がけた増田淳の指導のもと、1925年8月から1年4か月をかけて完成しました。
 ヨーロッパを思わせるようなデザインの優美なアーチ状の橋で、欄干に張り出したバルコニーが印象的ですね・・・
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 バルコニーからは、六甲山脈を背景に旧甲子園ホテルの尖塔が見えます。
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 美しいこの橋は、日本百名橋に選ばれ、土木学会選奨土木遺産にも認定されています。
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by suzu02tadao | 2014-04-26 14:55 | Comments(0)

町工場と長屋と・・・「姫里」辺り

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 淀川大橋北詰の西淀川区姫里辺り。
 すぐ近くには、現在の淀川(新淀川)ができる以前にあった、中津川の「野里の渡し」跡があるなど、古い歴史もある所ですが、下町情緒あふれる町工場や長屋などの昭和レトロな情景が広がる町でもあります・・・
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by suzu02tadao | 2014-04-23 11:40 | Comments(0)

「浦江の聖天さん」辺り・・・

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 超モダンな「いいビル」塩野義製薬研究所をもう少し東に行くと、「福島聖天 了徳院」があります。
 通称「浦江の聖天さん」と言われて親しまれ、戦前には庶民信仰のメッカとして、年間100万人を超える参拝者が訪れたそうです。
 聖天とは大聖歓喜天のことで、北尾鐐之助は、『近代大阪』の中で「浦江歓喜天」と題して当時の様子を書いていますが、モダン大阪の都市風景を中心に描いたこの本の中では、異色の内容になっており、
 <こゝへ来て、第一に感ずることは、一切の粉飾を払ひ落した、生地のまゝの真剣な生活。無駄なものは一切影をひそめて、人間本来の根強い生の力と云ったものが、至るところに濃く描き出されてゐることである。>
 として、本堂の参拝者の情景を次のように記しています。
 <隅の暗いところに、異様なものがうごめいてゐる、すかしてみると、アッパッパのおかみさんであった。何か熱烈な口調で訴へながら、身体を左右に打ち振って、狂人のやうにかきくどいてゐる。陰惨な空気が四辺に漂ふ。
 ときどき夕風に、線香の煙りが吹き込んで、うす暗い燈明がかすかにまばたいてゐる。
 おん、きりく、ぎゃく、うん、そわか。
 おん、ぎゃく、ぎゃく、うん、そわか。
 最前の男女も、いつまでも一心不乱に平伏してゐる。或ひはそのまゝ、まゐってしまってゐるのではないか。
 本堂の屋根の上では、日の影が落ちて、涼風に番ひの鳩が睦まじく交尾してゐる。
 おん、まか、きゃろにきゃ、そわか。>


 庶民信仰のメッカということで、境内には様々な神様仏様が祀られていて、下町の町角にあるような地蔵尊や淫祠もあります。
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 江戸時代は、浦江の名の通り、低湿地帯でカキツバタの名所だったそうで、松尾芭蕉も訪れ、「杜若(かきつばた) 語るも旅の ひとつ哉」と句を詠んでいますが、近くに工場が建ち並ぶようになった大大阪の時代には、すでにその面影は無くなっていたようです。
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 この聖天さんの門前には商店街があって、戦前は、心斎橋、九条、天神橋筋の各商店街と並び称され、大阪の4大商店街のひとつといわれたのですが、当時の様子を北尾鐐之助も生々しく記しています。
 <呉服、小間物、装身具、雨傘下駄の荒物から、肴、肉類、菓子、野菜、味噌、醤油、漬物に至るまで、あらゆる生活料品が山と積まれ、そこには、デパートの食料品部に見られるやうな贅沢品や、高級品や、珍貴なものなどは一つもなく、何等の装飾も、粉黛もなくて、生地のまゝむき出しに路傍に投げ出されてゐる。
 鮒や、鰌は水桶の中に泳ぎ廻り、羽根を剥がれた鶏は水に濡れて、白々したその裸体を並べ、胡瓜や、トマトは赤く青く輝き、引き裂かれた豚の片股は、脂切った赤や白の膩肉を軒下に吊られて、泥臭い夜風に吹かれてゐる。
 それ等の店先の肩摩轂撃(けんまこくげき)。全く夕方の一時などは、うっかり立ち止ることも出来ないほどの人の流れが、押し返し、もみ返す。>

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 今でも、JR福島駅の前から続くこの福島聖天通商店街は、たくさんの占い師がいるということで「売れても占い商店街」をキャッチフレーズに、街路灯やアーチのデザインを「遊歩=UFO」に統一するという、こてこてのオヤジ・ギャグ風センスを売りに、庶民信仰のメッカにふさわしいユニークな路線でそれなりに人気を得ているようです。
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 しかしながら、さすがに大阪の4大商店街のひとつといわれていただけに、飲食店は多く、しゃれたレストランや本格的な洋食屋さんもあって、充実しています。
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 さて、ここからは、この「浦江の聖天さん」辺りから淀川大橋南詰の海老江辺りにかけてあったレトロな情景をいくつか紹介します・・・
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 また、この辺りは、昔から漁師町としても栄えたということで、古い佇まいも残っています。
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 銅張りの家もありました。
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 国道沿いにあった昭和レトロな元食堂です。
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 次回は淀川大橋北詰のレトロな情景を紹介したいと思います。
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by suzu02tadao | 2014-04-21 09:00 | Comments(0)

「淀川大橋」と「いいビル」

◇『大阪案内記』(大阪市役所編・昭和3年11月)より
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 <けふも、すこし暇があったので、阪神国道の淀川大橋の上を漫歩してみた。
 新淀川に架る長橋は、十三橋でもさうだが、橋を東へ渡ると、大阪といふくっきりした大都会の色がつく。この長い橋は、田園=も少し変だが=と、都会との中間色を長く引いて、その上には田舎と都会とを繋ぐ、いろいろの生活を識るやうに、にじみ出させる。>

 北尾鐐之助著『近畿景観』(シリーズ第1巻)の巻頭、「阪神風景漫歩」の中で、最初に登場するのが、淀川大橋だというのは、なかなか象徴的ですね・・・

 淀川大橋について、北尾はまた、『近代大阪』(シリーズ第3巻)の中でも、
 <全く、一時間や二時間立ってゐても倦きないほど、スピードの運行と、複雑な音響のオーケストラに魅せられてしまふ。>
 と書いています。
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 淀川に架かる国道2号の橋、淀川大橋は、今日では、どこにでもあるような普通の橋なのですが、今の淀川がまだ「新淀川」と呼ばれていた、1926(大正15)年の完成当時は、阪神間を結ぶ大動脈として、その規模は東洋一だったようで、立派な親柱が当時の面影を今に伝えています。
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 改めてじっくりと見ると、まさに時代の最先端を行くアール・デコ調で、親柱としては、なかなか優雅で秀逸なデザインです。
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 橋の上から上流側の梅田方面を見た風景です。
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 下流側です。阪神電車が通って行くのが見えます。
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◇『新近畿行脚』(昭和6年9月)より
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 淀川を渡る部分の長さは約731m、幅は20mあって、1975年に廃止されるまでは、中央に阪神国道線の路面電車が走っていました。

 淀川大橋南詰の手前の淀川小橋のところにある鉄柱は、路面電車の架線柱の遺構だと思われます。
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 この淀川小橋のネームプレートも、大橋のものと同じように風格があります。
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 さて、淀川大橋南詰の海老江から東の鷺洲の方に歩いていくと・・・・
 なんと、昭和の高度経済成長期に建てられたと思われる超モダンな「いいビル」があるではありませんか!
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 ル・コルビジェを思わせるRC打放しのブリーズソレイユと壁面に配された青いタイルとの対比が端正で美しくて、思わず私は「オぉ !!」と声を上げてしまいました・・・
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 後で調べてみると、このビルは、1961(昭和36)年に竣工した塩野義製薬研究所で、坂倉建築研究所(西澤文隆)の設計でした。
 DOCOMOMO JAPANにも選定されています。
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 戦前の大大阪時代のモダニズムの遺産とも言える淀川大橋のすぐ近くに、戦後のモダン・ムーブメントを代表するような建築があるというのも、なにか因縁めいたものを感じたのでした・・・
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by suzu02tadao | 2014-04-19 07:40 | Comments(0)

天満・菅原町の蔵めぐり

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 前回とりあげた川口辺りの安治川は旧淀川で、その上流となる大川沿いの「天満」は、江戸時代には舟運を活かした商いの場として「天満青果市場」をはじめ各種市場が集まり、まさに「天下の台所」、大阪の中心地として栄えたということです。
 その中で、「乾物問屋のまち」、菅原町には、現在も当時の面影を残す「蔵」が残っています。

◇「大阪市パノラマ地図」(大正13年発行)より
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 その昔、「天満堀川」が大川に合流するところにあった「太平橋」の親柱が、今も残っています。
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 その親柱の向こうに見える蔵は、「天満堀川」沿いに、江戸~明治頃に建てられたもので、今でも乾物を商う現役の蔵だということです。
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 壁面は塗り替えられていますが、この蔵も江戸~明治頃のもので、釘は一切使わずに建てられているそうです。
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 現在は4つに分けて、それぞれ所有者も異なって使用されていますが、かつては一棟の建物だったということです。
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 左手前の蔵も、倉庫として使用されています。
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 路地を入って行くと、明治時代の蔵のインテリアを活かして、現代風にアレンジした、バー・カフェがあります。
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 この蔵も、江戸時代の建築だそうです。
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 表面的にはリニューアルされているものが多く、一見するとそれほど古い建物には見えないのですが、全体的に見ると、やはり、伝統的な「蔵」の形状をしています。
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 この蔵は数年前に改修して、ごま小売店の店舗になっていますが、改修の際、享和2年(1802)建築の棟札が出てきたそうです。
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 さて、「天満堀川」があった場所から、順に東に歩いて天神橋まで来たのですが・・・
 この辺りは以前にも取りあげていて、天神橋北詰にあったはずの…「菅南福祉会館」が無くなっているではありませんか!
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 ほんの1ヶ月前(3月中)に解体されたようです・・・
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【参考】菅南福祉会館(2010年6月撮影)
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by suzu02tadao | 2014-04-17 11:15 | Comments(0)

「カフェ・キサラギ」 と川口風景

◇「大阪カフヱ源流考」(『上方』第27号・1933年)より
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 前回とりあげた「川口アパート」の建つ同じ場所に、1912(明治45)年、大阪では箕面市のカフェ・パウリスタに次いで、カフェの名を冠した「カフェ・キサラギ」がオープンしています。
 上図の右側の建物が「カフェ・キサラギ」で、木津川対岸にあるのが大阪府庁本庁舎です。

 「カフェ・キサラギ」については、<当時の「家に居るよりカフヱに在る時間の方が多かった」所謂カフヱ人種の一人> 寺川信が、「大阪カフヱ源流考」(『上方』第27号・1933年)の中で次のように述べています。
 <「カフヱ・キサラギ」の看板は新しいが日本建の其頃、よく見かけた所在の洋食店と異らない表構へで、硝子戸を押して入ると、すぐ靴脱のタゝキ、板敷のガランとした室の中央にストーブだけが大きく、其のブリキの煙筒が天井を折曲つて楣から外へ出てゐた。~(略)~
 それでも東京に「カフヱ・プランタン」の出来て間も無い当時のことゝて、斯した貧弱極まるものであつても、まだ見ぬ巴里、伯林のカフヱを想望して大阪一最初の、恐らく日本でもプランタンに次ぐ最初期の「カフヱ」の名に懐しんで、後年、芸術家として雄飛した人々も、まだ青少年の域を脱してゐなかつたので、よく其家に集まつた。そして「プライム会」なる毎月一回の例会をさへ持つやうになつた。>


 この「プライム会」の会員だったのが、食満南北、大森正男、足立源一郎、鍋井克之、小出楢重、鶴丸梅太郎、宇崎純一、段谷秋比登、住田良三といった面々で、後に道頓堀に「キャバレー・ヅ・パノン」などができると、足場の便利なそちらに移ったのだそうだ・・・

 さて、「川口アパート」の向かいにあって居留地の面影を残す川口基督教会ですが、1920(大正9)年の竣工なので、この教会ができた頃には、既に「カフェ・キサラギ」はなかったと思われます。
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 さすがに国の登録有形文化財であるだけに、壮麗な赤煉瓦造の建物は魅力的です。
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◇「大阪市パノラマ地図」(大正13年発行)より
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 川口居留地があったのは、ともに大阪港に注ぐ安治川と木津川が分岐する場所で、水上交通が盛んだった当時の交通の要衝であったことが伺えます。
 水深が浅く、大型船舶が入港できないという理由で国際的な貿易港としては発展しませんでしたが、流通の中心地であったことはまちがいなく、北尾鐐之助は「川口風景」(『近代大阪』)の冒頭で次のように紹介しています。
 <中之島の西の剣先、安治川が二ツにわかれて、右へ土佐堀川、左へ堂島川を通じてゐる。その剣先に引かゝつた、新船津橋、端建蔵橋とつながる線は、恐らく大阪の市中で、車の交通量の最も多いところであり、また商業都市らしいはげしい動きをみせるところであらう。>
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 安治川沿いに建つ巨大な住友倉庫は、1929(昭和4)年に竣工しており、80年以上経た今でも現役で使われていますが、
 北尾鐐之助も、<一寸した「時」の機会で、屏風のやうに壁の折れ廻つた箇所では、太陽がその頂点に来ると、大きな鋭三角形の影が、斜め上から鋭く直線を引く。そのとき、光りと影とに裁断された大きな面は、美事な近代的感覚を四辺に放散する>として、<商業大阪の偉大さと云つたやうなものを象徴してゐる>と書いています。
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 住友倉庫の対岸には、青果・水産物とその加工品や加工食料品を扱う、中央卸売市場があり、関係する施設も見受けられます。
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 1932(昭和7)年に建設された昭和橋について北尾鐐之助は、
 <数ある大阪の他の橋にくらべてどこかに一種の品格をもつてゐる。同じやうなタイド・アーチをもつ橋はいくらもある。しかし、堂島大橋にも、大正橋にも、また桜宮大橋にもない、モダアンさと落つきとをもつてゐる>と絶賛していますが、私が訪れた時にはご覧のとおり、化粧直し?の最中でした。
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 中之島の西端にある中之島西公園です。
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 中之島西公園の脇にある阪神高速の中之島西入口。
 向こう側に住友倉庫が見えています。
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 現代でも、この近辺が交通の要衝であることは、阿波座のダイナミックなジャンクションがそれを証明しています。
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by suzu02tadao | 2014-04-14 11:30 | Comments(0)

川口アパート

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 前々回とりあげた、クラブ化粧品のパケージ瓶のようなアール・デコ風装飾をあしらったモダンなデザインの「川口アパート」。
 ちょうど、「クラブ化粧品のよそおい展」が開催されている阿波座から、西に歩いて木津川を渡った旧川口居留地跡にあります。
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 1928(昭和3)年頃に、新大阪新聞社の本社として建てられたもののようで、詳しいことは分かっていないらしくて、「川口アパート」というのも通称のようです。
 現在もテナントが入居しており、また住宅としても使われているようで、現役で使用されていながら、当時のままの姿で残っている建物としては貴重なものだと思われます。
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 一部に取替えられたドアや窓のサッシもありますが、細部を見てもいい雰囲気です・・・
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 川口居留地の面影を残す川口基督教会の真向かいにある「川口アパート」ですが、できた当時には既に、この地は居留地ではなく、また、対岸の江之子島にあった大阪府庁本庁舎も移転しており、大阪の文明開化・近代化の中心地ではなくなっていました。
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 しかしながら、木津川を背にして建つその姿からは、時代を切り開いて行く精神は受け継がれていたことが伺えます。

 その辺りについて、次回も引続きこの同じ場所で、時代を遡って訪ねてみたいと思います。
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by suzu02tadao | 2014-04-11 13:45 | Comments(0)

モダン桜名所

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 戦前の京阪電車沿線の桜名所を紹介しているパンフレットです。
 京都を中心に新京阪線(現・阪急京都線)の沿線も紹介していますが、現在の桜の名所とほとんど同じであることが分かります。

◇京阪付近桜の名所(部分)
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 谷崎潤一郎 『細雪』は、ちょうどこのパンフレットと同時代の阪神間モダニズムの生活文化を描いたものですが、四人姉妹が訪れた桜の名所も紹介されています。
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 お薦めのお花見プランも紹介されています。
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 さて、私は今年、芦屋川と夙川でお花見をしてきました(『細雪』とは関係ないのですが・・・)。
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 それにしても、お花見の情景はほのぼのとして、心がなごみますね・・・
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 桜の花見は平安時代から始まったということで、桜を詠んだ和歌はたくさんあるようですが、秀歌には花の散り際を詠んだ歌が多いようです。
 もう盛りは過ぎていますが、まだまだ楽しめそうな桜です・・・
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さくら花ちりぬる風のなごりには 水なきそらに浪ぞたちける
(紀貫之 古今集)

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by suzu02tadao | 2014-04-08 14:30 | Comments(0)

「クラブ化粧品のよそおい展」

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 今回の企画展では 「クラブ化粧品のよそおい」をテーマに、明治末期から昭和初期までのスキンケアおよび化粧法に焦点を当てています。
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大正期は女性の社会進出が盛んになり、身嗜みとして化粧が注目されるようになりました。~(略)~
また、新製品が数多く発売され、現代と変らないアイテム数が揃った時代でもあります。時代の先端をいく女性たちを中心に、多様のお化粧法を試みていました。
(企画展パンフより)


お化粧の順序を鉄道路線で図示した<鉄道式広告>
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献上用の陶器入化粧品セット
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 化粧品の種類ごとの商品の展示がメインですが、大正期から昭和初期には、競合する化粧品会社から多数の商品が売り出されていたため、パッケージのデザインには力を入れており、アール・ヌーヴォーからアール・デコのモダン・デザインの変遷がよく分かります。
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 これらの展示を見ていると、以前にも紹介した当時のパッケージデザインについて述べられた下記の言葉が実感できたのでした。

 <伝統的和模様と西洋的色彩が共存するわが国のラベルデザインには、まぎれもなく一昔前にわが国が達成したと幻想した「幸福な時代」の気分が反映されている。
 そして、この濃密な時代の気分こそが、これらのパッケージデザインにかぎりない魅惑と郷愁をもたらす。
 パッケージデザインは、商品とともに時代をも包装して後世に送り届けるタイムカプセルなのである。>


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第11回企画展 
クラブ化粧品のよそおい 展
~明治末期から大正・昭和のスキンケア・メイク~

期間: 2014年4月1日(火)~5月31日(土)
閉館日:日曜日・祝日、4月28日(月)、4月30日(水)
開館時間:AM9:30~PM17:00
入場無料

〒550-0005
大阪市西区西本町2-6-11 タイヨービル1階
株式会社クラブコスメチックス文化資料室
アクセス: 大阪市営地下鉄中央線阿波座駅1番出口すぐ

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by suzu02tadao | 2014-04-05 21:00 | Comments(1)