1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2014年 06月 ( 12 )   > この月の画像一覧

マスター化粧品「尚美堂」

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 前回に続いて「尚美堂」ですが、こちらはマスター化粧品です。
 以前に、私が1920-30年代のデザインに興味をもちだしたのは、クラブ化粧品のパッケージに出会ってからだと書いたことがありましたが、同じ頃に、やはり、私を魅了したのが、マスター化粧品のパッケージでした。

 パッケージに「東京美容研究所長 小口みち女史創製」とあるのですが、マスター化粧品は、戦前の著名な婦人運動家、美容家で、また歌人でもあった小口みち子(1883-1962)と、その夫で日活の映画脚本家だった小口忠(1880-1942)が始めたものです。

 小口みち子は、女性解放運動の先駆者として活動する中で、女性の自立は女性美の創造にあると信じ、美顔術技師(今日のエステティシャンのはしりですね…)となり、自ら美容室を経営すると共に化粧品の製造販売を行ったのだということです。

 さて、下図の「スタア自叙伝」は、尚美堂広告部が昭和11年1月18日に発行した、販促用の冊子(非売品)です。
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 内容は、当時人気絶頂であった、松竹歌劇の「男装の麗人・タアキイ」水の江瀧子と松竹映画の看板スター・田中絹代の簡単な自叙伝を中心に、松竹歌劇や宝塚歌劇や映画などの有名人、150人あまりの顔写真とプロフィールを載せています。

 私なぞは、NHKのかつての番組「ジェスチャー」での紅組のキャプテン「ターキーさん」しか知らないのですが・・・
 ちなみに、田中絹代と共演した林長二郎(後の長谷川一夫)や上原謙(加山雄三のお父さん)も載っています。

◇水の江瀧子
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◇田中絹代
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 下図のようなマスター化粧品の一般的な広告に交って、水の江瀧子と田中絹代のインタビュー記事風の広告も載せています。
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 なお、歌人としても活躍した小口みち子は、モダン・ガールが銀ブラを楽しんでいる情景を歌った、次のようなオッシャレ~な作品も残しています。

パウリスタのイルミネエションさがし
まねくあれさしまねく春の夜なりど

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by suzu02tadao | 2014-06-28 16:15 | Comments(0)

淀屋橋「尚美堂」

◇『尚美堂時報』1919(大正8)年9月号
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 1900(明治33)年の創業以来、淀屋橋にあって、記念品と贈答品を取り扱う「尚美堂」の大正時代のパンフレットです。
 表紙を飾る絵は、その当時流行のアールデコを代表するジョルジュ・バルビエのようです。

  「いいもだけを愛したい」「いいものだけをお薦めしたい」がポリシーということで、高級品が中心になっています。
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総白金製 ダイアモンドサファイヤ入 御首飾時計
金三千六百円


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小林照雲氏作「秋色飛禽の図」純銀製 花瓶一対
金五百円


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 裏表紙には、創業以来の店舗の図が載っていますが、この建物は昭和20年3月の大空襲で焼失したようです。
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「石原ビルディング」のすぐ近くの御堂筋に面した場所に店舗がありましたが、ついこの間から別の場所に移転しています。
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 この界隈、裏手に回るとなかなかレトロです。
 左側にあるのが「ミズノ」のビルです。
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 下の写真は、4年前にこの辺りをブラブラした時に、珍しい重厚な面格子に魅せられて撮影したものです。
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 現在、面格子はなくなっていました・・・
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 やはり、4年前に撮影した「史跡 淀屋小路」の説明板です。
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 これも現在はありません・・・
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by suzu02tadao | 2014-06-25 11:15 | Comments(0)

淀屋橋「美津濃」

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運動用品空前の値下断行
極東オリンピック大会記念
東京招待抽選大売出し(四月末日迄)


 「極東オリンピック大会」は極東選手権競技大会のことで、これは、1930年5月24日から5月31日まで、東京で行われた第9回大会に合わせたセールの時のもののようです。
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 スポーツ用品メーカーとしておなじみの「ミズノ」の創業は1906(明治39)年で、この当時のトレードマークも、なかなかシブいですね・・・
 ちなみに、社名表記が「美津濃」から今の「ミズノ」に変わったのは、1987(昭和62)年からだそうです。

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 淀屋橋南西角にある前回の「石原ビルディング」から「白洋舎」、そして「ミズノ」とまるでひとつの建物のように連なっていますが、それぞれは別々のビルで、しかも、「ミズノ」のビルができたのは、1927(昭和2)年と、この中では一番古いというわけです。
 当然のことながら、まだ、御堂筋ができる前のことで、手前に見える国の重要文化財に指定されている淀屋橋よりも古いということになります。

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 外観はリニューアルされているので、まったくレトロな感じはしませんね。

 館内でも各階の売場は新しくなっていますが、奥にある階段周りやエレベーターには竣工当時の面影が見られます・・・
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 隣のビルとのわずかなすき間を覗くと、ビルの側面に竣工当時のものと思われるスクラッチタイルが残っていました。
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◇竣工当時(まだ、建設途中に見えますが…)の「美津濃」
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by suzu02tadao | 2014-06-22 15:25 | Comments(0)

淀屋橋「石原ビルディング」

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 淀屋橋の南西角にあって、この辺りのランドマークにもなっている「石原ビルディング」。
 そんなに古いようには見えませんが、竣工は1939(昭和14)年ということで、外壁は1・2階が黒の石貼り、上階が白のタイル貼り仕上げになっていて、近くで見ると、やはり風格がありますね。
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 しかしながら、このビルの魅力はなんといってもインテリアです。
 木製ドアから中に入ると、大理石などをふんだんに使用した豪華な意匠となっています。
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 このエレベーターの階数表示板などは、とてもステキで、工芸作品と呼んでもいいくらいです!
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 地下への通用階段なのですが、壁面は贅沢なモザイクタイルを使っています。
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 ここも、人目に付きにくい場所なのですが、モザイクタイルです。
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 他にも、ちょっと探索してみると、天井に…こんな凝った装飾が・・・、空調のダクトで、えらいことになっていますが・・・
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 実はこの装飾があるのは、このビルの地下1階にある創業1946年の喫茶店「MJB」の入り口の天井部分です。

 私は学生時代、京都に居住していたので、その当時、淀屋橋は大阪の玄関口でもあって、「MJB」を待ち合わせ場所としても、よく利用したものでした。
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 最近はすっかりご無沙汰でしたが、久しぶりに来てみると、昔からほとんど変わらないインテリアが迎えてくれました。
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by suzu02tadao | 2014-06-19 18:00 | Comments(0)

瓢箪山「街角レトロ」

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 瓢箪山を通る東高野街道は、かつて京都から高野山への参詣道として用いられた街道ですが、もともとは古代の官道として建設された道路なのだそうです。
 さすがに歴史があるだけに、街道筋を中心に「昭和レトロ」な情景が残されていました。
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 スーパーに隣接する商店街。
 昭和40年代の雰囲気ですね・・・
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 住宅地の街道沿いには、こんなささやかなお堂がありました。
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by suzu02tadao | 2014-06-17 10:30 | Comments(0)

瓢箪山「辻占」

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< ずつと昔の話。
 この辺りは一帯に深い沼地で、ところどころに古い塚が残つてゐた。ある年凶年で、村の人たちは自分等の仕事に思い惑ひ、その頃から通じてゐたといふ高野街道に蹲つて、腕をこまぬいて考へてゐると、通りかゝつた巫女が梁等の将来を占つてくれた。巫女の占ひは、村の人たちを幸福にした。それから誰いふとなく、その塚に参詣して巫女の立つたといふ占場に行き、通行人の有様をみて、吉凶を卜するといふことが一ツの風習となつた。それが瓢箪山辻占ひのはじめである。>
(北尾鐐之助「瓢箪山」『近畿景観』第1巻より)

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 前回の東大阪市旭町庁舎の前の国道を南に歩いて行き、近鉄瓢箪山駅の踏切を渡るとすぐ近くにあるのが瓢箪山稲荷神社です。
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 古くから「淡路島かよう千鳥の河内ひょうたん山恋の辻占」と名調子で売り歩いた辻占の総本山で、日本三大稲荷の一つです。
 辻占は万葉集に出てくる夕占(ゆうけ)のことで、道行く人によって神意を占う、古代からもっともポピュラーだった占いのひとつなのだそうです。
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 幕末の頃から明治・大正時代にかけては、参道両側に、たくさんの旅館や茶店がならんで大いに繁盛したとのことで、今も境内は庶民信仰の根強さを物語る独特の雰囲気がただよっています。
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 神社本殿の背後にある小丘は、6世紀末ごろに作られた双円墳で、そのヒョウタンに似た形状から、この一帯の地名が「瓢箪山」と呼ばれるようになったということですが、今は竹が茂っていて・・・ヒョウタンには見えませんね…。
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 北尾鐐之助も故事に則り、辻占を試みますが、なかなかうまくいかなかったようです・・・
 < いつたい、昔の高野街道と、今とを比較するのは無理である。昔は、弘法大師も、この道を往復されたといふのだが、いまは多く電車が運んで、絡繹たる高野街道の通行人は、全く昔時の面影をなくしてゐる。駄目だなあとあるき出さうとする耳に、自動車の爆音である。柏原から香里に通ふ乗合自動車が、もうもうたる砂煙りをあげて、「うらば」も何もあらばこそ。
 最後の人・・・・・・自動車、白塗り、ラツパの音二声、乗客は七八人ゐたがよく解らず、埃をあびて見送る。>

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 かつての「占場(うらば)」だった一の鳥居前(現在の占場は別の場所に移されています)は、商店街のアーケードの入り口にあります。
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by suzu02tadao | 2014-06-16 14:00 | Comments(0)

東大阪市旭町庁舎(旧枚岡市庁舎)

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 生駒山の麓、旧枚岡市の市庁舎として、1964年に竣工したこの建物は、以前に紹介した塩野義製薬研究所と同じく、坂倉建築研究所(西澤文隆)の設計で、しかも、塔の家で名を馳せた東孝光も設計に携わるなど、関西のモダニズム建築の金字塔ともいえる作品です。

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 コンクリート打ち放しのダイナミックな造形、ブリーズソレイユやスチールサッシの均整のとれたプロポーションなど、ル・コルビジェの作品と同じ特徴を持ちながらも、どこか日本の伝統的な寺社建築を思わせる外観は独特で、圧倒的な存在感があります。

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 全体からディティールへと見ていくと、いろいろ楽しめる他、360度、どの角度から眺めても、見どころのある建物というものは、そうざらにあるものではありません・・・
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 実はこのようにスゴ~イ建物が、旭町行政サービスセンターや東保健センター、旭町図書館などの地元に密着した施設であるというのも、とてもいいと思うのです・・・
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by suzu02tadao | 2014-06-14 08:40 | Comments(0)

生駒の茶屋

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 < この生駒山の山腹の東側に、『生駒聖天』として名高い宝山寺がある。~(略)~
 その宝山寺にまいるために、生駒駅から宝山寺までケエブル・カアが出来た。そうして、ケエブル・カアができるとともに、そのケエブル・カアの停車場の横から、ケエブル・カアの通じる坂にそうた道に、アイマイな茶屋が十数軒あらわれ、そのアイマイ茶屋のために、アイマイ芸者が五十人ちかく集まって来た。
 直木が、「しずかな所」と称して、芥川と私を案内したのは、このケエブル・カアの停車場のちかくの、ちょっとした茶屋であった。>
(宇野浩二『芥川龍之介』より)


 以前に、宇野浩二が、大正9年11月末の早朝の京都を、直木三十五に連れられて、芥川龍之介や菊池寛などと共に歩いたことを紹介しましたが、その後、一行は大阪まで行き、中之島公会堂で講演会を終えた後、堀江の茶屋で宴会を行い、そのままそこに泊るのかと思いきや、直木三十五の案内で、更にそこから電車に乗って着いたところが生駒の茶屋だっというわけです。
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 このような茶屋は、むしろ宝山寺新地が中心だったようですが、近鉄生駒駅から生駒ケーブル鳥居駅に行く途中から続く宝山寺の参道沿いのあたりには、今でも昔をしのばせる面影が残っています。
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 ところで、宇野浩二は、この日の朝に京都の町を2時間近く歩かされたあげく、講演会と宴会とで、ヘトヘトになっていたため、床についてすぐに眠ってしまったということで、「ほんなら、花代いりまへん」と云われたようですが、翌日、講演会が終った後に堀江の茶屋で休んでいる時に、芥川龍之介には、生駒の芸者さんが、お菓子や果物の「おくり物」を届けにきたということです。
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 その日は、また京都に移動して宮川町の茶屋に泊ったわけですが、芥川龍之介については、そこでのエピソードのほうが有名なようです・・・
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by suzu02tadao | 2014-06-11 12:50 | Comments(0)

生駒山上所見

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 生駒山上遊園地にある「飛行塔」は、1929(昭和4)年に開園した時にできたもので、塔本体は国内に現存する遊戯施設では最も古いものだそうです。

 この飛行塔及び遊園地について、北尾鐐之助は開園と同じ年に発行された『近畿景観』(第1巻)の中で、<生駒山上所見>と題して次のように書いています。
 < ことしの夏頃になつて、私は、大阪の町から、この山の頂上に、大きな、一本の白い塔のやうなものが立つたのをみつけた。大阪から、東京に行く飛行機は、一直線に東に向つて、いつもまづこの山の頂上を越えて行くのである。私は、飛行家のM君に向つて、あれは何か、航空路の標識でも出来たのかとだづねた。
 誰に聞いても知らなかつた。ある日、新らしく頂上まで敷けたといふケーブルを登つて、私は三四年振りに山の頂上に来てみた。そして、その情景の一変したのに驚嘆した。~(略)~
 青々と生えてゐた草原は跡方もなくなつて、その辺一帯に、ごろごろした砂利が敷かれ、山はあちこち掘りかへされて、赤土の深い溝の中には、太い土管が横たはつてゐた。白い塔と見えたのは、六五〇米のこの山の上に、何のためかまた百二十尺の飛行塔とかいふものをつくつて、人をのせてぐるぐると回転させようといふのであつた。>


 すでにアルピニストとして『山岳巡礼』などの著書のあった北尾鐐之助は、古代より様々の歴史を持つ生駒山に幾度か登って、頂上のスロープの美しさを称賛していただけに、新しくできた遊園地については憤慨しています。
 < 関西の山々に敷かれた沢山のケーブルカーは、山の高みを、地上に引き下ろしてしまつた。そして、都会の雑音と、色彩と、臭気までも山の上に運んで、山といふ特種な自然景観を破壊し尽してしまつた。たゞ、地上に似たる高きところといふ感じを与へるのみとした。誰か山に登つて蓄音機の浪花節を聞かうとするものがあらう。誰か山に登つて、ブランコに乗り、遊動円木を試みようとするものがあらう。>
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 この遊園地は、その後、一時期は宙返りコースターなどの「絶叫マシン」を導入して人気を集めましたが、現在では、みんなが安心して遊べる遊園地になっていて、昭和レトロで、のどかな雰囲気が味わえます・・・
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 < 大阪市中の煙りは、みな横に右から左へ低く、大都会の上を這つた。約六五〇米の山の上から見つぶしたのでは、大阪市中は、殆ど、この煙幕の中に包まれて、高い建物だけが、わづかに、その中から頭をもたげてゐた。>
 山上からの眺めを、北尾鐐之助は上記のように記していましたが、私が訪れた時には、黄砂がひどくて、やはり、ほとんど何も見えませんでした。
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 ところで、遊園地の脇に気になる建物があったので、後で調べてみると、生駒山宇宙科学館(1969年/設計:吉阪隆正)の廃墟でした。
 大阪万博の頃に、新しいまちづくりの計画があったようです。
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 やはり、ル・コルビュジエの影響を強く感じますね・・・
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 また、昭和8年には、当時の大軌電車会社の依頼で、ブルーノ・タウトが「生駒山嶺小都市計画」の設計図を作成しています。
 タウトも、「飛行塔」を<イカモノ>と評して撤去するつもりだったようですが、この計画は実現されませんでした。

 さて、北尾鐐之助は次のように述べて、生駒山上を後にします。
 < 生駒は、おそらく再び昔の美しかつた生駒に返ることはないであらう。そして、私もまた、昔のやうに美しい夢を運んで、人生の休息に来ることも、おそらくないであらう。
 さらば生駒!。>


 現在では、ケーブルカーのデザインも、とてもユニークです。
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 これも<イカモノ>なんでしょうが、幼稚園児や小学生には大人気です!
 なぜか、<イカモノ>のほうが長く愛されるみたいですね・・・
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by suzu02tadao | 2014-06-10 12:30 | Comments(0)

「街角レトロ」 空堀かいわい

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 前回とりあげた空堀商店街の周辺は、当然、植木鉢だけでなく面格子など下町を語るのに欠かせないレトロ・アイテムの宝庫です。
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 15年くらい前に、この周辺が注目されだしたころには、このような光景はもっと数多く見かけたような気がします。
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 このハイカラな元銭湯はこのあたりのランドマークとも言えるもので、やはりいい雰囲気です。
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 下の2枚の写真は4年前に撮影したものですが、現在もあまり変わっていないようです。
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 このあたりをブラブラしていたら、窓が特徴的な大阪府社会福祉会館を見つけました。
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 いろいろ調べてみても、よく分からないのですが‥、
「いいビル」なのではないでしょうか・・・?
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by suzu02tadao | 2014-06-07 14:05 | Comments(0)