1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2014年 07月 ( 12 )   > この月の画像一覧

浪漫図案 -明治・大正・昭和の商業デザイン-

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平成26年7月19日(土)~8月31日(日)
会場:大阪くらしの今昔館 企画展示室

幕末から昭和初期の激動の時代は日本の伝統文化と西洋文化が融合し、独自の文化が形成されました。本展では活気あふれる時代の変貌を、身近な商業デザインから読み解きます。

 <そこに施された素晴らしい図案、グラフィックデザインは、絵画や工芸品のように、後世に残すために創作されたものではなく、当時の人々にリアルタイムに訴えて、商品自体を瞬間的に輝かせることが目的であったはずです。それだからこそ、時代の活力が凝縮されています。まさに「浪漫図案」といえるでしょう。>
(佐野宏明 「大阪くらしの今昔館news」より)

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 佐野宏明氏が20年に渡って収集されたコレクション約1300点ということで、なかなか入手することがむずかしい貴重なものも数多くあって、とても見ごたえがありました。
 20年前というと、私がこういったものに興味を持ったのも同じ頃でしたが、意欲も情熱も乏しい私は、時に白洲正子や青山二郎をひきあいに出しながら、私はコレクターではないなどとウソぶいていたのでありますが、以前に見た北原照久コレクションにも言えることで、やはり、ある程度、数量が揃わないと見えてこない時代の相というものもあるように思えます。

 とは言うものの、展示品の中には自分が所有しているものもいくつか散見され、帰宅してから、久しぶりに取り出してみると、展示されてないものもあったりして、それらをいろいろと眺めるのも、また楽しいもので…
 この際だから、いくつか紹介しておきます・・・
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by suzu02tadao | 2014-07-31 10:55 | Comments(0)

「芸術の都京都」本野精吾自邸

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 日本のモダニズム建築の先駆者、本野精吾(1882-1944)は、1922(大正11)年7月号『中央美術』の特集「都市生活の芸術研究」の中で、「芸術の都京都」と題して、ドイツのダルムシュタットの「マチルダの丘」を、将来の京都の目指す姿の参考例として紹介しています。
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 「マチルダの丘」は、ヨゼフ・オルブリッヒやペーター・ベーレンスらがそれぞれの自宅を設計して「芸術家村」を作り上げ、ユーゲントシュティールのメッカとなった地ですが、本野は1909年から約2年間、ヨーロッパ(主にベルリン)に留学した際、特にペーター・ベーレンスの建築に感銘したことが、モダニズム運動をはじめるきっかけとなりました。
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 本野が、日本におけるモダニズム建築の先駆になった、コンクリートブロック造の自邸を衣笠等持院に建てたのは、「芸術の都京都」を書いた2年後の1924(大正13)年ですが、その当時、この周辺は「絵描き村」と呼ばれ、またマキノ省三が等持院撮影所を開設したのもちょうどこの頃でした。
 まさにペーター・ベーレンスらに倣って、衣笠を「マチルダの丘」に見立てて、この自邸を建てたのではないかと思われます。
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 さて、以前からこのブログでも紹介しているように、今日ではあまり有名ではない作家が、1920-30年代にはとても人気のある作家だった例がありますが、「芸術の都京都」が掲載されている『中央美術』の中で、ドイツ表現主義を代表する画家としてカンディンスキーともう一人、マックス・ペヒシュタインが紹介されて、作品が載っていました。
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 マックス・ペヒシュタインは当時の日本では人気があったようで、杉浦非水も作品を愛蔵していたということです。
 ちょうど、本野精吾がベルリンに居たころは、ドイツ表現主義の黎明期だったわけですが、マックス・ペヒシュタインの牧歌的な作品には、合理性を追求した、いわゆるモダニズム建築とは別種の「本野精吾自邸」がもつ雰囲気と共通するものが感じられるのです・・・
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by suzu02tadao | 2014-07-28 11:00 | Comments(0)

衣笠絵描き村

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 大正末から昭和にかけて、「等持院撮影所」があった衣笠周辺は、日本画家を中心とした多くの画家が居住し制作活動を行っていたことから「絵描き村」と呼ばれていました。

 当時、この界隈は自然があふれており、とりわけ自然をモチーフとする日本画家に好まれたようで、そのうちの一人、堂本印象(1891-1975)が自ら設計・設立した「堂本印象美術館」があります。
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 外装から内装まですべてが印象自身のデザインによるものですが、大阪朝日ビルを設計した石川純一郎が設計に関わっています。
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 さて、この地が「絵描き村」と呼ばれるようになったのは、明治時代末から昭和時代前期に活躍した日本画家・木島櫻谷(1877-1938)が衣笠に引っ越したのを機に京都画壇の画家たちもこの地に移り住んだからなのですが、その先駆けとなった住居兼アトリエが、櫻谷文庫(おうこくぶんこ)として残されています。
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 母屋(和館)と収蔵庫および展示室(洋館)、それにアトリエ(画室)は国の登録有形文化財となっており、毎年、秋には一般公開されているようです。
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 その他にこの地に住んだ日本画家は、土田麦僊、金島桂華、山口華楊、村上華岳、菊池芳文、西村五雲、小野竹僑、宇田荻村、菊池契月、福田平八郎、徳岡神泉という豪華な顔ぶれです。また洋画家では黒田重太郎も住んでいました。

◇二条天皇香隆寺陵より衣笠山を望む
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by suzu02tadao | 2014-07-25 14:20 | Comments(0)

等持院撮影所

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 足利将軍家の菩提寺として有名な等持院ですが、この境内にマキノ省三が1921年に建設した京都唯一の寺内撮影所がありました。

 直木三十五の小説を、初めて映画化した作品『雲母阪』の撮影が行われたのもこの撮影所ですが、直木が旗揚げした「連合映画芸術家協会」の設立第一作、衣笠貞之助監督の『月形半平太』の撮影もここで行われました。

 撮影所は1933年には閉鎖され、現在、跡地には民家が立並んでいますが、等持院墓地の隅に「マキノ省三先生像」が建っています。
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 等持院のある周辺には龍安寺や仁和寺、妙心寺などの有名寺院が散在し、少し足を伸ばすと、金閣寺や嵐山もあって、四季を通じて人通りが絶えない地域ですが、等持院は表通りから少し奥まったところにあり、観光シーズンでも意外と拝観者が少ない穴場のようです。
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 特に一番奥まった所にある方丈や庭園は、全くの別世界で、隣接して撮影所があったとは信じられない雰囲気です。
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 ここの庭園は、夢窓国師の作庭と伝えられており、心字池や芙蓉池を中心とした回遊式の庭園で、植栽が見事に配置されています・・・
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 庭園上部には、足利尊氏没年百年忌の法要の時に、将軍義政が造った清蓮亭と名付けられた茶室があります。
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 ここで、義政は村田珠光や相阿弥と茶に興じたようです。
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by suzu02tadao | 2014-07-22 11:10 | Comments(0)

「マキノニュース」

◇1924(大正13)年6月15日~21日
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 数年前に、洒落た表紙が気に入って手に入れた「マキノニュース」。
 日本映画の父・マキノ省三が主催した映画会社のパンフレットですが、これには下図のように、プラトン社発行の雑誌『苦楽』(7月号)の広告が載っています。
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 1923(大正12)年、関東大震災で帰阪した直木三十五はプラトン社に入社して、『苦楽』の編集に当たり、また小説家としてもこの誌上でデビューを果たしました。
 『苦楽』は『女性』と共に、山六郎、山名文夫、岩田専太郎らを起用した華麗なデザインで一世を風靡し、いわゆる大正モダニズム、阪神間モダニズムの勃興に多大な影響を与えた雑誌でした。

 この広告にあるように、菊池寛、里見弴、小山内薫、長田幹彦、宇野浩二、岡本綺堂などの作品とともに、直木三十五(当時33歳、「直木三十三」名義)の作品『巌流島』も掲載されていたようですが、この「マキノニュース」はちょうど、この年の4月に『苦楽』に掲載された直木の小説『心中きらゝ坂』を、マキノ省三が『雲母阪』のタイトルで映画化して公開した頃のものです。

 この頃より以降、直木は映画に傾倒し、翌年の1925(大正14)年3月には、マキノ・プロダクションから撮影所を提供されて、奈良で映画製作プロダクション「連合映画芸術家協会」を旗揚げすることになります。


◇1926(大正15)年8月26日発行
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 この「マキノニュース」も冒頭のものと同時に手に入れたものです。

 直木三十五は「連合映画芸術家協会」の設立と同時に、マキノ家に居候するなど、マキノ省三に取り入って映画を連作したのですが、事業欲の強い直木は業界内で「映画ゴロ、作家ゴロ」「活動屋のブローカー」「義理知らず」と悪評にさらされていました。

 さて、上図で紹介されている映画『修羅八荒』の配役に、月形龍之介とマキノ輝子とありますが、この年に、月形龍之介は妻子ある身でありながら、マキノ省三の四女・マキノ輝子と不倫。駆け落ちをした挙句、一女を儲けています。
(なお、マキノ輝子はその後、四代目澤村國太郎と結婚、長門裕之・津川雅彦の兄弟を儲けています。)

 この駆け落ちの際に、直木が両者を取り持ったことからマキノ省三とは断絶。また事業の方もうまくいかず、結局は「キネマ界児戯に類す」という文章で映画界の排他性を批判して、直木は映画事業から撤退します。
 ちなみに月形は戦後、直木の『黄門廻国記』を映画化した『水戸黄門』(1957)に出演。月形の当たり役となり一世を風靡しました。
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 その後、再び上京した直木は作家業に専念し、代表作となった『南国太平記』などを書き、ベストセラー作家へと変身を遂げたのでした。

 ◆直木三十五と入江たか子
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by suzu02tadao | 2014-07-19 13:55 | Comments(0)

木津川飛行場 ~ 直木三十五

◇木津川渡船場
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 < 大阪には、飛行場らしい飛行場がない。大正十二年に設けられた木津川尻十万坪の飛行場は、餘に市の中心点に遠去かり過ぎてゐる。のみならず木津川運河を渡船で行くのは、今日の飛行場をして、あまりにも時代に遠いものにしてゐる。>
(北尾鐐之助「上空大阪」『近代大阪』より)

 今も残る木津川の渡船場の近くにあった木津川飛行場は、1929(昭和4)年には日本初の公共飛行場として、東京‐大阪‐福岡を結ぶ定期旅客便が開始され、「エアガール」(スチュワーデス/客室乗務員)第1号も、木津川飛行場から誕生したということです。
 市街地からの交通の便が悪いことなどもあって、1939(昭和14)年には閉鎖されましたが、新木津川大橋の3重ループの真下には木津川飛行場跡の石碑があります。
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 ダイナミックな3重ループと共に飛行場跡地周辺に広がる工場群は、松田優作の遺作として有名なアメリカ映画「ブラック レイン」のロケ地になった場所でもあって、圧倒的な迫力で見るものに迫ってきていました!
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 さて、この木津川飛行場を頻繁に利用していたのが、<私は、いつも、大阪へくる時、飛行機にしている。>と云い、<飛行機好きにて、旅客中、最多回数を搭乗し、レコード保持者たり。>とも書いている小説家・直木三十五です。

 直木も、<そして飛行機は木津川尻へ着くが、ここから大正橋までは退屈でもあるし、腹も立つし大阪軽蔑心も湧き出してくる。~(略)~尖端的な飛行機発着場への道として―― それは、道でなく、自然の土の上へ軌道を敷いただけのものである。>
 と…やはり、飛行場から市街地までの道路が整備されていないことを嘆いています。
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(左から)池谷信三郎、横光利一、直木三十五、菊池寛

 直木三十五(1891-1934)については、直木賞は有名なのに、本人は忘れられてしまった小説家ですが、エンターテインメント系の作品に与えられるこの賞そのままに、「七転八起」・・・まさに「ルーズヴェルト・ゲーム」を地で行く人生だったようです。
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 直木三十五の死の直後の、1934(昭和9)年4月に刊行された直木三十五全集(内容見本)の中で、横光利一は次のように書いています。

  <一人、他人(ひと)の回る事の出来ぬ遠方の路を迂回し、思ひがけない獲物を常にぶら下げて帰つて来た猟師、直木三十五氏は人々の語るよりもなほ多くの優れたところを持つてゐたにちがいないと思ふ。氏は苦しみを現はさず、諧謔の裏に生活と人道とを現したが、諧謔そのものの淋しさや寛大さは、氏の言葉の外の人物の深さから出て来てゐた。迂回を何人よりも恐れぬ氏の大胆さは、それを示して余りあることと思ふ。私はまだ全部の氏の作品を読んだことはないが、読めば何物が出て来るか。一番興味あるのは今はそのことである。>
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 <芸術は短く、貧乏は長し>―莫大な借金に追われながら、歴史小説からSF小説までマルチに手がけ、七百篇におよぶ小説・雑文を書き、悠然と人生を駆け抜けた直木三十五でしたが、映画の世界でも活躍しました。
 次回はその辺りについて紹介したいと思います…
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by suzu02tadao | 2014-07-16 11:40 | Comments(0)

モトコー!再び

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 前回の「メルカロード宇治川」の通りを南に行くと、ちょうどモトコー(元町高架通商店街)の6番街と7番街の間に出ます。
 以前紹介したモトコーは、どちらかというと元町駅近くの、ちょっとオシャレな感じの場所が多かったのですが、この辺りは本当にディープで、場末感が漂っていて、とてもアバンギャルドでもあります。
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 ほとんどシャッターが閉まったままの店舗の飾り付けと落書きとアートプロジェクトの作品などが、混然一体となった通りそのものが、現代美術のインスタレーションの会場のようで、展示されている商品はもちろん、たまに開いている店舗も作品の一部に見えてきてしまいます。
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 店舗の空きスペースですが、歴史を感じます!・・・レンガ萌えの私としては、たまりません…
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 モトコー【5】ファイブ・・・オシャレな響きですが、この辺りは、ほとんどゴーストタウンのようです。
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 天井裏から見たモトコー5です・・・なんか、スパイダーマンになったような気分になりますね…
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 振り返れば…モトコー4「花隈南4商店街」・・・
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 パソコンのキーボード・・・商品なのか?アート作品なのか?
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 モトコー3まで来ると、いきなりオッシャレ~になります!
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 でも、モトコー3のこの看板・・・大好きです!
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by suzu02tadao | 2014-07-14 08:00 | Comments(2)

花隈駅~「メルカロード宇治川」かいわい

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 兵庫県古書会館の古本市がある時に、いつも前を通りながら気になって、その都度、何度か撮影したのがこのアパート。
 いい雰囲気ですね・・・
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 有名なモダン寺の隣にある家も、なかなかレトロ・モダンです…
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 この辺りから通りを西に歩くと、昭和レトロな街並みが続きます・・・
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 神戸は、海岸通や栄町などのハイカラでレトロな街も、もちろん魅力的ですが、このような庶民的な街にある面格子も、なんとなくオシャレな感じで、いいですね…
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 こんな分離派風の家もありました。
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 雰囲気のある商店街「メルカロード宇治川」ですが、シャッターが閉まっている店が多かったですね・・・
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by suzu02tadao | 2014-07-11 13:30 | Comments(0)

昭和サバーバン・ライフ

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 以前にとりあげた瓢箪山のある東大阪市は、枚岡市、河内市、布施市が合併してできた市で、市役所は近鉄けいはんな線の荒本駅が最寄り駅ですが、私がよく利用する大阪府立中央図書館も市役所のすぐ隣にあります。

 図書館から真っ直ぐに北に向かい、機械団地を通過して更にブラブラと歩いて行くと、「新庄」辺りでは、都会と田舎が入り混じった、まさに「昭和サバーバン」と言える情景に出会うことができました・・・
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by suzu02tadao | 2014-07-10 10:55 | Comments(0)

都島「街角レトロ」

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 前回の「トヨクニハウス」があるのは、都島区でも中央部ですが、この辺りは明治時代以降に大阪市北部有数の産業地区になったということで、農村地域から工業地・住宅地・商業地の混在化した市街地に変貌を遂げた場所で、「トヨクニハウス」以外にも昭和レトロな情景を見ることができました。
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 地下鉄都島駅の近くには、こんな大衆食堂もありました。もちろん私はここで昼食をとりました。
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 かつて、喫茶チェーンとして大阪や神戸で展開していた昭和レトロな「アジアコーヒ」の最後の店も、数年前まではこの辺りにあったようです。
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 商店街にも昭和な風情が息づいていました。
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by suzu02tadao | 2014-07-07 11:05 | Comments(0)