1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2014年 08月 ( 12 )   > この月の画像一覧

KORAKUZA WEEKLY

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 1932(昭和7)年の新世界・公楽座の週刊プログラム「KORAKUZA WEEKLY」です。
 水着?の女性をあしらった、夏らしい大胆な構図が気に入って手に入れたのですが、これは春の週(3月23~3月29日)のものでした。

 以前にも紹介したとおり、この当時の公楽座は松竹の洋画の直営劇場になっていて、週刊プログラムも、タイトルが「KORAKUZA NEWS」となっている表紙は「松竹座ニュース」と同一のデザインなのですが、「KORAKUZA WEEKLY」はオリジナルのデザインで、上図のものには「AKI.」サインが入っていますが、山田伸吉をはじめ実力者が揃う松竹座とは別に、公楽座にもなかなかセンスのあるデザイナーがいたようです。

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 この号では、裏表紙にもあるように、ウォルター・ヒューストンとフィリップス・ホームスの主演、ハワード・ホークス監督のトーキー映画初期の傑作とされる『光に叛く者』の試写会の案内がメインとなっています。

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 新世界は、ジャンジャン横丁を中心とする庶民的な繁華街ですが、この当時は道頓堀と同じように流行の先端を行くオシャレな街でもあったということが分かります。

 ちょうど、この頃の道頓堀松竹座では、第7回「春のおどり ラッキー・セブン」が上演されていましたが、公楽座でも、<唄と踊りの華やかなる交響曲を奏で出ずる公楽座フォーリス>が上演されていたようです。
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by suzu02tadao | 2014-08-30 14:15 | Comments(0)

京風アール・デコとレトロ

 京都の市街地には、伝統的な寺社や町屋だけでなく、レトロなモダン建築もいろいろと残っています・・・
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 前回取り上げた「三島亭」の目と鼻の先にある「1928ビル」は、武田五一の設計で、1928(昭和3)年の竣工ですが、元は毎日新聞社の支局ビルでした。窓やバルコニーにある星形は社章に基づいたもので、京都のアール・デコ建築を代表するものです。
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 現在は、ギャラリー・レストラン・フリースペース(アートコンプレックス1928)などとして活用されていて、インテリアもいい雰囲気で、床のタイルがオシャレです。
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 これまた前回に触れた、ヴォーリズの設計で、1926(大正15)年築の「東華菜館」とは、鴨川をはさんで向かい岸に位置する、同じく1926(大正15)年築の「レストラン菊水」も、京都を代表するアール・デコ建築として有名ですね…
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 「レストラン菊水」のある四条通には、向い側に1929(昭和4)年築の南座がありますが、祇園にある旧村井銀行・祇園支店だったイタリア料理店「カーラ・ラガッツァ」も、1924(大正13)年築のなかなかシブいモダン建築です。
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 以前にも取り上げた「弥栄会館」ですが、お気に入りの後姿の一枚です。
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 ちょっとレトロな面格子(手すり)も一枚。
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by suzu02tadao | 2014-08-27 14:30 | Comments(0)

それでも私は行く

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 先斗町と書いて、ぽんと町と読むことは、京都に遊んだ人なら誰でも知っていよう。
 というフレーズで始まる織田作之助『それでも私は行く』では、その後に「鴨川小唄」が登場していました・・・

「君の家」の君勇は稽古に出掛けようとして、
「……通い馴れたる細路地を……」
 と、昔、はやったが今はもう時代おくれになってしまっている鴨川小唄の一節を、ふと口ずさみながら、屋形の玄関をガラリとあけて出た途端、
「あら――」
 と、立ちすくんだ。
 路地の奥から出て来た、まだうら若い美貌の学生の姿を見つけたのだ。
 帽子の白線は三本、桜の中に三の字のはいった徽章、先斗町の「桔梗家」から吉田の三高へ通っている梶鶴雄といえば、この界隈で誰ひとり知らぬ者はない。


 この後、「東華菜館」の前まで来た梶鶴雄は、サイコロの目で次の行動を決めて、四条河原町の方へ歩いて行くところから物語は進んでいきます・・・

 『それでも私は行く』は、1946(昭和21)年4月25日~7月25日、京都日日新聞夕刊に連載された小説で、織田作之助が亡くなる一年前、32歳の時の作品です。
 この作品、「可能性の文学」の試みの一つで、決して完成度の高いものではありませんが、オダサクが青春時代を過ごした京都を舞台に、しかも主人公の梶鶴雄に自らの青春の影を仮託し、彼自身にとって懐かしい思い出の場所を描いているため、戦後間もない京都の風俗、町の雰囲気などが、いきいきとした会話とともにリアルに表現されていて、発表当時は大変に好評だったというのもうなずけます。
 また、当時実在した地名や店、建物が出てくるのですが、けっこう今でも同じ場所に同じ店などがちゃんと残っていたりしています。

 鶴雄は三条通りの「三島亭」の横を寺町通りへ折れて行った。
「三島亭」は古い牛肉店で、戦争前は三高の学生たちがよくこの店でコンパを開いて、
「紅燃ゆる丘の花……」
 という校歌やデカンショ節をうたいながら、牛飲馬食した。当時は会費は一円か二円で済んだという。想えば昔なつかしい青春の豪華な夢であるが、しかし、鶴雄が学校へはいった時はもうコンパなぞ開こうと思っても開けず、「三島亭」のコンパも、鶴雄にとってはもはや想像も出来ない古めかしい伝説であった。

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◇「都をどり」1930(昭和5)年パンフレットより
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 ここのところ、神戸、大阪、京都と立て続けに古書市があって、懐がさびしかったにもかかわらず、「それでも私は行く」と、この作品に出てくる小説家の“小田策之助”(もちろんオダサク自身のことです)のように、下手な駄洒落を言いながら、下鴨にやってきた私は、やはり、作品に出てくる葵橋にも寄ってみたのでした。
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 葵橋から見た北山も風情があります。
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 さて、ここからは糺の森です・・・
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 ふと、見上げると…テントに落ち葉の影絵が・・・
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 下鴨といえば、森とテントと裸電球…ですね。
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by suzu02tadao | 2014-08-24 13:00 | Comments(0)

鴨川小唄

◇楽譜「鴨川小唄」表紙:1930(昭和5)年
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 久しぶりに、斎藤佳三が装幀デザインした楽譜「鴨川小唄」です。
 長田幹彦と中山晋平のゴールデン・コンビが手がけたこの歌は、今なお、先斗町で歌い継がれていますが、3番の「♪ 浮かれ浮かれて先斗町 通いなれたる細路地の~♪」がメインになっているようです。

1 宵の木屋町 月あかり
  床のすだれに ぼんぼりの
  風もなまめく 京なまり
  山は宵山の 火で燃える
  気つい気やないか どうどすえ
2 祇園囃子の にぎわいに
  四条三条は さんざめく
  水の川瀬に 夏の夜も
  浮名立つ瀬も かしましく
  気つい気やないか どうどすえ
3 浮かれ浮かれて 先斗町
  通いなれたる 細路地の
  かどの行き来も 酔い心地
  今日は祭りや 踊りまほ
  気つい気やないか どうどすえ
4 柳がくれの 月あかり
  橋のぎぼしに 風うけて
  露にぬれそな びんつきも
  無言まいりの 後ろ影
  気つい気やないか どうどすえ


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 この歌は、マキノ映画『木屋町夜話 鴨川小唄』の主題歌なのですが、この歌が生まれたいきさつがちょっと面白い・・・

 以前にも取りあげた日本映画の父・マキノ省三が逝去し、屋台骨を失ったプロダクションは苦境に立たされました。
 その起死回生のため、長田幹彦の小説を原作とする映画シリーズ『祇園小唄』が製作され、主題歌である有名な「♪ 月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に~♪」の「祇園小唄」が大ヒットしたのですが、ここで、先斗町の組合から、歌のタイトルは祇園だが、歌詞の中身は1番以外はほとんど先斗町ではないかと、クレームがつきました。

 そこで、マキノ映画では続編シリーズとして、監督の金森万象など同じスタッフで製作したのが『木屋町夜話 鴨川小唄』だったというわけです。

 現在、先斗町のお座敷では、「祇園小唄」を2番まで踊ったあと、「鴨川小唄」が続けて踊られているようです。

◇「都をどり」1930(昭和5)年パンフレットより
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 さて、一緒に手に入れた斎藤佳三が装幀デザインした楽譜をもうひとつ…
 二村定一のジャズ・ソングで、作詞・作曲も時雨音羽と佐々紅華のコンビということで、「浪花小唄」と同じですね。

◇楽譜「ほがらかネ」表紙:1929(昭和4)年
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 それにしても斎藤センセイのデザインは、どこかで大正浪漫を引きずっているようで垢ぬけなくて…そこがまたノスタルジックとも言えますね。

【参考】
ミス・ニッポンの歌
都会交響楽
新東京行進曲
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by suzu02tadao | 2014-08-21 15:30 | Comments(0)

すわ公園交流館 ~ 四日市駅

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 すわ公園交流館は、 四日市市街地の中心に位置する諏訪公園の中にあって、こどもの家(児童館)として市民に親しまれている施設ですが、元々は四日市を代表する実業家・熊澤一衛が、図書2,000冊と共に市に寄贈した図書館でした。
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 建物が竣工したのは昭和4年で、国の登録有形文化財になっています。
 ちょっと分かりにくいですが、正面2階にある本の形のレリーフには、起工の年である昭和3年=皇紀2588年を示す数字が刻まれており、また、熊澤一衛の雅号「月台」に由来する「モチをつくうさぎ」のレリーフもあり、いろいろと遊び心ある装飾が施されています。
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 右側の2階バルコニーの下には、ロダンに師事した彫刻家・藤川勇造(1883-1935)の作品「小児像の噴水」があります。
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 私が訪れた時は、ちょうど「大四日市まつり」の準備中でした。
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 すわ公園交流館がある近鉄四日市駅周辺は、県下でも有数の商店街なのですが、街角で「大四日市まつり」のシンボル「大入道」のからくり人形に出会いました。
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 近鉄四日市駅からJRの四日市駅まで、南北に繋ぐ道路はとても幅が広く、中央分離帯は公園のようになっています。
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 JRの四日市駅の駅舎は、1960(昭和35)年築の大きく立派なものですが、近鉄四日市駅に比べると利用客はあまり多くなく、広い駅前はがらんとしています。
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 駅舎に入ったところです。2階には昔、レストランがあったようですが,大分前から閉鎖されています。
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 以前には待合室だった場所は、レンタサイクルのスペースになっています。
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 不要になったプレートガーター橋が使用されている跨線橋の通路です。
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 古レールが再利用されていて、いい雰囲気です。
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by suzu02tadao | 2014-08-18 13:45 | Comments(0)

富田浜駅

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 網勘製網の最寄駅となるJR富田浜駅の現在の駅舎ができたのは、1953(昭和28)年ですが、その当時は富田浜海水浴場があって、海水浴シーズンになると臨時列車も増発されていました。
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 今では、ほとんど乗降客も無く、寂れた無人駅になっています。
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 富田浜海水浴場は1907(明治40)年に開設されましたが、富田浜駅から300mほどのところにあって、水が綺麗で、白砂青松など天然の好条件の環境に恵まれ、療養所も兼ねた旅館や別荘が立ち並び、海岸までの通りは、観光客の流れが途切れることなく、みやげ物屋や商店がとても賑わっていたということです。
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 戦後、四日市コンビナートが誘致されると、水質汚染等で海水浴ができなくなり、1961(昭和36)年に富田浜海水浴場は閉鎖となりました。
 そして、富田浜駅も1970(昭和45)年からは無人駅になっています。
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 現在、富田浜沖には、四日市港ポートビルと物流センターなどの国際港が埋め立てられて建設されています。
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 この辺りから、西側には「工場萌え」の「聖地」と称される四日市コンビナートが続いています。
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by suzu02tadao | 2014-08-16 08:25 | Comments(0)

網勘製網

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 前回紹介した東洋紡績富田工場があった四日市市富田地区は、漁業に使用する漁網作りの製網が江戸時代から盛んで、かつては漁網の生産出荷額日本一を誇っていたようですが、この地の最古の老舗企業が1794年(寛政6年)創業の網勘製網(現:アミカン)です。
 昭和初期に完成した本社事務所は、木骨タイル張りの2階建塔屋付きの建物で、瓦屋根の木造建築が多いこの地区では、モダンな洋風の建物として異彩を放っています。
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 褐色の木枠の窓、灰と茶色のタイルの対比が特徴的ですが、丸みを帯びた角に取り付けられた窓がアクセントになっています。
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 なお、本社事務所と共に、正門・煉瓦塀も国の登録有形文化財に指定されており、南北に延びる総延長45mの重厚な煉瓦塀は風格があります。
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by suzu02tadao | 2014-08-15 17:07 | Comments(0)

四日市大博覧会 ~ 旧東洋紡績富田工場

◇国産振興 四日市大博覧会(絵葉書)
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 「国産振興 四日市大博覧会」は、1936(昭和11)年3月25日から5月13日までの50日間、四日市港施設完成の記念事業として、国産振興・輸出の進展を目指して行われたもので、入場者数は当初予想の40万人を大きく上回り、約120万人超の大盛況だったということです。
 以前に紹介した「輝く日本大博覧会」も、ちょうど同じ時期に開催されていますが、前年に輸出額が急進し、躍進を遂げた当時の日本を象徴するようなイベントだったことが分かります。

◇博覧会の模様
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 四日市は明治以降、日本の近代化の歩みとともに四日市港を中心に、三重県下最大の商工業都市に発展しました。
 そのなかでも、四日市発祥の十代目伊藤伝七創設の三重紡績を前身とする東洋紡績(現:東洋紡)の富田工場は、昭和期には最大規模を誇りましたが、今では往時の面影を残しているのは、原綿倉庫のみとなっています。
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 原綿倉庫は、1919(大正8)年の建設で、国の登録有形文化財に指定されています。
 5棟が連続に並ぶ倉庫の道路側の壁面には順番にアラビア数字で番号が書かれていましたが、痕跡がわずかに残っています。
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 原綿倉庫の建物は改装されて、ショッピングセンターのイオンモール四日市北の一角として、飲食店等になっています。
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 看板が…もう少し、オシャレなものにならないものでしょうか・・・
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by suzu02tadao | 2014-08-12 19:10 | Comments(0)

旧大林組本店

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 前回紹介した「都をどり」(昭和11年)のパンフレットには、「弥栄会館」の設計・施工を行った大林組の本店の写真入りの広告が載っていました。

 この建物は現在では主にフランス料理店になっていますが、外観は、1926(大正15)年竣工当時のままです。
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 建物の設計は社内コンペによって設計部員であった平松英彦の作品が選ばれました。
 当時、アメリカで流行していたスパニッシュ・スタイルの影響をみてとることができますが、外装全体をタイルで仕上げ、随所に意匠を凝らした装飾彫刻を配置するという手法は、木村得三郎の作品とも共通しています。
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 細部の装飾に目を向けると、上方部の両端にテラコッタの円形レリーフを掲げ、<ANNO DOMINI MCMXXVI> ラテン語で紀元1926年と竣工の年次を刻んでいます。
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 三連のアーチ風の意匠で正面中央の各階の窓を囲いこみ、随所に紋章風の意匠を配置しています。
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 中央入り口では左右の鷲が来訪者を出迎えてくれています。
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 インテリアの装飾にも、さまざまなモチーフが採択されていて、エレベーター上部には、花と人面の鳥をかたどったアールデコ風の装飾がありました。
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 3階にある大林組歴史館には、旧ダイビルで使用されていた装飾のテラコッタタイルが展示されてました。
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by suzu02tadao | 2014-08-09 15:45 | Comments(0)

京都祇園「弥栄会館」

THE MIYAKO ODORI or CHERRY DANCE
For 1936.
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 すでにこの当時には、「チェリーダンス」として世界的に知られていた「都をどり」の第六十九回(昭和11年)のパンフレットでは、説明の一部が英語でも表記されています。
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 さて、このパンフの中で、
<当祇園新地甲部歌舞練場前に目下新築工事中の大会館は昨秋起工しましたが本年十月竣工の予定であります。
建築の概要は鉄骨鉄筋コンクリート五階建、外に地階、塔屋付、その外部は化粧タイル貼、屋根は日本瓦本葺、尚内部はエレベーター、講堂、舞台、観覧席、映写室、食堂、喫煙室、事務室等数十室に区別され、在来の歌舞練場に接続し得らるゝのであります。>

と紹介されているのが「弥栄(やさか)会館」なのですが、やはり、前回の「先斗町歌舞練場」同様に木村得三郎の設計、大林組が施工したもので、国の登録有形文化財に指定されています。
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 パンフの説明にあるとおり、1936(昭和11)年に竣工した鉄筋コンクリート造の近代建築ですが、姫路城や西本願寺飛雲閣をモデルにしたと言われており、城郭風のデザインになっています。
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 やはり、細部の装飾は凝っていて、よく見ると洋風な意匠が取り入れられてます。
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 このように鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根を載せた建物は、以前には「帝冠様式」と呼ばれて、モダニズム建築に対抗するものとしてとらえられていたのですが、「弥栄会館」の場合は隣接する祇園甲部歌舞練場との関係からこのようなデザインになったようで、絶妙の取り合わせでうまく調和しています。
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 私が「都をどり」を観たのは、20年ほど前になりますが、周囲にいたほとんどの外国人観光客と同様に、演目の内容など、パンフの解説を読まないとまったく理解できないありさまで、古典に対する教養の無さを痛感したことを思い出します。
 それはともかく、こういった和風のデザインは外国人観光客には人気があるようで、まさにインターナショナルと言っていいのではないでしょうか。
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 一応、「弥栄会館」を裏側からもパチリ…、こちらの方が近代建築らしいですね・・・
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by suzu02tadao | 2014-08-06 14:00 | Comments(0)