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<   2014年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧

和歌山じゃんじゃん横丁【 JanJan Alley 】

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 和歌山市の中心部、和歌山城から10分ほど歩いたところに「じゃんじゃん横丁」があります。

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 大阪新世界のジャンジャン横丁にならい、活気ある繁華街をめざして、1955(昭和30)年に立ち上げたこの街には、かつて「八光ミュージック」という大人の劇場もあって、昭和50年代までは賑わっていたのですが、その後は劇場もなくなり、寂れてしまったということです。

 しかし、近年になって地元の若者を中心に、開業時に建てられた鉄筋コンクリートの建物の壁をペイントするなど改装してユニークな店を次々と開いて、お洒落な街に生まれ変わったのでした。
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 今では、大阪新世界ジャンジャン横丁よりも、大阪アメリカ村に近い雰囲気になっています。
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 さっそく、建物の中ほどにある自家焙煎の珈琲店「もくれん」に入ってみました。
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 店内には若い人ばかりではなく、子供連れの主婦やお年寄もいて、気軽に寄れる近所の憩いの場といった雰囲気でした。
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 2階もあって、時々イベントやコンサートの会場としても使われているようです。
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 窓から見える路地裏もお洒落でした…
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 以前にも紹介したように、なぜか和歌山にはアメリカン・テイストが似合いますね…
 と思って、通りの入口の看板をもう一度よく見ると…
 「JanJan Alley」となっているではありませんか!
 納得ですね…
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by suzu02tadao | 2014-11-28 11:30 | Comments(0)

秋陽燦々

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 秋といえば、やはり紅葉ですね…
 この三連休の間、各地の紅葉の名所には数多くの人々が押し寄せたようです。
 でも、この季節、それほど遠出をしなくても、普段の生活の中でも紅葉を楽しめるものです…
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 木々の葉は色づくと、異次元の世界へと誘います
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 そこは、キラキラと照り映える万華鏡の世界
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 光と影のゆらめき…
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 気がつくと…
 普段見慣れたビル街も非日常空間になっています
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 散りゆく前の最期の輝き…
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by suzu02tadao | 2014-11-26 08:30 | Comments(0)

流行の尖端(トップ)1930年【2】

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 流行の尖端(トップ)、第二弾は前回と同じく、1930(昭和5)年の雑誌『主婦の友』5月号の広告に登場していた「モダン婦人」です。

 やはり、腕時計や香水・化粧品はその当時、洋装の「モダン婦人」を象徴するものでした。
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 デパートでの買い物、そして鉄道旅行・・・流行の尖端(トップ)を行くあこがれのライフスタイルでした。
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 森永ミルクチョコレート…この当時は高級品でした!
 パッケージの英文ロゴは今も変わっていないようです。
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 なんといっても面白いのが、フォードの広告。
 軽快な洋装で高級外車に乗ってドライブを楽しむ「昭和婦人の誇」の行き着く先が・・・一人寂しく釣りをする・・・
 シュール!ですね…
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 もう一つ…
 このエデン化粧品の「モダン婦人」の表情…怪奇小説の挿絵みたいで・・・なんか、怖いんですけれど・・・
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 怪奇小説といえば、この雑誌に載っている三上於菟吉の『銀座事件』も竹中英太郎の挿絵と相まっておどろおどろしいことこの上なく、この怪しさが流行の尖端(トップ)!だったのかもしれません…?
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by suzu02tadao | 2014-11-23 16:25 | Comments(0)

流行の尖端(トップ)1930年【1】

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 1930(昭和5)年の雑誌『主婦の友』5月号の特集<初夏の流行洋装>のモダンガール…ではなく「モダン婦人」です。
 < グリーン色ウールジョーゼットのアフターヌーンドレスにコートを羽織った清楚な流行のスタイル >と紹介しています。

 そして、他にも・・・
【右】 ワンピースドレスの上に、赤地に金糸を配したメタルジャージに、ドレスと共布の縁をとったハーフコートを羽織った斬新なスポーツスタイル。
【左】グリーン色ウールジョーゼットのすっきりとしたアフターヌーンドレス。身体にぴったりとついたのが最新の流行型です。

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 この当時、主婦はまだまだ和装が主流でした。
 < モデルは、尖端的職業婦人として最も人気のある、日本マネキンクラブと東京マネキンクラブのメンバーの方々です >とありますが、今日から見ると、あまりあか抜けていませんね・・・
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 こちらは、その当時の世界の代表的トップガール、アメリカの双子の新進人気女優です。
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 やはり、ポーズが決まってますね…
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by suzu02tadao | 2014-11-22 15:30 | Comments(0)

旧国立神戸移民収容所

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 異人館のある北野町を西側に少し歩いた場所にあるこの建物の外観は、それほど特徴のあるものではありませんが、設計したのは関西で活躍した建築家で、公共建築物を多く手がけた置塩章(おしお あきら 1881-1968)です。

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 1928(昭和3)年に、南アメリカへの移住者が渡航前の研修や準備を行う国立移民収容所としてスタートしたこの施設は、今では「海外移住と文化の交流センター」になっています。

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 全体的にはシンプルなモダン建築なのですが、巨大な柱に支えられた玄関ポーチの装飾だけが、鶏のとさかのようなユニークなデザインになっていて、こういうところは、けっこう私好みです…

 そして、一番驚いたのが玄関を入った正面から最上階の5階まで続いているメイン階段です。
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 なんと!階段周りだけが、他とは異質なアールヌーボー、はたまたガウディの世界になっているではありませんか!
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 この階段を見られただけでも長い坂道を上って、テクテク歩いてきたかいがあったというものです…♪

 さて、この施設は移住ミュージアムになっていて、建物が建設された当時の神戸の街並みや海外移住の歴史、移住先への道のりや暮らしを当時の写真や映像などで紹介しています。
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 内部のほとんどが収容室であったようで、当時のベッドが設置されていた部屋が再現されていました。
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 移民船の内部に似せて作られたインテリア・デザインもなかなかいい雰囲気でした。
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 ところで、私がこの建物の存在を知ったのは、『勝手に関西世界遺産』(2006年9月30日発行)の一つとして、木下直之さんが取り上げていたからなのですが、その当時はまだこの建物の保存を国に働きかけている最中で、次のように書かれていたのが印象的でした。

 「異人館」でもなければ、とりたてて優れた建物でもない。しかし、昭和の思い出だけはたっぷりと詰まっている。
 こんな建物を大切に残していくことが町を豊かにするに違いない。


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 つけ加えると、この本の中では、今では西日本でも有数の観光地になっている「竹田城」も取り上げていますが、当時はほとんど知られておらず、マチュピチュに例えながら<大きく出すぎ?>と謙遜しているところが、なんとも微笑ましくもあります…
 あまり有名になり過ぎるのも問題ですね…
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by suzu02tadao | 2014-11-19 11:30 | Comments(0)

巴里から「ふる里」へ… <正宗得三郎>

「リュクサンブール公園の秋」1922(大正11)年
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「セーヌ河の夕涼み」1923(大正12)年
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 大正時代には多くの日本人の洋画家が、パリを中心に欧州に留学しました。
 正宗得三郎(1883-1962)は小説家の正宗白鳥の弟で、大正3年から5年と大正10年から13年の2度、フランスに渡り、この時にはアンリ・マティスに学んでおり、滞欧時の作品はパリの風景を明るい色調で描いたものが中心となっています。

 大正14年に正宗得三郎が著した『マチス』(アルス美術叢書)の序文では次のように書いています。
 < 現代仏蘭西の画壇の中で、アンリイ・マチスは古今の名家と共に光輝を放つ者と思ふ。
 マチスの芸術は印象派以後、混乱せる画界の中に古典の美と新芸術の意義とを開拓し、彼特有の自由と、優美さを連袂し発揮せんとしつつある作家である。マチスは今尚美の豊饒を得んと研究し、倦む事を知らないものである。>

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 この本は、マティスの作品紹介と簡単な評伝及び正宗得三郎の友人で同じくフランスに留学していた有島生馬や山下新太郎などからの、マティスに関するエピソードをまとめたものが中心になっており、東京美術学校で青木繁や熊谷守一らと同期だった山下新太郎が、かつて黒田清輝も師事したラファエル・コランのところで、つい口をすべらして、マティスはうまいと誉めたら、コランは怒って、マティスは才気はあるのだが、あれは山師だと言っていたという話なども載っていて、なかなか面白い内容になっています。

 そして、正宗得三郎は滞欧時の経験を活かして、保守的な文展に反旗を翻した二科会の会員となって活躍したのでした。

 さて、下図は先日の知恩寺の均一台で拾った正宗得三郎著の『ふる里』(昭和18年12月20日発行)です。
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 < 余はその当時仏国巴里に憧憬すると謂へども巴里既に廃都の相貌を呈するを感じ、ギリシャ、伊太利の文化の爛熟後を想はするものあり。~(略)~
 余の心の古里は十九世紀に興りし芸術と又近くは印象派に共鳴せるものにしてその以後の芸術は廃都にはびこりし芳草にひとしく味ひ甘味あれども、すこぶる不健全なり、余は今日興りし世界大戦争を観、余の信ぜし仏国の生存力の乏しき事を痛感すると共に、文芸に於ても十九世紀末以後を以て頽廃の芸術と見做す感切なり~(略)~
 余の心は再びふる里、国土を想ひ、東洋を想ふ事深し、~(略)~この小著に題しては以てふる里とせるもその心なり。>

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 明治以降、西欧に学んだ多くの文化人と同じように、正宗得三郎も結局は日本の伝統文化に回帰して行ったというわけです。
 この本の中でも、良寛をはじめ竹田、蕪村、仙厓などを取り上げています…

「国上山」(良寛が住んでいたことで有名な山)
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 そして、晩年は富岡鉄斎の研究に力を注ぎました。

◇「甌北清夏図」富岡鉄斎筆
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by suzu02tadao | 2014-11-17 09:00 | Comments(0)

アーチの宴 <兵庫県公館>

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 アーチ窓から差し込む木漏れ日が心地いいですね・・・

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 アーチ窓をはじめ回廊やエントランスなどの優雅なアーチが特徴的な兵庫県公館。
 設計した山口半六(1858-1900)は、フランスの国立パリ中央工芸学校 (École Centrale Paris) を卒業した明治時代を代表する建築家で、1902(明治35)年に兵庫県本庁舎として建てられた当時、フランス・ルネサンス様式の建造物としては、規模・壮麗さ、ともに日本一の名声を博したということです。
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 今回も前回の続きのようなもので…神戸の街をブラブラ歩いていると、いきなり、このような立派なレトロ建築に遭遇することがあって、うれしくなってしまいます。
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 この兵庫県公館は迎賓館と県政資料館になっていて、迎賓館(知事室、貴賓室など)は毎週土曜日、県政資料館は月曜日~土曜日に一般公開しており、しかも入場無料というのもうれしいのです…
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【追記】

 兵庫県公館を調べていくうちに、設計者の山口半六については、『明治東京畸人傳』(森まゆみ著)にも取り上げられるなど、なかなか興味をそそられる人物であることが分かりました。
 なお、兵庫県公館は山口半六の「最良かつ最終の作品」とも言われていますが、その竣工を見ることなく42歳で亡くなっています。
 山口半六の略歴は以下の通りです。
-*-*-*-*-*-*-*-
 明治期に文部省で活躍した建築家。島根県松江に生まれる。文部省派遣留学生として渡仏し、明治12年、国立パリ中央工芸学校を卒業。帰国後、同18年に文部省に入り、肺病のため同25年辞職するまで新学制により大量に必要となった学校建築の設計に努める。主な仕事として、旧制の一高から五高までの校舎や東京音楽学校校舎などがある。辞職後は関西で活躍した。フランス仕込みの作風は、辰野金吾などのイギリス系が主流であった当時の日本の建築界では異色な存在であった。また、明治30年に大阪市から都市計画を委嘱され、日本人の近代都市計画家の先駆者としても知られる。
-*-*-*-*-*-*-*-

 参考までに、以前に撮影した旧東京音楽学校奏楽堂(1890年)の写真です。
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by suzu02tadao | 2014-11-14 10:30 | Comments(0)

装飾の快楽 <神戸編>

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 神戸旧居留地海岸通は近代建築のメッカとも言われ、この通りを歩くだけで、外国に来ているような気分が味わえますが、このチャータードビル越しに神港ビルの美しいアール・デコの塔屋が見える風景も私のお気に入りの一つです。
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 チャータードビルの外観は一見すると地味な印象ですが、さすがに元は銀行だっただけに立派なイオニア式列柱もあり、また必要最小限の装飾が要所を締めていて、なかなかのセンスの良さが感じられます。
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 見事な装飾と言えば、この辺りのランドマークにもなっている、アメリカルネサンス様式で、全体的に曲線を強調したデザインの商船三井ビルですね…
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 商船三井ビルの隣にある海岸ビルは、元々は1918年の竣工で、古典様式建築の細部を幾何学的な直線基調に簡略化した「現代式」なる意匠と言われていますが、私なぞには、何か城郭のような和風のデザインにも見えてしまうのですが…
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 子供服のアパレルメーカーのファミリアが所有するファミリアホールですが、元は旧三菱銀行神戸支店でルネサンス様式の歴史的建造物です。
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 元々はアメリカ領事館だったコロニアルスタイルの旧居留地十五番館。今では唯一現存する居留地時代(1868年~1899年)の建築物です。
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 さて、装飾といえば歴史的な建造物ばかりでなく、やはり、神戸らしいオシャレな面格子も少々…
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 ここからは番外編として…
 神戸は、アンティーク・ショップの店先でも、デコラティブな品揃えが似合いますね。
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 神戸らしい?街角オブジェも少々…
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by suzu02tadao | 2014-11-13 11:25 | Comments(0)

「仏蘭西風景」アンドレ・ロート

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 芸術の秋ですね…

 アンドレ・ロート作の「仏蘭西風景」は1925(大正14)年の第12回二科美術展に出品されたもので、その年の『中央美術』10月号の中では、かつてロートに師事したことがある黒田重太郎が次のような批評をしています。

 <「仏蘭西風景」は私の滞巴中、彼のアトリエで見た覚えがあるから、恐らく最近のものではあるまい。しかしそれにも拘らず、この一幀は私が見た彼の風景画中、最もすぐれた一つであるのを断言できると思ふ。
 荘重な構図と、沈着な実施は、プツサンやクロオド・ロオランに対する彼の傾倒をよく物語るものである。事実、彼程その祖国の伝統により深い愛着を示してゐるものはあるまい。芸術の民族的特質により聡明な判断を有してゐるものはあるまい。>

 と賛辞を惜しまない批評となっていて、また鍋井克之も次のように語っています。

 < ロートもあの色彩は好ましく思わないが、局部のところどころは日本人ではあゝは行かぬと感服する。
 例へば牛が二三匹せなかをつつきあつて居るところとか、豚が一匹ひょろひょろと出て居るところとかは、うまいものであらう。>

 ところが、萬鉄五郎は辛らつに批評しています。

 < ロートは木ッ葉武者だ。もともと素質の庸劣な人である。表面の理屈でこね回してゐるに過ぎない。本質から来るものは凡庸だ。>

 棟方志功が尊敬して止まなかった根源的で泥臭い表現を目指した萬鉄五郎の目には、エスプリを効かせた都会人のロートの作品がこのように見えたとしても不思議ではなく、納得できるような気もします。
 そしてまた、その当時の日本の洋画家が西欧から学びながらも、何でもかんでも盲目的に受け入れていたわけではなかったという事も分かりますね…

 なお、アンドレ・ロートについては以前にも少しふれたように、今日の日本ではほとんど忘れられた画家となっていますが、当時の日本の画家には人気があり、前年の第11回二科美術展にも、同じく「仏蘭西風景」の題名で、同じようなテーマの作品を出品しています。
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 また、「フットボール」は第12回二科美術展と同時開催された仏蘭西現代絵画展に出品されたロートの作品ですが、このようにモダンで軽快なところにも、写実的なキュビスムであるロートの特徴がよく表れているように思えます。
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 この作品を見ると、1920~30年代のモダン・スタイルを華麗に描いたタマラ・ド・レンピッカや一瞬の光景を的確な構図でとらえた写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンがロートに師事したことが分かるような気がします。
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 さて、参考までに…この第12回二科美術展には小出楢重「地球儀のある静物」も出品されていました。
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 こちらについては、萬鉄五郎は絶賛しています…

 < 小出楢重君は五点の出品を持つてゐる。「地球儀のある静物」はいゝと思ふ。洗練された筆技と黒系統の色彩を巧みに駆使し一種爽快の味を出して居る。>

 なお、この時は第二回三科展も開催されていて、村山知義の「三科展の弁」が掲載されていたのも同じ『中央美術』10月号だったんですね…

 さらにつけ加えると…この時期、花のパリではあのアール・デコ博覧会が開催されていたのでした!
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 熱い熱い芸術の秋だったようです…
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by suzu02tadao | 2014-11-10 11:20 | Comments(0)

装飾の快楽 <大阪市中央公会堂>

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 前回は街角のオブジェということで、これらについては観る者が勝手に想像力を働かせてイメージをふくらませることが楽しいわけですが、いわゆる様式建築の装飾には、設計者をはじめその建物に関わった人々のメッセージが込められていて、そこにある意味や気持ちといったものを読み取ることも、なかなか楽しいものです。

 大阪を代表する様式建築である大阪市中央公会堂の正面の大アーチの屋根には、創建当時の人々が大阪の発展に願いをこめた、商業の神「メルキュール」と、科学と平和の女神「ミネルバ」の像があります。
 これらの神像は戦時の金属供出で長い間失われていましたが、保存・再生工事の際に復元されました。
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 この建物の装飾についての見どころといえば、館内にある天井画・壁画やステンドグラスなどの方が有名ですが、外観も子細に見ていくといろいろと楽しめます。

 正面玄関の外灯の柱にあるライオンの装飾もなかなか秀逸です。
 百獣の王ライオンはメソポタミアやエジプトの古代より守護獣として扱われていたそうです。
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 ネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持ち、細部にはウィーン分離派様式も取り入れられていて、まさに様式の大饗宴といった趣ですね。
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 ひとつひとつを見ると、凝りに凝った意匠がされており、それぞれが別の様式のようにも感じられますが、組み合わせると不思議と調和していますね…
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 赤レンガと白い御影石で構成されたバロック調の堅牢な雰囲気の中で、庇の装飾がけっこうチャーミングなところが私は好きです。
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 館内では、あまり目立ちませんが階段周りもなかなか凝っています…
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 さて、昔から中之島公会堂と呼ばれて大阪市民に親しまれてきた大阪市中央公会堂ですが、集会施設としてコンサートやオペラ、各種の講演会が催されてきており、アインシュタインやヘレン・ケラーなどの歴史的人物の講演も行われていたようです。
 大正9年11月末に、直木三十五をはじめ、宇野浩二、芥川龍之介、菊池寛などの小説家が中之島公会堂で講演会を行ったことは以前にもふれましたが、直木三十五は亡くなる一年前の昭和8年4月26日にも講演会を行っています。
 下図はその時のもので、その下は直木の最後の小説作品「私」の原稿です。
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by suzu02tadao | 2014-11-07 17:10 | Comments(0)