1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2015年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧

前衛映画を語る<1930年>…2

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 ジェルメーヌ・デュラック『貝殻と僧侶』(1928年)は、アントナン・アルトーの脚本をもとにつくられたもので、有名な『アンダルシアの犬』(1929年)よりも早く公開された「最初のシュルレアリスム映画」と言われています。

〈 これは異彩ある存在である。
 だから――茶化して云へば、とてつもなくオカしい。(事実、映写中は唯わけもなく笑はざるを得なかつた。)真面目に云へば、解らないのである。〉

 というように大黒東洋士は評していますが…
 佐藤龍夫も次のように述べています。
〈 兎に角かう云う映画はわかる、わからないを以て律す可きものでは無さゝうだ。只、感じればいゝのだと思ふ。
 それなら、お前は一体どう感じたのかと云はれると、甚だ恐縮するが、正直な所小生は只オカシカツたのであります。〉

 確かに、今日のわれわれが見ても、映像特殊処理技術が稚拙なこともあって、『アンダルシアの犬』ほどの完成度はないように思われます。
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 次は哀愁に満ちた作品、ディミトリ・キルサノフ『秋の霧』(1929年)です。
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〈 「秋の霧」一篇は、完成した映画的スケツチであり、視覚化されたポエムである。
 巴里の映画常設館の楽士であつた彼は、音楽のリズムと映画のリズムのコンビネエションを主唱して、カメラのクランクを始めたのである、果たしてこの意図は酬はれたと云つて良い。〉

 と大黒東洋士は述べています。
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 また、如月敏は次のようにとても評価しています。
〈 アメリカにも、ドイツにも、日本にも、これほどにはつきりキャメラで秋をはつきりと描いたものはこれまでなかつた。
 僕の好みからいへばこんど輸入された尖端映画の中で、この一篇を最も推賞したい。〉

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 前回のマン・レイ『ひとで』及び『貝殻と僧侶』と『秋の霧』については、YouTubeやニコニコ動画でも見ることができますが、ジョルジュ・ラコンブ『ラ・ゾーン』だけは、フィルムが残っていないのか今日では見ることができないようです。
 しかしながら、ルネ・クレール『巴里の屋根の下』の助監督をつとめたジョルジュ・ラコンブの作品だけあって、如月敏は次のような批評をしています。

〈 「伯林大都会交響楽」と異なつた意味で、あれほどの大規模さはないにしても、「ラ・ゾオン」はなにか実写映画の特長を見せてゐる。
 古びた巴里の一面が、心安く僕を明るくさせる。貧しい巴里が、そんなにも貧しいけれどもそこに生きる人々の愉快な生活をしてゐることを見せるのである。〉


 特に、ドイツ文学者であり、後に第7回ベルリン映画祭の審査員もつとめた林文三郎は、これらの4つの前衛映画の中で最も心を惹きつけられた作品として、『ラ・ゾーン』のみを取り上げて、詳細に内容を解説しながら絶賛しています。

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 これらの4作品は、1933年には一般公開されたようですが、この時は一部の映画関係者のみの試写会との事で、前回紹介した佐藤龍夫の批評と同じように、大黒東洋士も次のように述べています。

〈 吾々は、フロイドを、カンヂンスキイを必要とするやうな映画を決して欲してはゐない。畢竟は、インテリ映画芸術至上主義者が、ひとりよがりの製作に陶酔してゐる様に思はれて仕方がない。それが若し、素晴らしい芸術品として完成されてゐようとも、終局は、三科であり、表現派であり、構成派であると云ふに止る事件ではあるまいか。
 ~(略)~彼等の実験室と呼ばれてゐるプライベエト・ルームの、一日も早き解放と、映画的サディズムからの解脱を心から期待するものである。〉


 しかしながら、これらの作品で試みられた映像表現は、その後の映画やミュージック・ビデオ等の中で十分に活かされているようにも思えます…

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by suzu02tadao | 2015-01-29 11:15 | Comments(0)

前衛映画を語る<1930年>…1

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 1930(昭和5)年3月20日発行の、演劇と映画のための雑誌『コメデア(Comoedia)』創刊号には、 前衛映画『ひとで』他三作品を語るということで、マン・レイ『ひとで』、ジェルメーヌ・デュラック『貝殻と僧侶』、 ディミトリ・キルサノフ『秋の霧』、ジョルジュ・ラコンブ『ラ・ゾーン』の4作品について、その当時の評論家や脚本家による批評が載っています。

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 まずは、マン・レイの『ひとで(L'Étoile de mer)』(1928年)についてですが、シュルレアリスムや抽象絵画などの前衛美術は、大正時代には日本に紹介されており、すでにマン・レイは、ダダ・シュルレアリスムの作家として知られていたことが、脚本家の如月敏の次の批評からも分かります。

〈 テエブルの上に乾板をのせる。その乾板の上に撮さうと思ふ物をのせる。マツチでも、指輪でもなんでもいゝ。パツと電気を点滅する。マン・レイはこんな風にレンズを用ひないで、風変りな写真をつくるひとである。
 「ひとで」はこれまで一枚一枚に見たマン・レイの写真を総合して見る以上に、興味のある映画であつた。極めてエロティツクな題材をレンズで描いて見せる。
 裸体の女を撮しても、それがいかがはしい種類の女で彼女があるにしても、マン・レイのレンズはそれを芸術化してゐる。〉

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 そして、戦後も辛口の映画評論家として知られた大黒東洋士は次のように批評しています。

〈 ニルス・アスターに似た若い男、シュミーズになつた淫売婦、新聞売り、ひとで、裸婦、新聞、花、ひとで、他の淫売婦――ロベル・デスノスの詩を写真師マン・レイが映出したシュルレアリズムと銘打たれた短編である。
 「美しい女!肉体の花みたいに――」「花が、もしもガラスだつたら―」と云う様なタイトルが十ばかりフラツシュする。
 ゼラチンをぬつたレンズを透してうつしたと云ふ感じのフィルムの間に、隅々、芸術的な数カツトが隠見する。何回でも見たいやうな印象的なカメラ技術である。〉

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 また、佐藤龍夫は評論家のようですが次のように述べています。

〈 巴里の芸術写真屋さんの動く芸術写真。擦硝子を透して、ほのかなる美がそこに感じられる。〉
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 以上のように、それぞれが一応は評価しているものの、一方で、他の三作品を含めたこれらの前衛映画の方向性については疑問を投げかけており、佐藤龍夫は次のようにも述べています。

〈 夫々に自分一個の狭い主観に立脚し、独りよがりの芸術至上主義に自ら陶酔してゐるものとしか見えない。
 ~(略)~社会価値から切り離された芸術価値の偏重は、たとへそこに、幾多の優れた表現技巧を学び取つたとしても、それだけでは決して明日の映画を約束してはゐないのである。
 ~(略)~仏蘭西のアヴァンガルド達も恐らくは彼等と心を同じくする人々にのみ、その所産を見て貰ひたかつたのであらう。その限りに於ては是等の作品が持つ、その真摯その純情は、何等の成心なく讃へらる可きものである。〉

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 他の三作品については次回に…
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by suzu02tadao | 2015-01-26 13:05 | Comments(0)

都会は膨張する

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 前回の『新興文学』に掲載されていた小説や詩などは、読者から投稿されたものが多いのですが、その中から赤堀昌宏という人の詩俺達の鶴嘴をたゝき込まうを現在の都会の情景とコラボさせてみました。
 いわゆる当時のプロレタリア詩ではありますが、基本的に都会の持つ雰囲気はその頃から変わっていないため、さほど違和感がないように思われます。
 なお、赤堀昌宏という人についてはよく分からないのですが、作品は『文芸戦線』にも掲載されていたようです。
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都会は膨張する
十字街頭から
GO STOP の閃きから――
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交通巡査のサーベルの先から
氷の様なレールが四方に放射する
鋭角 鈍角 鋸歯状に
大空を切り刻むビルディングの行列

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自動車 電車 馬力 自転車
そいつ等が俺達の戦列を掠めてかつ飛ぶ

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泥靴の金具の呻く石たゝきの舗道に
俺達の虐げられた先祖がうづくまつて居ないと言ふのか!

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――都会は無限にその魔手を伸す――

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舗石を一つひつくり返して見ろ
祖先の鬱憤がダイナマイトの様に爆発するだらう

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俺達は黙々と進軍してゐる
ヅシリヅシリと踏む石畳みの下から
祖先の意志を
否俺達の意志を掘出すために

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都会は膨張する――
俺達の血をすひ汗をしぼつて
意志を踏みにじり自由を束縛して・・・・・

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GO STOP
そんなものはほうり出してしまへ
そして十字路の真只中に
矛の様な鶴嘴を打込むんだ

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そしたら素晴らしい××が起つて
都会が滅茶苦茶にけし飛んでしまふだらう
さあ 兄弟!
力任せに俺達の鶴嘴をたゝき込まう

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by suzu02tadao | 2015-01-23 15:25 | Comments(0)

「新興文学」

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 『新興文学』第15号(1929年8月10日発行)です。
 これもまた、「全大阪古書ブックフェア」で手に入れたもので、表紙に〈 tom 〉サインがあるように、マルチ・アーティストの代表とも言える村山知義のデザインだったのでとりあえずジャケ買いしたのでした…本当にジャケ買いのオンパレードだったわけです(いつものことではありますが)…

 『新興文学』は、この当時いくつか出版されていたプロレタリア雑誌の一つで、村山知義はカットも描いています。
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 山田清三郎の「プロレタリア文学運動と私」では、葉山嘉樹の『淫売婦』や黒島伝治『二銭銅貨』などが発表された、1925年当時のプロレタリア雑誌『文芸戦線』についてのことが書かれています。

 1929(昭和4)年は、いわゆる大正デモクラシーによる民主化の流れがピークに達した時期で、小林多喜二が、やはりプロレタリア雑誌『戦旗』に『蟹工船』を発表した年でもありました。
 また、以前に紹介した「都会交響楽」の歌詞にも見られるように、モボ・モガが街を闊歩し、エロ・グロ・ナンセンスといった表現に象徴される非常に混沌とした時代でもあって、平凡社のこの雑誌の裏表紙の広告は吉川英治の娯楽長編伝奇小説『万花地獄』になっています。
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 しかしなんといっても、この雑誌で一番過激なのは、見返しの広告にあった伝説のジャーナリスト、北村兼子の『情熱的論理』です!
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 キャッチコピーが
 女浪人の毒舌は短刀直入男性の骨を刺して盛夏好調の読物 となっていて…

〈 主要項目 〉
 姦通考・清貧立国主義・今日の不平人・恋愛遊戯・女浪人・悪法に呪ひあれ・議会観戦記・汎太平洋会議で見たこと・泥棒に答ふる文・男の身売り・下男七年下女八年・東京モダーンガール探検等五十五項目。


 Oh!モーレツ…!
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by suzu02tadao | 2015-01-20 14:50 | Comments(0)

富士正晴 「遊戯(ゆげ)」

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 恩地孝四郎や池田満寿夫のように、絵描きでありながら文筆もするというのは、もともと日本では、池大雅や与謝蕪村などの文人画の伝統もあり、また黄表紙の恋川春町のような例もあって、めずらしくはないのですが、小説家・詩人として知られる富士正晴(1913-1987)はまさに現代の文人画家であったと言えます。

 この『若き日のために』高安国世著(昭和19年)は、富士正晴の装幀に魅せられて、やはり…昨年末の「全大阪古書ブックフェア」でジャケ買いしたものです。

 著者の高安国世はドイツ文学者・歌人で、父の高安道成は医師、母の高安やす子はアララギの歌人ということで、どちらも阪神間モダニズムを語る上では欠かせない人物なのですが、そのような環境の中で育まれた若き日の作品が収められており、親友であった富士正晴の勧めによって刊行されたものだということが、はしがきで述べられています。

 また、発行所は七丈書院で、ちょうど同じ時期に富士正晴の尽力で刊行された、三島由紀夫の処女作『花ざかりの森』が巻末の刊行案内の中に載っていて、その意味でもなかなか興味をそそられます。
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 富士正晴が装幀を手がけたものでは同人誌『VIKING』が有名ですが、下図は一年くらい前に、これまた装幀に魅せられて手に入れたものです。
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 大阪府茨木市にある富士正晴記念館には実際に使われていた書斎が復元され、ありし日をしのばせています。
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 生前に収集されていた文学資料の他に自作の絵画も展示されていました。
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 司馬遼太郎は、富士正晴の絵画世界を、〈 こころのままに無碍自在であること 〉という意味で「遊戯(ゆげ)」という言葉で表現しています。
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 復元された書斎の縁側には、絵の道具も置かれていました。
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by suzu02tadao | 2015-01-17 11:10 | Comments(0)

開窯 ● 富本憲吉

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 『書窓』No.14(昭和11年7月号)には、富本憲吉の窯開きの様子が載っており、< 高邁清雅なる作品の風格を以て知らるる氏の開窯の日の状景 >と紹介されています。

 恩地孝四郎も< 前から考へてゐた富本さんの開窯の写真、それも御自身写して下さつたものを本集に収め得られてうれしい。>と書いているように、これらの写真は富本憲吉自身が撮影したものです。
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 私がとくに興味をそそられたのは、未だ熱の冷め切らない白磁の壺に挿されていたのが、ジャーマンアイリス(ドイツアヤメ)やジプソフィラー(カスミソウ)などの洋花だったことです。
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 ちょうどこの時期は、富本憲吉が柳宗悦の民藝運動と訣別して間もない頃で、写真の洋花がその事を象徴しているようにも思えるのですが、その著『楽焼工程』 (1930年刊)の中では次のように書いています。

 古いものを見る上に注意す可き事は、私共の生きて居る此の時代は光悦、乾山の生きて居た時代とは百年なり二百年なりのへだゝりが在る事である。
 ~(略)~ 彼らと現代に生きる我等とは、その生活が決して一つでなく、異なつた世界から遠い別な世界を望みそこで如何にして生れ出たかを知るに止めて、自分の世界をその世界と同じと考へそれと表面的に同一なものを造ろふとする事を断然排す可きである。
 ~(略)~ 仿古とか模古とか云ふ名に依つて、注文する人も陶工も得意になつて、失はれた技法の研究に迄一生を費やして得々たる人が居るのは笑ふ可きではないか。


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by suzu02tadao | 2015-01-14 11:10 | Comments(0)

「書窓」恩地孝四郎

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 昨年末の「全大阪古書ブックフェア」で、以前から欲しいと思っていた1冊を手に入れることができたと書きましたが、それがこの『書窓』No.14(昭和11年7月号)です。

 恩地孝四郎が志茂太郎の協力を得て編集刊行した伝説の雑誌『書窓』は、今まで、たまに古書市で見かけることはあっても密封されていて、内容までは確認できませんでしたが、今回はページを繰って内容を見ることができたため、より一層興味をそそられて…また上図のとおり若干難ありなこともあって、大変リーズナブルな価格で手に入れることができたのでした。

 恩地孝四郎については以前にも、単に版画家とか、写真家という枠組みでは捉えきれない、様々なメディアを駆使してマルチに創作活動を行う、今日の現代美術家の先駆者だったのではないかと書きましたが、まさにこの『書窓』は、当時の最新の印刷技術などを駆使した書物というメディアの可能性をいろいろと試みたものであったことが分かります。

 ここには、恩地が少し前に発刊した版画詩文集 『季節標』についての感想を募ったものを載せていますが、津田青楓、武井武雄、前川千帆、川上澄生、小穴隆一、有島生馬といった画家や版画家はもとより、百田宗治、日夏耿之介、上司小剣、宇野浩二、川路柳虹などの文学者のものも載せていて、興味は尽きません…


 そして、恩地はここにも「曇天」と題した詩を載せています。

いちめんの曇り空
心臓の内壁が遮断されて冷い
青葉がむしむしと湿気を食べ
芽のアンソシアンが波うつ

ボクの子供たちは教室に座つてゐる
A・TH - CH - SH -
B・∛2 × √32 =
C・AL(OH)3+3HCI =
D・Is rounded with a sleep

下道ぞひの瓦の下には家々が黙りこんでる
ガラスは無表情である

ボクはひそかにさぐつてゐる
皮膚のやうな音を


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 やはり、前回の池田満寿夫と同じように、恩地孝四郎もジャンルを超えて多彩に活躍した芸術家だったのですが、この当時の方が現在と比べてみても、芸術のジャンルの枠は変に固定化されていなかったようで、その意味ではむしろ可能性を感じます。

 次回もこの『書窓』の中から、興味をそそられた記事を取り上げてみたいと思います。
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by suzu02tadao | 2015-01-11 15:30 | Comments(0)

タエコの朝食

◇池田満寿夫「タエコの朝食」1963年
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 昨年末に紹介した同人誌の詩集「響」第3号(1962年12月15日発行)には、富岡多恵子の「ちいさな恋の唄」と題した中の一編物語してが載っていました。


物語してあけた朝

あなたはマッチをつける

あなたはタバコをすう

あなたはふたつのコップに

すこしづつの砂糖をいれた

それからあなたはマッチをすり

あたしはタバコをすい

ふたりは安い朝食をはさんで

それからあなたはあたしに

はじめておまえと呼んだ

それからあたしは

はじめて泣いた


 美術評論家の田中穣は、1960年に読売新聞社の美術記者として、東京国際版画ビエンナーレ展で受賞した池田満寿夫を取材した時のことを次のように書いています。

 < 四合ビンの酒と、サントリーの角ビンが、小さなちゃぶ台の上におかれていたうちの酒を所望した私は、冷や酒を湯のみ茶わんで馳走された記憶もある。ピーナッツと、せんべいと、さきいかといった、ごく庶民的な酒のさかなの振舞いに、私は撮影をすました写真部員が帰ったあとも腰をすえて、夜の更けるのも忘れてしゃべりこんだ。
 素朴で、断片的なイケダのおしゃべりを、そばから夫人が補足解説し、私は肝心のイケダより気楽に話せる夫人に、むしろ意気投合した気分になったものであった。
 この人が昭和三十三年春に現代詩人会のH氏賞を受賞していた、詩人の富岡多恵子氏であった。>


 1960年に富岡多恵子と暮らし始めてから池田満寿夫の作品には、二人の日常生活を主題にした、田中穣曰く“タエコもの”が中心となっています。
 この当時の池田の作品を最盛期と評価する評論家も多いのですが、交遊関係も広がり、飯島耕一、西脇順三郎、鍵谷幸信、吉岡実などの詩人との交際が増えています。

 その後、1966年にヴェネツィア・ビエンナーレ展版画部門で「タエコの朝食」などの作品で国際大賞を受賞します。
 そして…その頃より、版画の技法もドライポイントからリトグラフに変わって行き、二人は別れます。

 池田のバイオグラフィーを見ると、後の芥川賞を含め、受賞の節目ごとにパートナーを替えていた感があります。

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by suzu02tadao | 2015-01-08 12:45 | Comments(2)

名阪特急「ビスタカー」1960年

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 近畿日本鉄道のPR誌『近鉄』の1960(昭和35)年1月号は、前年の12月に登場した10100系「ビスタカー」の特集になっています。
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 「ビスタカー」は近鉄が世界で初めて採用した2階建のダブルデッカー車両ですが、この10100系「ビスタカー」が登場した時から、名古屋・大阪間の直通運転による大幅なスピードアップが実現され、近鉄特急のスターとなったのでした。
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 他には、子供のお年玉ということで、近鉄百貨店で販売の宇宙玩具が紹介されています。
 もしも、これらの玩具が未使用の箱付で今も残っていたならば、コレクター垂涎の逸品になっているのでは…?
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 初詣のしおりも付いていて、沿線にある伊勢神宮や橿原神宮などが載っています。
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 ちなみに表紙は春日大社の初詣の様子になっていて、この写真と冒頭の「ビスタカー」の写真は入江泰吉の撮影によるものです。
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【追記】
 さて、今日は天満の天神さんへも初詣に行ってきましたが、参拝者の願いが鈴なりになっていました…
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 笑う門には福来る…
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by suzu02tadao | 2015-01-05 17:25 | Comments(0)

初詣「大神神社」

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 大神神社は、国造りをした大物主大神を祭神とし、大己貴神・少彦名神を配祀している日本最古の神社と言われています。
 三輪山全体を神体山として古代信仰をそのまま今日まで伝えており、拝殿のみがあって本殿はありません。
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 摂社の狭井神社です。
 この神社の境内に御神体である三輪山への登拝口があります。
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 参道からJR三輪駅周辺をブラブラと散策…
 昭和レトロな街並みが続きます。
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 街角オブジェの初詣にもなりました。
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 街角にあったささやかな神社の拝殿にも風情がありました。
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 山辺の道の近くから望む、香具山、畝傍山、耳成山の大和三山です。
 晴れた日には向こう側に葛城山が見えますが、古代に時の権力者がこの地から国見をしていたであろうことがうかがえます。
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by suzu02tadao | 2015-01-03 08:45 | Comments(2)