1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2015年 04月 ( 10 )   > この月の画像一覧

三浦耀 『建築・風景』

◇表紙(カバー)
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 昭和6年9月20日発行のこの本を買ったのは、ジャケ買いではなくて、「独逸(ドイツ)の新建築を見る」と題した中で、ブルーノ・タウトについて書かれた内容に興味をそそられたからです…

 まず、ブルーノ・タウトの色彩建築についての宣言(1919年)を紹介しており…

「~殊に大自然中に一つの無色彩建築が在する事のいかに忌まわしきかを考へ見よ。緑の夏の景色のみならず、冬の雪の景色の中にも大に色彩を要求する。彼の醜い灰色建築の代りに、青い、赤い、黄色い、緑色の、黒の、そして白色の建築よ、連綿として輝き続け !! 」

 そのあとで、マグデブルクで見たタウトの手がけた建築について次のように書いています。

 マグデブルクで有名な寺院を見て後、電車で博覧会へ行つて見ると、何もかも色彩建築でまことにタウト式博覧会であつた。
 さてその時は只驚嘆して帰つて来たが、今考えてみるにその色自身は割合に不用意に選択されて居はしないかと思ふ。一体彼はあまり器用な性ではないらしく、彼の設計にはどこかに粗雑な点がないものでもない。それはドイツ協会会館の応募図を見てもよくわかる。


 下の写真が、マグデブルクの公共建築群です。
 ベルリンの壁崩壊後にできたパンクなストリートアートみたいで…
 「建築は爆発だ!( `ー´)ノ」
 と言っているようですね(@_@)
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 これを見れば、堀口捨己が次のように述べているのも納得できますね。

 とにかくタウトのものはあまり感心しなかった。そうして、タウトが日本へやってきて日光をボロクソにいったから、「きみの色彩のことを思ったら、この色彩はいいんじゃないか」(笑い)といいたかったのですけれどもね。

 三浦耀は、上記にあげた文章に続いて、更に次のように書いていますが…これって皮肉ですよね(-_-;)

 彼の眼はもつと遠い、高い所を見つめて居るらしい。理想の建築を直視して居るのが彼である。いづれにしても彼が信ずる所をよく独立遂行して行くのは驚くべき事である。

 また、当時のドイツの建築誌に載っていた「建築家肖像」で、タウトについては「頑強につき重ねられた形態的社会的熱中流者」とあるのを、<寸評ではあるが人を穿つ、皮肉な評として面白い>としています。

 三浦耀(みうら あきら、1891-1931)は大正~昭和時代前期の建築学者で、京都帝大教授でしたが、この本が発行された直後の昭和6年10月8日に亡くなっています。

 まさか、その後、昭和8年にタウトが来日して、桂離宮だ!、伊勢神宮だ!、小堀遠州だ!…などと言うとは思ってなかったでしょうね…
 今でも、タウトについては<日本人が忘れていた日本文化の素晴らしさを再発見した>と評する人もいるようですが、草葉の陰で、三浦先生はどう思っておられるんでしょうかね…

 なお、「機械としての建築」では…

 私はかつてベルリンの郊外を散策して広い広い芋畑の真中に、折からの夕日を浴びてそびえ立つガスタンクをこの上なく美しいものと思ふたのである。それには飾は勿論ない。実用そのままの赤裸々の姿が何とたのもしく思はれた事か。又私はライン河にかゝる鉄橋の数々の力学的姿体をこよなく美しいものと思ふ。

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 そして、ケルンのホーエンツォレルン橋とボン市のライン鉄橋について、
< 将来の建築美を暗示するのではあるまいか。かういふと如何にもコルビュジエを真似る様で、妙に、かうかく事さへ気がひけるが>としながらも、
最後は< かうして明日の建築――それは機械としての建築であらう。>と結んでいます。

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by suzu02tadao | 2015-04-29 11:20 | Comments(0)

靱公園かいわい

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 前回ブラブラ歩いた辺りの東側に靱公園があります。
 公園の周辺には、オシャレな衣料店やカフェ、レストラン、パン屋や洋菓子店などがあって、なかなかファッショナブルな街になっています。
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 この辺りは1945年の大阪大空襲で一帯は焼け野原になったため、古い建物はほとんど残っていないのですが、1936(昭和11)年築の安田ビルはそんな中でも貴重なモダン建築です。
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 ここはギャラリーやインテリア雑貨店などが入っているテナントビルで、内部もなかなかレトロないい雰囲気です…
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 靱公園の北側にある西船場公園に面して建つこの壽会館ビルは、1947(昭和22)年築の、やはりオシャレな店が入るレトロなテナントビルです。
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 この西船場公園の周りには、戦後に建てられた「いいビル」系の建物を上手く生かしたオシャレな店が増えつつあるような気がします。
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 靱公園の南側にも昭和レトロな佇まいがありました。
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 道路の向こう側に「いいビル」風の建物が見えますが、この建物の階段の手すりの金具がなかなか凝っていて…
 こういうところにも、ほのぼのとした昭和の面影が感じられます(^^)
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 …そして、
 お定まりの面格子。
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by suzu02tadao | 2015-04-26 17:02 | Comments(0)

昭和橋…ブラブラ

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< 更に昭和橋はよい。私はこの橋の出来た当時、夕方から、夜にかけて、よくこの橋の上を歩いたものであつた。数ある大阪の他の橋にくらべてどこかに一種の品格をもつてゐる。同じやうなタイド・アーチをもつ橋はいくらもある。しかし、堂島大橋にも、大正橋にも、また桜宮大橋にもない、モダアンさと落つきとをもつてゐる。>

北尾鐐之助『近代大阪』より
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 1932(昭和7)年にできた当時の面影を今に伝える昭和橋は、戦災の焼け野原から復興して間もない昭和30年頃の大阪を描いた宮本輝『泥の河』の舞台にもなっています。
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 木津川と土佐堀川、安治川と堂島川と…四つの川が交錯して複雑に渦巻く水流の上に架かるタイドアーチの姿は、モダン大阪を象徴しているようにも思えます。
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 さて…
 昭和橋から南東にブラブラ歩いてゆくと、なんとも味わい深い「KISCO倉庫」がありました。
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 いつ頃建てられたのか不明ですが…
 以前とりあげた「KISCO神戸営業所」同様に、不思議な雰囲気を漂わせていました。
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 そこから更に南東に歩くと…クラブコスメチックスがあります。

第12回企画展
「クラブ式広告」展
~中山太陽堂の広告活動~

CLUB cosmetics

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by suzu02tadao | 2015-04-23 11:35 | Comments(0)

大勝館ニュース

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 1941(昭和16)年2月13日~2月19日の、浅草・大勝館の週刊プログラム「大勝館ニュース」です。
 表紙は役所広司さん?…かと思いましたが、1930年代にハリウッドの剣戟映画で活躍したアクション・スターのエロール・フリン主演の映画「シー・ホーク」です。

< 新洋画中最高最大の超弩級編 絶賛の嵐に応へ20日より遂に大衆公開 ‼ >
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 この映画「シー・ホーク」は大阪・松竹座では、同年の1月16日に公開されていました。
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 この当時からハリウッドのアクション映画は、迫力満点のカメラワークが売りだったようです。
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 さて、この時、大勝館では、レニ・リーフェンシュタール監督のベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア 第2部 美の祭典』が上映されていました。
 あの有名な「前畑ガンバレ!」のオリンピックですね。
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 下は、その時の大勝館前の写真です。
 対米開戦の直前ですが、賑わってますね…
 前回、大阪では戦時中も「春のおどり」が上演されて賑わっていたと紹介しましたが、やはり浅草も同様、戦時中も賑わっていたようです。
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【春景】
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by suzu02tadao | 2015-04-20 11:25 | Comments(0)

「春のおどり」 松竹歌劇30周年記念公演

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 これは、1948(昭和23)年の松竹歌劇団創立30周年記念公演「春のおどり」のパンフです。

< あの暗黒の戦争中でも『春のおどり』は堂々上演され、平和を望む日本人の、本当の心を示して、唄と踊に陶酔し、芸術の花園に僅かな一刻を過して、奪われた自由の昔を偲ぼうとする老若男女で劇場はハチ切れる程だったそうです。>
 …と書かれていて、1926年に始まった「春のおどり」も23回目を迎えており、巻頭には当時のスター、芦原千津子と秋月恵美子の写真が載っています。
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 そして、翌年の1949年に女優デビューして、黒澤明監督作品『羅生門』(1950年)、溝口健二監督作品『雨月物語』(1953年) 、衣笠貞之助監督作品『地獄門』(1953年)など、海外の映画祭で主演作が次々と受賞し「グランプリ女優」と呼ばれた、この当時は娘役スターとして人気の京マチ子も載っていました。
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 昔を偲んで、飛鳥明子も紹介されており…
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 他にも、岸本水府が<春のおどりの歌>と題して、次のように書いているのが印象的です。

 「赤い灯青い灯」のあのすばらしい流行のあとをうけて、春のおどりの主題歌をつくつてくれと、食満南北氏からたのまれた。
 それが番傘川柳社の吟行播州松めぐりの電車の中だつた。私はこの日この歌の構想にふけりながら松を見て歩いた。
 春のおどりの豪華な舞台が眼にちらついて、これは何でも桜を一つしつこく詠んで、自分自身も歌に酔つてしまいたいと思つた。
 この年一回だけのものだと思つていたら、毎年々々つゞいて、三十年前の拙作に冷汗が毎年々々ついて廻つた。しかし歌詞は何をいつても松本四良氏のあの作曲の迫力が引きづつてくれるのだからいゝ--と、そんなずぼらな気も持ち合している。
 歌を作つた時は若かつたが、思い出にふける頭は大分白くなつて来ている。


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 この第23回の舞台意匠も、やはり山田伸吉が手がけています。
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 山田伸吉は、戦後しばらくは、松竹座の週刊プログラム「S・Y・NEWS」の表紙も手がけていたようです。

◇1950(昭和25)年
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【春景】
 しだれ桜(神戸・三ノ宮)
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 八重桜(大阪・大正)
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 「こちかぜ」の特製弁当に舌鼓…♪
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by suzu02tadao | 2015-04-17 13:40 | Comments(0)

『風俗画報』 第十回関西府県連合共進会

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 前回に続いて桜・・・です。
 明治から大正時代にかけて活躍した山本昇雲(1870-1965)の花見の遊興図が表紙の『風俗画報』は日本で初めてのグラフィック雑誌で、これは、1910(明治43)年4月5日発行のものです。

 口絵も西川祐信の浮世絵「元禄美人花見之図」になっています。
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 この号では、開府300年にあたる名古屋で開催された「第十回関西府県連合共進会」が大きく取り上げられています。
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 関西府県連合共進会は、大阪府が主催して1府16県の参加で始まった博覧会ですが、この明治43年3月16日~6月13日(90日間)の会期中に訪れた人は約263万人(当時の名古屋市の人口は約41万人)と名古屋市の産業発展に大きく寄与しました。
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 各パビリオンは古典的なルネサンス様式を基調としており…

< 機械館は特にヌーボー式即ち近世式を採用して、各館の様式単調に陥るを防ぎ、全部の調和を図り、且建築美を発揮して看客の倦怠を破るに留意せり、其他奏楽堂、噴水池なども将来公園敷地として記念の為めに保存せらるればすべて永久構造法に依り、全般との諧調を謀れり、其他待賓館、帝室林野管理局名古屋支庁の出品館、台湾館、大日本蚕糸会愛知支会の蚕糸別館或は此等諸種建築を点綴する前栽芝生花壇等一として眼を娯ませざるなし。>

 …とあるように、奏楽堂と噴水池は残されて現在の鶴舞公園となり、その後、名古屋市公会堂が1930年10月に開館しました。
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 5年前、たまたま鶴舞公園を訪れた時に撮ったのが下の写真です…
 鶴舞公園は桜の名所としても知られているようですが、今ではコスプレイヤーのメッカになっているそうです。
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by suzu02tadao | 2015-04-14 14:00 | Comments(0)

飛鳥の春

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 石舞台には満開の桜がよく似合う・・・
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 古くから古墳上部の盛土が失われ、巨大な石室が露出している石舞台の威容は昔から飛鳥のシンボルでした。

『飛鳥路の旅』岸哲男著(昭和37年)より
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 古墳の石室に入り、
 古代の様々なドラマが凝縮されている飛鳥時代に思いを馳せてみました…
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「本当に聖徳太子はいなかったのか…」
「日出る処の天子とは誰なのか…」
 なんとなく…埋葬者として有力視されている蘇我馬子が答えてくれているような気がしたのですが・・・
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 古代文化の香り豊かな史跡が多いこの地ですが、飛鳥駅の周辺にも古い街並が残っていました。
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 生活感のある昭和レトロな佇まいが見られるところも私は好きです…
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by suzu02tadao | 2015-04-11 18:05 | Comments(0)

崔承喜 < 大阪デビュウ >

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 雑誌『会館芸術』【1935(昭和10)年10月号】には、朝日会館に於いて、10月25日に開催の「崔承喜(大阪第一回)新作発表舞踊公演」が紹介されていました。

 崔承喜(さいしょうき/チェスンヒ、1911-1969)は朝鮮の舞踊家で、幼いころに才能を認められ、日本本土に渡り、石井漠にモダンダンスを学びました。
 戦前には欧米や中国などに巡演するなど国際的に活躍して、「世紀の舞姫」とたたえられたそうです。
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 公演にあたり、崔承喜自身が執筆している<私の言葉>が印象的です。

< 自己の舞踊を豊富化するといふことは様々の異なれる要素の配列を意味するものでなく、自己の舞踊の表現性の拡大、表現性の深さと広さと大きさの獲得を意味するのではないでせうか?
 創造的或は自立的なるものは、ただ単にありきたりの珍奇さのみ追求することではなくして、自己の舞踊をして、自己の属してゐる生活への適応と、自己の肉体の可能性の上に立つて自己の表現性の獲得にあると思ひます。>


 また、彼女は朝鮮の伝統的舞踊をもとにした独自のスタイルを築くのですが、次のようにも書いています。

< かくして今日においては朝鮮の舞踊なるものは僅かにその瀕死の姿を「妓生」達に依って酒席に曝してゐる以外、舞踊らしいものの存在も、そしてそれに就いての文献も殆んど残してゐません。>
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< 未だ私の朝鮮風舞踊なるものは、未完成なものでありましやうが、私は自己の舞踊により東洋的な色と香りを獲ち得たいと思つてをります。>
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< 最後に私は近代舞踊なるものと、民俗舞踊の様式化されたものとの距離を幾分でも縮めることが出来ればと思つてをります。
 これをもつて大阪並びに関西諸地の発表会に際しましての私の言葉にしたいのであります。>


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 国際的に活躍した彼女はピカソやジャン・コクトーなど多くの文化人にも支持されたということですが、ここでは川端康成の次のような言葉が掲載されていました。

 日本一の女流舞踊家は誰かと聞かれたら私は何らの躊躇なく崔承喜であると答える。そして私にさうさせるに足るものを崔承喜は疑ひもなく持つてゐる。他の誰を日本一といふよりも崔承喜を日本一といひやすい。
 第一に立派な体躯である。
 彼女の踊の大きさである。
 力である。
 それに踊りざかりの年齢である。
 また彼女ひとりに著しい民族の匂ひである。
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 さて、私がこの『会館芸術』を手に入れたのは、例によって、洋画家の田村孝之介が手がけた表紙に魅せられたからで、とてもリーズナブルだったのですが・・・
 後で調べてみたら、けっこう貴重なもので、特に崔承喜関連のものはとてもいい値段がついていて…ジャケ買い冥利につきるというものです(^^)
 ちなみに、表紙の絵のモチーフは、崔承喜と同じくこの時期に大阪デビュウをした、江口・宮夫妻のようです。
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 『会館芸術』は朝日会館が発行していた、いわば会館の機関誌のような位置づけの雑誌だったようです。
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 朝日会館(1926~1962)は内部に展覧会場やホールをそなえ、映画上映、舞踊公演、演劇公演、音楽会、講演会に美術展など多彩な文化事業を行っていた総合文化施設でした。

 「大大阪」理念のもとに大阪を近代都市へと変貌させようと目論んでいた、当時の大阪市長である関一は、朝日会館の開館にあたり、< この壮麗で『文化の殿堂』として申分のない建築物は大阪市民の多年熱望していたものです。>として、< 海外に誇るに足るべきものでシヴィック・センターの同所を中心として都市計画の完成とともにその偉観に接することのできるのは私の最も欣幸とするところであります。>と語っていたということです。

 朝日ビルの背後に見える黒い建物が朝日会館です。
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by suzu02tadao | 2015-04-08 14:40 | Comments(0)

モダン街道をゆく「高麗橋」

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 トキワビルは、かつての三越の跡地に建つ北浜タワーの裏側にひっそりと佇む昭和初期のモダン・ビル。
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 外壁とドアや窓などの部位は竣工当時のままのようで、レトロ感が漂っていていい雰囲気です。
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 高麗橋が架かる東横堀川の周辺には、他にも昭和レトロな建物が建っています…
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 かつて高麗橋周辺は豪商の店舗が立ち並び、日本第一の商都・大坂の富が集中する、まさに大坂の心臓部であったそうです。
 堺筋を挟んで高麗橋1交差点に高麗橋野村ビルと三井住友銀行が並ぶ光景は、大大阪時代を今に伝えているようです…
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 江戸時代から明治初期にかけて、紀州街道の他、京街道、中国街道、暗越奈良街道、亀岡街道などの起点が高麗橋となり、今でも里程元標跡が残っています。
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 現在の高麗橋も、1929(昭和4)年築の鉄筋コンクリート製アーチ橋でモダン建築です。
 橋の真上に高速道路が覆いかぶさっているところは、やはり道路元標があったお江戸日本橋と同じですね。
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 周辺は桜が見ごろでした (^^)
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by suzu02tadao | 2015-04-05 18:15 | Comments(2)

モダン街道をゆく「堺筋」

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 もともと旧紀州街道の一部区間にあたり、江戸時代の船場において堺へ出る道だったことから堺筋と呼ばれたこの通りは、昔から人通りが多く、1920年代までは大阪唯一の南北方向のメインストリートでした。

 今でも沿道には多くのモダン建築が残っています。
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 船場の南端のほど近くにあるレストラン「堺筋倶楽部」は、元銀行であった建物で、規模は小さいながら、今日の欧米の街並みで多く見られるバロック・新古典主義の本格的な様式建築です。
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 エントランス廻りを中心とする濃密な装飾がとても魅力的です…
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 歴史的建造物だけでなく、「いいビル」もあります。
 昨年、外壁がリニューアルされた船場センタービルですが、ミッドナイトだけでなくデイタイムもクール!です。
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 1924(大正13)年築の明治屋ビル。
 コーナーにアールをとったモダンなデザインですが、細部を見るとネオ・ルネッサンス様式の格調高い建物であることが分かります。
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 もともと老舗シャツメーカーの本社ビルとして建てられたワセダヤビルは、早稲田大学の大隈記念講堂を模したという塔屋が特徴的です。
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 ビルの裏側から眺めると…なんとなくNY風ですね(^^)
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 彫刻のようなベランダの手すりの造形とガラスブロックが印象的なフジカワビルは村野藤吾の作品で、やはり「いいビル」です。
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 さて、堺筋を南から北へ歩いてきましたが…以前も取り上げたように北船場には生駒ビルヂングや高麗橋野村ビルなどもあって、モダン建築のメッカなのです。
 で、この辺りの堺筋から、旧小西家住宅とかつての三越の跡地に建つ北浜タワーを見上げてみると…ガイジンさん好みの和洋折衷建築のようにも見えて・・・けっこうクールじゃあ~りませんか!?
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 やはり元銀行であった新井ビルも、堺筋から見たファサードの装飾が魅力的です。
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 明治屋ビルと同じく曽禰中條建築事務所の設計の三井住友銀行(旧三井銀行)は、ファサードの列柱とエントランス廻りの細部にまで配慮された装飾が特徴です。
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 建物の装飾が気になって、上ばかり見て歩いてきましたが、足元を見ると…列柱の土台も立派です。
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 この三井住友銀行の角を東へゆけば、そこが旧紀州街道の起終点でもある高麗橋にたどり着きます…
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by suzu02tadao | 2015-04-02 19:10 | Comments(0)