1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2015年 06月 ( 11 )   > この月の画像一覧

平野郷ブラブラ〔2〕

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 江戸時代からの古い町並みや昭和レトロな佇まいが残る平野郷ですが、
 ヨーロッパの街角にあるようなハイカラなムードも漂わせています。
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 街角オブジェも少々…
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 平安時代から…江戸、明治、大正、昭和と…
 平野郷のいにしえに想いをはせる・・・
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 紫陽花の季節もあとわずかですね・・・
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by suzu02tadao | 2015-06-29 08:10 | Comments(0)

平野郷ブラブラ〔1〕

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 1889(明治22)年創業の大阪市内で最も古い新聞販売店。
 月に1日だけ「新聞屋さん博物館」として公開されています。
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 建物は1929(昭和4)年に建てられたモダン建築で、国の登録有形文化財ですが、この登録証プレートの「さりげなく置いています…」感同様に、商店街のこの辺りの雰囲気によく溶け込んでいます。
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 アーチ窓が特徴的ですが…
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 鐘馗さんのいる洋風建築というのも珍しいですね。
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 商店街ですから、この界隈では鐘馗さんはよく見かけます。
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 向かい側には古い味噌屋さんの建物が保存されています。
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 また、隣にある全興寺(せんこうじ)は由緒正しいお寺なのですが、地獄体験ができる地獄堂があるなど、大阪の珍スポットとしても有名なようです。
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 平野郷の歴史は古く、平安時代にさかのぼり、戦国時代には堺と並ぶ自治都市でした。
 道頓堀をつくった安井道頓もこの辺りの出身だったそうで、また、真田幸村が活躍した最後の決戦・大坂夏の陣では、平野郷に徳川家康の本陣があって、様々な逸話も伝えられているようです。

 そのような歴史ある町の魅力を再発見するために、20年くらい前からまちづくり運動の一環として「平野町ぐるみ博物館」が開設されるなど、江戸時代からの古い町並みが残っています。
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 昭和レトロな町並みが残っているのも魅力です。
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by suzu02tadao | 2015-06-26 08:05 | Comments(0)

異国情緒 KOBE〔3〕

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 今回は神戸の街角オブジェな情景を集めてみましたが、やはり、なんとなくモダンでエキゾチックな気がします。
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 グラフィティとは言えない、ただの落書きも、なぜかオシャレに見えてしまうところが、KOBE風?
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 オブジェ風な紫陽花…
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by suzu02tadao | 2015-06-23 10:20 | Comments(2)

異国情緒 KOBE〔2〕

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 街を歩くと、いたるところで異国情緒を味わえるのが神戸ですね・・・

 そこだけを見ていると、外国に来ているような気分になります。
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 古本やアンティークなどの即売会「神戸コレクタ市」の会場です。
 
 やはり、エキゾチックですね…
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 レトロなビルの中も・・・
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 ショップやカフェはもちろんのこと、なにげない情景にも異国情緒が感じられます・・・
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by suzu02tadao | 2015-06-22 14:15 | Comments(0)

異国情緒 KOBE〔1〕

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 鏑木清方といえば、東京・神田の生まれで、江戸情緒の残る東京の下町を描いた風俗画や美人画が有名ですが、昭和5年に神戸を訪れた印象を随筆「上方見物」の中で、次のように記しています。

 神戸は私の触れようと思った新鮮味は見出せなかったが、時代のついた新開地、昔の銀座、昔の明石町に見るような明治趣味を、元町通から海岸にかけて味わうことが出来た。

 鏑木清方の代表作のタイトルにもなった築地明石町は外人居留地で、少年時代に初めて触れた異国情緒豊かな風光は、清方にとって理想郷のようなものだったようです。
 「紫陽花舎(あじさいのや)」の清方の雅号は、その当時に感銘を受けた、紫陽花で囲まれた洋館にちなんで名付けられたそうです。

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 神戸・元町の南側、旧居留地の西側に隣接するエリアは、明治時代より、神戸の商業・交通の中心地として、とても栄えており、「東洋のウォール街」とも呼ばれていたそうです。
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 海岸通や乙仲通を歩けば、レトロなビルを再利用したショップやカフェが数多くあって、かつて清方が味わった異国情緒を、今でも味わうことができます…
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 この日は、あいにくの小雨まじりの天気でしたが、「紫陽花舎」の清方に思いをはせながら歩けば趣きもあって、なかなか乙なものでした…
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 さて、以前、そば屋さんが入っていた所が、こんなオシャレな店に変わっていました。
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 こちらの方が、異国情緒は味わえますが・・・
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by suzu02tadao | 2015-06-19 14:55 | Comments(0)

古伊万里染付図譜

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 昭和の初め頃より、民藝運動を中心に日常的な暮らしの中で使われてきた「雑器の美」も見直されるようになりましたが、それでも、戦後になってからもしばらくは、古伊万里の雑器は下手もの、安ものの代名詞でした。
 そのような中で刊行された、瀬良陽介著『古伊万里染付図譜』(昭和34年)は、古伊万里の雑器に新しい美を見出したということで、いわゆる第一次古伊万里ブームのきっかけとなったものだといわれています。

 前回も少しふれた阪急百貨店内にあった瀬良石苔堂には、『古伊万里染付図譜』の内容と同じように、初期伊万里の優品だけでなく、上の写真のような、もっと気軽に買えるそば猪口なども置いていました。

 これらのものを買った頃には、高齢であった瀬良陽介氏はほとんど店に顔を見せることはありませんでした。
 ところがある日、私が店前のショーケースを覗いていると、たまたま居合わせた瀬良氏と目が合ったのですが、その当時は若造だった私に対しても会釈をしたので、さすがに、なにわの商人だな…と思ったものでした。

◇瀬良陽介氏:『名品訪問』秦秀雄著(昭和37年)より
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 この『古伊万里染付図譜』は、序文を柳宗悦が書き、図版解説を秦秀雄がしており、日本磁器創製期の発らつとした美しさをもつ初期伊万里と庶民の雑器を代表する「くらわんか」と呼ばれる古伊万里を中心にまとめられたものでした。
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 そして、この本で「くらわんか考」を執筆していたのが、古伊万里や大津絵の他、こけしのコレクターでもあった米浪庄弌です。

 米浪庄弌は、私家版蔵書票を棟方志功などの有名版画家が制作していることでも知られており、下図は恩地孝四郎の作品で、米浪の「米」の字をモチーフにしています。

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by suzu02tadao | 2015-06-16 14:35 | Comments(0)

「暮らしの器」秦秀雄

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 上の写真は初期伊万里の徳利ですが、亡き義父が、かつて阪急百貨店内にあった瀬良石苔堂で、秦秀雄から直接手渡されたものだと言っておりました。

 独特の筆致で、「佐渡嶋伝来  珍堂」の箱書があります。

 秦秀雄は、柳宗悦や北大路魯山人をはじめ、青山二郎、小林秀雄、白洲正子などとも交流があり、井伏鱒二の『珍品堂主人』のモデルとなったことでも有名で、骨董商として駆け出しの頃の中島誠之助先生を、しっかりと騙して修行させたりと、胡散臭いエピソードには事欠かない人物でもありました。

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 私が昔、参考にした著書を取り出してきて、読みなおしてみたら…これがまた、なかなか面白いのでした。

 秦秀雄は、柳宗悦の『雑器の美』に触発されて、骨董の器に興味をもったのですが、その当時は柳宗悦の他、北大路魯山人、倉橋藤治郎、小野賢一郎、青山二郎といった伝説の「目利き」たちが台頭して、既成の美の価値観を揺さぶっていた時代だったのでした。
 まさに「美」の下剋上ともいえるわけで、「目利き」たちの戦国時代でありました。

 魯山人の唯我独尊ぶりは有名ですが、柳宗悦の民藝を書生っぽのゲテモノ趣味だとか、小野賢一郎などは焼物をわかっていないというと、小野賢一郎は、魯山人なんて贋物ばかり買ってるじゃないかといった具合に、それぞれが皆、激しい自我の持ち主だったため、たがいに悪口を言い合っていたようです。

 また、青山二郎は初めて会った秦秀雄に、年下にもかかわらず、
 「やきものやるんだって?一丁もんでやろうか」といきなり言ったということです。
 後年、骨董に目覚めた小林秀雄は、青山二郎にいじめられるとよく秦秀雄のもとを訪れたようですが、私などが十年かかって体得したことを一年で身につけてしまったと小林秀雄の天才ぶりを評しています。
 そして、せっかく手に入れた下図の初期伊万里赤絵の優品を、あっという間にかすめ獲っていった白洲正子を称賛するのです。
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 今日の感覚からすれば、ふだんの暮らしで使うものなのだから、もっと気軽に楽しんだほうがいいのではないか…とも思えるのですが、封建社会の権威主義が幅を利かせていた時代に、独自の価値観を貫きながら、したたかに生き抜いてきただけに、上から目線の教訓めいた独特の言辞が多いのは、いたしかたないのかもしれません…
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 菊や蘭やばら、椿なんぞに、名花は名人の苦心のはてに華々しく咲きいでるであろう。それを決して私はいけないとはいわない。無論その艶麗に打ち見とれもしよう。しかし、だからと言って野路を歩いて路傍に見かける野草の名もない花の風情を見すごして歩くほど怠慢ではない。
 ~(略)~私が歩く、行くところ路傍座辺にいろんな野花が咲いているように好もしい骨董品が目につく。美術品と自慢し披露出来ないにしても、捨てては見すごせない愛品にも遭遇する。

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 どこにでもある野の草、庭先で咲いている花々、草むらから飛び出す兎、月夜に出会った雁の群れ、身近な風物ばかりがそのままに、筆の先からよみがえったのである。
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by suzu02tadao | 2015-06-13 11:25 | Comments(0)

器で味わう…

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 最近では、ブログジャンルの「おうちごはん」を見ていても、プロ顔負けのテーブルコーディネートのサイトがたくさんあって感心してしまいます。

 上の写真の器は「骨董病」になりたての頃に手に入れたもので、ベロ藍の皿にはケーキやクッキーを…そば猪口にはコーヒーや紅茶を入れて楽しんだものです。

 その当時は、ヌーベルキュイジーヌが注目されていて、古伊万里の皿もフランス料理やイタリア料理に使われている例が、雑誌やムック本などに紹介されていました。

 そのような中で、参考になったのが、暮らしの中で楽しむテーブルコーディネートのはしりともいえる、文化服装学院が、1968(昭和43)年に発行した、ミセス全集 第5巻・料理編『味の上等』でした。
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 この本の調理を担当したのが、京都の「たん熊」「瓢亭」「錦」「中村楼」「伊勢長」「雲月」「菊の井」、そして東京の「たいめいけん」というのですから、まさに世界文化遺産級のテーブルコーディネートと言ってもいいものです。
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 題字やイラストは、型染め作家の鳥居敬一が担当していますが…
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 なんと、池田満寿夫もイラストを担当していたんですね。
 そういえば、晩年は夫婦そろって、よくTVのグルメ番組に登場してましたね…
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 さて、もう一人、イラストを担当していたのは、日本画家の加山又造です。
 そしてこの本には、かつて北大路魯山人の経営する星岡茶寮の支配人だった秦秀雄も関わっていました。
 私が「骨董病」になったころ、料治熊太と共に影響を受けたのが秦秀雄でした。
 次回は秦秀雄についてふれてみたいと思います。
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【水無月】下町の路地
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by suzu02tadao | 2015-06-10 14:07 | Comments(0)

『版芸術』伏見人形版画集

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 料治熊太が編集・発行に力を注いだ雑誌『版芸術』には、当時無名だった若い作家たちが作品を発表していました。
 その顔ぶれというのが…
 棟方志功、谷中安規、平塚運一、前川千帆、恩地孝四郎、川上澄生、初山滋、川西英など・・・その後の日本を代表する版画家が含まれていたのでした。

 さて、『料治熊太の見直し文庫』の中で、「人形の国 日本」と題して、 <日本は世界でも珍しい人形を愛する国 >としていますが、
 この『版芸術』奥田輝一郎・伏見人形版画集【昭和10(1935)年4月発行】の「あとがき」では次のように書いています。

 伏見人形は、平安千年の都の近くに生れた玩具だけに、一世に秀でた風格をそなへ、その傾向は全国を風靡し、土焼き玩具の代表となるに及んだ。この日本郷土玩具の王座にある諸作品を、京都出身の版画家、奥田輝一郎氏によつて、ここに上梓されたことは意義深きことである。
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 伏見人形は土人形の元祖となる郷土玩具ですが、もともとは招福開運の縁起物や子孫繁栄などの庶民信仰の土産物だったということです。
 表紙の<俵かつぎ>や上図の<熊抱き金時>は、その昔、地方の端午の節句に子供の成長と健康を祝福して飾ったものだそうです。

 また、父と母どちらが好きかと訊ねられた子供が、持っていた饅頭を二つに割って、どちらが甘いか?と反問したという説話をもとにできたのが、<饅頭喰い>です。
 この人形を部屋に飾ると子供が賢く育つといわれています。
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 こういった土俗的なものの中にはとてもユニークなものがありますが、多彩な伏見人形のなかでも、もっとも異色なのが<徳すチョロ(チョロケン)>です。
 これは、籠で作った張ぼてに奇怪な表情や猿などの顔を描いて頭からかぶり、両手をその横の穴から出し、その昔、京の町に毎年正月登場した物貰い「チョロ」の門付け風俗を模したもので、やはり縁起物なのだそうです。
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 他にも、ユーモアあふれるユニークなものがたくさんありますが、本当に昔の庶民の発想力は豊かで、ポップな魅力に満ち溢れていますね…

<招き猫>
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<逆立ち大黒>
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 伏見稲荷といえば、狐。
 これは千両箱をひいてくる狐です。
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【参考】奥田輝一郎・伏見人形版画集
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by suzu02tadao | 2015-06-07 18:35 | Comments(0)

料治熊太の見直し文庫

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 古美術研究家、そして民俗雑器の収集家として知られた料治熊太(1899-1982)の著書『そば猪口』で、名品百選の中の一つとして掲載されている「市松文」のそば猪口。

 「市松文」のそば猪口は、江戸時代の古伊万里がコレクター垂涎のもので、特に「ぐい呑み」になる「のぞき猪口」は秦秀雄や白洲正子も所有していたのですが、あえて明治時代のベロ藍のものを選定しているところが料治熊太らしい…

 バブル華やかなりし頃、モダンな図柄の古伊万里に触発されて「骨董病」にかかった私は、「市松文」をはじめとする幾何学文様のものを中心に求めていたのですが、このベロ藍の猪口を手に入れたのは、それから7~8年後だったと思います。

 明治時代以降のベロ藍や印判手の染付の雑器も、今でこそ当たり前のように骨董品や古美術品として収集の対象になっていますが、戦後の民芸ブームの際、古伊万里のそば猪口が古美術店の店頭を飾るようになっても、これらのものは見向きもされませんでした。
 そんな時代から、明治時代以降の雑器の美に注目していたのが料治熊太なのでした。

 先日、天王寺から上本町に店舗が移った「一色文庫」の百円均一棚にあった『料治熊太の見直し文庫』を手に入れて読みながら、改めて、この猪口を眺めているという次第です(余談になりますが、百円均一棚には他にも…!と思うようなお買い得本がたくさんありました)。
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 副題に<日本の雑器五十章>とあるように、『料治熊太の見直し文庫』は、くらしの中に美を求めてきた著者の古器物再認識の身辺記録で、

 なんでもないもの、それが「美」である。田舎の人が、田舎の着物を着て、田のほとりに立っている。それが「美」である。自然にさからっていないもの、それが「美」である。

 と書いています。
 「市松文」などの格子文には、日々の平穏無事への願いが込められており、また、格子(=チェック)は図案の基本となるものです。
 時代差も無ければ、地域差や民族差などもない、世界共通のものでもありますね…
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 さて、料治熊太は、棟方志功や谷中安規らの版画家と親交を深め、発表の機会を与えて育てたことでも知られており、明治時代の版画や竹久夢二のセノオ楽譜などのコレクターでもあったのですが、すでに、研究社の雑誌『女学生』の編集者であった時から、同郷の好で夢二と親交があったということで、自身の撮った写真を載せています。
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 旧暦では…もう、夏ですね。
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by suzu02tadao | 2015-06-04 11:00 | Comments(0)