1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
以前の記事
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
more...
お気に入りブログ
ヴォーリズを訪ねて
近代建築Watch
レトロな建物を訪ねて
Books & Things
最新のコメント
確かに…阪急ビルにしても..
by モダン周遊 at 07:32
梅田周辺の再開発 急速..
by 雪だるま at 05:47
八尾は、 現在の大阪文..
by モダン周遊 at 22:30
八尾といえば 雪だるま..
by 雪だるま at 05:56
今は、政財界での交流はゴ..
by モダン周遊 at 11:35
こちらの本館 元は新田..
by 雪だるま at 09:14
私の時は、 ボランティ..
by モダン周遊 at 07:16
吹田にあるこちら 見学..
by 雪だるま at 06:10
盆踊りなので夜が本番なん..
by モダン周遊 at 21:00
雪だるまも この盆踊り..
by 雪だるま at 05:54
メモ帳
最新のトラックバック
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
マルモッタン・モネ美術館..
from dezire_photo &..
美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..
【姫路の老舗映画館が消え..
from ジョニー暴れん坊デップの部屋
個性的なビルがいっぱい:..
from 本読みの記録
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2015年 11月 ( 13 )   > この月の画像一覧

伏見ビル <生きた建築 -5>

c0239137_7182367.jpg
 前回の青山ビルができてから2年後の1923(大正12)年に、隣に建てられたのが伏見ビルです。
 現在はテナントビルとして使われていますが、当初はホテルだったということで、エントランスは訪れた人を温かく迎え入れてくれるような雰囲気をもっています。
c0239137_7185248.jpg
 この当時、大阪にあるホテルといえば、今の東洋陶磁美術館の辺りにあった大阪ホテルだけでした。
 伏見ビルには細部にまで神経が行き届いたプチ・ホテルといった趣があります。
c0239137_7191441.jpg

c0239137_7192531.jpg

c0239137_7193532.jpg
 伏見ビルの前の通りを東に行くとすぐの所にある堺筋は、大正6年に三越が高麗橋に、大正10年には白木屋が備後町に店を構えるなど、このビルができた当時には大正モダンの繁栄を極めていました。

 この界隈には最新流行のファッションを身につけたモダン・ガールやモダン・ボーイが闊歩していたことでしょう…
c0239137_7204014.jpg
c0239137_720485.jpg

 まさに、モボ・モガ達が似合うお洒落なインテリア空間になっています…
c0239137_721169.jpg

c0239137_7253096.jpg

c0239137_7254162.jpg

c0239137_726068.jpg

c0239137_7275868.jpg

c0239137_728781.jpg

 円形の飾り窓が並ぶクールな外観は、モダン大大阪の「黄金の20年代」を象徴しているようです。
c0239137_7283323.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-29 07:30 | Comments(2)

青山ビル <生きた建築 -4>

c0239137_757169.jpg
 船場にあるモダン建築の中でも四季折々の姿を見せる蔦に覆われた外観が特徴的な青山ビル

 館内では大きなアーチ窓から注ぐ光がとても印象的でした…
c0239137_75865.jpg
 このビルは高級レストランや高級輸入食品店を経営する実業家・野田源次郎が渡欧した際に、本場ヨーロッパの建築に触れ大いに刺激を受けて、1921(大正10)年に個人邸として建てられたもので、日本のモダン住宅としても先駆的であったということです。

 魅力的なイタリア製ステンドグラスの窓も特徴の一つ。
c0239137_7591018.jpg
 木製の階段の手すりにもぬくもりが感じられるのは、やはり住宅として建てられたからでしょうか…
c0239137_80102.jpg

 階段周りの装飾も凝っていて魅力的です。
c0239137_80395.jpg
c0239137_804760.jpg
 テナントビルへ転用されてからの長い歴史を物語るレトロな郵便受も雰囲気がありますね…
c0239137_824425.jpg

 内側から見た蔦も趣きがあります。
c0239137_831546.jpg
 隣の伏見ビルの屋上から…
 向こうに北浜タワーが見えています。
c0239137_834896.jpg

 かつて子供部屋だった窓のステンドグラスは愛らしい鳩がモチーフ。
c0239137_8144921.jpg

 今は1階に桜屋珈琲館が入っています。
c0239137_8184777.jpg

 青山ビルの裏には薬の神様として知られる少彦名神社があります。
c0239137_8155013.jpg
 11月22日・23日は神農祭でした。
c0239137_8161485.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-26 08:20 | Comments(2)

「吾八」と「柳屋」

c0239137_91415.jpg

 二度、三度、店の前を往ったり還(き)たりしたあと、清太郎は思い切って、吾八の店のガラス戸を開け、
「あのう・・・、表に飾ってある絵を」
 値段も訊(き)かず、がま口から何枚かの十円札をとり出した。絵は十円札二枚で、若干(なにがし)かの釣銭があった。絵を抱えて表へ出た清太郎が、平野町を西へ行くのを、
「一寸お待ちを・・・」
 吾八の主人が追ってきた。
「じつは今、あの絵を描きはった先生が、ちょうど店へ来てはりましたのや」
 見ると、まだ学生はんらしいぼんぼんが、自分の絵を買うてくれはった。どちらのぼんぼんか知りまへんが、一寸ご挨拶したい。
「こない言うてはります。お手間はとらせまへん。憚りさんでございまっけど、もう一遍、手前どもまで・・・」
 画家の名は北野恒富といった。


 前回取り上げた三田純市「蕩児余聞(とうじよぶん)」(『道頓堀物語』)の中で、根津清太郎が初めて北野恒富と出会う場面です。
 ここで、「吾八の主人」とあるのは山内金三郎ですが、以前にも取り上げたように、鶴屋八幡の広報誌『あまカラ』に絵と文を載せています。

c0239137_931213.jpg

 ところで、ご覧のとおり『あまカラ』はモダンで洒落た表紙のデザインが魅力ですが、これを手がけた大久保恒次は、若い頃に北野恒富の弟子であったということで、さもありなんと思うと同時に、意外なところで人脈がつながっていることに興味をそそられます。

 つながりといえば…この『あまカラ』は先日の芦屋市立美術博物館の古本市で手にいれたものですが、ここに「半可通」と題した文を載せている長谷川幸延が『大阪歳時記』の中で、< 中にも夢二の封筒や書簡紙、勇・幹彦・潤一郎ら文人の色紙・短冊で私たちの胸をかきむしった >と書いているのが、船場の平野町の「吾八」の近所にあった「柳屋」のことです。
 「柳屋」については、藤沢桓夫も次のように書いています。
 < この平野町の通りには、南側に、私の好きな店が一軒あった。それは「柳家」と言う気の利いた封筒などを売る文房具店であった。(本屋であった様な気もする。)その店の陳列窓には竹久夢二の木版の大きな女の絵が幾つも飾ってあった。それらのひどく新しい色の感じの絵を見るのが私には非常な楽しみであったのだ >
(『大阪 我がふるさとの・・・』)

 平野町の通りには御霊神社があって、この当時は一・六といわれた夜店の賑わいも有名だったようです。
 「吾八」や「柳屋」があった辺りに今は湯木美術館があります。
c0239137_9143757.jpg

 さて、先月の四天王寺の古本市で均一台を漁っていると…なんと!「柳屋」の三好米吉による道楽絵はがきが本に挟まっているではありませんか(^^)
 別に本はいらなかったのですが、とりあえず購入しました。

◇宝船 中田一男画(昭和8年)
c0239137_9171918.jpg
 この絵はがきは「柳屋」の店舗を島之内に移してからのものです。

 三好米吉は、宮武外骨の『滑稽新聞』に関わり、柳屋(画廊・書店)を開いて、雑誌『美術と文芸』『柳屋』を発行していた人物です。
 伝説のジャーナリスト、北村兼子が恋人だったらしいですが・・・不倫?
 これまた、興味をそそられます…
c0239137_9181048.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-23 09:30 | Comments(0)

「蕩児余聞」

◇北野恒富「茶々殿」(部分)
c0239137_6301165.jpg
 この作品は、谷崎潤一郎の3人目で最後の妻、松子がまだ根津清太郎と結婚する以前の森田松子だった頃をモデルに描かれています。
 私が北野恒富の展覧会を見たくなったのは、先日、芦屋市谷崎潤一郎記念館で観た資料映像の中で、すでに80歳を過ぎているにもかかわらず、妖艶なオーラを発していた谷崎松子の姿が脳裏に焼き付いていたからなのです…
c0239137_6353620.jpg

 三田純市の小説「蕩児余聞(とうじよぶん)」(『道頓堀物語』)を読むと、船場の有名な綿布問屋・根津商店の御曹司であった根津清太郎と北野恒富の関係がいかに深いものであったのかがよく分かるのですが、根津清太郎と松子との縁談をまとめるために奔走する北野恒富の姿が書かれています。

◇山田伸吉画「蕩児余聞」より
c0239137_6355338.jpg
 ところで、『道頓堀物語』には以前とり上げた「富田屋八千代」も載っていますが、挿画が山田伸吉であるところもうれしいのです。

◇根津清太郎と出会った頃、北野恒富が画室にしていた上本町の蔵鷺庵(ぞうろあん)
c0239137_637307.jpg

 根津商店の社長となった根津清太郎は北野恒富の紹介で、菅楯彦、その弟子の生田花朝・山口艸平・岡本大更などの日本画家、そして小出楢重を中心に、黒田重太郎・国枝金三・鍋井克之の信濃橋洋画研究所のパトロンになりました。
 まさに根津清太郎は大阪のモダン・アート勃興の立役者の一人だったわけです。

◇北野恒富「朝のクラブ歯磨」ポスター
c0239137_6382847.jpg

 一方で根津清太郎は放蕩の限りを尽くし、船場の極道の名をほしいままにして、やがて家産を傾け、松子との離婚のあとその生活はさらに零落していきました。
 しかしながら、最後まで交際をつづけた北野恒富は次のように語っています。

「芸術家は、ほんとうの贅沢というものを知らないけまへん。ほんとうの贅沢を芸術家に見せてくれはったのが、根津さんだす。その見せて貰うた贅沢を、どれだけ汲み取るか。それが芸術家の器量というものでっしゃろなア・・・・・」

◇北野恒富「宝恵籠」(部分)
c0239137_6402188.jpg

 さて、北野恒富は中河内を終の棲家としていたとのことで、展覧会の後に河内小坂駅周辺をブラブラ・・・
c0239137_6412834.jpg

c0239137_6413970.jpg

c0239137_6414939.jpg

c0239137_6423158.jpg

c0239137_6424197.jpg

c0239137_6425045.jpg

c0239137_6441283.jpg

 司馬遼太郎記念館。
 「猥雑な土地でなければ住む気がしない」と司馬遼太郎は記していたようですが、決してそのような町ではないようです・・・?
c0239137_6443685.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-21 06:45 | Comments(0)

谷岡記念館 <生きた建築 -3>

c0239137_14214747.jpg
 玄関周りのエメラルド・グリーンのタイルがオッシャレーですね!

 こんな素敵なモダン建築が、なんと大阪は河内のど真ん中にあったなんて…
c0239137_14253491.jpg

 1935(昭和10)年の建造物である旧校舎を移転・復元した大阪商業大学のシンボルともいえる谷岡記念館です。
c0239137_14221490.jpg
 玄関横の説明プレ-トには次のように記されています。

 設計は早稲田大学清水先生と福田兵次郎氏、施工は大坂城天守閣を設計した浪江悌夫氏が担当しました。
 従来の学校建築とは違う意匠を取り入れたモダニズム建造物であって、外観は上層部をアーチ形の窓とし、側面ではその背を高め、上に小さな円窓をあけています。
 開口15間・奥行25間の規模で、表玄関を大理石造りとし、南正面に一部5階となる塔屋を設けて時計台とし、この部分に階段を置き、正面の中核を構成しています。

c0239137_14273045.jpg
c0239137_14274415.jpg
c0239137_1428254.jpg
c0239137_1429918.jpg
c0239137_14291758.jpg
c0239137_14292566.jpg
c0239137_14335576.jpg


c0239137_1431832.jpg
 内部は3階と4階を吹き抜きとした1500名収容の講堂を設け、各階の廊下と階段は一間半の幅をとり、ホールも広くつくられています。
 これは非常時に生徒が4列で昇降できるようにとの配慮によるものです。

c0239137_14314054.jpg
c0239137_14384527.jpg
c0239137_14385588.jpg
c0239137_1439679.jpg
c0239137_14391761.jpg
 建物は現在、商業史博物館などに利用され、一般に公開されています。
 外観及び内部の意匠にすぐれ、「造形の規範となる」ことから、平成12年10月に国の登録文化財となりました。

c0239137_14395387.jpg
c0239137_1440090.jpg

 河内音頭が有名で、船場に比べるとモダニズムとは縁の薄いイメージがあるこの地域ではありますが、近鉄沿線のすぐ近くには国の登録文化財の 樟蔭学園記念館などもあり、また五郎丸選手によってにわかにブームになっているラグビーの聖地、花園ラグビー場も昭和4年に日本最初のラグビー専用グラウンドとして開場したものです。

 この建物の前に立つと、かつて「河内モダニズム」といえるものがあったのではないか…と思えるのでした。

 そこで、次回は谷岡記念館で展覧会が開催中の北野恒富についてふれてみたいと思います。
c0239137_1442211.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-19 14:50 | Comments(0)

堺筋倶楽部 <生きた建築 -2>

c0239137_7374560.jpg
 長堀橋のほど近く、堺筋に面して建つ「堺筋倶楽部」も、前回の「新井ビル」と同様にもともとは銀行でした。

 以前にも紹介したように、外観はバロック・新古典主義の本格的な装飾が魅力的でしたが、レトロなインテリア空間はもっとステキでした(^^)
c0239137_7422216.jpg
 銀行建築特有の10メートル以上に及ぶダイナミックな吹き抜け空間の1階はイタリアンレストランです。
c0239137_7404460.jpg

c0239137_7405664.jpg

 メイン金庫室はワインセラーとして使用されています。
c0239137_7444747.jpg

 4階のバンケットルーム。
c0239137_7504117.jpg
最大80名様までご着席いただけるバンケットルーム。
天井高もあり、開放的な空間はやわらかな照明と天井に画かれる影が、まるでヨーロッパ貴族の邸宅のようなシックな雰囲気を醸し出します。
「堺筋倶楽部」HPより
c0239137_7511520.jpg

 全体的にこてこての装飾がされている中で、階段は質実剛健です。
c0239137_752474.jpg

 1931(昭和6)年の創建時からのものと思われる真鍮製窓ノブ。
c0239137_7531623.jpg

 1階の階段の手摺の透かし彫り。
 さりげなくディテールに凝っているところがレトロ建築の魅力ですね(^^)
c0239137_753451.jpg

 床に張られたモザイクタイルがこれまたニクイ!のです…
c0239137_7541076.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-17 08:00 | Comments(0)

新井ビル <生きた建築 -1>

c0239137_6212690.jpg
 向こうに見えるのは大阪証券取引所です。

 堺筋に面した鋼製窓から外を眺めていると、元々このビルがかつて金融街として栄えたこの地に、報徳銀行の大阪支店として建てられたということを思い起こさせてくれます…
c0239137_622110.jpg
 そして、1922(大正11)年に建てられてから今日まで、幾人もの人達がこの窓辺を様々な想いで通り過ぎていったことを思うと感慨深くもあります。
c0239137_623480.jpg

c0239137_6231666.jpg
 有名洋菓子店「五感」が入るオープンな1階はともかく、普段は見ることのできない上階のインテリアは、今までここで営まれてきた歴史や文化を雄弁に物語っているようです。
c0239137_6234249.jpg

c0239137_6235193.jpg

c0239137_624193.jpg

 二か所に設けられた階段はどちらも吹抜けになっています。
c0239137_6242968.jpg

c0239137_6262038.jpg

c0239137_6263074.jpg

 それぞれの部屋の古い木製の扉と手書き文字の表示板がいい雰囲気でした。
c0239137_627020.jpg
 模様入りの硝子からほのかに漏れてくる光が過去からの便りのようにも感じられました…
c0239137_628894.jpg

 屋上に上がってみると、奇妙な突起物がありました…?
c0239137_6283147.jpg

c0239137_6284338.jpg
 そうです、このビルを象徴する冠のような装飾でした。
c0239137_629681.jpg
 外に出てから、ふと見上げると以前にも増してビルが輝いているような気がしたのでした…
c0239137_6293133.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-15 06:35 | Comments(2)

秋景色、色々…

c0239137_14325881.jpg

 秋ですね・・・ 
 あちこちをブラブラしている間に拾った秋景色を、アトランダムに取り上げてみました…
c0239137_14332339.jpg

 団地の秋。
c0239137_14343857.jpg

 悪名高きセイタカアワダチソウですが、紅葉をバックにすると…
 なかなか風情がありますね(^^)
c0239137_1436927.jpg

c0239137_14383220.jpg

 秋を象徴するかのように色づくプラタナスはロマンチックですね。
 プラタナスの枯葉が散ると・・・冬が来ます。
c0239137_14363542.jpg

 紅葉の時期が異なる木々達が奏でる色彩のハーモニー・・・
c0239137_1437061.jpg

c0239137_14371068.jpg

c0239137_14392310.jpg

 色づく水面・・・
c0239137_14394536.jpg

c0239137_1439543.jpg

 運動会の残滓。
c0239137_14411046.jpg

c0239137_14411937.jpg

 散歩道。
c0239137_14414076.jpg

 秋の夕暮れ・・・
c0239137_14415188.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-13 14:45 | Comments(0)

芦屋風景

c0239137_1422554.jpg
 芦屋という処へ住んで二年になる。先ず気候は私たちの如くほそぼそと生きているものにとっては先ず結構で申分はない。そして非常に明るい事が、私たち淋しがり屋のために適当しているようだ。

小出楢重「芦屋風景」(『めでたき風景』)より
c0239137_14224249.jpg

 小出楢重は1926(大正15)年に、生まれ育った大阪を離れ、南仏ニースを思わせる芦屋に移り住みました。
c0239137_14234367.jpg
 私は散歩する度びに南仏を思い出すのである。
 それで随分風景を描く場所も従って多く、風景画には不自由を感じないように思える訳でもあるけれども、それが事実はさようにうまく成立っていない処が、南仏と芦屋との悲しい相違である。


 芦屋には南仏で生い茂っているオリーブの林もなく、古風な石造の家が連なる風景もありませんでした。
c0239137_14253676.jpg
 でも私は、あまりいい天気の日に、何かたまらなくなって、カンヴァスを携げて山手の方へモチーフをあさりに行く。そしてその度びに何か腹を立て、へとへととなって疲れて帰ってくる事が多いようである。
 その腹立ちを直すために、神戸へ出かけて、ユーハイムの菓子でコーヒーをのみ、南京街で新鮮な野菜を求めて帰ってくる。
 私の絵に静物や裸女が多くなるのもやむをえない影響であるだろう。


 芦屋市立美術博物館には小出楢重のアトリエが復元されています。
c0239137_14262285.jpg

「紅茶がいい?日本茶がいい?」
「どっちでもいい。何かお菓子のうまいのはないですか。」
「西洋菓子なら、ここにユーハイムのがあるわ。」
「それで結構。人の食うのをただ見ていたってつまらんからな。」


谷崎潤一郎『蓼喰う虫』より
c0239137_14273886.jpg

 すぐ隣には谷崎潤一郎記念館があります。
c0239137_14281727.jpg

 阪神芦屋駅に向かってブラブラ…
c0239137_14352389.jpg

c0239137_14313993.jpg

c0239137_14314874.jpg

◇芦屋警察署旧庁舎玄関(1927年建築)
c0239137_14332213.jpg
c0239137_14322116.jpg
c0239137_14322952.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-10 14:40 | Comments(0)

大大阪記念博覧会 <天王寺公園今昔>

 1925(大正14)年4月、大阪市は人口が200万人超となり、東京市を凌駕する日本一、そして世界第6位の大都市になりました。

 これを祝福すると同時に、大阪毎日新聞社が1万5千部発行達成を記念して「大大阪記念博覧会」が3月15日から4月30日まで開催されました。
c0239137_1695442.jpg

 先月の四天王寺の古本市で、絵柄に惹かれて上図のマッチラベルを手に入れて興味を持ったのですが、その後、天神さんに行くと…なんと!『サンデー毎日・大大阪記念博覧会案内号』があるではありませんか(^^)
c0239137_16104368.jpg
 第1会場の天王寺公園には、表紙になっている廉売館をはじめ本館、パノラマ館、機械館、満蒙館、台湾館、朝鮮館などのパビリオンが建ち並びました。

 会場の建築物は東洋文化を象徴するサラセン式のデザインが基調となっていて、なかなかエキゾチックな雰囲気であったことが分かります。
c0239137_1611475.jpg
c0239137_16162886.jpg
c0239137_16112226.jpg
 本館の中央にあったパノラマ館には当時の大阪市街地の様子がミニチュアで再現されていました。
 なお、このパノラマの制作にかかわった洋画家の赤松鱗作は、第2会場の大阪城「豊公館」でも壁画を制作するなど深くかかわっています。
c0239137_1617505.jpg
 また、本館では27のテーマをもとに大大阪を紹介していましたが、意匠を凝らした画期的な展示が話題を呼んだということです。
 以下、列記したこれらのテーマを見ただけでも当時のモダン大大阪の姿が目に浮かぶようです…

「教育の大阪」「空の大阪」「キネマの大阪」「交通の大阪」「保健の大阪」「運動の大阪」「社会事業の大阪」「信仰の大阪」「子供の大阪」「文化の大阪」「名物名所の大阪」「工業の大阪」「農林の大阪」「女の大阪」「趣味の大阪」「建築の大阪」「食料の大阪」「劇と音楽の大阪」「文芸の大阪」「電化の大阪」「光と燃料の大阪」「水の大阪」「商業の大阪」「工芸の大阪」「服飾の大阪」「貿易の大阪」「家庭の大阪」
c0239137_161909.jpg

 それから、90年の歳月が流れ…
 今年から天王寺公園の入園料は、慶沢園以外は無料となりましたが、美術館の入館ゲートも用がなくなったため、完全にオブジェになっていました。
c0239137_16204684.jpg
c0239137_16262666.jpg
 街角オブジェとして眺めれば、いい感じですね(^^)
c0239137_16265231.jpg
c0239137_1627059.jpg

 クリスマスの飾り付けになっていました…
c0239137_1628981.jpg

 美術館の周りにはなぜか動物がたくさん出没していました…
c0239137_16283889.jpg
c0239137_16285660.jpg
c0239137_1629525.jpg

 天王寺駅方面エントランスエリアからの出入口、天王寺動物園「てんしばゲート」ができていました。
c0239137_16301159.jpg
 エントランスエリアは芝生公園「てんしば」としてリニューアルされていました。
 幼い子供達は「大阪城」が天王寺にあると思って育つのだろうか?
c0239137_16304755.jpg

 天王寺公園から望めば…
「木の都」の、あべのハルカス。
c0239137_1632821.jpg

 天王寺公園正面にあるこの彫刻は、リニューアルによって更に目立たなくなっていました…
c0239137_16324387.jpg
  【はばたけ平和の空へ】1973年:今村輝久(1918-2004)
 
 更に、あべのハルカスを眺めながら歩いてゆくと…!
c0239137_16335724.jpg
「旧阿倍野橋ホテル」がなくなっているではありませんか!
c0239137_16344467.jpg

「旧阿倍野橋ホテル」2013年撮影
c0239137_1635963.jpg

 そして、南海天王寺支線跡の線路もなくなっていました…
c0239137_16353483.jpg

「旧阿倍野橋ホテル」があった場所から望めば…
 天王寺の「大阪城」が正面に見えていました。
c0239137_16363539.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2015-11-07 16:45 | Comments(0)