1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2016年 01月 ( 11 )   > この月の画像一覧

様々なクラルテ(光明)

◇中之島イルミネーション
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◇中之島図書館
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◇大阪駅前第一ビル(マヅラ近く)
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◇地下鉄天王寺駅
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◇黄金の茶室(大坂城天守閣)
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◇堂島アバンザ
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◇天神橋筋商店街
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◇天王寺駅前阪和商店街
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◇中崎町にて
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◇中之島図書館
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◇中之島公会堂
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◇兵庫県公館
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◇大阪市街遠望
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by suzu02tadao | 2016-01-29 13:13 | Comments(0)

柳瀬正夢「クラルテ」

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 1970年頃の雑誌『ガロ』に載っていた、つげ義春の漫画を思わせるイラストですが、これは、1923(大正12)年に柳瀬正夢(1900-1945)が手がけたものです。

 以前から柳瀬正夢の装幀や挿絵のあるものには注目していて、この本も廉価だったのでジャケ買いしたものですが、なんと!大正12年4月12日発行の初版本でした。もちろん裸本ですが…
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 この『クラルテ』は、フランスの反戦運動家・作家のアンリ・バルビュスの小説で、小牧近江と佐々木孝丸の共訳となっています。
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 小牧近江(1894-1978)は、フランスのパリ大学在学中にバルビュスの提唱した反戦運動「クラルテ運動」に共鳴します。

 「クラルテ」とは光明を意味するのですが、第一次世界大戦の戦争体験によって、平凡な勤め人が社会の不条理や階級意識に目覚めてゆき、光明は万人のためのものと知る過程を描いたこの小説は、「クラルテ運動」の契機となったもので、小牧近江はバルビュスから直接、翻訳を委任されています。
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 小牧近江が「クラルテ運動」の種を日本で蒔くという趣旨で始めた雑誌『種蒔く人』に、柳瀬正夢は1921年から参加しており、この本にも、次のように名前が明記されています。
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 ちょうど、この本が出版された頃に、柳瀬正夢はベルリンから帰国した村山知義と出会い、MAVOを結成して前衛美術家としても活躍しています。
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 この当時の柳瀬正夢の作品には、なんとなく…ベトナム反戦運動が盛んだった1970年頃と共通する空気が感じられます。

◇赤瀬川原平「櫻画報」
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by suzu02tadao | 2016-01-26 11:15 | Comments(0)

街角レトロ「中崎町」

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 以前、レトロを感じる重要なアイテムとして「面格子ギャラリー」を紹介しましたが、そのほとんどは中崎町のものでした。

 あれから3年…
 梅田から地下鉄で一駅で歩いて来ることもできるという都会のすぐ隣に位置する中崎町。
 レトロとお洒落が混在する古い町並みは健在でした。
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 小出楢重は『めでたき風景』の中で次のように述べています。

 私は本当の都市の美しさというものは汚いものを取り捨て、定規で予定通りに新しく造り上げた処にあるものでなく、幾代も幾代もの人間の心と力と必要とが重なり重なって、古きものの上に新しきものが積み重ねられて行く処に新開地ではない処の落着きとさびがある処の、すくい切れない味ある都市の美しさが現れて行くのだと思っている。
 私はそんな町を眺めながら味わいながら散歩するのが好きだ。


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 中崎町は何度訪れても、その度ごとに発見があります。
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by suzu02tadao | 2016-01-23 16:40 | Comments(2)

ちょろけん

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 「ちょろけん」とは、お正月に各家を一軒一軒回って、芸能を披露し祝儀をもらう門付芸(かどづけげい)のひとつで、江戸時代に京都や大阪を中心に行われていたようです。

 もともとは長老君(ちょうろうくん)が訛ったもので、享保年間(1716~36)に大きな福禄寿の張ぼてをかぶって現れたのが最初と言われています。

 その後、黒い帽子に口髭を生やしたり、猿の顔を描いたもの(猿ちょろ)などが現れ、先をさばいた竹を打ち、「ちょろが参じました。大福ちょろが・・・」と景気よく歌って街中を歩き回ったそうで、伏見人形にもなっていることは以前にも紹介しました。
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 「ちょろけん」は明治時代になるとすたれてしまったのですが…
 なんと!大坂城天守閣の「迎春イベント」として「ちょろけん」が復活していたのでした。
 残念ながら、「ちょろけんと迎えるお正月」(2・3日)のイベントは見過ごしてしまいましたが、天守閣のミニ展示は見てきました。

古写真「ちょろけん」昭和7・8年頃の撮影
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大阪商工祭(昭和8年)記念「町方風俗行列之図」(部分)
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 さて、私が最近になって「ちょろけん」に注目したのは、石川県の年中行事を紹介した『郷土の年中行事』長岡博男著(昭和29年)を年末に手に入れたからです。
 この本のなかで、明治の頃、金沢の町のお正月を賑わせた門付として、「春駒」や「初馬」などとともに下図の「ちょろけん」が紹介されていたのです!
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 そして、さらに!次のような門付も紹介されていました…
 < ふくべを逆さにして目鼻をつけ、これに布片を被せて躍らせ乍ら「ひょたんどこから来た、大阪道頓堀、何しにきた、銭貰けに、銭もうけて何する、サトボチ買う、いくつ買う、三つ九つ、酒をのむか、ざつと三升」などゝ云ってくる者もあった。>
 どうやら、「ちょろけん」などの門付が、大阪から金沢まで出張していたようなのです…?

 また、ふくべを逆さにして目鼻をつけ >とありますが、これは栃木県の名産品、魔除け面「ふくべ細工」のようなものではなかったかと思われます。
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 …どこか、「ちょろけん」に似てますね(^^)


 せっかくなので、大坂城天守閣あれこれ…
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 大坂城のシャチホコもなかなか立派です…
 向こうに見えるのは旧大阪市立博物館です。
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 お堀端の柳越しに見る天守閣も風情がありますね…
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 今年の呼び物はやはり…これ(六文銭)ですね。
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by suzu02tadao | 2016-01-20 12:00 | Comments(2)

「ブロンディ」

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 以前にも紹介したように、1946年から1956年の『週刊朝日』には「ブロンディ」が掲載されていました。
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 名前の通りブロンドの美人・ブロンディと食いしん坊でなまけ者の夫・ダグウッドの一家の日常を描いたもので、当時、アメリカの新聞に連載されて大人気だった漫画です。

 日本では、1949年から1951年に『朝日新聞』朝刊にも連載されましたが、その後を受けて連載されたのが「サザエさん」だったわけで、まさにアメリカ版「サザエさん」といった内容です。
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 この漫画に登場するダグウッドのつくる巨大なサンドイッチや家電製品や家具調度品など…アメリカの中流家庭生活は戦後の日本人の憧れになりました。
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 日本では「テレビの年」と言われた1959年以降になると、アメリカ製のホームドラマが各局の主力番組として放送されたことにより、日本全国のお茶の間にアメリカの中流家庭のライフスタイルが紹介され、ここで描かれた生活がより具体的な目標となっていったのでした。
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 「ブロンディ」と同じ誌面の広告も、この当時は憧れの品々だったようですね…
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by suzu02tadao | 2016-01-18 08:25 | Comments(0)

『週刊朝日』1948(昭和23)年

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『週刊朝日』1948(昭和23)年3月21日号。
 表紙は前回と同じく岡田謙三です。
 この頃になると東京でも焼け跡に、こんな洒落た街角が出現しはじめていたようです…
 なお、表紙の女性のファッションは日本の服飾デザイナーの草分けであった島村ふさの(1905-1977)のデザインで、次のように解説されています。

 タイトのスカートにゆるやかな六分コートは春らしい身軽さを感じさせます。袖口の切りかえは新しい流行の一つです。

 面白いことに、この当時にはアパレルメーカーがまだまだ復興していなかったこともあって、次のような記事が載っていました。

 雨後のタケノコみたいに続出している“街の洋裁学校” これを発生学的にながめると大体三つに色分けできるそうだ。曰く、ミシン屋がその設備を利用したもの、布地屋がその材料を活用したもの、洋裁師がはじめたもの。この三つだ。
 ~(略)~ 都の公認学校は二十六校だが、私設、私営のドレス・メーカー学院は数知れずという。
 よつぽど、儲かるものらしい。少ないところで五、六十人、多いところは生徒二千名を数える。



『週刊朝日』1948(昭和23)年2月8日号の表紙は真っ赤なスポーツカー?の前でポーズを決める女性です。
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 やはり、島村ふさの が次のように解説しています。

 ラクダ色のオーバー――そでが特別大きくゆるやかで、着易い感じがします。えりはシンプルでボックスに仕立て、ベルトで引きしめても結構です。

 そして、この表紙の画家が…
 なんと!古い茅葺の民家の絵を描き続け「民家の向井」と呼ばれた向井潤吉(1901-1995)なんですね。
 向井潤吉はフランスに留学後、戦前は二科展にフォーヴィスム調の作品を出品して活躍しており、民家作品としての作風が確立するのは昭和30年代に入ってからだったようです。

 この号では、海外情報として次のような記事が載っていました。

 吹きさらしのスタンドに水ッパナをすすりながら見たフットボールの試合を、今では全米の大都市の市民達はスティームで温かいソファの上やバァーのスタンドでチビリチビリとやりながら娯しめるようになつたんだから、「1948年はテレビの年だ」というNBCの全ページ広告もピッタリしてきた。

 日本でテレビ放送が開始されたのは、1953(昭和28)年。皇太子明仁親王(今上天皇)御成婚の中継をきっかけにテレビ受像機が一般に普及して、日本でも「テレビの年」と言われるようになったのは、1959(昭和34)年ですね…

 この当時は、ラジオが主流でした…
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by suzu02tadao | 2016-01-15 08:10 | Comments(0)

『週刊朝日』1947(昭和22)年11月30日号

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 この『週刊朝日』の表紙を手がけているのは岡田謙三(1902-1982)です。
 岡田謙三も1950年に渡米して、日本の伝統的ともいえる優雅な色感の抽象表現の作品がアメリカで高く評価されるのですが、そういう点では猪熊弦一郎や高井貞二と共通したところがあります。


 「絵日記」では、岡鹿之助(1898-1978)が藤田嗣治(1886-1968)と対談した様子を書いています。
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 パリに到着早々、落着いたのが数日前まで住まつていたという藤田さんのアトリエだつた。
 藤田さんは、そのアトリエの内部を油絵にして私に贈られた想い出などから話を始めて、ひどい貧乏時代のパンを得るためにモデルになつた話や、最後の服まで売飛ばして、友だちのそれも一着しかない服を代わりばんこに着ては外出し、留守番役は裸で寝台にもぐり込んで友だちの帰りを待つていなければならなかつたというような話が次から次へと出てくる。
 当時の黒々としたおかつぱ頭は、銀白に変つているが、藤田さんの語気には変ることのない若々しさが満ちていた。


 数年後に藤田嗣治は戦争協力の罪を非難され、渡仏することになるのですが…それを思えば複雑な気持ちになります。


 この年に関東地方や東北地方に大きな災害をもたらしたカスリーン台風による「水害地の家屋」を今和次郎(1888-1973)が書いています。
 都市風俗を調査・研究した「考現学」の印象が強い今和次郎ですが、もともとは日本列島を襲う様々な災害に心を痛め、「経世済民の思想」として民俗学を志したのでした。
 挿絵は須田剋太(1906-1990)です。
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 建築家・辰野金吾の長男、フランス文学者の辰野隆(たつの ゆたか、1888-1964)による連載対談「忘れ得ぬことども」は大変に好評で、『週刊朝日』の発行部数を大幅に伸ばしたようですが、この回は谷崎潤一郎です。
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 いきなり、< 正にエロ寺の大和尚といいたいところだ >と谷崎に言ってますが、二人は中学同窓のため、まさに忌憚のないやりとりが楽しめます。
 この当時は、ちょうど『細雪』の連載中でした…

 辰野 最近の「細雪」は、こつちの読むときの気分だろうけど、初めから終いまで君が息をつかずに書いたような気がしたナ。悠々たる流れに乗つている。

 谷崎 そうかナ。まあ、下巻は一気に書こうと思つてるんだけど、やつぱり休んだり何かして・・・。自分は早く書いてしまおうと思つているんだけど、とにかく中篇が上篇より長くなつて、下篇がまた中篇より長いからね。それでも今年中には書けるかも知れないね。血圧が高くなつてから、書くのがのろくなつちやつてネ、加減して書くから。


 挿絵は熊谷守一(1880-1977)。
 
 24ページしかない非常に粗末な体裁の雑誌ですが、内容は豪華!ですね…
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by suzu02tadao | 2016-01-12 08:00 | Comments(0)

『週刊朝日』1947(昭和22)年9月21日号

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 昨年末に、終戦間際の昭和20年代にもかかわらず、とてもポップでオシャレな表紙の『婦人画報』を紹介しましたが、この雑誌『週刊朝日』の表紙を手がけているのも猪熊弦一郎です。

 雑誌といっても、表紙を含めて24ページしかないもので、非常に粗末な紙が使われており、掲載の広告からも、やっと復興期をむかえつつあった当時の様子がうかがえます。
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 表紙の他にも、様々の画家が挿絵やコラムを手がけていますが、洋画家の鈴木信太郎(1895-1989)は「絵日記」の中で次のように書いています。

 このごろやっと画室をかたづけて秋の展覧会の画をかき出した。暑くてやりきれない。昔から夏は汗だらけで画をかくことに相場がきまつていて、アトリエ暮しも三、四年ぶりで、ボロだが、またなつかしい。
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 そして、ここにも高井貞二が挿絵を載せていました。
 なお、水谷準(1904-2001)は、かつて『新青年』の編集長をしていた小説家です。
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 高井貞二は、2013年に兵庫県立美術館で開催された展覧会「昭和モダン:絵画と文学 1926-1936」でも取り上げられており、図録では次のように解説されています。

 1930年に上京して古賀春江とも知り合った高井は、同年から二科展に出品してモダニズム派に加わった。
 機械形態や海外雑誌などのタイポグラフィの扱い、直線と平面による構成など、モダンな要素が多く見られる作品。


◇「感情の遊離」1932年
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 この当時の『週刊朝日』は、アメリカン・コミックス「ブロンディ」の連載も話題を呼んだようです…
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by suzu02tadao | 2016-01-09 07:35 | Comments(0)

岬にての物語

「鵜原風景」安井曾太郎(1935年)
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 このところ、終戦間際の昭和20年代に刊行された雑誌にハマっている私ですが…
 年末の古本市で、1946(昭和21)年の文芸雑誌『群像』11月号を手に入れて、三島由紀夫『岬にての物語』を読み進めるうちに、上図の絵が目に浮かび、調べてみると、やはり、三島が1937(昭和12)年の夏、12歳の時に母と妹と弟と訪れた房総半島の鵜原を舞台にしたものでした。

 2013年に兵庫県立美術館で開催された展覧会「昭和モダン:絵画と文学 1926-1936」の中でも、「鵜原風景」はとても印象深い作品だったのですが、図録では次のように解説されています。

 真夏の太陽の下のダイナミックな外房の風景によって、1930年代の安井は独自の筆触、色彩の明度を感得できた。足場の悪い戸外で描かれたが、不安定な立ち位置が緊張感のある構図をもたらした。

 陽光が降り注ぎ、草花の生い茂る夏の岬を舞台に、恋人たちが自ら選んだ恩寵としての死を描く『岬にての物語』。
 この絵を眺めながら読むと、「“憂愁のこもつた典雅な風光”にふさわしい古典的な文体」がより一層リアルに味わえます…
 以下、抜粋。

< 遥か遥か下方の巌根に打寄せる波涛の響き、その遠く美しい風景からは、抽象されて、全く別箇の音楽となり、かすかに轟く遠雷のやうになつて天の一角からきこえて来るので、めくるめく断崖の下に白い扇をひらいたりとざしたりしてゐる波涛のさま、巌にとびちる飛沫、一瞬巌の上で烈々とかゞやく水、それら凡ては無音の、不気味なほど謐かな眺望として映るのであつた。>

< 多くの野萩や盗人萩がひきとめるのに任せながら。ある地点まで来ると気付いた。忽ち断崖があらはれて、向ふの別荘との間に深く切り込んだ海の峡谷を示してゐたのだ。しかしそこに立つて呆然とした私の耳は、風に乗つて来る先程の音を明瞭に聞き分けはじめた。――オルガンだつた! 私はたまらない気持に襲はれ、その峡谷を跳越えたいとさへ思つた。目で道を求めると、あのまるで別方向へ向ふかにみえた小径は、峡谷の鋭角に沿うて曲りながら、目の前の別荘へとゆるやかな迂路をゑがいてゐるのが発見された。>

< 或る音が不思議な軋りを立て或る音が全くきこえないオルガンはこはれてゐるらしかつたが、それがその音楽に云はうやうのない神秘な感じを与へるのだつた。歌声は次第に耳に馴れた。澄明な夏の小川の底にすれあつてサラサラ音立てる小石の数々がみえそめるやうに・・・
  ・・・・・・・・・・・
  ・・夏の名残の薔薇だにも
  はつかに秋は生くべきを
  けふ知りそめし幸ゆゑに
  朽ちなむ身こそはかなけれ
  ・・・・・・・・・・・
 それは哀愁のこもつたなつかしい歌声であつた。>

< 断崖ははるかに水平線を超えて空を限り、今去りゆく雲のために白い岩床を眩しく刃のやうに輝かせてゐた。私は疲れた足をひきずつてやがてその先端に立つた。沖は続く紺青がそこへ近づくに従つて色濃く、そこから截然と明るい雲の峯が立ち昇る美しい境界をみせて、やがて没せんとして傾きかけた太陽の、雲の間から目じらせする赫奕たる瞳に応へてゐた。>


 『岬にての物語』は、1945年、戦禍が悪化し空襲が激しくなる中で、三島が遺作となることを意識して書かれた作品で、まさに三島の小説の特長が凝縮されています。

 この作品が載った『群像』11月号は、戦後の混乱期の中で文芸復興を目指した創刊第2号ですが、編集後記には次のように書かれています。

 本誌創刊号が描いた波紋は、われわれの想像の一線を、はるかに越えるものがあつた。さまざまの声の中に立つての心持ちは、率直に言つて、感動――の一語につきる。すべての声を、われわれは謙虚に「励まし」とうけとつて、歩いてゆきたいと思ふ。

 この雑誌の巻頭口絵が印象派の画家、モネの「エトルタ(アヴァル)の断崖」というのも象徴的に思えます。
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by suzu02tadao | 2016-01-06 09:15 | Comments(0)

「お正月の旅 1956」と初詣(2016)

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 天王寺鉄道管理局発行の「お正月の旅 1956」です。
 ちょうど、今から60年前なので、やはり申年でした。
 簡単な略図が載っていたのですが…
 あれま!まだ環状線になっていないではありませんか…!
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 ちなみに大阪環状線となったのは、それから5年後の1961年でありました。
 初詣の場所は今と変わりないようです。

◇大阪のお正月
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◇京都のお正月(平安神宮)
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◇奈良のお正月(春日大社)
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 さて、今年の初詣は…
 上の地図の平野駅にある杭全(くまた)神社に行ってきました。
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 この辺りは以前にも紹介した平野郷で、古い町並みが残っています。
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by suzu02tadao | 2016-01-03 17:35 | Comments(0)