1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29
以前の記事
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
more...
お気に入りブログ
ヴォーリズを訪ねて
近代建築Watch
レトロな建物を訪ねて
Books & Things
最新のコメント
そうですね… 黄葉..
by モダン周遊 at 10:40
こちらの重厚さも良いです..
by 雪だるま at 06:00
普段の屋上テラスは、 ..
by モダン周遊 at 16:03
芝川ビル 雪だるまもこ..
by 雪だるま at 05:53
それほど見栄えのするもの..
by モダン周遊 at 12:46
これは知りませんでした ..
by 雪だるま at 22:45
内部はイケフェスの時に撮..
by モダン周遊 at 06:49
こちら 外観は何度も撮..
by 雪だるま at 05:46
そうなんです 見所が随..
by モダン周遊 at 11:10
元はホテルだったこの建物..
by 雪だるま at 05:56
メモ帳
最新のトラックバック
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
マルモッタン・モネ美術館..
from dezire_photo &..
美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..
【姫路の老舗映画館が消え..
from ジョニー暴れん坊デップの部屋
個性的なビルがいっぱい:..
from 本読みの記録
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2016年 02月 ( 11 )   > この月の画像一覧

毛馬水門 <1>

c0239137_714058.jpg
 以前に、淀川の上流にあった京都・伏見の三栖閘門を取り上げましたが、淀川は古くから京都と大阪を結ぶ交通の要でした。
 特に江戸時代には舟運が活性化し、物資や人々を乗せた様々な船が、にぎやかに往来していたようです。
 しかしながら、淀川はたびたび氾濫して大きな被害をもたらしていました。そのため明治29年より、新淀川の開削を含む淀川改修工事でつくられたのが毛馬水門でした。
c0239137_7144734.jpg
 「毛馬第一閘門」は、1907(明治40)年に、新淀川と分岐する旧淀川(大川)への水量調節する毛馬洗堰と共に建設されたもので、船舶通過のために水位を調整するための設備でした。
 現在は使われていませんが、貴重な産業遺産として整備保存されていて、国の重要文化財に指定されています。
c0239137_7171567.jpg

c0239137_7172646.jpg

 さすがに、100年以上歴史のある施設だけに、見どころが満載です…
c0239137_7175382.jpg

c0239137_7193100.jpg

c0239137_7191434.jpg

c0239137_7192920.jpg

c0239137_7194224.jpg

c0239137_7205845.jpg

c0239137_721176.jpg

c0239137_7213312.jpg

c0239137_7214373.jpg
 周囲には桜の木が連なって植えられていて、ちょっとした花見の名所のような…
 再度、桜の季節に来てみようかと思ってます。
c0239137_7232721.jpg

 第一閘門の傍らには、1910(明治43)年に淀川改修工事完了を記念して建てられた「淀川改修紀功碑」があります。
c0239137_723562.jpg
 洋風建築の意匠と和風の意匠をミックスしているように思えますが、高さ10.6mの堂々たるもので、国の重要文化財に指定されています。
c0239137_724204.jpg
 ところで、この碑の周囲には「毛馬の残念石」という大きな石が数個転がっていたのですが、これらは江戸時代に大坂城を再建するときに、廃城となった伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落し、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされています。
 こんなところにも、伏見と大阪の深いつながりを感じてしまいます…

 ――――――
[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-29 07:30 | Comments(0)

烏丸御池辺り

c0239137_7514757.jpg
 前回取り上げた大丸京都店東側の高倉通を北に向かい、錦市場を過ぎて更に三条通まで歩くと、京都文化博物館(旧日本銀行京都支店)があります。

c0239137_7521838.jpg

c0239137_7522818.jpg
 ここから更に北に向かい、烏丸御池辺りをブラブラすると、以前に取り上げた京都国際マンガミュージアムなどもあって、レトロな雰囲気が楽しめます。

c0239137_7551045.jpg

c0239137_7552079.jpg

c0239137_7553079.jpg

c0239137_7572722.jpg

c0239137_7573647.jpg

c0239137_7574788.jpg

c0239137_758899.jpg

c0239137_7581871.jpg

c0239137_7583427.jpg

c0239137_759785.jpg

c0239137_7591614.jpg
 新風館は、吉田鉄郎が設計した旧京都中央電話局(1926年)を改装し、2001年にリニューアル開業したファッション・グルメ・インテリアなどの店舗が入る複合商業施設ですが、新たにホテルなどの複合施設に建て替えるため3月で閉館します。
c0239137_7593818.jpg

c0239137_7594813.jpg

c0239137_7595846.jpg

 この建物はデザイン的な価値が高いため残るようです。
c0239137_80239.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-26 08:05 | Comments(2)

大丸京都店

 御入洛の節には御買物の如何に拘らず大丸へ御遊び下さいませ
c0239137_7281022.jpg
 昨年末に大丸心斎橋店がリニューアルされる事を取り上げましたが、大丸京都店もW・M・ヴォーリズの設計で、1928(昭和3)年の完成当時は心斎橋店に匹敵する華やかさだったそうです。
 上図はその当時の華やかさを今に伝える大丸京都店の広告ですが、これは以前に紹介した昭和6年の京大オケの演奏会パンフレットの裏表紙で、実はこの広告に惹かれたというのも入手の理由の一つでした。

 数年前までは、高倉通に面した東側の壁面に当時の面影を残すヴォーリズの意匠がありましたが、現在の外観は全て改装されており、当時の意匠はごく一部だけになってしまいました。
c0239137_7313980.jpg

 東側の階段部分には今でもヴォーリズ飾灯具などの意匠が残されています。
c0239137_733491.jpg

c0239137_7331323.jpg
 この付近だけが当時の雰囲気を伝えていて、階段を上り下りするだけでタイムスリップしたような気分になります…
c0239137_734353.jpg

c0239137_734149.jpg
 フロア表示も当時のままのようです。
 書体がなかなかステキですね(^^)
c0239137_7343711.jpg

c0239137_7344783.jpg
 心斎橋店でもおなじみの八芒星の意匠がここでもいたるところで使われています。
c0239137_7355756.jpg

c0239137_736744.jpg

c0239137_7361711.jpg

c0239137_7362758.jpg

 先日、手に入れた昭和5年発行の絵はがきです。
c0239137_737231.jpg

c0239137_7371139.jpg

c0239137_7372459.jpg

c0239137_7373610.jpg
 この絵はがきを見ると、屋上もなかなか凝ったつくりだったようですが、北尾鐐之助は『京都散歩』近畿景観(昭和9年)の中で次のように書いています。

 四条高倉の大丸呉服店の露台は、京都の周囲を観察するのにいちばんよい位置にあるのだが、惜しいことに動物の檻だとか、甘酒屋だとか、子供の遊び場などになつて、展望を塞いでゐる。
 ~(略)~京都へ来た人々が、このパノラマ台に立って四方を眺めたら、自分等の遊覧の足跡を拾つて、周囲の山々に見ゆる堂塔の位置を話し合うであらふに、さういふことに利用されてゐないのは=或ひは整理に困るかもしれぬが=実に惜しいことだとおもふ。


 また、日本城郭史研究でも知られる西洋史学者の大類伸は『歴史と自然と人』(1921年)の中で次のように書いています。

 京都の繁華の中心である四条通りに屹立した大丸呉服店の大建物は、確かに新しい京都を代表する有力なものであらう。併し私がそこに深い興味を感じたのは、デパートメント・ストアとしての意味ではなく、実は京都全市を展望するのに、其の屋上の露台が最も適当と考へたからである。

 もっとも、この大丸呉服店は現在の建物ではなく、1912(明治45)年に建てられたインド・サラセン式の鉄骨木造3階建ての建物のことですが…
c0239137_7401958.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-23 07:45 | Comments(0)

春の澱川橋梁

c0239137_7314645.jpg
 単純トラス橋として日本最長の澱川橋梁(よどがわきょうりょう)。

 春の花とトラスが溶け合うシルエットが幻想的でした…
c0239137_7321151.jpg

c0239137_7322477.jpg

 でも、飾りのない鉄骨の力学的構造そのままの機能美こそが、この橋の最大の魅力ですね…
c0239137_732491.jpg

c0239137_7325938.jpg

c0239137_733852.jpg

 1928(昭和3)年の完成以来、実に90年近くほぼ竣工時のままの姿で使用され続けています。
c0239137_7342451.jpg

 国の登録有形文化財です。
c0239137_7344564.jpg

 歴史を感じさせるディテール。
c0239137_735927.jpg

 ところで、宇治川にかかる橋なのに何で「澱川橋梁」なのかというと、宇治川は淀川の本流になるため、正式な河川名は淀川なのだということです。
c0239137_7353345.jpg

 水温む宇治川…
c0239137_7355512.jpg
c0239137_736951.jpg
 さて、澱川橋梁ができた当時、伏見は交通の要衝となっていましたが、江戸時代からの船宿として観光名所になっていた有名な「寺田屋」が、『新近畿行脚』(昭和6年)では次のように紹介されていました。

寺田屋
 もと淀川船客の旅人宿を業としてゐた。文久二年四月二十三日薩藩の過激攘夷論者有馬新七外八士が同藩の温和派と戦ふて死んだ所である。碑を建てゝ之を彰し薩藩九烈士遺跡志と題して居る。


 今日では、上記の寺田屋事件よりも、幕吏の襲撃をうけた坂本龍馬が、おりょうさんの機転で危うく難を逃れた坂本龍馬襲撃事件のほうが有名ですね。
c0239137_7401267.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-20 07:45 | Comments(0)

三栖閘門

c0239137_816472.jpg
 昨年暮の全大阪古書ブックフェアの講演会では井上章一氏が、伏見城(桃山)は秀吉の最晩年につくられた城だから、安土桃山時代という呼称は適切でなく、安土大阪時代、もしくは大阪時代とするべきであると主張して、聴衆の大多数を占める大阪人?に大ウケでしたが…

 それはともかく、伏見城ができると共に宇治川と濠川を結ぶ形で伏見港ができ、伏見は交通の要衝となりました。
 そして、江戸時代から明治時代には、大阪~京都間を結ぶ舟運の流通拠点となって、伏見港は「京都の玄関口」として栄えたのでした。

 三栖閘門(みすこうもん)は、伏見港と宇治川を結ぶ施設として1929(昭和4)年につくられました。2つのゲートで水位を調節し、水位の違う濠川と宇治川を連続させて、船を通す施設です。
 昔はたくさんの船が閘門を通って、伏見と大阪の間を行き来していました。

 今では舟運は無くなり、閘門としての役目は終わっていますが、伏見港の歴史・文化を語り継ぐ施設として残っています。
c0239137_8181494.jpg
 船着場もつくられていて、観光シーズンには十石舟が運航されているようです。
c0239137_8251014.jpg

 幅9mもある鋼製のゲートは迫力があります。
c0239137_8253997.jpg

c0239137_825481.jpg

c0239137_8255776.jpg

 閘門の傍らにある「伏見みなと広場」には、かつて閘門のゲートを上下に動かしていた巻上機がモニュメントとして置かれています。
c0239137_8281582.jpg

 三栖閘門資料館(旧・三栖閘門操作室)。
 手前にあるのは、伏見と京都を行き来していた高瀬舟です。
c0239137_8283929.jpg

 「伏見みなと広場」のお地蔵さんの向こうに三栖洗堰が見えています。
c0239137_8325226.jpg

c0239137_833737.jpg
 三栖洗堰は1926(大正15)年の完成で、現在も堰として機能しています。
c0239137_8333386.jpg

 次回は、ここから宇治川の上流に見える澱川橋梁を訪ねることにします。
c0239137_8335888.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-17 08:35 | Comments(0)

マダム・バタフライ

c0239137_8291933.jpg
 前回、<文化芸術の創造・発信拠点>と謳われるロームシアター京都について紹介したように、この地では昔から世界的名演奏家等の公演が行われてきましたが、1930(昭和5)年には、岡崎公会堂で日本楽劇協会のオペラ「お蝶夫人」の公演がありました。

 堀内敬三:訳、総指揮:山田耕作、演技指導:土方与志…と、その当時の日本を代表するメンバーが揃っています。
 尚、主演の松平里子は、翌年にはイタリアに留学しますが、病に倒れミラノで客死。36歳の若さでした。


 ちょうどこの公演があった頃にコロムビア・レコードより、「マダム・バタフライ」のレコードも発売されたようです。
c0239137_8301714.jpg
c0239137_8331888.jpg

 主演:ロゼッタ・パンパニーニ 、ロレンツォ・モラヨーリ指揮のミラノ・スカラ座管弦楽団のこのレコードは、現在もCDとして販売されているようです。
c0239137_8332797.jpg


 さて、こちらは1954(昭和29)年、関西交響楽団の「お蝶夫人」のパンフレット(というよりチラシ)です。
c0239137_8461060.jpg
 朝比奈隆が、さまざまなジャンルの芸術家を巻き込んで上演した意欲作のオペラで、八代目坂東三津五郎(当時簑助)、映画監督の武智鉄二、日本画家の秋野不矩が関わっていました。

 公演が行われた大阪歌舞伎座はこの当時は千日前にありました。
c0239137_8502860.jpg

 ところで、今日では「蝶々夫人」と呼ばれるのが普通ですが、この当時までは「お蝶夫人」だったようです。
 それは、蝶々夫人のモデルとして有力視されていた、イギリス商人トーマス・グラバーの妻となった談川ツルが「お蝶様」と呼ばれていたからなのですが、真相は曖昧なようです。

 ともあれ、数年前に行ったグラバー園のことを思い出しました…
c0239137_852176.jpg

c0239137_852102.jpg

c0239137_8522057.jpg

 隣の大浦天主堂。
c0239137_8524237.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-14 08:55 | Comments(0)

ロームシアター京都

c0239137_1004125.jpg

 長い間、京都を代表する多目的ホールとして親しまれてきた「京都会館」が、「ロームシアター京都」として新しく生まれ変わりました。

 <文化芸術の創造・発信拠点として、文化芸術都市・京都の名を高め、京都のまち全体の発展に寄与することを目指す>と、そのコンセプトは厳めしいですが、多目的ホールに加えて、パークプラザには蔦屋書店やスターバックス、カフェ&レストランが入っていて、より親しみ易い施設になっています。
c0239137_1011167.jpg
 屋外スペースを効果的に使った、飲食しながら本が読めるテラス席がオシャレです。
c0239137_1023391.jpg

 このストーブ、なかなか雰囲気があります…
c0239137_1025760.jpg

c0239137_103773.jpg

c0239137_1032753.jpg

 日本モダニズム建築の旗手と言われた前川國男の作品をリノベーションしていますが、オリジナルのデザインが活かされており、改装前と比べても一段とブラッシュアップしたように思えます。
c0239137_1035039.jpg

c0239137_106111.jpg

c0239137_1062293.jpg

c0239137_1063488.jpg

c0239137_1073154.jpg

c0239137_107455.jpg

 京都を特集した本やアート系の本が揃う蔦屋書店。
 ガラスに映るのは旧岡崎公会堂東館(京都市美術館別館)です。
c0239137_108576.jpg

 野外イベント会場としても使用されるローム・スクエアから岡崎公園、東山を望む景観がGOOD!です(^^)
c0239137_1092958.jpg

 パークプラザの3階は、蔦屋書店が選んだ伝統文化や芸術関係の本を読みながら、自由にくつろげるギャラリースペース「BOOK&ART GALLERIA」になっています。
c0239137_10103092.jpg

 パークプラザの入口にはパーソナルロボット・ペッパーくんのインフォメーションがあります。
c0239137_10105989.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-11 10:15 | Comments(0)

大演奏会:岡崎公会堂

c0239137_10492877.jpg
 手作りの工芸品風の風合いに魅せられて手に入れたのは、昭和3年の京都市の岡崎公会堂での演奏会のパンフレットです。

 ちょうどこの時期に大礼記念の京都大博覧会が開催されており、この演奏会も御大典奉祝となっています。
 京都ストリングオーケストラは、指揮者が関西音楽界の父と言われたエマヌエル・メッテルであるところから、京大オケ(京都大学交響楽団)が中心のアマチュア・オーケストラだと思われます。
c0239137_1051109.jpg
 メッテルの門人には朝比奈隆や服部良一がいたのですが、私がこのパンフレットに興味を持ったのは、昭和3年にメッテル目当てに京大に入学して、京大オケに参加した朝比奈隆が演奏者の中にいたのではないかと思ったからです。

 そして、同時に手にいれたのが昭和6年の京大オケの演奏会のパンフレットです。この演奏会も岡崎公会堂(京都市公会堂)で開催されています。
c0239137_1052060.jpg

 この演奏会のメンバーの中に、ヴィオラを担当していた朝比奈隆がいたのでした。
c0239137_10552143.jpg

 後援会報でもあるこのパンフレットには、演奏会の内容だけでなく、楽団の活動についても記されています。
c0239137_1056199.jpg

 音楽に対して真摯で厳格であったメッテルには数々のエピソードが残されているようですが、日々の活動を記した「ジンタの日記」からは、その一端が伺えます。

< 十一月二日(月) 第二十一回定期演奏会を公会堂で開く。満員の盛況なり。会後、四条矢尾政にて慰労会を催す。席上、親爺(メッテルのこと)に「何か一つ」とテーブルスピーチを求むれば、曰く「わたし怒る事よりほか何も知りません。まだあります。皮肉」と。けだし、遜辞なりと雖も、又至言ならんか。>

< 十五日(月) 親爺の和声学講座第一回。聴講生十四名に達す。本日も夫人、親爺の容体を気づかひて京都迄同伴。誠心吾人を衝くものあり。七時より練習。親爺の機嫌よければ小林氏のスタデイオにて写真を写してもらふ。けだし小林氏の写真、浅井氏のレストラン、今西氏の菓子、朝比奈先輩の阪急は本職として、・・・云々 >


 < 朝比奈先輩の阪急は本職として >とあるとおり、朝比奈隆はこの年に京大を卒業して阪急電鉄に就職しています。

 演奏会の後の慰労会を催した西洋料理レストラン「矢尾政」は、楽団の主要スポンサーであったようで広告を載せていますが、ここは今、東華菜館になっています。
 もう一つの広告の「サロン・エランビタル」は、いかにも京都の喫茶店という雰囲気ですね…
 ところで…エランビタル(élan vital)とは、ベルクソンの哲学用語…です。
c0239137_1101684.jpg

 京大オケの演奏会が行われた岡崎公会堂は岡崎公園内にありましたが、『新近畿行脚』(昭和6年)では次のように紹介されています。

岡崎公園
 明治二十八年第四回内国勧業博覧会がこの地に開設せられた時、買収せられたもので、同三十七年公園地に編入し、後大正三年及び五年の両度に地域拡張せられて現在参万坪。園内には各種の体育施設・勧業館・商品陳列所・府立図書館・公会堂等の設備がある。


京都府立図書館【1909(明治42)年】
c0239137_1151772.jpg
c0239137_1152626.jpg
 京都府立図書館の隣には昨年の12月より、観光案内所「岡崎・市電コンシェルジュ」として京都市電車両が置かれています。
c0239137_1155231.jpg
c0239137_116029.jpg
 ところで、この当時の岡崎公会堂は大正6年に建てられた本館で、世界的名演奏家や名独唱家の公演に使用され、大正10年にはアインシュタイン博士の講演会の会場にもなりましたが、昭和9年に室戸台風により完全に崩壊。その後は、昭和5年に隣に建てられた公会堂東館が岡崎公会堂の呼び名で親しまれました。

 そして、昭和35年に公会堂本館の跡地に建てられたのが、前川國男が設計した京都会館だったのです。
 さて、次回は…岡崎公会堂本館跡地の現在を訪ねることにします。
c0239137_1171047.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-10 11:10 | Comments(0)

Japanese Modern 斎藤清

c0239137_14413646.jpg
 フランスを代表するピアニスト、アルフレッド・コルトーが、1952(昭和27)年に来日して、公演を行った時のパンフレットです。

 表紙を飾る版木の目を生かした独特の木版画は、斎藤清(1907-1997)の作品。
c0239137_14424510.jpg

 斎藤清は1950年、サンパウロビエンナーレ展で受賞するなど既に国際的に活躍しており、この表紙と同じモチーフの作品も制作していたようです。
c0239137_14435399.jpg

 浮世絵版画の伝統的技法を取り入れながら、西洋の画家と同じように単純化したフォルムで日本的情感を表現して、戦後いち早く海外で認められた斎藤清ですが、晩年の代表作「会津の冬」シリーズにも、その作品の特長がよく表れています。
c0239137_14442289.jpg

 当時、斎藤清はこの公演のスポンサーであった朝日新聞社に勤めており、パンフレットの表紙だけでなく装幀デザインも全て手がけていたと思われますが、なかなか洒落ています。
c0239137_1448344.jpg

c0239137_14494316.jpg

 アルフレッド・コルトーはこの時が、最初で最後の来日で、全国各地で公演を行い大きな足跡を残しましたが、今でも伝説になっているようです。
c0239137_14541075.jpg
c0239137_14571217.jpg

 このパンフレットは宝塚大劇場の演奏会のものです。
 オーケストラは関西交響楽団、指揮者は朝比奈隆でした。
c0239137_14562165.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-07 15:00 | Comments(0)

「相互タクシー 北新地のりば」と羊たち

c0239137_10554817.jpg

 たまたま見つけた、胸キュンもののキュートでモダンな建物!
c0239137_10561916.jpg

 まさに…街角のポップ・アートですね!
c0239137_10564449.jpg
 家に帰ってから、調べてみたら、ちゃんと『いいビルの写真集』には載っていて、次のように解説されていました。

窓の庇がまるで社章付きの帽子のよう。ガラスもわざわざ曲面のものを使用。小さいけれど、このサイズの中にこだわりがいっぱい。
c0239137_10581830.jpg
 庇に対応してカーブを描く赤いラインがステキです…
c0239137_1123186.jpg

 相互タクシーのモダンスタイルの営業所は、1950~1970年代の間に京阪神に21軒も建てられたようですが、残っているものは数少ないようです。
c0239137_1059052.jpg

 実は、「いいビル」の遺物、新ダイビルの羊たちに会いに来た帰りに遭遇したのが「相互タクシー 北新地のりば」だったわけで…

 こちらもキュートですね(^^)
c0239137_10592881.jpg

c0239137_10593760.jpg

c0239137_1132661.jpg

c0239137_1133654.jpg

c0239137_113452.jpg

c0239137_1135564.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2016-02-04 11:05 | Comments(0)