1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2016年 05月 ( 11 )   > この月の画像一覧

日本工芸館

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 何時の時代にも庶民生活と深く交わる民芸は、無名の工人の手で作られたものでありますが、非常に美しい品々を生んでおります。
 日本工芸館はこれ等現存民芸の技術保存と育成、普及に努め、併せて庶民生活の美化運動にも寄与したいとその運動を進めています。
 展示の民芸品は我が国が生み出した伝統的工芸品です。この民芸品は今や世界的に高く評価されています。

   日本工芸館 公式サイトより(抜粋)
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 日本工芸館の良いところは、展示室はともかく、屋上では割と雑然と、しかも雨ざらしで民芸品の陶器が置かれているので、気軽に鑑賞できることです。

 一つ一つを見てゆくと、それぞれが素晴らしくて、かつて柳宗悦が感動したのも頷けます。
 無名の工人と言っても、その窯場では定評のあった名人がつくったものであろうし、いわゆる民芸作家と呼ばれる大家のものより、よほどいいものが多いと思います…
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 日本工芸館は、大阪難波の府立体育会館のすぐ近くにあります。
 設計者は浦辺鎮太郎で、1960(昭和35)年に建設されました。
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 玄関を入るとすぐに民芸品が出迎えてくれます。
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 近くにある難波八阪神社のユニークなことで有名な獅子舞台も、日本工芸館を見た後で行くと違和感はありませんでした。
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by suzu02tadao | 2016-05-31 11:15 | Comments(0)

昭和モダン恋々「心斎橋」

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 大丸心斎橋店の本館はすっかりフェンスに囲まれてしまいました。
 内部はすでに解体工事に入っています。
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 外観のほとんどは見ることができなくなりましたが、フェンスの間から、そこだけが顔を出している水晶塔は、この建物が完成した2年前にできたエンパイアステートビルに確かによく似ていますね。
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 周りをフェンスに囲まれて、この部分だけが強調されているためか、幾何学的なアールデコ・スタイルの装飾がいっそう素晴らしく感じられ、郷愁を誘います…
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 大丸心斎橋店本館が完成した昭和8(1933)年には、地下鉄御堂筋線の梅田〜心斎橋間が開通して、華麗なゼツェッション様式に彩られた心斎橋駅と百貨店が地下で結ばれましたが、その地下鉄駅の出入口付近も、フェンスに囲まれずに残っています。
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 その他で残っているのは、南館との連絡通路付近だけです。
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 近いうちに全てがフェンスに囲まれて、これらの部分も見ることができなくなります。
 (これらを撮影したのは、5月中旬です…)
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 大丸から心斎橋筋を南に歩いてゆくと、心斎橋筋きっての老舗呉服店「小大丸」が入る小大丸ビルがあります。

 このビルは大丸心斎橋店本館完成のちょうど30年後、昭和38(1963)年にできたもので、美しい階段などが魅力的なまさに「いいビル」です。
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 昭和38(1963)年は東京オリンピックの前年ということもあって、三波春夫「東京五輪音頭」が大ヒットしました。
 他のヒット曲では、舟木一夫「高校三年生」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」、坂本九「見上げてごらん夜の星を」などがあります…
 そして、連続テレビアニメ第1号「鉄腕アトム」の放送が開始され、「鉄人28号」、「エイトマン」と続いていったのでした。
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 画廊が入るこのビルの階段に、ポップアート以前に一世を風靡したような抽象画が展示されていたのが印象的でした…
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 更に南にあるジャパンライフビルは、小大丸ビル完成のちょうど20年後、昭和58(1983)年にできたものです。
 この年には、朝ドラ『おしん』が放映され、平均視聴率が52.6% 最高視聴率62.9%という、とんでもない!テレビドラマの最高視聴率記録を樹立しました。
 また、東京ディズニーランドが開園したのもこの年で、この頃からバブル期に突き進んで行き、そのまま平成へと変わっていったのでした。
 バブル当時はこのビルにもよく来たものでしたが、その時はあまり印象に残らなかった、吹抜け部分にある元永定正の作品が時代を象徴しているように思えます…
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by suzu02tadao | 2016-05-28 14:20 | Comments(0)

じないまち再訪

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 昨年と同じ時期に訪れた「富田林じないまち」

 本当は昨年の秋頃に訪れたかったのですが…
 気がつけば、もう一年が過ぎていたのだった。
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 できるだけ、昨年とは違う場所やモチーフを撮影したつもりだったけれど…
 後で確認してみると、昨年と同じような雰囲気のものが多くて…(笑

 そんな中でも、自分なりに、ちょっと発見を感じた情景を集めてみました。
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 今年は天気が良かったせいなのか、「旧万里春の酒蔵」以外でも、屋外でやっている古本市が多かったです。
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なるほどよい酒…
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和風瓦とレンガの組み合わせに萌えました。
 他は漆喰なのに、この壁面だけがレンガです…
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窓の面格子も個性的なものが多いと思います。
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 白壁、格子窓、虫籠窓、本瓦など…
 同じように伝統的な町並も、各家によって様々だということを実感しました。
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はるかに見えるPLの塔。
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 「富田林じないまち」は、江戸時代には商業の中心地として各地から人の集まるところで、幕末の志士たちが身を隠し、各方面に連絡するのに格好の地であったため、吉田松陰も諸国遊歴の途中で滞在していたということです。
 また、明治になってからは、大久保利通が「大阪会議」の直前に、五代友厚らと共にこの地を訪れています。

 このまちを歩けば、今もその当時と同じ風が吹いているような気がします…
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by suzu02tadao | 2016-05-25 13:30 | Comments(0)

月刊「東京と京都」

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 月刊「東京と京都」昭和29年9月号です。

 まったく期待せずに覗いた、中之島まつりの古本市で見つけたもので、表紙(東京風景・長瀬寶/三島亭・徳力富吉郎)に惹かれて手に取ってみると、出版社は白川書院、編集兼発行人は臼井喜之介となっており、後で調べてみたら、昭和25年に創刊されて今に続く、月刊「京都」は、昭和29年新年号から昭和44年4月号までの間は「東京と京都」と改題されていたのでした。

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 スポンサーのほとんどは、京都の企業になっています。

 内容も京都の観光案内的なものが多くなっています。
 但し、この当時は、古都京都の風情がまだまだ残っていたことがわかります…

大原女風景
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方広寺の鐘に興ずる舞妓
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大徳寺・孤篷庵
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木屋町・一養軒
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 一養軒も今も当時と同じ場所にありますが、そういうところが、さすが京都と言えますね…

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 執筆陣も京都在住の人が中心になっていて、他の号では吉井勇や新村出も寄稿しています。
「東京と京都」という題名ですが、京都を中心に他の地域も特集していますという感じですね…

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 編集後記では、臼井喜之介が次のように書いていますが…

 小生、毎月十日間東上しますが、その間だけ下宿させてもらえるような家族的なお家があったら、ぜひ御紹介下さい。日本橋か築地あたりだと都合よく、電話の便はぜひほしいのです。食事は外食しますから、御世話にならなくて結構です。少人数でひろいお家などありがたいと思います。費用と地図をハガキで一報下さいませ。

 更には…

 東海道沿線の方で、その地方の踊りや、行事などの珍しい写真をうつされた方は、説明をそえてお送り下さい。本誌に掲載させて頂きます。

 まだまだ日本は貧しかったけれど、いい時代だったような気がします。

 他の号も数冊手に入れたので、折を見て、いずれまた紹介したいと思います。
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by suzu02tadao | 2016-05-22 12:55 | Comments(0)

中之島公園

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 水の都大阪のシンボルといえば、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島公園ですが、1891(明治24)年に大阪市で初めての都市公園として誕生しました。

 川の流れと中央公会堂、府立中之島図書館などの重厚な建築物が緑に映え、美しい景観を見せていて、また淀屋橋から肥後橋まで延長400mの中之島緑道もあって、都心のオアシスになっています。

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 新緑の中で行われる市民祭り「中之島まつり」は、この季節の風物詩とも言えます…
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 中央公会堂から上流側に歩いてゆくと…

 難波橋があります。
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 更に上流にあるモダンな天神橋。
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 大阪を舞台にした作品で有名な小説家の藤沢桓夫は、中之島公園について、次のように書いています。

 周囲を川の水がひたひたと洗うこの中之島公園は、明治・大正の頃から、大阪人の夏の涼み場所の一つに数えられていて、私なども子どもの頃、夏の夜のそこへ遊びに行った記憶があり、貸ボート屋の提灯の灯が水にゆらいでいたのを今も思い出すが、物の本によると、明治の頃には、船場あたりの大きな商家の旦那衆などが芸者を連れて、このあたりに舟を浮かべて夕涼みをしていると、いろんな食べ物を売る舟が近づいて来て、そのなかには、寿司を売る舟や、しるこ・ぜんざいなどを売る舟もあったというのは、「食い倒れ」の大阪らしい昔話というべきか。またそれらの物売り舟のなかには、落語を売る舟もあったという。すなわち、高座では三流の売れない落語家が舟に乗っていて、
「へい、旦那。お笑いを一席、いかがでござりますやろ」。
 と、落語を売りに来るわけだ。


 昭和の初め頃の中之島公園。
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by suzu02tadao | 2016-05-19 16:50 | Comments(0)

街角レトロ <東横堀川 -4>

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 東横堀川の川辺…

 いちばん上流にある葭屋橋から大手橋辺りまでは公園になっていて、ブラブラと散歩ができるようになっています。
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 舟運が盛んだったころの倉庫と思われるレトロな建物も残っています。
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 他にも東横堀川周辺では、昭和レトロな情景によく出会います…
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 リニューアルした船場センタービルのように、現代的なモダンも楽しめます。
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 東横堀川に架かる橋は、大正から昭和にかけて近代橋となりましたが、近年になってから架け替えられたり、改造されたものがほとんどです。
 しかしながら、どの橋も、そのモダンなデザインを受け継いでいます…
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 さて、長谷川幸延は『大阪歳時記』(昭和46年刊)の5月の項で、かつて八百八橋といわれた大阪を偲んで次のように書いています。

 私は、好きな吉井勇の歌を軸にしたてて

  橋七つこえて通へば曽根崎の 夜半の小唄も身にこそはしめ

 を持っている。七つとは調子であって、数ではあるまい。かりに七つという橋の数を、曽根崎新地から逆算すると、勇の宿はどうなるか。それにしても、いかにも橋の都を一首に描き得てうまいものだ。


 東横堀川の最下流にある上大和橋から直角に西へ曲がると道頓堀川になります。
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 上大和橋を西へ行くと…ミナミの中心、宗右衛門町があって、更には西横堀川の淵に建つリバーウエスト湊町ビルのところに出ます。

  かなしげに水を凝視(みつ)むるひとありて 南地の夜は更けがたきかも

  うつくしき夜を見むとてわれゆきぬ 宗右衛門町の灯(ひ)ともし頃を


 吉井勇は上記の歌も詠んでいます。
 前夜にミナミで遊んだ後、あくる日に曽根崎に通ったと解釈すれば、<橋七つ>はそのまま数のような気もしますが…

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 上大和橋を東へ行くと…高津宮があります。
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 参道にある「北野恒富筆塚」。
 親友の河東碧梧桐が「恒富庵」と刻んだ巨碑で、十三回忌に絵筆を埋めた跡です。
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by suzu02tadao | 2016-05-16 11:40 | Comments(0)

お洒落な!末吉橋 <東横堀川 -3>

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 末吉橋は東横堀川に架かる長堀通の橋です。
 欄干のデザインが、なかなかユニークでモダンなのは、もともと、この橋を架けたといわれる末吉孫左衛門が南蛮貿易で活躍した豪商だったからでしょうか…?
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 現在の橋が完成したのは、1927(昭和2)年ですが、この当時の大阪のデザインは本当にお洒落ですね!

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 目立たないところも凝っています。
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 そして…
 末吉橋の近くの住友銅吹所跡には、わが国最古のビリヤード場があります。
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 玄関のアーチや円柱の飾りは洋風ですが、壁は土蔵造り、屋根は瓦葺きです。
 洋風と和風がうまく調和していて、文明開化期に多く用いられた擬洋風とよばれる様式ですが、この建物もお洒落ですね!
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 ビリヤード場の南側、やはり東横堀川に架かる九之助橋です。
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 九之助橋の一つ南側に架かる東堀橋を東側に渡ったところに、古民家をリノベーションした ヴィンテージロードバイクの専門店があります。
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 この店の前の通りを西に向って御堂筋を過ぎて行けば、アメリカ村三角公園ですが、自転車ではすぐですね…
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by suzu02tadao | 2016-05-13 11:00 | Comments(0)

安堂寺橋ビル <東横堀川 -2>

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 前回の本町橋の下流、いくつかの橋を過ぎたところに安堂寺橋がありますが、そのすぐ西側に建っているのが「安堂寺橋ビル」です。

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 一見すると、何の変哲もないテナントビルで、昭和30年代頃に建てられたようにも見えますが、不思議な存在感があって、調べてみると、竣工年など詳細は不明ですが戦前に建てられたビルでした。

 戦時中の空襲でこのあたりが焼け野原になった時に、このビルは焼けずに残ったのですが、損傷が激しくて大規模な修復が行われたようです。
 そういう点では、安堂寺橋の一つ北側に架かる久宝寺橋の近く、以前も取上げたクツワ株式会社の旧本社ビルと共通しています。
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 玄関を入ると、いきなり昭和レトロな世界です。
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 玄関がビルの角にあるために妙な空間になっていて、急な階段を上るとミステリアスな気分になります…
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 やはり、内部はほとんどが戦前のままのようで、船場にある有名な他の<生きた建築>にも負けない、いい雰囲気です…
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 安堂寺橋から見たビルです。
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 今の安堂寺橋は、1967(昭和42)年にできたものですが、江戸時代には人の往来が盛んで、上方落語の「饅頭こわい」にも登場するように、この橋は自殺の名所として有名だったそうです。
 参考:桂米朝「饅頭こわい」
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 橋を渡ると…
 松屋町には、天保二年(1831)創業の大阪寿司の老舗「たこ竹」があります
 (^^)
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by suzu02tadao | 2016-05-10 11:30 | Comments(2)

本町橋 <東横堀川 -1>

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 本町橋は東横堀川に架かる橋で、江戸時代には高麗橋などと同様に公儀橋として幕府が直轄管理していた橋でした。

 現在の橋は、1913(大正2)年に架け替えられたもので、大阪市内では現役最古の橋となっていますが、普段は気づかない橋脚なども改めてよく見ると、ルネサンス風の凝った装飾が見事なデザインになっています…
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 東横堀川は大坂城築城の際に開削された大阪市で最も古い堀川で、土佐堀川の上流部で南へ分かれて流れており、西へ向きを変えてから下流は道頓堀川となります。
 尚、前回紹介した西横堀川と東横堀川に挟まれた場所が、船場・島之内と呼ばれています。
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 西横堀川と違って埋立てられてはいませんが、やはり阪神高速の経路になっていて、川に蓋をするように高架橋が覆い被さっています。
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 高速道路が開通した当時は、川底にヘドロが蓄積され、ガスが発生するほど汚れていたようですが、その後、水辺再生の取り組みがなされており、特に本町橋周辺は緑が豊かです…
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 橋の傍らには花屋さんもあります。
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 さらには、近くの水辺公園にも花壇がありました…
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 また、橋の傍らには産業振興センターの「大阪産業創造館」があります。
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 大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」で本町橋周辺を見ると、「大阪産業創造館」のある場所には東区役所がありました。
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 この地図にある商品陳列所については、香村菊雄著『大阪慕情 船場ものがたり』の中で次のように書かれています。

 動物園もあり遊園地もあり、展覧会場もあった。遊園地の花園が美しく緑の樹木も多かった。
 庭の傍らに、でっかい鯨の骨や、釣り鐘が置いてあって、宝塚ファミリーランドやあやめ池遊園地などのなかったころは、船場の子供たちには、夢の天国であった。


 商品陳列所があった辺りに、今は「シティプラザ大阪」ホテルと「マイドームおおさか」があります。
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 そして、
 本町通を西に行くと、堺筋本町にあるのが…
 ネオ・ルネッサンス様式のハイカラ・モダンな「明治屋ビル(1924年)」です。
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by suzu02tadao | 2016-05-07 14:40 | Comments(0)

リバーウエスト湊町ビル

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 かつての西横堀川が道頓堀川に注いでいた場所に建つ「リバーウエスト湊町ビル」。

 1935(昭和10)年に阪急電鉄が建てたテナントビルですが、やはり川辺に建つ朝日ビルやダイビルと同じように船を意識したデザインは、その当時、相当にモダンだったと思われます。
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 西横堀川は、以前に取り上げた山内ビルの東側辺りの土佐堀川から分流し、南に向かって流れて道頓堀川に注いでいましたが、現在は埋立てられて、阪神高速道路の高架と駐車場に利用されています。

 高速道路のストリームラインとビルのアールが生み出すシルエットの間から湊町リバープレイスや高層ビルを望む、現代的な光景はなかなか魅力的です…
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 1階部分のテラスはまるで船のデッキのようですが、丸い窓やハッチのようなドアの船を思わせるデザインは戦後に改装されたものだそうです。
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 かつての西横堀川の名残がここに少しだけ残っています。

 テラスの奥に見えている橋は、1929(昭和4)年架橋の金屋橋です。
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 西横堀川はこの金屋橋の上流から埋立てられています。
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 金屋橋の上から湊町リバープレイスの方向を眺めると、道頓堀川に架かる深里橋(ふかりばし)が見えます。
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 深里橋も、右側から書かれたプレートが示すように、1930(昭和5)年架橋のモダン建築です。
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 大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」で湊町を見ると、橋の位置などは今と変わってないことがわかります。
 ちょうど矢印の場所に「リバーウエスト湊町ビル」が建つことになります。
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 今も、水都大阪の面影を残す湊町です…
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by suzu02tadao | 2016-05-04 12:50 | Comments(2)