1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2016年 06月 ( 10 )   > この月の画像一覧

街角レトロ:北浜辺り(土佐堀通~堺筋)

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 うっとうしい天気が続く今日この頃ですが…
 久しぶりに土佐堀通から堺筋辺りを歩いてみると、この季節、なかなか趣きがあることに気づきました。
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 この界隈、街路樹などの緑も多く、木々の間から見え隠れするレトロな街角もいい雰囲気です…
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 土佐堀川畔の紫陽花…
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by suzu02tadao | 2016-06-30 11:10 | Comments(2)

「トロピカル・デコ」和歌山県庁舎

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 大阪・難波駅から和歌山市駅まで行く南海電車の特急の名前を「サザン」と言いますが、まさに「サザン」な和歌山県庁舎ですね…
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 和歌山県庁舎も和歌山県立近代美術館や和歌山城の近くにあって、この界隈は和歌山を代表する文化ゾーンといえます。
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 このステキな建物は、1938(昭和13)年に完成した県庁舎本館ですが、設計は東京大学の安田講堂を手がけた内田祥三を顧問に、県技師の増田八郎が担当しました。
 現役の都道府県庁舎としては、関西以西では初めての国の登録有形文化財ということです。
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 外壁は明るいクリーム色のタイルを使い、最上階は全てアーチ窓とし、正面玄関上部の装飾とレリーフが特徴です。
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 テラコッタ製のレリーフ・パネルがモダンでお洒落です。
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 まさにアメリカのマイアミビーチのリゾートホテルなどに多く見られるアールデコ様式「トロピカル・デコ」ですね…
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 和歌山といえば、近畿地方屈指の海水浴場として有名な白良浜やアドベンチャーワールドがあるのですが、その割には湘南のようにお洒落なイメージがあまりないのが不思議です。

 モダンな近代美術館があって、アメリカン・テイストが似合う和歌山はとてもお洒落だと思うのですが…
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【参考】Tropical Deco
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by suzu02tadao | 2016-06-27 11:15 | Comments(0)

モダン美術館と旧ホテル

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 恩地孝四郎展が開催されていた和歌山県立近代美術館は、公共建築百選にも選ばれている、とてもモダンな美術館なのですが、外観はともかく内部もなかなかステキです。

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 フランク・ステラなどの現代美術の展示物が広い空間の中にあって、窓の外の和歌山城の緑を背景に、椅子やテーブルなどの調度品もまるで美術作品のようです…

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 また、コレクション展では私のお気に入りの作品にも出会え、贅沢な時間を過ごすことができました…

◇佐伯祐三「オプセルヴァトワール附近」
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◇高井貞二「感情の遊離」
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 さて、
 美術館の近辺には、レトロなモダン建築もありました。
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 浜病院は、1951(昭和26)年に占領軍の将校や兵士を相手とするホテルとして建てられた洋風建築です。
 ホテル廃業後は病院となり、現在に至っています。
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by suzu02tadao | 2016-06-24 11:20 | Comments(0)

恩地孝四郎 <My favorite works>

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 1950(昭和25)年発行の『藤沢桓夫(長編小説名作全集)』です。この当時は藤沢桓夫も人気作家として、このような全集が出ていたのですね…

 この本は数年前に、童話のような装幀を手がけたのが恩地孝四郎だったので、思わずジャケ買いしたものです。
 手に入れた時は、恩地の表現の幅の広さに驚きもしたのですが、そこはかとなく漂う「抒情」は、恩地作品に共通するものだと思います。
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 20年ぶりの回顧展ということで、和歌山県立近代美術館の「恩地孝四郎展」を見に行ってきました。

 海外からの里帰り作品を含む版画243点を中心に、油彩、素描、写真、ブック・デザインなど、その領域横断的な仕事も併せて、約400点を一挙公開とのことで、なかなか充実した内容で見ごたえがありました。
 また、作品の額装のイメージを統一するなど、展示の仕方にも工夫が感じられ、好感が持てました。

 そんなことで、帰宅した後も、図録を見ながら、以前に当ブログでも紹介した、装幀本などを取り出してきて眺めているというわけです。

「書窓」
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「みづゑ」
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「EXLIBRIS」
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 展示作品では、雑誌『月映』を刊行した頃の初期の作品がとても充実していて、思わず見入ってしまう作品がいくつかありました…

「望と怖」1914年頃
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 さて、恩地孝四郎は若い頃に竹久夢二との出会いをきっかけに画家を志し、そしてセザンヌに傾倒する中で、カンディンスキーらドイツ表現主義作家の抽象版画に深く共鳴したのですが、具象的な表現の作品でも抽象絵画としての特性を備えているところが魅力だと思います。
 その意味で、今回の展示作品の中の「ノックダウン」はちょっとした発見でもあって、気に入りました。
 ダウンして懸命に立ち上がろうとするボクサーとカウントをとるレフェリーのリアルな姿、それを囲むスクエアなリングとロープの緊張感あふれる構成美…
 エドワード・ホッパーなどの同時代の作品とも共通するモダンでポップな表現ですね。

「ノックダウン」1932年
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 私が行ったのは小雨まじりの展覧会最終日でしたが、緑に囲まれた美術館はなかなか風情がありました。
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【おまけ】
 恩地孝四郎とは関係ないのですが…
 美術館の脇にあった幼稚園のレリーフに、心惹かれるものがありました。
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by suzu02tadao | 2016-06-21 11:30 | Comments(0)

「複雑の調和」大阪風景

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 私はまた道頓堀や心斎橋筋の風物に接して、そのうちに一種『複雑の調和』といつたものを見出した。
 といふのは、この二つの街の風景を造つてゐる雑多な人工的造営物、即ち大は橋、街路、劇場、商店、レストラント、広告塔の類から小は、建物の細部、日除、旗、看板等に至るまでそれぞれ色彩を異にした道具立があゝした狭い道路にふさはしいやうに、すべてがいかにも小ぢんまりと出来てゐて、それら雑多なものが、渾然として一種の集団美を形成してゐることだ。
 これは、やはりあの街には、早くから自づと名うての街に住むといふ誇りが人々の頭にきざしてをり、大阪特有の洗練された技工が表現されてゐるのによるものではなからうかと考へられた。


 橡内吉胤「大阪打診」
(『日本都市風景』昭和9年刊)より
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 橡内吉胤(とちないよしたね、1888-1945)は、以前にも紹介したように、大正末期に都市美協会を設立した日本の都市美運動家の先駆者ですが、次のようにも述べています。

 一体街の風景の考察なんてことは我々の実用生活から縁遠い一種の趣味や道楽の範囲を出ないもので結局どうでもいゝことであるやうに考へられやすい。が、しかし街の風景はその生みの親である人間の風景であり表情であることを考へると、決して軽々視去るべきものではない。

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 橡内吉胤が、昭和の初めに見出した『複雑の調和』は、今もなお大阪市街地の特徴になっていると思います…
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by suzu02tadao | 2016-06-18 14:20 | Comments(2)

道頓堀「松竹座」

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 1927(昭和2)年(5月27日~6月2日)の松竹座ニュースです。
 表紙は、この年の6月13日には24歳になった山田伸吉ですが、後の「具体」の作品を思わせるような、アバンギャルドなデザインですね。

 この当時の松竹座ニュースの表紙はなかなか変化に富んでいてユニークなものが多く、わりと気軽に楽しみながら制作していたと思われます。
 それだけに、失敗作や手抜き?と思われるものがあるのも事実ですが…クリエイティブな作品を生み出すには理想的な環境だったようです。

 この週に松竹座では、サイレント映画時代の大スター、世紀の美男子 ルドルフ・ヴァレンティノの遺作『熱砂の舞』が上映されていました。
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 ヴァレンティノは当時、セックス・シンボルとして絶大な人気を誇り、劇場に出かける女性のほとんどが「彼がスクリーンから見つめる」という理由で綺麗に化粧をしていったといわれています。
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 松竹座はイタリア・ミラノのスカラ座をモデルに、大林組の木村得三郎が設計したもので、テラコッタを使用した、ネオルネッサンス様式の特徴あるアーチの正面大玄関を持つ劇場建築は、1923(大正12)年に竣工しました。
 現在のものは、1997(平成9)年に、古い外観はそのままに新たに再建されたものです。
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 ところで、この松竹座について参考にしようと、海野弘『モダン・シティふたたび』を取り出してきたのですが、この本に載っている建物の中で既に現存していないものが、なんと多いことか!
 そう思って、発行年を見たら…1987(昭和62)年!…この本そのものが、昭和レトロ遺産ではありませんか!!
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 『モダン・シティふたたび』では、藤沢桓夫の小説『大阪』の中に出てくる、ポーラ・ネグリの『マズルカ』(1935年封切)についてふれていて、< 藤沢桓夫は一九二、三〇年代のモダン大阪の記録者として、都市論的に読みなおされてもいいのではないだろうか。>と述べられていますが、藤沢桓夫は同人雑誌「辻馬車」を出した当時について次のように書いています。

 洋画専門館の少なかった当時だけに、白いクリスマス・ケーキのような感じの松竹座の誕生は、大正中期の若いインテリ層に、ひどく新鮮で魅力的な印象を与えた。私は小野勇・神崎清・上道直夫らの文学仲間とともに、ほとんど毎週、封切り日かその翌日あたりに、松竹座へ通ったものである。

 「辻馬車」の同人は、映画情報誌『松竹座グラフィック』に映画随想を載せており、松竹座で映画を見るのはフリーだったということです。
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 現在は映画館ではなく、歌舞伎や新劇などを上演する劇場となっていますが、ともかくも、創建当時から多くのクリエイティブな若者たちがかかわった施設でもあって、当初のままの装飾を残す貴重な文化遺産であることは間違いありません。
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 さて、昔は戎橋のたもとからのぞむ松竹座の姿が道頓堀の名物だったわけですが、今ではビルの陰になっていて見えません…
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 今、レトロな松竹座の雰囲気が味わえるのは、道頓堀橋、あるいは御堂筋からの眺めでしょうか…
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by suzu02tadao | 2016-06-15 11:50 | Comments(0)

道頓堀「戎橋」

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 道頓堀と言えば戎橋。
 1937(昭和12)年に御堂筋の拡幅工事で架けられたちょっとレトロな道頓堀橋から望む戎橋ですが、現在の橋は2007(平成19)年に架け替えられたものです。
 先代の橋の親柱だけが残されていますが、今もグリコサインをバックに記念撮影をする中国人観光客を中心に橋の周辺には人があふれています。
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 ところで、
 戎橋と言えばグリコサインという今では当たり前の風景も、前回取り上げた、1950(昭和25)年9月号『婦人画報』の特集「古き大阪をさがす」の道頓堀の夜景にはグリコサインはありません。
 その他、昭和30年代頃の昭和レトロを代表するような道頓堀の絵や写真にはグリコサインは無いのです!
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◇田村孝之介・画『大阪 我がふるさとの……』(1959(昭和34)年刊)より
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 グリコサインが道頓堀にできたのは1935(昭和10)年ですが、おなじみの競技場を走るランナーのデザインは4代目(1972~1996年)からです。
 どうやら、1985年の阪神タイガース優勝時に戎橋から道頓堀川に飛び込む若者が相次ぐ事件があった時、その背後に輝いていたのがこの4代目だったことから、戎橋=グリコサインというイメージができあがったようです…?(特に調べたわけではありませんが、そんな気がします)

◇長く親しまれた5代目(1998~2014年)
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 かつて宮本輝は『道頓堀川』の中で、< あぶくこそ湧くことはないが、殆ど流れのない、粘りつくような光沢を放つ腐った運河なのであった。>
とこの川を記し、藤沢桓夫もまた次のように書いていました。

 殊に近年の道頓堀の水は、汚さを通り越して、どろどろと濁り澱んで、悪臭さえ伴っている感じだ。戦後の都会悪、巷の人の心のよこしまなよごれまでが、それの集中的表現である盛り場の夜のネオンの華やかさの蔭で発酵し、それらすべてが道頓堀に流し棄てられ、昼間の日光に照らしだされているのではないかという気さえする。


 そして、更に続けて次のようにも書いています。

 しかし、この道頓堀の水も、大正のころには、人の心が現在よりも遥かに素朴であったのに似て、ずっとずっときれいだった。
 道頓堀の川にのぞんだ家では、女のひとたちがこの水で洗濯したり、この水を汲んで風呂を沸かすのに使った。


 先代の橋が架けられた、1925(大正14)年ごろには道頓堀川も、まだまだきれいだったようです。
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 現在では水質も大分改善されていますが、橋下の川辺には御影石と青銅を用いた先代橋の三連窓壁高欄が設置されていて、古き大阪を偲ぶことができます。
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 次回は、戦前から戎橋のランドマークとして親しまれていた「松竹座」を取り上げてみます…
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by suzu02tadao | 2016-06-12 18:50 | Comments(2)

古き大阪をさがす

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 『婦人画報』1950(昭和25)年9月号です。表紙は高井貞二。
 前回の白洲正子「わが家の風景」が載っていたものですが、この雑誌を手に入れたのは特集記事の「大阪現地編集:古き大阪をさがす」が載っていたからです。

 最近では大阪と言えば、治安が悪い、豹柄の派手なオバチャン、たこ焼きなどのB級グルメ、そして…下品な大阪弁というようなイメージがありますが、谷崎潤一郎『細雪』に代表されるように、昔の大阪はもっと情趣のあるイメージだったと井上章一氏も、いつぞや言っておりました。

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 <若いひとにも知ってもらいたい きっすいの大阪弁で語り合う上方情趣>ということで、こいさん・ぼんぼん座談会から一部抜粋して紹介します。

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 僕らの小さい時分は、うちで遊ぶとしかられる。たいがい商売しているので。そいで、もう焼けてしもたが御堂はんへ行くか、佐野(繁次郎)とこみたいなうちへ行って遊びました。佐野の家はお父さんが早く亡くなられてから、そのあと、お母さんが、古い番頭に商売さしておられたが、こうもり傘の輸出屋さかい印度人のお客さんなんかが来やはるのやが、そんな外国人に手握られるのがいやで止めはったという話やった。

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東横堀川=本町橋附近(北尾鐐之助『近代大阪』より)
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 船場の問屋町で、夏のひるさがり、店番している丁稚さんがうとうといねむりしてて、東横堀の橋向うの河岸を、お豆腐やはんが荷をかついであるいたはる。遠くみたいに「とーふ、とーふ」という声がときどき、川を越して渡ってきこえる。そいで、お豆腐やはんの足もとに、ぽッぽッと白い乾いた土煙が立って……。


西横堀川(田村孝之介・画『大阪 我がふるさとの…』より)
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 西横堀川もよかったなァ。川っぷちに材木屋がずっと並んでいて、大きな背の高い木がずっと何町も並んで立てかけてあった。その上にお月さんが出て、道の片側がかげで、真暗で、道が白く光っていた。ところどころ材木の間から横堀川の水が青くみえた。


心斎橋筋の夜(北尾鐐之助『近代大阪』より)
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 東京のお方が心斎橋すじ歩きはって、「大阪はえらい派手や」といやはる人あるけど、ほんまの大阪は東京より小紋や女じまなんか、昔からいろいろこしらえて着たんでんなァ。小大丸いううちかて、いちいち蔵から「ぼて(竹ごうりに紙をはって渋を引いて紅のうるしで名などを書いたもの)」に入れたん出してきて、みせてくれはったんですわ。大丸にもあるのやけど、やっぱり小大丸の方がちょっとの違いで、あかんもん(あきのこないもの)がおました。しもといて、二三年たって出しても、やっぱり「えゝもんやなァ」と思うようなもんがなァ。


夏の夕方(田村孝之介・画『大阪 我がふるさとの…』より)
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 お風呂出て、ゆかたきせてもろて、ごはんたべてから、表のしょうぎ(涼み台)へ涼みに出るのん、ええ気もちやったわ。アスファルトやなしに、道は土やけど、夕方に店の人が、上手に打ち水してくれたあるさかい。

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 東京よりは都会的には古いわけですね。東京は徳川時代からだけれど、大阪は豊臣の太閤さんの時に、もう相当の都会文化をもってたらしいから。堺なんか、当時、貿易港で、諸外国人もたくさんくるし、お茶の利休さんのうちなんかも、今でいえば、三井物産といった貿易商ですね。

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 うち、芸術やったら、大阪なかなか、ええとこあるし、ええもん生まれてきていると思いますねんけどなァ。

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by suzu02tadao | 2016-06-09 15:50 | Comments(0)

わが家の風景「武相荘」

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 前回もそうなのですが…昭和20年代に刊行された雑誌を手に入れて、時代背景などを吟味しながらその内容を確認していると、入手の動機とはまた別の思わぬ記事が載っていて、うれしくなってしまいます。

 1950(昭和25)年9月号の『婦人画報』には、白洲正子が「わが家の風景」と題して『武相荘』での生活随想を載せているのですが、後年の随筆にみる小気味のいい“正子節”が堪能できます…

 2008年11月に私が『武相荘』を訪れた時の写真とともに、一部抜粋して紹介します。
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 なお、この年、白洲次郎 48歳/正子 40歳です。
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 その村の一つ。T――というところに、私どもが家を買つたのは昭和十五年、戦争前のことでした。「先見の明がお有りですナ」。戦争中たずねて来た人々は、異口同音にそう言いました。が、実はそんな悧巧な考えは少しもなく、私たちにしてみればごみごみした市内の借家住いはあきあきしたあげくのはて、今から思えばただみたいな値段で、はじめて自分の家を持つたというだけのことでした。
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 総じて農家というものは、田の字につくると言いますが、この家もその例に洩れず土間は別として、住居の部分はその単純な形を守つています。これらは四つの別々の部屋でもあり、場合によつては襖をはずして一つにもなるという、必要に応じて小さくもなれば大きくもなる伸縮自在の形式で原始的であるとともに、またきわめて新しい外国の建築に似なくもありません。その上、柱も建具もすべて必要以上にたくましく、どんなに大きな家具でも、とけこむようにはまりこんでしまいます。
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 日本人の欠点は、私たちが日本の物を知らなすぎる所にあると思います。あまり外を見ることに忙しく、内を見ることを忘れている。だから外国人に教えられると、前後の見境もなくとびつきます。しかしそういうものはいくら自国の物であつても、一度外国の文化を経て逆輸入されたものです。青い眼を通して見たものです。一度疑つてみる必要がある……というより、もつと私たちは自分の眼を信用してもいいのではないでしょうか。
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 世の中は人間が悧巧になつたために進歩するとはかぎりません。ぬけ目がないものが、必ずしも得をするとはかぎりません。薄手の安いものは、その出来上つた瞬間が絶頂です。それにひきかえまともなものは、古くなればなるほど落ちつき、使えば使うほど美しさを増してゆきます。
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 たとえば画家のアトリエなどでも、取乱してあつても何となく綺麗に見えるものなのです。女の人は生活といえば直ちに台所――即ち現実的な家事万端を思いがちですが、女として当然そうあるべきでしょうが、他にも立派な、それ以上の生活があることを忘れたくはありません。
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 それぞれ勝手な方向を向いて働いたり遊んだりしているというのが、ここ、T―村のわが家の風景です。そういう呑気な家のことですから、お客はむやみやたらに多く、泊まる人も週に七、八人はくだらないので、いちいちかまうわけにはいきません。家の名をかりに『武相荘』(武州相州の境なので)と名付けて、いやならよせ、とすましているのも、ハッタリからでも何でもなく、しんから底からぶあいそうな家族がそろつているからです。
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 人間に生まれて人間とつき合う以上、交際も必要ではありましょうが、それは一つの手段にすぎず、「社交」にひきずり廻されるのは見苦しいことです。
~(略)~かの石田三成が秀吉に茶を献じた時の心構え。暑いときには冷たいものを、寒いときには暖いものを――畢竟するところ、社交とはまごころ以外の何物でもありません。

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 補足すると、白洲正子は、1946(昭和21)年に小林秀雄と青山二郎に出会っており、既にふたりの影響で骨董の世界に踏み入っていました。
 また、銀座に染織工芸の店「こうげい」を始めたのは、1956(昭和31)年のことです。
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by suzu02tadao | 2016-06-06 11:25 | Comments(0)

民芸を語る

 島原の角屋の塵はなつかしや元禄の塵享保の塵
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 月刊「京都」昭和28年8月号、座談会「民芸を語る」では、河井寛次郎(陶芸家)、小高根二郎(作家)、上島太(スエヒロ社長)、臼井喜之介などが、棟方志功本人も交えて、その作品について語っています。

上島 こんどの吉井勇歌集の版画、流離抄はどういう発願からですか?

棟方 吉井先生のうたは好きなもんですからね。東京じゃカレコレ言う人がありますがやっぱり本当の歌ですよ。吉井先生の歌と私の版画と、合うかとあやぶまれたけれど出来上りはやはりいいですよ。

臼井 あれは棟方さんが選ばれたんですか。

棟方 先生に申上げて送ってもらったんで、自選歌ですよ。

小高根 吉井さんはいいですよ。あれは本ものです。たくらみがない、人間が出ています。

河井 一枚の絵、一首の歌じゃなくて、全体ですよ。この版画に何かをねらうというのはいかん。本当のものを見る、いのちの不思議にふれることですよ。ふれてひれ伏す心、最後には忝さにおろがむ態度ですね。

 棟方志功がベニス・ビエンナーレで国際版画大賞を受賞して、世界の棟方として有名になるのは、この3年後の昭和31年からですが、この時期が一番油が乗っていたともいえます…
 また、棟方自身にしても、作品を特に「板画」という言い方をしておらず、普通に版画と言っているのが印象的です。

 さて…
 ここからは前回の続きで日本工芸館で展示している民芸品ですが、棟方志功の作品と比べても遜色がないと思います…
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 田の神は、稲作の豊凶を見守り、稲作の豊穣をもたらす神ですが、田の神の石像は九州地方南部の薩摩周辺でしか見られないとのことです。
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 郷土玩具も展示されていました。
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 外国のものもありました…
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 最後に、月刊「京都」昭和28年8月号の表紙もあげておきます。
 優等生的な作品が多い徳力富吉郎にしては珍しい、ちょっと素朴な作品「送り火」ですが、「大文字」ではなく「舟形」であるところがいいですね…
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by suzu02tadao | 2016-06-03 11:20 | Comments(0)