1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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フェイク!?

「夢みる瞳」1936(昭和11)年
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 Vogue Cover - January 1930
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 数年前に、なかなか秀逸なアールデコ調のデザインだなと思って…気に入って手に入れたものが、スペイン生まれの芸術家で、アールデコ全盛期にパリで活躍した、エドゥアルド・ベニート(Eduardo Benito・1891-1981)の作品、ファッション雑誌「Vogue」の表紙とほとんどそっくりであることがわかりました…

「キネマ黒砂糖石鹸」
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 Vogue Cover - May 1926
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 最近でも、デザイン盗用の問題が話題になりましたが、戦前、そして戦後のオキュパイドジャパンの時代には、日本も今の中国と同じように、このようなパクリ・デザインが溢れていたようです。

 とは言っても、このベニートの作品自体も、ブランクーシ(1876-1957)の作品によく似ているんだな、これが…

「Muse」 1912
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「Sleeping Muse」 1910
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 Vogue Cover - May 1929
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 それを言い出すと、他にもモディリアーニやピカソの作品なんかも、出てきたりして…

 結局は、母なる大地…アフリカ辺りに行きつくようですが…
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by suzu02tadao | 2016-07-30 14:05 | Comments(0)

涼を求めて…ちょっと郊外

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 然しわたくしの眺めて娯しむ此辺の風景は、特に推賞して人を誘つて見に行くべき種類のものではない。謂はゆる名所の風景ではない。例へば松林の間を貫く坂道のふもとに水が流れてゐて、朽ちた橋の下に女が野菜を洗つてゐるとか、或は葉鶏頭の淋し気に立つてゐる農家の庭に、秋の日を浴びながら二三人の女が莚を敷いて物の種を干してゐるとか、又は、林の間から夕日のあたつてゐる遠くの畠を眺めて豆の花や野菜の葉の色をめづると云ふやうな事で。一言すれば田舎のどこへ行つても見ることの出来る、いかにも田舎らしい、穏かな、平凡な風景。画を習ひ初めた学生のカンバスには一度は必ず上されるべき風景に過ぎない。特徴のないだけ、平凡であるだけ、激しい讃美の情に責めつけられないだけ、これ等の眺望は却て一層の慰安と親愛とを催させる。普段着のまゝのつくろはない女の姿を簾外に見る趣にも譬へられるであらう。
[永井荷風『畦道』より]

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by suzu02tadao | 2016-07-27 11:10 | Comments(0)

河野鷹思:松竹キネマ

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「単純な色彩、少量の説明が、複雑な色彩、多量の説明のあるポスターより、印象的にも説明的にも、そして芸術的にも遥かに完全な役目を果たしている場合もある」

 自身のデザインについて上記のように述べていた河野鷹思(1906-1999)は、松竹キネマに昭和4(1929)年に入社してから昭和10(1935)年に退社するまでの間に、約2000点の広告を手がけたと言われています。

 ここに紹介している作品は全て、前回取り上げた昭和6(1931)年の「キネマ旬報」9月号の広告です。

 河野鷹思はこの後、名取洋之助の日本工房にも参加し、山名文夫や亀倉雄策らと共に対外宣伝誌「NIPPON」の表紙デザイン及びレイアウトなどを手がけるなど、日本におけるグラフィックデザイナーの草分けの1人として活躍しました。

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【参考】
 道頓堀朝日座のチラシ
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【up-to-date】
 今日から、天神祭…ですね。
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by suzu02tadao | 2016-07-24 16:30 | Comments(0)

昭和6年のキネマ

松竹座ニュース【昭和6(1931)年7月15日~7月21日】
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 前々回の松竹座ニュースと一緒に手に入れたもの…
 これは全く内容に関係なく、一目惚れで、ジャケ買いしたものです。
 カッコイイですね!
 このデザインも恐らくは、山田伸吉だと思われますが、21世紀の現在のものと言ってもおかしくないくらいステキです。

 表紙ばかりに目を奪われていたのですが、セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督の『全線』が載っているなど、なかなか渋い内容になっています。
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 『全線』は、この年のキネマ旬報<外国映画>ベスト・テンの6位になっていますが、5位に入った『間諜X27』も近日封切映画として、この松竹座ニュースで紹介されていました。

 ちなみにベスト・ワンは、『間諜X27』と同じくジョセフ・フォン・スタンバーグ監督とマレーネ・ディートリヒがコンビを組んだ作品『モロッコ』、2位はルネ・クレール監督の『巴里の屋根の下』でした。

 「キネマ旬報」9月号より
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 「キネマ旬報」9月号の表紙はマレーネ・ディートリヒです。
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 昭和6(1931)年は、キネマ旬報<日本映画>ベスト・ワンになった日本初の本格的なトーキー映画、五所平之助監督『マダムと女房』に象徴されるように、今日に続くトーキー映画が主流になった年ですが、それだけに「キネマ旬報」9月号に載っている映画にも、興味がそそられるものが多く見られます。

 『魔人ドラキュラ』は、戦前のホラー映画ブームを巻き起こした作品で、ドラキュラ役で主演したベラ・ルゴシは世界的な怪奇の大スターになりました。

 この広告も大迫力でイイですね!
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 こちらは、その後のギャング映画流行のはしりとなった『犯罪王リコ』。
 主演のエドワード・G・ロビンソンは、ご覧のとおりのふてぶてしい悪役向けの人相で強烈な印象を残し、以後、ハリウッドのギャング映画には欠かせない存在となりました。
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 大富豪のハワード・ヒューズ監督の『地獄の天使』。
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 「四百万ドルの制作費と三ヶ年の年月を費やして完成せる最高最大の巨編」と謳っているように、金に糸目を付けずに、87機の第一次世界大戦当時の戦闘機や爆撃機を購入して、実際に飛行させ撮影するなどしており、撮影中の事故で3人のパイロットが死亡している他、監督のハワード・ヒューズ自身も飛行し墜落、大ケガをするといういわく付きの作品です。

 また当初はサイレントで撮影して完成させた映画を、トーキーとして全編撮り直すことになったために、最終的に莫大な制作費と2年を超える製作期間がかかってしまいました。
 公開当時は全米で大ヒットしたものの、結局その製作費を回収することはできませんでした。
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 飛行機といえば、ちょうどこの年、当時はエアガールと呼ばれた、日本初の客室乗務員(キャビンアテンダント)が誕生していますが、羽田空港が開港したのもこの年です。
 羽田空港から一番機が飛び立った先は大阪で、そこには260年ぶりに大阪城天守閣ができたのでした。

 さて、松竹座ニュース【昭和6(1931)年7月15日~7月21日】の今週のプログラム、松竹楽劇部女性総出演のオペレット「大学の屋根の下」は、当時人気のあった六大学野球の早慶戦に題材をとっています。

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 この特徴あるタイトル・デザインは河野鷹思が手がけたと思われます。
 次回はこの時期、松竹キネマの宣伝部で活躍した河野鷹思を取り上げたいと思います。
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by suzu02tadao | 2016-07-21 11:15 | Comments(0)

哀愁のモトコー

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 JR元町-神戸駅間の高架下の北側が2017年3月末、南側が2018年3月末に借地契約が満了となるのを機に、JRが高架下の耐震工事に着手するため、「モトコー」は一旦閉鎖されるようです。

 リニューアルによる再整備で「モトコー」は復活されるようですが、戦後の闇市の面影を残す昭和レトロな雰囲気は、もうしばらくすると見ることができなくなると思われます…
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  【参考】
   モトコー !
   モトコー!再び
   モトコー・グラフィティ
   モトコーの街角オブジェたち
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by suzu02tadao | 2016-07-18 17:50 | Comments(2)

桃色争議

SY(松竹座ニュース)
1933(昭和8)年6月22日~6月28日
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 アールデコ調のなかなか秀逸なデザインの表紙に魅せられて、入手したものではあるのですが…

 決め手となったのは、今週のプログラムの演目、松竹座(道頓堀)表玄関上の装飾も華やかな松竹大レヴュー「メリゴラウンド」です。
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 題名の「メリゴラウンド」ですが、メリーゴーランド(回転木馬)のことではありません。
 これは、メリ嬢とゴラウンド氏の結婚物語です。
 東京松竹少女歌劇と大阪松竹楽劇部の合同出演となっていますが、メリ嬢に扮するのは大阪の飛鳥明子、ゴラウンド氏に扮するのは東京の津阪織枝(オリエ津阪)です。

飛鳥明子(メリ嬢)
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津阪織枝(ゴラウンド氏)
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 このレヴューはこの週が(第二週)となっているように、6月15日が初演だったようですが…
 実はこの時期は「桃色争議」と呼ばれた労働争議の渦中でありました。

 1933(昭和8)年6月14日、松竹では音楽部員の待遇改善要求に端を発して、東京楽劇部で労働争議が起こりました。同部の誇る18歳のトップスター水の江滝子を争議委員長に任命、水の江以下少女部員230名は翌6月15日、神奈川県にある湯河原温泉郷の大旅館に立てこもりました。

 一方で大阪楽劇部も待遇条件の改良要求が拒否されたことから会社側と一触即発の状態になり、楽劇部員たちはこちらもトップスターの飛鳥明子を争議団長に据え、6月25日にストライキを宣告。公演「メリゴラウンド」の出演を拒否して、ミナミの旅館に集まったのでした。
 大阪楽劇部員らは同月27日夜、難波発の最終高野山行き南海電車にのり、未明の夜道を歩いて宿坊の金剛三昧院に立てこもりました。飛鳥のほか、笠置シヅ子、アーサー美鈴、秋月恵美子、芦原千津子ら、のちの大スターたちも参加していました。

 結局、大阪では7月8日に手打ち式が行なわれ、7月15日、東京で「協定文」が読み上げられて、飛鳥明子は退団、水の江滝子が謹慎となりました。

 津阪織枝(オリエ津阪)は争議団に加わらなかったため、妥結後に謹慎処分となった水の江滝子に代わり主役を演じ、水の江復帰後も「男装の麗人」として人気を博し、「ターキー、オリエ」は松竹歌劇の両輪として黄金時代を築いたのでした。


 今から83年前の夏、ハーゲンベック・サーカス団も来日していました。
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by suzu02tadao | 2016-07-15 11:25 | Comments(0)

線路は続くよ…

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 特に「鉄ちゃん」でなくとも、鉄道の情景には惹かれるものがあります…

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 数年前に撮影した南阿蘇鉄道高森線「南阿蘇水の生まれる里白水高原駅」からの情景。
 早く復興してほしいですね…
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by suzu02tadao | 2016-07-12 11:20 | Comments(0)

血と汗と涙 <プガジャの頃 -4->

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 1970年代は、その頃活躍した「ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズ (Blood, Sweat & Tears)」という名前のロック・バンドもあったように、泥くさい「血と汗と涙」の匂いがムンムンしていたと思います。
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 その当時の痕跡を今も残しているのが、昭和レトロな情景といえますね…
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 そんな「血と汗と涙」の匂いも、バブル時代になると、どこかへ消え去って行ってしまうのですが、1980年代の初め頃にはまだ残っていたような気がします。

 『プレイガイドジャーナル』1982年の8月号9月号は、イラストはどちらも森英二郎ですが、なぜか?ぜんぜん雰囲気が違ってますね。
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 8月号の表紙は昭和レトロな懐かしい雰囲気の「薬局」です。
 前年に「父が消えた」で芥川賞を受賞した赤瀬川原平が、昔のアングラ芸術家時代を彷彿とさせる、ほのぼのとしたコメントを添えています。
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 そして、この号の特集【対談】宇崎竜童×石田長生「R&B、ファンク、ロック、愛してるよBABY!」では、ギンギンでノリノリの過激な内容になっていて…
 森英二郎のイラストもイケてます!
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石田●● けっこうウチのバンドでも「I LOVE YOU!」「BABY!」連発があるんですけど、ああいうことばがバッチリのリズムとバッチリのメロディにのった時てのは、すごいインパクトありますね。

宇崎●● ぼくは泥くさいとダサイとは、ちがうと思うのね。

石田●● ウン、それ!

宇崎●● ぼくは、差別してるんだけど、フォークソングの人たちが「ベィビィー」とか、「アイ・ラブ・ユー」「アイ・ニーズ・ユー」とかいうと、ダサイ!おまえらダサイ!ってね。でもエレキ持った人間たちが「ベィビィ」って言ったらキマるんだぜ!って思ってるね。それはずっと変らないみたい。


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 さて、9月号の表紙は打って変わって、ちょっとお洒落な感じの「帽子」で、森英二郎のコメントも次の通りです。

 ぼくの父はいつも中折帽をかぶっていました。夏はパナマです。その中に顔をいれて、ポマードと汗のにおいをかぐのが好きでした。
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 この号の特集は、柳町光男監督の『さらば愛しき大地』で、日本の土着的な湿度たっぷりの空気感をもった、それこそ「血と汗と涙」の匂いがムンムンとする映画なのですが、インタビュー記事に添えられたイラストが、当時流行のファッション風になっているところに、むしろ時代を感じてしまいます(このイラストは森英二郎ではありません)。
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 この年の10月発行、村上春樹『羊をめぐる冒険』の紹介記事も載っていました。
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 なお、林真理子がエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』でデビューして、西武百貨店が糸井重里の「おいしい生活。」のコピーで話題を呼んだのもこの年でした。

 『プレイガイドジャーナル』は、翌年の1983年からサイズを他の情報誌と同じB5判に変更、1987年には終刊します。


 川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』(1996年)のイラスト(木版)は森英二郎の作品です。
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by suzu02tadao | 2016-07-09 14:30 | Comments(0)

アメリカ村 <プガジャの頃 -3->

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 アメリカ村という呼び名が定着したのは、1972(昭和47)年にプレイガイドジャーナルがそごう百貨店で開催した「アメリカ村夏の陣」というイベントからだそうです。
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 プレイガイドジャーナルの事務所がアメリカ村にあった、1970年代半ば頃から、アメリカ文化に影響を受けた若者達が、空いていた倉庫や駐車場などを利用して、フリーマーケット形式での古着屋や、レコードショップ、アメリカ直輸入の服屋等を次々と開店させてゆき、単なる倉庫街だったアメリカ村は新しい文化を発信する若者の街へと変わっていったのでした。

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 『プレイガイドジャーナル』1980年5月号には次の記事がありました。
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 そして、この号のホット・ピープルのコーナーでは桂枝雀が取り上げられていました。
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 せやから少々テクニックが下手であろうが、「人間がおもしろいやん」とゆわれるようなんでええと思いますねや。終局的には、喋らんでええようになったら最高や思いますねや。極端な話、出囃しが鳴って、ダァと現れて高座に座り、ニコニコと笑うだけで、お客さんもウワァー、ウワァーゆうて楽しんで、30分ほどして高座をおりてゆく。これが極みだんな。まぁこれは笑い話みたいやけど、理屈はそやと思いますねや。
 決してうまい噺家やとか名人やとかゆわれるようにはなりたくないけど、「あいつはええやっちゃ、おもろいやっちゃ」みたいに見てもろて、懐かしなったら会いに(見に)きてもらえるゆうことが、一番大事なことやと思います。


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『プレイガイドジャーナル』1980年5月号
 表紙のイラストは森英二郎「女子学生」。
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 短冊に願い事を書いて笹竹に飾る七夕の風習は、江戸時代から始まったようですが…
 こう暑いと、まず涼みたくなりますね!
(大阪天満宮にて)
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by suzu02tadao | 2016-07-06 12:00 | Comments(2)

ガキ帝国 <プガジャの頃 -2->

『プレイガイドジャーナル』1981年3月号
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 表紙のイラストは森英二郎です。
 題名は「ぼくの友だちの映画監督、井筒くん」で、次のようなコメントが添えられていました。

 わぁ、久しぶりやん。そやなぁ、あれは去年の正月やで。わぁ、そんななるか、へえ、どないしてんのん、元気? うん、まあぼちぼちや。今度映画撮ってんてなぁ。フウン。えらいカッコエエやん。不良の映画かいなぁ。自分、そんなん昔から好きやったなぁ。よっしゃ、今日は久し振りやし飲もうや……
 なんていう会話もなく、待ちあわせしていたスナックのようでスナックやないし、バーやといわれたらバーのようなとこで、今回の表紙を描くために、久しぶりで井筒君と会いました。あいかわらず、やんちゃそうな顔はしてたけど、表紙に描くねん云うたら、えらい、はずかしい、はずかしい、ばっかりゆうていました。ぼくは映画監督やのにこいつ変なやっちゃなぁと思いました。昔から変やったけど。それで、今日はいこうやぁ、ということになって、みんなで酔っぱらいました。


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 井筒和幸は以前から『プレイガイドジャーナル』でコラムを執筆していましたが、プレイガイドジャーナル&ATG提携作品の映画「ガキ帝国」は、この2月末からの公開ということもあって、大々的に特集を組んでいます。

 ホット・ピープルのコーナーでは「紳助・竜介」と共に主役を演じた趙方豪が取り上げられていました。
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 「ガキ帝国」で井筒和幸は日本映画監督協会新人奨励賞を受賞するわけですが、この映画のプロデューサーであり、『プレイガイドジャーナル』の二代目編集長でもあった林信夫が、前回取り上げた『プレイガイドジャーナル』1980年10月号の中で、「島田紳助・松本竜介を支持する」と題して、TV番組「八木治郎ショー」での藤本義一批判等のスキャンダルの渦中でバッシングを受けていた「紳助・竜介」について、次のように書いているのが印象的です。

 ぼくは彼らの漫才が、生き方が好きだ。そして好き嫌いを越えて“ニューウェーブ漫才”などと名付けられる底に、毒ある笑いを表現のリアリティとして持ってしまった彼らの漫才を、表現を、同時代人として支持する。漫才という、とみに芸としてよりもその時代の状況と対応する精神が問題にされる表現だからこそ、彼らは「世の常識」によって意味なく抹殺されてはならない。

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 リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で、既に人気のあった「紳助・竜介」は、「ガキ帝国」で主役を演じた同年、フジテレビ「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演して漫才ブームを牽引したのでした。

【大阪環状線・ガード下】
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【おまけ】
 なんで…!
 ここに「タモリ」さんがいるんだろう?
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by suzu02tadao | 2016-07-04 10:40 | Comments(0)