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<   2016年 11月 ( 12 )   > この月の画像一覧

嵯峨野・落柿舎にて -1-

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 落柿舎は俳人・向井去来の草庵ですが、去来の墓は草庵の裏手にあって、その道標には釈瓢斎(しゃく ひょうさい) の句が刻まれています。

 「秋風にふきのこされて墓ひとつ」

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 釈瓢斎は落柿舎の十世庵主だった人で、昭和初期に落柿舎復興に尽力しましたが、朝日新聞の論説委員として「天声人語」に健筆をふるった名コラムニスト、永井瓢斎(1881-1945)としても有名です。

 郷里の先輩、若槻礼次郎首相を「ウソツキ礼次郎」と言い、俵孫一商工大臣を「空き俵」(無策だったため)と言いたい放題の毒舌ぶりだった一方で、俳句が添えられた「天声人語」は当時たいへん好評だったようです。

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 私が落柿舎を訪れようと思った発端は、秋の天神さんの百円均一台で、堂本印象の画に惹かれてジャケ買いした、井川定慶著『京の風土記』(昭和13年刊)に序文を寄せていた瓢斎に興味を持ったからです。
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 去来については、蕉風俳句の後継者、芭蕉の忠実な門弟として伝えられていて、なんとなく、幽玄・閑寂を重んじて、わび・さびの世界を描いた印象もあって、瓢斎のイメージとは合わなかったのですが、調べてみたら、そんなことはなくて、去来と瓢斎はとても似ているように思えました。

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 芭蕉は去来のことを「西国三十三ヶ国の俳諧奉行」と評したようですが、ここでいう「奉行」が何事もテキパキとこなしてゆく態度を表しているようで、去来の句についても、いわゆる蕉風に、人情の機微を詠んだ其角風な味わいが加わった秀句が多いように思いました。

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 どうも、去来が蕉風俳句を受継ぐ後継者だというのは、後の蝶夢や井上重厚などが言い出したことのように思います。

 芭蕉を俳聖として崇め、義仲寺翁堂を再建したのが蝶夢で、蝶夢の門人であった井上重厚が、廃れてしまっていた落柿舎を今日の場所に再建したのでした。
 まあ、再建するには莫大な費用が必要だったろうし、出資者から資金を集めるためには、それまで遊興的だった俳句を深遠な芸術にまで高めた芭蕉は不世出の大芸術家で、去来はそれを正統に受継ぐ第一の弟子でないと・・・

 そんなところかな?
 やっぱり、遊興に身をやつした其角が芭蕉の第一の弟子というのは都合が悪いんだろうな…

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 そもそも「落柿舎」の名の由来からして、商人が庭にあった40本の柿の実を木ごと買い取り代金を支払ったその晩、強風で実がほとんど落ちてしまい、柿の代金を全額返したというもので、幽玄・閑寂の世界とは無縁で現実的な、むしろ、去来のさっぱりとした性格を表しているように思えます。

 その辺りが瓢斎とも共通しているのでは・・・

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 瓢斎の供養塔です。
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 芭蕉が落柿舎で書いた『嵯峨日記』の「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」の句碑の背後にひっそりとあります。


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by suzu02tadao | 2016-11-29 07:00 | Comments(0)

「北浜レトロ」硝子戸の中

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 日本人が紅茶を知ったのは、明治の後期になってからで、まだごく限られた人しか紅茶を飲んだことがなかったようです。英国留学から帰った夏目漱石もそのうちの一人で、『虞美人草』や『明暗』そして『こころ』で、紅茶のことが出てきます。

 そのように漱石が愛好した紅茶ですが、英国紅茶とスイーツの店として有名な「北浜レトロ」は、もともと証券の仲買業を営む企業の社屋として、1912(明治45)年に建てられた洋館でした。(余談になりますが、この建物ができた時には、まだ漱石は健在だったわけですね!)

 女子力が濃厚で、ハイソでエレガントな「北浜レトロ」の店内は、私のようなオッサンにはハードルが高かったのですが、先日の「イケフェス大阪2016」特別公開で店内を撮影することができました。

 まず、玄関の硝子戸を開けて中に入ると…床のタイルから凝っていました。
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 この建物そのものが英国のグラスゴー派の影響を受けていますが、オーナーのこだわりで、店内はドアノブや電気のスイッチに至るまで、本場英国風のインテリアに徹底されています。
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 1階は英国風ケーキ・紅茶雑貨ショップですが、味のあるアンティークな空間に、オリジナルブレンドティーや食器、インテリア雑貨が、所狭しと置かれていて圧巻です…
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 それにしても、変にメルヘンチックになっておらず、落ち着いた雰囲気が漂っているのはさすがだと思います。
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 2階に上がる階段の手すりも凝ったデザインです。
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 2階はフォーマルなアフタヌーンティーが楽しめるティーサロン。
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 飾ってある絵画や小物などはイギリスで買い付けてきたものだそうです。
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 中ノ島公園から…
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by suzu02tadao | 2016-11-26 07:00 | Comments(4)

ハイカラな『硝子戸の中』

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 夏目漱石については今年が没後100年、来年が生誕150年ということもあって、漱石に関するTV番組や記念展が次々と続いていますね…

 『硝子戸の中』は、1915(大正4)年1月13日から2月23日にかけて、39回にわたって朝日新聞に掲載された随筆ですが、この本は『こゝろ』などと同様に漱石自らが装丁したもので、英国留学中に様々な洋書に接した漱石は、本の装丁にもこだわりがあって、見返し等も凝ったデザインになっています。

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 前回の泉布観見学の時に、英国 MINTON社製の日本趣味の装飾タイルの上に本を置いてみたら・・・
 なかなかマッチしていますね(^^)
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 漱石が『硝子戸の中』を執筆したのは、ベランダ式回廊がある和洋折衷の「漱石山房」の書斎で、当時としてはかなりハイカラな家でした。

「漱石山房」のベランダでくつろぐ漱石【1915(大正4)年10月】
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 『硝子戸の中』は、「硝子戸の中から外を見渡すと…」で始まりますが、この硝子戸とは書斎の洋風の戸のことだったんですね。

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 ところで、この本のルビのとおり、「硝子戸の中」は「ガラスどのなか」と私は読んでいました。
 ところが、現在出版されている本では、「ガラスどのうち」となっています。
 (「なか」と読んでも間違いではない…と解説していますが?)

 調べてみると、新聞に掲載された当初は「うち」とルビがふられていたのが、途中から「なか」に変わったのだそうです。
 漱石が連載進行につれて「なか」という読みを指定するようになったようで・・・
 だから、単行本にした時も、漱石の指定で全て「なか」のルビにしたはずだと思うのですが?

 それはともかく、この本は1年位前に装丁が気に入って、ジャケ買いしたものです(表から見るとわかりませんが、本体・函ともに裏側にキズがある均一本でした)が、もうひとつ興味を惹かれたのは、著作者名が「夏目金之助」になっていたところです…
 普通、「故」は付けないですよね?

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 さて、この随筆には、硝子戸で世間としきられた書斎を訪ねてくる人々のことや思い出など身辺のことが綴られており、漱石の朝食はいつも洋風で、トーストと牛乳と半熟卵だったようです。

 次回は、冒頭の光景を撮影した、英国情緒漂う、テムズ川ならぬ土佐堀川が硝子戸の中から見えるレトロビルヂングを訪ねることにします…

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by suzu02tadao | 2016-11-23 07:00 | Comments(2)

泉布観…再び

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 泉布観については、3年前にも紹介していますが、先日、また見学できる機会がありました。

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 前回まで、明治時代に日本人が見よう見まねで建てた擬洋風建築を取り上げてきました。
 特に「旧辰馬喜十郎住宅」は英国領事館の他に泉布観も参考にしていたということもあって、これこそ、西洋人が設計した本当の西洋建築と言いたいところですが…

 そうとも言えないみたいです。

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 泉布観を設計したアイルランド人のトーマス・ウォートルスは、正規の建築教育を受けたわけではなく、建築技師というよりは鉱山技師といってよく、鉱山開発のための部分的技術として建築の作り方も身に付けているという、何でもこなす技術者でした。

 そのようなマルチな適応性が明治維新当時の新政府の実情とうまくマッチしていたようなのです。

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 そんなわけで、泉布観も正統な様式から見ると、実は相当あやしげなものらしいのですが…

 ただ、日本の地に西洋の正統な様式の建物をそのまま建てるというのも、それはそれでどうかとも思いますが…

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 ウォートルスは、腕一本を頼りに渡り歩く技術者として、香港を経て幕末の日本に入り、薩摩藩の洋式工場建設を指導。その後、長崎に行き、グラバーのもとで高島炭鉱を開発しました。

 薩長土肥の主導による明治の新政府が誕生すると、かつて薩摩のために働いた経歴を買われ、泉布観をはじめとする建築を一手に引き受けたのでした。

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 実際、日本でも幕末から明治の新政府で活躍した人物の経歴をみれば、ウォートルスと共通した点も多くあり、ウマが合ったのではないかと思われます。

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 最終的にはアメリカに渡ったウォートルスは、コロラド銀山を発見するなど、新開地の技術者らしい活躍を続けた後、1898年、56歳で没しました。

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 泉布観には、文明開化、時代のあけぼのを物語る空気が満ちているような気がします…

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【参考】川崎造幣局春景(長谷川貞信)
 明治の初め頃の造幣局。大川の外輪船と共に文明開化の象徴でした。
 向って右端の建物が泉布観のようです。
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by suzu02tadao | 2016-11-20 07:00 | Comments(0)

今津六角堂

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 正面玄関上の六角形の塔屋が印象的なこの洋館は、明治15(1882)年に今津・津門村の小学校校舎として建てられたものです。
 現存する小学校の洋風校舎としては松本市の旧開智学校に次いで古い建物です。
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 この建物の建築費の大部分は地元からの寄付で賄われたそうです。
 今津の地は昔から教育熱心だったらしいですが、それにしても、その当時の最先端を行くモダンな校舎が住民主導で建てられたのは驚くべきことです。

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 建物は小学校の敷地内を数回移転しているようですが、今津大空襲や阪神大震災にも耐え、取り壊しの危機も地域住民の存続運動もあって乗り越えてきたそうです。

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 現在も今津の人々に長く愛され続けている六角堂はすばらしいと思います。

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by suzu02tadao | 2016-11-18 07:10 | Comments(2)

阪神間モダン・ライフ「旧辰馬喜十郎住宅」

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 前回取り上げた長部家などと並ぶ灘五郷の旧家である辰馬家の分家、南辰馬家当主の辰馬喜十郎の自邸として明治21(1888)年に建てられたこの建物は、神戸の英国領事館をモデルにしたといわれる擬洋風建築です。

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 列柱を配した回廊や両開きの鎧戸など、北野異人館街にあるようなコロニアルスタイルになっています。
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 当時の日本の大工さんが見よう見まねで造ったようですが、レリーフなどの細部の造作も凝っていて、技術力の高さが伺えます。
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 日本の伝統的な酒造家の自邸が、ハイカラな洋風建築というのも意外な気もしましたが…
 そういえば、同じく灘の酒造家である山邑家の当主の自邸もフランク・ロイド・ライト設計だったことを思い出しました。
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 辰馬家をはじめ、灘の酒造家の多くは土地開発や金融業、海運業などさまざまな事業を手がけ、洋館建の邸宅や酒造工場、酒蔵を残した他、美術館・博物館・学校を創設するなど地域文化に大きな貢献を果たしており、阪神間モダニズム文化形成の上で大きな影響を与えています。
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 この旧辰馬喜十郎住宅の近くには、日本の酒造りの歴史と文化を後世に伝承することを目的とした白鹿記念酒造博物館などがあり、また、周囲にはレンガ造の倉庫もあって、酒蔵の町の面影を今も残しています。
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by suzu02tadao | 2016-11-15 11:30 | Comments(2)

ALWAYS 昭和…

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 色あせた看板がいい雰囲気ですね…
 これは、西宮砲台の近くにあった、かつては駄菓子屋さんだった空店舗の看板です。

 アメリカのポップ・カルチャーの代名詞ともいえるコカ・コーラが、日本国内で製造販売されたのは昭和32(1957)年からですが、コカ・コーラが本格的にテレビCMを始めたのは、日本初となる自販機を設置した昭和37(1962)年からだそうです。

 そして、その同じ年に防潮壁から望む入江の向こうにある西宮ヨットハーバーを出航した堀江謙一氏は、サンフランシスコまでの太平洋単独横断に成功したのでした。
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 色あせた壁画のある防潮壁から望む入江の風景は、ちょっとシュールで独特です…
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 さて、以前取り上げた、水木しげる邸があった西宮・今津の浜辺には、今も残る日本最古の灯台があります。

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 西宮・今津は、「灘の生一本」で知られる日本酒の生産地「灘五郷」の一つで、港から積み出された酒は樽廻船で江戸に運ばれていました。

 今津灯台は港を出入りする船の安全を守るため、大関酒造の長部家によって文化7(1810)年に設置されました。
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 現在の灯台は安政5(1858)年に再建されたものですが、今でも現役の航路標識として使われているそうです。
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 そんな今津灯台を眺めながら、
 ワンカップ大関で一杯…
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 実は、今津灯台を無性に訪れたくなったのは、奈良の平城宮跡近くで、下の写真のレトロな自販機を発見した時からでした…

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 ワンカップ大関の発売は、東京オリンピック開催の昭和39(1964)年。そして、酒類業界初の自販機を設置したのは昭和42(1967)年だということです。

 ALWAYS 昭和…
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by suzu02tadao | 2016-11-13 07:30 | Comments(2)

西宮砲台

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 間近で見ると、すごい迫力です。

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 コンクリート製のように見えますが、幕末の頃、黒船来襲に備えて、当時の幕府軍艦奉行・勝海舟の指導のもとに築造されたもので、花崗岩の切石を円形に積み上げて、漆喰で固めています。

 慶応2(1866)年に完成しましたが、明治維新となり、実際に使われることはありませんでした。高さ12m、周囲53mもある大きなもので、国の重要史跡に指定されています。

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 防潮壁からヌッと頭を出している姿は、とても異様です…
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 このような近代化のさきがけとなった古いものが、明治以降に建てられた多くのモダン建築よりも、はるかに未来的な感じがするのはおもしろいと思います。
 周辺は公園になっていて、砲台の近くではバーベキューをしているグループや家族連れで賑わっていましたが、これまたシュールで異様な光景に思えたのでした。

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 防潮壁の周辺は住宅や倉庫などの建物が密集しており、直前までその姿が隠されているため、街角にいきなり現れたUFOなどの未確認物体といった雰囲気もあって、SF映画の世界に迷い込んだ気分になります。

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 いつも見慣れている近所の人々にとっては、日常の風景の中に溶け込んでいるようです…

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 団地の傍らに大正12年に建てられた石碑がありました。
 なお、団地は廃屋になっています。
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by suzu02tadao | 2016-11-11 07:00 | Comments(2)

浜甲子園阪神パーク

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 浜甲子園阪神パークについては、その跡地を以前にも紹介しましたが、昭和13(1938)年の阪神電車のパンフレットには、一大レジャーランドとして大いに賑わった当時の様子が詳しく紹介されていました。

 遊園地施設としては次のようなものがあって、その充実ぶりがうかがえます。

電気自動車・スクーター・バタフライ・飛行塔・子供汽車・船遊び場・ローラースケート場・砂遊び場・ピンポン室・スポーツランド(ブランコ、メリーゴーラウンド、遊動円木・セーフテイスヰング、廻りブランコ、木馬等数十基)室内娯楽場 他に大潮湯・食堂・喫茶室等

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 一番人気を集めたのが動物園で、今日の「生態展示」の元祖といえるようなものだったようです。
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阪神パークはたゞ動物を多く蒐めてゐるだけではありません。それら動物に適応した自然的背景の中にそれぞれ群棲させて、見るからに安易に嬉々としてゐる生活状態が、気持ちよく楽しく見られるところに特色があります。

ペンギンの海(日本で産まれた仔鳥を合せ五十数羽の団欒)・お猿島(どの猿も始終元気で跳ね回り、いつも人気の焦点)・北海そのまゝのあしかの海・モンキーアパート(一つ屋根の下で暮してゐる黒猿、アフリカ猿、木葉天狗猿、キャプテンモンキー、夜猿等をはじめ数十種)・鶴の池(日本唯一の十三羽のフラミンゴーの他、丹頂、真鶴、鍋鶴、姉羽鶴、黒鶴、大鶴等約六十羽)・山羊の峰・らくだの家・熊の洞穴・水禽舎等

 そして、「動物サーカス」は、子供だけでなく、大人にも人気があったようです…
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踊るオウム「福ちゃん」
 先づ御挨拶より始まつて馬の嘶き、笛の音を巧に使ひわけ、天下一品の踊をチョンコラの拍子に合はせて面白く踊り回ります

小象
 大きな図体でチンチンしたり、一本の鞭で碁盤の上に乗つたり、乱杭渡りをしたりします

チンパンジー「オペラ嬢」
 行儀のよい食事から食後の一喫を楽しんで自転車、竹馬、綱渡り等を御披露

山羊
 温順に見えるこの動物も芸くらべとなると、元気一ぱい、玉乗りや乱杭渡り等自由自在

ライオン
 百獣の王もこゝでは愛嬌者として、チンチンをしたり、燃えさかる火の輪の中を咆哮一声、猛然と跳び越えたりします

あしか
 ボールや日傘を器用に花の上にのせて綱渡りしたり、くるくる回る盆を棒の先にのせて階段を上下する盆回しから、曲芸の中でも至難とされてゐる「逆立ち」見事御覧に入れます

オウムのレヴュー団
 シーソー乗りや、メリーゴーラウンド遊びなど可憐な白いオウムだけに一層好評を集めてゐます


 さらに、当時としてはトップレベルの水族館もありました。
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阪神水族館が天井、前面、左右いろいろの角度から御覧に入れてゐる魚介類は約五百種、六千尾。

 水族館の建物が、これまたモダンでステキだったようです…
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 それから…
 「摩耶観光ホテル」も紹介されているではありませんか!
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 さて、このパンフは、先月の四天王寺の古本祭りで手に入れたものです。
 私も初日、天神さんに行って、そこそこの成果?をあげた後に、あまり期待せずに四天王寺に行ったのですが、結果的に今回は四天王寺が大当たりでした…

 このパンフも均一本程度の値段だったので、戦後のものだろうと思いこんで買ったのでしたが…♪
 また、1冊200円・3冊500円の台に…『昭和モダン 絵画と文学』展でも展示されていた、「なんで!?」と目を疑うような本があって、帳場に持ってゆくと「こんな本、探したってどこにもないで~」と言ってましたが、「わかってますがな~」と、心はルンルン…♪

 その他にも…
 数年前のK文庫が健在だった頃を思い出しました。
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by suzu02tadao | 2016-11-09 07:00 | Comments(0)

「桂」伝統とモダン

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 桂離宮の近くにある桂川街道沿いには、マクドナルドやファミリーレストラン、業務スーパーなどがあって、現在のどこにでもあるような典型的な幹線道路沿いの風景と何ら変わりはありませんが、桂離宮はそういった現実的な生活の風景からは完全に隔離された別世界として保存されています。

 その点、桂離宮の周辺にある昔からの家屋は、江戸時代から続く虫籠窓や格子戸と共に昭和レトロなホーロー看板などが残っていて、時代の移り変わりを物語っているようで、『現在のなかに生きている伝統』という言葉がピッタリだと思いました。
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 田んぼや畑も残っており、無人の野菜販売所もよく見かけます。
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 桂離宮の広大な敷地の裏手にひっそりとある春日神社は小さいながら雰囲気があります。
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 塀の向こう側は桂離宮の庭園で、借景になっています。
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 「日本三筆」の一人、橘逸勢を祭神とする下桂御霊神社です。
 創建は876年という由緒ある神社です。
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 境内には、近くの小学校の生徒の習字が展示されているのが微笑ましくもあり、また、“区民の誇りの木”に指定されたムクロジは樹齢400年の古木で、歴史を感じさせる貫禄がありました。
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桂川沿いは小高い土手になっています。
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阪急電車が通り過ぎて行きました…

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by suzu02tadao | 2016-11-06 06:30 | Comments(2)