1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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<   2017年 08月 ( 13 )   > この月の画像一覧

道頓堀今昔 『大阪弁』-2-

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 大阪の食い倒れというが、ちか頃道頓堀では「食い倒れ」という飲食店ができた。近年華々しい洋行から帰ったこの家の経営者でも考えたのであろう。昔の櫓太鼓に代って、入口の西洋人形が、ジャングル劇のような一本調子の小太鼓を叩いている。

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【参考】
 今では、大阪を代表する有名人?として、歴史上の人物と肩を並べるほどになっています…!
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 かつてモダン都市として大きく変貌しながら躍進してゆく大阪の街を、好意的な眼差しで綴った『近代大阪』(昭和7年刊)の著者である北尾鐐之助ですが、『大阪弁』では、戦災の後、再建しつつある道頓堀が戦前とはあまりにも様変わりしてしまったため、その姿を嘆きながら、上記に続いて次のように書いています…

 道頓堀は消滅した。戦後五年、すべてがおもうようにならぬ世の中ではあるが、せめて一人位「大阪道頓堀の保存再建」を叫ぶ人がありそうなものである。日本橋の北詰にある「安井道頓、道卜紀功碑」が、雨にぬれてすゝり泣くようである。
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 五座の櫓に代わって、派手なネオンや看板がずらりと並ぶ今の道頓堀は、昔とはまったく別の街になったといえるでしょう…
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 さて、もうひとつ面白いと思ったのが、すでに『暮しの手帖』を発刊していた花森安治が書いた「大阪紳士風景」(「新大阪」新聞:昭和26年6月8日)が載っていたことです。
(以下、抜粋)

 衣裳というものは、人間のレッテルみたいなものだ。
 馬子にも衣裳などとは、すこし古いが、れっきとした紳士でも、ひとたびアロハを着ると、トタンに見ただけではどうしてもヨタモン、ゴロツキ、バラケツ、不良ということになる。~(略)~
 だから、いまも昔も、中味が三級酒的人物ほど特級酒的レッテル的衣裳を身にまといたがるのは、洋の東西を問わぬところ、~(略)~
 そこへゆくと、大阪人というのは、三級酒はチャンと三級酒のレッテルをはっているのがえらい。カンカン帽にステテコで、平気で心斎橋あたりを歩いている。
 東京で男が日傘をさして歩いていると、みんなビックリしてふりかえるが、大阪紳士は、例の裏青表白の日傘を、サッソウとしてかざしている。~(略)~
 ところが、時移り世は変り、ちかごろはオッサンもオバハンも、オジンもオバンも、大阪中で猫も杓子もビニプロというのを愛用しはじめたらしい。ビニプロ、正しくいえば、ビニイルの風呂敷。
 雨が降っても、持ち物がぬれないでいい、いざといえば頭にかぶれます。~(略)~
 しかし、待ちなさい。ステテコも日傘も、理屈にかなっていて正直だから賛成するのだが、ビニプロは、雨の日以外は、理屈にかなわぬ。天気の日にコーモリ傘さして歩いたら、いくら日傘におどろかぬ大阪でも、アホかいな、でしょう。ビニプロも同じこと。これでは三級酒がショウチュウのレッテル貼ってるみたい。戦後は、さしもの大阪紳士もヤキがまわりましたな。


 表紙の絵は、信濃橋洋画研究所で小出楢重に学び、戦前は二科会、戦後は二紀会で活躍した田村孝之介(1903-1986)です。
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 田村孝之介はこの情景がとても気に入っていたようで、同じような絵を、藤沢桓夫と共著の『大阪 我がふるさとの… 』(昭和34年刊)にも載せています。
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by suzu02tadao | 2017-08-29 07:00 | Comments(0)

道頓堀今昔 『大阪弁』-1-

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 「大阪ことばの会」編集による雑誌 『大阪弁』は、方言を中心に研究していた郷土史家・牧村史陽によって、昭和23~26年にかけて第7集まで発行されました。
 昭和26年8月1日発行の『大阪弁』第6集は、ミナミの特集で、五座の櫓がずらりと軒を並べ、赤い灯、青い灯のカフェーに彩られた、戦前の道頓堀の様子が書かれています。

 その中で、竹沢淳「女給さんから社交嬢へ」のイラストは、「大阪の夢二」といわれた宇崎純一(1889‐1954)が手がけています。
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 女給さんの仕事が舶来である事を立証するのは、エプロンだけでなく、女給さんの居る店を「カフェー」と呼んだことである。
 カフェーの店頭には「西洋御料理」と書いてあった。~(略)~
 西洋料理を食べて、ビールを飲むのである。それを運んで来て横に座ってサービスしてくれる女給さんの仕事は何と云っても舶来である。
 当時の西洋料理で一番人気のあったのは、カツレツ、オムレツ、ハムサラダであった。勿論殆んどがビーフである。それをナイフとフォークで食べるのですぞ!ソースを皿に溢れる程かけるのですぞ!

 大正時代には、カフェーの女給さんはイラストのようなエプロン姿でしたが、昭和のエロ・グロ・ナンセンス時代になり、ユニオン、赤玉、マルマタ、美人座などのいわゆる大カフェーのエロ・サービスが流行り出すと、給仕をしなくなったため、エプロンも小さくなり、大きなリボンがついただけの単なるファッションになったということです。
 なるほど、このようなイラストは、大正時代のカフェーを知る宇崎純一でなければ、描けないというわけですね・・・


 また、「春のおどり」をはじめ松竹座の舞台の企画を手がけた食満南北は「私のしつてゐる南」の中で、次のように述べています。

 面白いではないか。一体道頓堀の
旗のバー
 なんて云ふものからソロ/\堕落しはじめて、とう/\勝ったり負けたりして、今のやうになつてしまつたのだ。
 ~(略)~
 五十年以前、まだ南北が紙衣姿にならぬ頃、キャバレーの、映画の、SPの、OSの、加工ずしの、電髪の、ワンピースの、ストリップショーの、そんなやゝこしいもののなかつた五十年前、・・・

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 ただし、昔から道頓堀界隈は歓楽街であり、花街でした。
 しかし、そこにはしみじみとした情緒があったといいます。
 その辺りを宇野浩二が少年時代の回想を元に書いていますが、昭和初期から風俗画家として活躍した、藤原せいけん(1902-1993)のイラストが趣きをそえています…
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 ここで、大正時代と昭和10年頃と思われる道頓堀の絵葉書を比べてみると…
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 通行人の服装が変化しており、特に男性と子供は大正時代には和装だったのが、昭和になるとほとんどが洋装になっているのがよくわかります。


 さて、戦前ばかりではなく、戦後のミナミを描いた小説、京都伸夫「大阪の恋人」も載っています。
 イラストを手がけた米良道博(1903-1983)は、信濃橋洋画研究所で小出楢重や鍋井克之らの指導を受け、戦前は二科会、戦後は一陽会で活躍しました。
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by suzu02tadao | 2017-08-27 08:00 | Comments(0)

ラヂオ体操

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 昔は夏休みの早朝には、小学生のラジオ体操というのが定番でしたが、最近は行っていない地域も多いようです…

 モダンでお洒落なイラストが気に入って手に入れたのは、戦前の『ラヂオ体操』のレコードの解説書です。

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 ところが、冒頭のイラストは「ラジオ体操第1」なのですが、よく見ると、どうも自分が知っている動作や順番とは全然違っていたので調べてみたら・・・
 現在の「ラジオ体操第1」は1951(昭和26)年に制定された3代目なのだということです。

 1928(昭和3)年11月1日に昭和天皇の御大典記念事業の一環として、東京中央放送局で放送を開始したのが、ラジオ体操の始まりでした。

 これが、初代の「ラジオ体操第1」で、「国民保健体操」として<老幼男女何人にも容易、実行が出来、而かも過労に陥らせるやうな心配はない>もので、3代目の今も「子供からお年寄りまで一般の人が行うことを目的とした体操」として親しまれています。

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 「ラジオ体操第2」は、1932(昭和7)年に職場向けとして制定されたもので、<国民保健体操第一を基調とし、幾分その程度を高めて構成されたもので保健の積極的意志を強調する意味に於て躯幹の運動が増されてゐる>と、この解説書にも書かれています。
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 現在の「ラジオ体操第2」は、1952(昭和27)年に制定された、やはり3代目です。

 「♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ…」が歌い出しの、おなじみの「ラジオ体操の歌」は1956(昭和31)年にできたもので、堀内敬三作曲の初代の歌は1931(昭和6)年のものです。

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 <ラヂオは號(さけ)ぶ 一、二、三>とありますが、日本初のラジオ放送は1925(大正14)年で、翌年には「社団法人日本放送協会」が発足。
 この歌ができた頃には、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるラジオ受信機も、国内メーカーによってどんどん生産されるようになっていたようです。

 また、ラジオ体操の放送が始まるとすぐに、ラジオ体操のレコードも発売されています。

◆帝国劇場「番組」広告(昭和5年6月)より
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 ラジオ体操で思い出したのが、昔(2009年)、上野公園で撮影した「ラジオ体操ひろばの碑:1991(平成3)年銘」です。
 これは<ラジオ体操ひろばとして永年にわたり多くの人に親しまれている当地に、ラジオ体操制定五十年を記念し建立したもの>ですが、その後、東京国立博物館前の噴水広場などの大改装があって、この碑も当時から50mほど南に移転しているそうです。
 ただし、今も朝の6時半になるとこの碑の前で、大勢の人々がラジオ体操をしているようです…
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by suzu02tadao | 2017-08-25 07:00 | Comments(0)

港神戸と旧居留地

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 今年、神戸港は開港150年を迎え、様々な記念事業が行われているようです…

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 神戸開港と同時に「兵庫運上所」という名称で開設され神戸税関も今年、150年を迎えました。
 神戸税関前から望む、旧神戸市立生糸検査所(デザイン・クリエイティブセンター神戸)は、いかにも日本を代表する国際貿易港の玄関口にふさわしい風景ですね…
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 ここから、全長187.1m しかない「日本一短い国道」として知られる国道174号を北に行ったところにある公園(東遊園地)は、やはり150年前に旧居留地の開設に伴い、外国人専用の運動公園としてできたものです。
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 園内のグラウンドで外国人が、野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、日本にそれらのスポーツが広まるきっかけになったと言われています。
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 かつて外国人の社交場であった神戸倶楽部は1945年の戦災で焼失しましたが、今は再建されて公園の管理事務所になっています。
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by suzu02tadao | 2017-08-22 15:00 | Comments(2)

ボート・ガールは招く

『旅の友』1930(昭和5)年8月号
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 以前にも紹介したことがある趣味の旅行雑誌『旅の友』ですが、モダンな表紙は同じく杉本健吉のデザインです。

 夏といえば海ということで、「モダン風景 -ボート・ガールは招く-」と題して蒲郡海水浴場が紹介されていました。

 「ボート・ガール」は、喜多壯一郎監修『モダン用語辞典』(1930年刊)によれば、〈 三十年型の新職業として生まれた職業。ボート・ガールと云ふのは、一時間のボート遊び一円で、娘さんがオールを握ってお相手もすれば、お望みで海水着で水泳のお相手もするといふモダン職業娘。と解説されています。

蒲郡の海をいろどるボート・ガール
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 ヂャバッ!テン/\/\/\とオールは水滴を走らせて再びヂャバッ!軽快な艇身はグッ/\と浪乗り越えて進航します。
 「フレー/\」涼しい浜風に乗って聞えて来るのは、他のボートに居る、サービス嬢からの音信です。
 「フレー/\、千鳥さん!」我が舟からの返信です。
 「二人で、泳ぎッこしませうか。」
 と云へば、彼女は終いに人魚にもなります。
 ~(略)~
 で、あちらでも、こちらでも海の人気者は嬉々と夏の恵みに浴して遊んで居ります。
 そして蒲郡の浜はさながら、海の銀座になりました。
   ラッシュアワーに
   拾った薔薇を
   せめて、あの娘の
   思ひ出に・・・・
 と云ふ行進曲は、たゞ陸だけのメロデーではない。ピッタリ、此処蒲郡海水浴場にも摘要出来るものであります。

 当時の大ヒット・ソング『東京行進曲』の一節が紹介されていますが、蒲郡海水浴場ではボート・ガールのサービスの他にビールとお菓子付で1円50銭になっており、まさにエロ・グロ・ナンセンス時代の世相を象徴するような語り口で、他にも富田浜のSeaとSheと」では…

 「波なんて随分SKね」
 「なぜ・・・・」
 「くちびるをぬすみに来るじゃないの」
 「君は開放主義者だからさ・・・・もっと沖へこいよ・・・・さ。」
 「わたし心配だわ、しみるんじゃない・・・・」
 「何が・・・・一体海の中迄ケープ着て来る奴あるかい。」
 「だって・・・・ないんだもの」
 「とるんだよ」
 「・・・・・・・」
 で、僕は与へられたチャンスを完全につかまねばならぬ。
 「こいつあ海のオキテさ」
 「ないんだから・・・・」
 彼女の足はタコの様にからみつく、そして次の瞬間潮だらけになったフタリである。
 「さあ、とるんだ。」
 「・・・・あのね、ほんと言うと、ズロースないの・・・・」
・・・・オヤ・・・・ナルホド・・・・

 これらは「避暑地ナンセンス」と題された特集記事の抜粋ですが、こんなバカバカしくて軽薄な内容の記事が、一般向けの旅行雑誌に載っていたとは…ビックリですね!
 まァ他には、「避暑地では相当な家庭の子弟に見せかけた偽大学生の誘惑にだまされないよう、女学生は御用心!」というような真面目な?記事もありましたが…
 
 このような時代を謳歌していたモボ・モガの人たちにとってみれば、その後の戦争へと突入していった時代を「暗黒時代」と言いたくなるのも、確かに分かるような気がします。

【参考】


 その他、海外でも話題になっている当時のモダンガールたちの雄姿です…

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by suzu02tadao | 2017-08-20 08:00 | Comments(2)

【大阪・梅田】雑景

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 レトロ・モダンな情景もいいですが、どんどん変わりつつある最近の「大阪・梅田」界隈をいくつか…
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by suzu02tadao | 2017-08-18 08:00 | Comments(0)

くらしの工夫

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装幀 佐野繁次郎

包紙‥明治頃、神田祭で、町内揃へでこしらへたお祭りゆかた。当時最も安いもの。但し、柄のいゝため、その後、お召友禅などに作られて、高いものができたが、結局よさは、この安物が最高となつた。

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表紙‥木綿の染縞。これも高い生地でまねるが、やつぱり之が最高。

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 大胆なゆかた柄の装幀が、下鴨納涼古本まつりの会場の雰囲気にピッタリだったので、思わず手に入れた『くらしの工夫』は、昭和17(1942)年の戦時中に発行された婦人誌です。
 「欲しがりません勝つまでは」の時代を反映して、大政翼賛会に関係のある出版社から出されたもので、横光利一「勝負」、吉屋信子「大東亜の生活表現」、林芙美子「京都の借家」、森田たま「あこがれの美」などの豪華な執筆陣をそろえています。
 
 私が興味を惹かれた、斎藤佳三「婦人標準服の考案」なんていうのもありますが、佐野繁次郎も「色の量(かさ)」を載せています。

 往々にして、紫には黄色が合ふなどと、配合のことが言はれてゐるが、実際にそれをやる場合は、その色の面積――すなはち、色の量(かさ)といふことで、まるで違つた結果になつてしまふ。~(略)~
 はつきり言へば、美しき配色の原則なんてなものはなにもないのである。~(略)~
 前に、すきな色から入れ、すきこそものの上手のたとへで、進歩も早い、そのすきな色をしつかり覚えるやうにいつたが、その教はつたすきな色を、たゞ一つ見てゐるより、どうしたら、さらにそれが目立つか、引きたてられるか、といふことを、いろんな色をそばにもつてきてやつてみるといゝ。~(略)~
 色に限らず、なんでも同じだと思ふが、いつぺんに出来るものではない。やる気があるなら、初めから多くをのぞまず一つ一つ、はつきり分るまでやりぬかねばだめである。~(略)~たとへ一年でも暇をみてだまつてやつてゐれば、気のついた時は他人が、一寸手のとゞきにくい所に自分は進級してゐるに違ひないんだが。


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 内容は表題の『くらしの工夫』が示すように、モノの再利用、リフォーム、手作り等の実用性を重視した記事が多く、戦後になって創刊した頃の『暮しの手帖』にとてもよく似ていたので、調べてみました…
 
 すると、やはり花森安治が戦時中にかかわった本であることがわかりました。

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 花森安治はペンネーム“安並半太郎”(しかし、このペンネームは何となく意味深ですね…?)で、179ページから231ページにわたり、長編の「きもの読本」を載せていて、花森安治の着物への造詣の深さを改めて認識できるのですが、その中には、次のように語っているところもあって、興味をそそられました…

 日本の文豪、谷崎さんが、大阪のじんべはいゝものだといつて着てをられるが、ちやんと古い、無地麻の袴をしてをられる。
 真白の麻のつつつぼのじんべに、くすんだ水色の袴となると、どつか古武士のやうな、――とても、これがあのだらしないじんべかと驚くばかりである。馬子にも衣裳の反対で、じんべも用ひ方で、かうなるものなのである。
 谷崎さんのその姿から、思つたのだが、剣道をやる人の、もゝ高な黒い袴に、短い筒袖、あれは、勿論、なんのおしやれも考へ込んであるものではないが、たしかに、古来、伝つた、日本の代表的な男の姿の、又、一つといつていゝ。


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 カットについては佐野繁次郎風ですが、これらは、三木張吉、田村草次郎となっています。
 また、写真を担当しているのが、『暮しの手帖』の写真を創刊号から長年撮っていた松本政利ということもあって、興味は尽きません…

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by suzu02tadao | 2017-08-15 08:00 | Comments(0)

下鴨納涼古本まつり

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 日本のラグビーは、1910(明治43)年に下鴨神社・糺の森で、ラグビーの練習が行われのが始まりだったそうで、その歴史を後世に伝えるための「第一蹴の地」記念碑がありました。
 この春、その記念碑の横に「雑太社(さわたしゃ)」が再建されて、ラグビーの聖地としてボールを模した絵馬も奉納されています。

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 ラグビーの聖地から望む古本まつりもなかなか乙なものです…
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 太古からの自然に包まれて、老若男女が集う古本まつり…
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 傍らにある河合神社は、美人の聖地として有名ですが、ここには、鴨長明が世の無常と人生のはかなさを『方丈記』に著した方丈も復刻展示されています。
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 日本の文化は自然との共生によって育まれてきたといわれていますが、糺の森に佇んでいると、むしろ、自然に逆うことなどままならず、共生しなければならなかったのではないか…と思えるのでした。
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 さすがに世界遺産だけあって、国際的なモニュメントを示すものも散見されます。
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 昼ご飯を食べに、近くにある出町桝形商店街に行くと、ここでも古本市が…
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 レトロな店もあって、かわいい猫の柄の着物が印象的でした…
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by suzu02tadao | 2017-08-13 10:30 | Comments(2)

錦小路通<日常を観光する>

 京都の街角などで、私が興味を惹かれて撮影していると、
 何でこんな場所を?…というような怪訝な顔をしながら通り過ぎて行く人がよくいるのですが・・・
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 押し寄せてくる外国人観光客の団体が行き過ぎるのを待った後、錦市場の高倉通入口から向い側の昭和レトロな風景を撮影しようとしたら、その場所で記念撮影をする外国人がいて…
 というのが上の写真です。

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 錦市場も今は観光名所になっていますが、もともとは「京の台所」といわれるとおり日常生活のための市場だったわけで…
 まさにこの日常が海外の旅行者から見れば、まったくの非日常でファンタスティックな風景のようなのです…

 錦小路通周辺には昭和レトロな日常風景が数多く残っています。
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 有名なラーメンチェーン店や医院が入るこのレトロビルも、恐らくは隣にある大丸のビルと同じくらい古いのではないかと思われます。
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 近くには他にもレトロビルがありました…
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 烏丸通を渡って西へ…ここにも昭和レトロな風景が残っています。
 なお、前回の元・明倫小学校(京都芸術センター)は、錦小路から室町通を北に歩いてすぐの所にあります。
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 周辺はかつて商業の中心地として栄えた場所で、祇園祭の山鉾町も数多くあって、新町通には古い商家が今でも残っています…
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 さて、残っていそうで残っていない…いわゆる昭和の喫茶店「コーヒーショップ」が錦小路にあったので、ここでひと休み。
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 そういえば…昔、「コーヒーショップで」というヒット曲がありましたね。

 インテリアも昔のままで…
 アイスコーヒーは懐かしい「コールコーヒー」の味でした。
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by suzu02tadao | 2017-08-11 07:00 | Comments(0)

元・明倫小学校<2>

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 明倫学区には祇園祭の山鉾町の多くが含まれていたことから、玄関にあたる西館の正面のデザインは山鉾をイメージしていると言われています。
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 呉服屋の旦那衆たちから多額の寄付がよせられたこともあって、玄関周りの装飾はとても豪華です。
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 スペイン風のクリーム色の外壁、明るいベージュの屋根瓦など、色遣いもとてもお洒落です。
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 南館の階段の手すりなども凝ったデザインになっています。
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 南館には図書室と情報コーナー、そして老舗の喫茶店が入ってます。
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 廊下の窓からは北館が見えます。
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 情報コーナーにはイベントや展覧会・個展などの案内が置かれています。
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 これもアート作品?と思えるものもところどころにあって、ちょっと楽しめます…
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 帰り際、
 校舎の裏手の風景もいい雰囲気でした。
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by suzu02tadao | 2017-08-08 11:20 | Comments(2)