1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
以前の記事
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
more...
お気に入りブログ
ヴォーリズを訪ねて
近代建築Watch
レトロな建物を訪ねて
Books & Things
最新のコメント
古本まつりは16日までや..
by モダン周遊 at 07:17
下鴨の古本祭り こんな..
by 雪だるま at 05:53
ここは、たくさん見どころ..
by モダン周遊 at 10:53
最後の写真の場所 雪だ..
by 雪だるま at 05:53
そうですね… ここは、..
by モダン周遊 at 12:07
こちらは 京都芸術セン..
by 雪だるま at 05:41
以前から撮影しようと思っ..
by モダン周遊 at 11:05
この写真を見せられると ..
by 雪だるま at 05:31
脱藩していた龍馬も、 ..
by モダン周遊 at 12:56
京都市中で レトロな建..
by 雪だるま at 05:53
メモ帳
最新のトラックバック
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
シャガール、ピカソ、マテ..
from dezire_photo &..
マルモッタン・モネ美術館..
from dezire_photo &..
美は幸福を約束するものに..
from dezire_photo &..
【姫路の老舗映画館が消え..
from ジョニー暴れん坊デップの部屋
個性的なビルがいっぱい:..
from 本読みの記録
ライフログ
検索
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


<   2017年 08月 ( 9 )   > この月の画像一覧

ボート・ガールは招く

『旅の友』1930(昭和5)年8月号
c0239137_12395382.jpg

 以前にも紹介したことがある趣味の旅行雑誌『旅の友』ですが、モダンな表紙は同じく杉本健吉のデザインです。

 夏といえば海ということで、「モダン風景 -ボート・ガールは招く-」と題して蒲郡海水浴場が紹介されていました。

 「ボート・ガール」は、喜多壯一郎監修『モダン用語辞典』(1930年刊)によれば、〈 三十年型の新職業として生まれた職業。ボート・ガールと云ふのは、一時間のボート遊び一円で、娘さんがオールを握ってお相手もすれば、お望みで海水着で水泳のお相手もするといふモダン職業娘。と解説されています。

蒲郡の海をいろどるボート・ガール
c0239137_12392919.jpg

 ヂャバッ!テン/\/\/\とオールは水滴を走らせて再びヂャバッ!軽快な艇身はグッ/\と浪乗り越えて進航します。
 「フレー/\」涼しい浜風に乗って聞えて来るのは、他のボートに居る、サービス嬢からの音信です。
 「フレー/\、千鳥さん!」我が舟からの返信です。
 「二人で、泳ぎッこしませうか。」
 と云へば、彼女は終いに人魚にもなります。
 ~(略)~
 で、あちらでも、こちらでも海の人気者は嬉々と夏の恵みに浴して遊んで居ります。
 そして蒲郡の浜はさながら、海の銀座になりました。
   ラッシュアワーに
   拾った薔薇を
   せめて、あの娘の
   思ひ出に・・・・
 と云ふ行進曲は、たゞ陸だけのメロデーではない。ピッタリ、此処蒲郡海水浴場にも摘要出来るものであります。

 当時の大ヒット・ソング『東京行進曲』の一節が紹介されていますが、蒲郡海水浴場ではボート・ガールのサービスの他にビールとお菓子付で1円50銭になっており、まさにエロ・グロ・ナンセンス時代の世相を象徴するような語り口で、他にも富田浜のSeaとSheと」では…

 「波なんて随分SKね」
 「なぜ・・・・」
 「くちびるをぬすみに来るじゃないの」
 「君は開放主義者だからさ・・・・もっと沖へこいよ・・・・さ。」
 「わたし心配だわ、しみるんじゃない・・・・」
 「何が・・・・一体海の中迄ケープ着て来る奴あるかい。」
 「だって・・・・ないんだもの」
 「とるんだよ」
 「・・・・・・・」
 で、僕は与へられたチャンスを完全につかまねばならぬ。
 「こいつあ海のオキテさ」
 「ないんだから・・・・」
 彼女の足はタコの様にからみつく、そして次の瞬間潮だらけになったフタリである。
 「さあ、とるんだ。」
 「・・・・あのね、ほんと言うと、ズロースないの・・・・」
・・・・オヤ・・・・ナルホド・・・・

 これらは「避暑地ナンセンス」と題された特集記事の抜粋ですが、こんなバカバカしくて軽薄な内容の記事が、一般向けの旅行雑誌に載っていたとは…ビックリですね!
 まァ他には、「避暑地では相当な家庭の子弟に見せかけた偽大学生の誘惑にだまされないよう、女学生は御用心!」というような真面目な?記事もありましたが…
 
 このような時代を謳歌していたモボ・モガの人たちにとってみれば、その後の戦争へと突入していった時代を「暗黒時代」と言いたくなるのも、確かに分かるような気がします。

【参考】


 その他、海外でも話題になっている当時のモダンガールたちの雄姿です…

c0239137_12391640.jpg

c0239137_12390322.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-20 08:00 | Comments(0)

【大阪・梅田】雑景

c0239137_15010511.jpg

 レトロ・モダンな情景もいいですが、どんどん変わりつつある最近の「大阪・梅田」界隈をいくつか…
c0239137_15005773.jpg

c0239137_15004816.jpg

c0239137_15004041.jpg

c0239137_15003457.jpg

c0239137_15002724.jpg

c0239137_15002030.jpg

c0239137_15001292.jpg

c0239137_15000003.jpg

c0239137_14594707.jpg

c0239137_14594090.jpg

c0239137_09481076.jpg

c0239137_14593182.jpg

c0239137_14592235.jpg

c0239137_14591387.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-18 08:00 | Comments(0)

くらしの工夫

c0239137_22141551.jpg
装幀 佐野繁次郎

包紙‥明治頃、神田祭で、町内揃へでこしらへたお祭りゆかた。当時最も安いもの。但し、柄のいゝため、その後、お召友禅などに作られて、高いものができたが、結局よさは、この安物が最高となつた。

c0239137_22140799.jpg

表紙‥木綿の染縞。これも高い生地でまねるが、やつぱり之が最高。

c0239137_22205943.jpg

 大胆なゆかた柄の装幀が、下鴨納涼古本まつりの会場の雰囲気にピッタリだったので、思わず手に入れた『くらしの工夫』は、昭和17(1942)年の戦時中に発行された婦人誌です。
 「欲しがりません勝つまでは」の時代を反映して、大政翼賛会に関係のある出版社から出されたもので、横光利一「勝負」、吉屋信子「大東亜の生活表現」、林芙美子「京都の借家」、森田たま「あこがれの美」などの豪華な執筆陣をそろえています。
 
 私が興味を惹かれた、斎藤佳三「婦人標準服の考案」なんていうのもありますが、佐野繁次郎も「色の量(かさ)」を載せています。

 往々にして、紫には黄色が合ふなどと、配合のことが言はれてゐるが、実際にそれをやる場合は、その色の面積――すなはち、色の量(かさ)といふことで、まるで違つた結果になつてしまふ。~(略)~
 はつきり言へば、美しき配色の原則なんてなものはなにもないのである。~(略)~
 前に、すきな色から入れ、すきこそものの上手のたとへで、進歩も早い、そのすきな色をしつかり覚えるやうにいつたが、その教はつたすきな色を、たゞ一つ見てゐるより、どうしたら、さらにそれが目立つか、引きたてられるか、といふことを、いろんな色をそばにもつてきてやつてみるといゝ。~(略)~
 色に限らず、なんでも同じだと思ふが、いつぺんに出来るものではない。やる気があるなら、初めから多くをのぞまず一つ一つ、はつきり分るまでやりぬかねばだめである。~(略)~たとへ一年でも暇をみてだまつてやつてゐれば、気のついた時は他人が、一寸手のとゞきにくい所に自分は進級してゐるに違ひないんだが。


c0239137_22135375.jpg

 内容は表題の『くらしの工夫』が示すように、モノの再利用、リフォーム、手作り等の実用性を重視した記事が多く、戦後になって創刊した頃の『暮しの手帖』にとてもよく似ていたので、調べてみました…
 
 すると、やはり花森安治が戦時中にかかわった本であることがわかりました。

c0239137_22134592.jpg

 花森安治はペンネーム“安並半太郎”(しかし、このペンネームは何となく意味深ですね…?)で、179ページから231ページにわたり、長編の「きもの読本」を載せていて、花森安治の着物への造詣の深さを改めて認識できるのですが、その中には、次のように語っているところもあって、興味をそそられました…

 日本の文豪、谷崎さんが、大阪のじんべはいゝものだといつて着てをられるが、ちやんと古い、無地麻の袴をしてをられる。
 真白の麻のつつつぼのじんべに、くすんだ水色の袴となると、どつか古武士のやうな、――とても、これがあのだらしないじんべかと驚くばかりである。馬子にも衣裳の反対で、じんべも用ひ方で、かうなるものなのである。
 谷崎さんのその姿から、思つたのだが、剣道をやる人の、もゝ高な黒い袴に、短い筒袖、あれは、勿論、なんのおしやれも考へ込んであるものではないが、たしかに、古来、伝つた、日本の代表的な男の姿の、又、一つといつていゝ。


c0239137_22133791.jpg

 カットについては佐野繁次郎風ですが、これらは、三木張吉、田村草次郎となっています。
 また、写真を担当しているのが、『暮しの手帖』の写真を創刊号から長年撮っていた松本政利ということもあって、興味は尽きません…

c0239137_12361553.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-15 08:00 | Comments(0)

下鴨納涼古本まつり

c0239137_21563694.jpg

 日本のラグビーは、1910(明治43)年に下鴨神社・糺の森で、ラグビーの練習が行われのが始まりだったそうで、その歴史を後世に伝えるための「第一蹴の地」記念碑がありました。
 この春、その記念碑の横に「雑太社(さわたしゃ)」が再建されて、ラグビーの聖地としてボールを模した絵馬も奉納されています。

c0239137_21562834.jpg

c0239137_21562068.jpg

 ラグビーの聖地から望む古本まつりもなかなか乙なものです…
c0239137_21561295.jpg

c0239137_21560663.jpg

 太古からの自然に包まれて、老若男女が集う古本まつり…
c0239137_21560064.jpg

c0239137_21555302.jpg

c0239137_21554565.jpg

 傍らにある河合神社は、美人の聖地として有名ですが、ここには、鴨長明が世の無常と人生のはかなさを『方丈記』に著した方丈も復刻展示されています。
c0239137_21553616.jpg

c0239137_21552968.jpg

 日本の文化は自然との共生によって育まれてきたといわれていますが、糺の森に佇んでいると、むしろ、自然に逆うことなどままならず、共生しなければならなかったのではないか…と思えるのでした。
c0239137_21552120.jpg

 さすがに世界遺産だけあって、国際的なモニュメントを示すものも散見されます。
c0239137_21551393.jpg

 昼ご飯を食べに、近くにある出町桝形商店街に行くと、ここでも古本市が…
c0239137_21550551.jpg

 レトロな店もあって、かわいい猫の柄の着物が印象的でした…
c0239137_21545771.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-13 10:30 | Comments(2)

錦小路通<日常を観光する>

 京都の街角などで、私が興味を惹かれて撮影していると、
 何でこんな場所を?…というような怪訝な顔をしながら通り過ぎて行く人がよくいるのですが・・・
c0239137_13405052.jpg

 押し寄せてくる外国人観光客の団体が行き過ぎるのを待った後、錦市場の高倉通入口から向い側の昭和レトロな風景を撮影しようとしたら、その場所で記念撮影をする外国人がいて…
 というのが上の写真です。

c0239137_13404238.jpg

 錦市場も今は観光名所になっていますが、もともとは「京の台所」といわれるとおり日常生活のための市場だったわけで…
 まさにこの日常が海外の旅行者から見れば、まったくの非日常でファンタスティックな風景のようなのです…

 錦小路通周辺には昭和レトロな日常風景が数多く残っています。
c0239137_13403606.jpg

c0239137_13403042.jpg

 有名なラーメンチェーン店や医院が入るこのレトロビルも、恐らくは隣にある大丸のビルと同じくらい古いのではないかと思われます。
c0239137_13402469.jpg
c0239137_13401746.jpg

 近くには他にもレトロビルがありました…
c0239137_13401066.jpg

 烏丸通を渡って西へ…ここにも昭和レトロな風景が残っています。
 なお、前回の元・明倫小学校(京都芸術センター)は、錦小路から室町通を北に歩いてすぐの所にあります。
c0239137_13400236.jpg

c0239137_13395553.jpg

 周辺はかつて商業の中心地として栄えた場所で、祇園祭の山鉾町も数多くあって、新町通には古い商家が今でも残っています…
c0239137_13394441.jpg

c0239137_13393460.jpg

c0239137_13391278.jpg

 さて、残っていそうで残っていない…いわゆる昭和の喫茶店「コーヒーショップ」が錦小路にあったので、ここでひと休み。
c0239137_13390630.jpg
 そういえば…昔、「コーヒーショップで」というヒット曲がありましたね。

 インテリアも昔のままで…
 アイスコーヒーは懐かしい「コールコーヒー」の味でした。
c0239137_13385901.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-11 07:00 | Comments(0)

元・明倫小学校<2>

c0239137_17111579.jpg

 明倫学区には祇園祭の山鉾町の多くが含まれていたことから、玄関にあたる西館の正面のデザインは山鉾をイメージしていると言われています。
c0239137_17110945.jpg

 呉服屋の旦那衆たちから多額の寄付がよせられたこともあって、玄関周りの装飾はとても豪華です。
c0239137_17110255.jpg

c0239137_17105479.jpg

c0239137_17104745.jpg

c0239137_17103902.jpg

 スペイン風のクリーム色の外壁、明るいベージュの屋根瓦など、色遣いもとてもお洒落です。
c0239137_17103052.jpg

c0239137_17102181.jpg

 南館の階段の手すりなども凝ったデザインになっています。
c0239137_17101424.jpg

 南館には図書室と情報コーナー、そして老舗の喫茶店が入ってます。
c0239137_17100851.jpg

c0239137_17100099.jpg

c0239137_17095284.jpg

c0239137_17094480.jpg

 廊下の窓からは北館が見えます。
c0239137_17093524.jpg

 情報コーナーにはイベントや展覧会・個展などの案内が置かれています。
c0239137_17092594.jpg

 これもアート作品?と思えるものもところどころにあって、ちょっと楽しめます…
c0239137_17091631.jpg

 帰り際、
 校舎の裏手の風景もいい雰囲気でした。
c0239137_17090289.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-08 11:20 | Comments(2)

元・明倫小学校<1>

c0239137_16363756.jpg
 館内を巡っている内に、ジョルジョ・デ・キリコの絵の中に紛れ込んだような、不思議な気分になりました…

c0239137_16361250.jpg

 前回の立誠小学校と同じように番組小学校だった明倫小学校の校舎は、1931(昭和6)年に建てられたもので、今は様々なジャンルの芸術活動の拠点となる「京都芸術センター」の施設になっています。

c0239137_16355639.jpg

 当初の姿をほぼそのまま残す館内は、スパニッシュやアールデコなど当時の最新デザインが採り入れられており、制作室として使用されている教室などは見学できませんが、廊下を巡るだけでも充分に楽しむことができました…

c0239137_16352118.jpg

c0239137_16351321.jpg

 特に北館にある荷運びや避難経路としても実用的なスロープの周りの空間は、とても魅力的でした。
c0239137_16354000.jpg

c0239137_16350291.jpg

 その他、階段廻りなど…
 そこかしこに見所がありました。

c0239137_16345017.jpg

c0239137_16342893.jpg

c0239137_16341839.jpg

c0239137_16340515.jpg

c0239137_16335796.jpg

c0239137_16335151.jpg

c0239137_16334482.jpg

 今回は北館でしたが、次回は西館と南館を紹介します…
c0239137_16333510.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-06 08:00 | Comments(2)

元・立誠小学校<2>

c0239137_15573333.jpg

 中庭に面した元職員室のカフェの窓からは、北棟と南棟からなる校舎全体がよく見渡せます。
 保健室や音楽室等で使われていた椅子やテーブルで構成された室内は、この場所だけ時が止まっているかのような、なんとも言えないノスタルジックな空気が漂っていました…
c0239137_15572541.jpg

 卒業生には中村玉緒さん、中村鴈治郎さんや…そして近藤正臣さんは数年前のNHK大河ドラマ『龍馬伝』での土佐藩主、山内容堂役の怪演が話題になりましたが、「実は僕が通っていた小学校は、この山内家の藩邸跡にあったんですよ。だから不思議な縁だと思って…」と語っていたそうです。

 また、この場所は明治時代に日本ではじめて映画の上映に成功した「日本映画原点の地」でもあるとのこと。
c0239137_15570868.jpg

 そんな歴史を受け継いで、校舎の3階には「立誠シネマ」が常設され、他にも様々なイベントに使用されていましたが、今年になってから、ホテルを含む複合施設になることが決定。校舎は文化施設として耐震補強し保存再整備されることになり、「立誠シネマ」も7月末をもって終了しています…

c0239137_13072448.jpg

 立誠小学校は京都の町衆たちの手によって創設されたいわゆる番組小学校でした。番組小学校は「地域による、地域のための学校」という特徴があり、この校舎の建築資金の多くも地域内の有志からの寄付で賄われたのでした。

 やはり番組小学校だった、京都国際マンガミュージアムとして利用されている龍池小学校や京都芸術センターの明倫小学校と同じような施設に、立誠小学校もなるのではないかと思われます。

c0239137_18244712.jpg

c0239137_15562057.jpg

c0239137_15560279.jpg

c0239137_15554079.jpg

c0239137_15553249.jpg

c0239137_15550682.jpg

c0239137_15545843.jpg

 リニューアル後の施設は、2020年の東京オリンピック開催に合わせて完成が予定されており、再整備工事が始まる前に、もう一度、訪れたいと思います…

c0239137_15545108.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-03 08:00 | Comments(2)

元・立誠小学校<1>

c0239137_10183388.jpg

 前回は蛸薬師通を東に歩いてきましたが、この通りの東端になる木屋町通のすぐ横を流れる高瀬川に架かる蛸薬師橋のたもとには「土佐藩邸跡」の碑が立っています。

 かつて土佐藩の藩邸があった場所に建っているのが元・立誠小学校の校舎です。
c0239137_10182142.jpg
 この建物は、1927(昭和2)年に完成しており、京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造の校舎だということです。

c0239137_10181407.jpg

c0239137_10180109.jpg

 1993年に閉校するまでの長い間、小学校として使われていた痕跡が残る階段や廊下を歩いていると、今も生徒たちの元気な声が聞こえてきそうな気がしました・・・
c0239137_15551634.jpg

c0239137_15552473.jpg

c0239137_10175551.jpg

c0239137_10174742.jpg

c0239137_10173907.jpg

c0239137_10172810.jpg

c0239137_10172169.jpg

 次回は、校舎の中にある元職員室だったというカフェでコーヒーを飲みながら、いろいろと思いを巡らせたいと思います…
c0239137_10171452.jpg

[PR]
by suzu02tadao | 2017-08-01 07:00 | Comments(0)