1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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夢の未来 「1969年」版

◇『2001年の日本』 加藤 秀俊・真鍋 博・朝日新聞社 共同編集
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 この本の発行は1969(昭和44)年の1月で、同年7月にはアポロ11号の宇宙飛行士アームストロングとオルドリンが人類として初めて月面に降り立っている。
 そのような時代だったから、宇宙への夢は限りなく広がり、2001年には月旅行は一般的になっているとされている。

◇宇宙旅行
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 <一九七〇年までに、米ソの人間宇宙船が月に到着し、月面に人間が足跡をのこすことができたあと、まるで将棋だおし的に、太陽系内の開発がすすんだ。
 ~西暦二千年。月には恒久的な月基地が開発されて、米ソそれぞれ独自な方法で補給と探検をおこなっている。
 ~西暦二千年を記念して、人気タレントを送りこみ、一大ショー、月ドラマを中継するプランも、やっと実現した。
 ~観光用の月旅行船が二十一世紀からスタートすることになった。
 ~月へゆく宇宙船の発着は、国際管理をうけているが、違反者がいて危険な月旅行をする。~特に一人乗りのロペットという、かんたんなロケットが製造されるようになって、拍車をかけた。若者の間では、ロペットで月をかすめて帰ってくる危険なスポーツが人気を呼び、宇宙カミナリ族と称してあばれまわるようになった。~>

 … と、表現は古くさいが、想像(妄想?)をふくらませている。

 この本の編集とイラストを手がけた真鍋博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、結局、21世紀を見ることなくこの世を去ったが、この本に描かれた予想がそのとうりになったかどうかは別として、自身の描く未来のイメージは、人と自然が共存する世界と語っていたとおり、多くのイラストは今でも楽しめるものになっている…。

◇遊園地
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◇カメラ
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◇流通機構
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◇電気
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 感心したのは、この本の「コンピュータ」の項で、既に、来るべき情報化社会を予測していたことだ。
 …やはり、スティーブ・ジョブスを生みだす土壌はあったのだった…。

◇コンピュータ
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  <~コンピュータによる情報ネットが、国の隅々まで張りめぐらされ、社会情報の共有が拡大した場合、個々人の社会行動は、“受動的”なものから、“能動的”なものへと、転換していく契機を与えられる。
 ~恐らく、今日、電話やラジオ、TVが、民衆のものになったと同じ状態で、コンピュータも、それに直結する送信・受信装置を、家庭に、職場に、散在させることになるだろう。~今日の情報手段(TV・電話・郵便・各種出版物など)の役割も、このコンピュータ・ネットと何らかの形で融合していくにちがいない。そして、国家的、世界的な情報網が、家庭の茶の間とも密着した形で、形成されることになる。>


 ただし、情報化社会…そして国際化社会を予測していたとしても、具体的にどこがどのように変わるのかまでは予測できない…。
 例えば、「遊園地」の項では、ディズニーランドやUSJのようなテーマパークの発想はないし、あるいは、日本のアニメ文化がここまで世界を席巻するなどということは予想もしていなかった…。

 しかしながら、この本の編集者のひとり、加藤秀俊氏も関わった、翌1970年開催の日本万国博覧会こそ、その後の日本の国際化に多大な影響を与えたようだ。
 「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、未来都市の実験場となった会場は人種のるつぼと化し、至るところで国際交流の輪が広がった。
 「ケンタッキー・フライド・チキン」が初上陸したのも万博会場だったということで、その後、ハンバーガーやホットドッグなども登場し、日本の食生活の国際化も一気に進んだのだった。
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# by suzu02tadao | 2012-06-28 15:30 | Comments(0)

夢の未来 「1956年」版

 1956(昭和31)年は太田道灌が江戸城を築いてから500年目ということで、この年の10月7日発行の「週刊読売」では、五百年祭記念 特集「大東京」の中で、未来の世界を紹介している。
 この年の6月には、「首都圏整備法」が施行されており、
-実現するアノ夢コノ夢-「首都圏整備法」の楽しい構想と題して、20年後の1975(昭和50)年の未来図が描かれている。

◇昭和50年の渋谷付近
 <国鉄、私鉄は地下にもぐり(絵の下の部分)地上にはレールなしの空中カー、地上数メートルの高速道路を時速120キロでハイヤーがすっ飛ぶ。広告はすべて中央の拡大テレビから放送される。ビルの屋上はヘリコプターの発着所だ。>
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◇昭和50年の東京・中野付近
 <左上方は住宅地とスポーツ・センター、中央やや上方の建物は煙突のない工場、右上辺が文教地区、右端中央緑地に囲まれたアパート群、その下の地下鉄と駅、屋根にはヘリコプターの発着場がある。>
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◇昭和50年の住宅内部
 <右壁の時計の隣りははめ込んだ天然色テレビ、その上のヨコ穴は暖房、その下のタテ穴は冷房装置、女の人が立っている台は移動流し、足のペダルをふむと温・冷水が出る。坊やが掛けているのはテレビ電話。>
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 東京は、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受け、がれきの山と化した。その後、経済の復興に伴い、東京を中心とする首都圏への人口、産業の集中は著しいものとなった。このため、市街地の無秩序な拡大、居住環境の悪化、交通混雑、公共施設の不足、住宅不足などの過密・過大都市の弊害が深刻化しつつあった。
 こういった問題に対処するために、1956(昭和31)年に制定されたのが「首都圏整備法」であったのだが、やはり、ここにある未来図は、夢というよりは、現状の問題解決といった意味合いが強く、記事の中でも次のように述べられている。
 <~将来の大東京を、少なくとも現状のような無秩序のまま放っておくことは絶対にできないから。
 最近来日したフランスの建築家ル・コルビジェ氏は東京を評してこういった。
 「現代日本の混乱が、そのまま東京に集中されている」~>

 ※ル・コルビジェ(1887-1965)は前年の秋に来日している。

 この特集記事には、当時の東京の写真も載っており、ある意味ではこちらの方が興味深い…。

◇今の東京ビッグサイトの辺りから見た東京港~正面岸壁は竹下桟橋、黒い森は浜離宮、はるかに国会議事堂、そして右手に微かに日本テレビの電波塔が見える。
 ※この時点ではまだ東京タワーはできていない。
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◇浅草六区
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参考:「永井荷風」【浅草にて】(1956年)角川写真文庫より
 ※永井荷風(1879-1959)もまだ健在で、浅草の町を徘徊していた。
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参考:「東京文学散歩(下町篇)」【日本橋】(1955年)角川写真文庫より
 ※首都高もまだできていない…。
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# by suzu02tadao | 2012-06-25 16:50 | Comments(0)

夢の未来 「1931年」版

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 1931(昭和6)年10月1日発行、少女倶楽部十月号附録「最新科学博物館」では、この当時の最新科学技術を駆使した最新鋭の交通手段である汽車・電車、自動車、豪華客船、飛行船・飛行機などと共に、予想される未来の世界を紹介している。
  「未来の都会」ということで、ちょうど、この1931年は、エンパイア・ステート・ビルが竣工した年でもあり、既にニューヨークでは高層ビルが建ち並んでおり、未来の都市もニューヨークと同じようになるだろうと予想しています。
 <~しかしこれから後は、世界中のどの都会も、段々高くなって行くばかりでせう。かうして建物が高くなりますと電車や汽車は谷底のやうな道の上から姿を消して、地下線と高架線にかはる筈です。そして道路には歩く人と自動車のみが残り、又ビルデングの屋上からは飛行機も飛び出したり、降りたりするやうになるでせう。>

◇テレビジョンの時代
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 <~たとえば、宝塚少女歌劇団のレビューが阪神宝塚劇場の舞台でやってゐるのが日本全国到るところで今日のラヂオ同様見物する事が出来ます。もうその時代も決して遠くありますまい。>
 … と予想しており、その後の歴史をみるとまことに的確な判断をしていることがわかります。

◇ロボットとロケット
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 <今日の科学の力で我々が実行するのに一番むづかしいものは、我々と少しも変わりない機械で働く人間を造ることと、今一つは我々の地球から空に輝くお星様のところへ旅行する、この二つの事であります。~>
 … とありますが、まさにロボットとロケットの開発は、現代においても、夢の未来社会へ向けての最重要テーマです。
 しかしながら、そのようなロボットが交通整理をしているというのも、当時のレトロ・モダンな様子を表わしているようで、微笑ましさを感じさせてくれます。ちなみに、この当時は、信号機のことを「ゴー・ストップ」と、ちょっとお洒落に言っていたようです…。

◇漫画「未来の世界」より(部分)
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◇漫画「未来の世界」より(部分)
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 ここに表現されている未来の世界は、今日でも最新鋭の技術と、当時のいまだ田園的な生活風習とが奇妙に混ざり合い、牧歌的ともいえる雰囲気を醸し出していますが、現在、最大の課題であるエコの要素も盛り込まれており、あんがい本来の意味での「夢の未来」の姿なのかもしれません。
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# by suzu02tadao | 2012-06-21 14:45 | Comments(0)

『嗜好』

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 明治屋のPR誌『嗜好』1930(昭和5)年4月15日発行(第23巻、第4号)。

 この号では、「コーヒの話」と題して、コーヒーについての特集をしており、表紙もそれをテーマにしたデザインのようで、【SAB.】サインがあるので、誰だろうと思ったら、これが何と…宮本三郎だった。
 宮本三郎(1905-1974)はこれより少し前、1927(昭和2)年に二科展に初入選しており、また3年後の1933(昭和8)年には、東京朝日新聞連載の小説「三家庭」(菊池寛)へ挿絵を描き、その類まれな描写力を活かした画風で、その後に活躍する。この表紙はそれとはまた別の表現で、なかなか洒落たものになっている。

【参考】小説「三家庭」(菊池寛)挿絵より
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 さて、この号の「コーヒの話」のカットは<まさを画>となっており、これもなかなか洒落ているが、どちらかというと「ヘタウマ」の画風で、美人画の「加藤まさを」ではないようだ…。
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 PRページには、明治屋の主要店舗のショーウインドーが掲載されていて、当時の様子が偲ばれる。
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 明治屋のPR誌『嗜好』は1908(明治41)年に創刊され、2008(平成20)年に百年を区切りに、いったん休刊しているが、1958(昭和33)年6月1日発行の『嗜好』では、ちょうど400号ということで、巻頭で創刊当時の様子を紹介している。

◇『嗜好』1958(昭和33)年6月1日発行(第400号)
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 <本号をもちまして、『嗜好』も四百号を重ねました。創刊は明治四十一年四月ですから、今から数えてちょうど五十年です。これを機会に、この小さなPR雑誌のたどった足跡をたどるために、紙面を割くことをお許し下さい。
 明治十八年、横浜で創業した明治屋は、四十一年頃には既に基礎もすっかり固まり、東京、大阪、神戸、門司、それから当時まだ日韓併合前の京城にまで店をもち、発展の一途をたどっていました。
 しかし、なんといってもそのころは、明治屋の取扱っていたハイカラな食料品、洋酒の類はごく限られた需要しかありませんでした。一手販売をしていたキリンビールにしてからが、まだ大衆の酒とは申されない時代でした。啓蒙宣伝、即ちPRの必要度は今日の比ではなかったと思われます。~>


 さらには、創刊号表紙及び歴代の表紙も紹介している。

『嗜好』創刊号表紙 (明治41年4月)
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【左】(昭和15年3月)、【中】(昭和2年6月)、【右】 (大正4年7月)
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◇明治屋本社(京橋ストアー)【1933(昭和8)年3月竣工】
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# by suzu02tadao | 2012-06-16 22:30 | Comments(0)

モダンガールの旅 「汽車の旅」編

◇展望車 「汽車の旅」(鉄道省)絵ハガキより
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◇食堂車 「汽車の旅」(鉄道省)絵ハガキより
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 この「汽車の旅」絵ハガキは1935(昭和10)年頃のもののようですが、この当時の展望車や食堂車はご覧のような、1・2等車(現・グリーン車)であることが多かったようです。また、このような食堂車の場合はセレブな旅客の利用が前提であったため、洋食専門のいわゆる「洋食堂車」がほとんどだったといいます。
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 絵ハガキは全部で5枚セットで、他には「奈良ホテル」、「上野駅」、「青函連絡船」となっています。

◇奈良ホテル 「汽車の旅」(鉄道省)絵ハガキより
<鉄道省の直営に係り奈良朝時代の建築に則った総檜の二層楼で宿泊は欧式、米式併用である。>と解説されています。
 ちなみに、1909(明治42)年10月に竣工、営業開始しており、建物の設計は辰野金吾と片岡安です。
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◇上野駅 「汽車の旅」(鉄道省)絵ハガキより
1932(昭和7)年4月2日に落成、同月5日より営業を開始した。
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◇青函連絡船 「汽車の旅」(鉄道省)絵ハガキより
1908(明治41)年)3月7日 、運航を開始。1988(昭和63)年3月13日、青函トンネルの開通に伴い、同日をもって廃止された。
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# by suzu02tadao | 2012-06-13 21:30 | Comments(0)