1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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ヴォーリズと近江八幡 <4>

◇池田町洋風住宅街
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 池田町洋風住宅街は、大正時代にヴォーリズがアメリカ式住宅のモデルハウスとして建てたもので、旧近江ミッション・ダブルハウス(1921年築)、旧ウォーターハウス邸(1913年築)、旧吉田悦蔵邸(1913年築)からなる。
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◇村岡氏邸(旧岩瀬医院) 1933(昭和8)年
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◇アンドリュース記念館(旧近江八幡YMCA会館) 1935(昭和10)年
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◇近江八幡教会:牧師館(元近江兄弟社地塩寮) 昭和初期
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◇近江八幡市立資料館 1886年築
  1953(昭和28)年、ヴォーリズ建築事務所が改修
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# by suzu02tadao | 2012-09-14 14:30 | Comments(0)

ヴォーリズと近江八幡 <3>

◇ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ氏邸) 1932(昭和7)年
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 ヴォーリズ記念館はヴォーリズ夫妻が後半生を過ごした自宅を公開したもので、内部には遺品や資料も展示されている。
 ※内部見学は要予約。内部は撮影禁止。
【参考】ヴォーリズ記念館
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◇近江兄弟社学園(教育会館/ハイド記念館) 1931(昭和6)年
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 以前、ヴォーリズの設計した建物はどれも、その用途にふさわしい「佇まい(たたずまい)」を見せていると書いたが、建物のみならず門柱と塀あるいは庭などがそれぞれに調和して独特な雰囲気をかもし出している。
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【参考】竣工当時の「教育会館/ハイド記念館」とヴォーリズ氏邸(左)
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【参考】近江ミッション一覧図:昭和6年現在 (部分)より
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# by suzu02tadao | 2012-09-12 12:00 | Comments(0)

ヴォーリズと近江八幡 <2>

◇ヴォーリズ記念病院:ツッカーハウス 1918(大正7)年
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 結核患者の療養などを目的として開院した近江療養院の本館として、米国人ツッカー女史の寄付によって建設された建物。
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 「将来復元可能な状態で解体」する事が決定しているそうで、現在は保留状態ということらしいが、老朽化が激しく、完全に廃屋状態になっている。
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◇ヴォーリズ記念病院:礼拝堂 1937(昭和12)年
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 ツッカーハウスの裏側の更に高い場所に、ひっそりとたたずむ礼拝堂である。
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◇ヴォーリズ記念病院:希望館 1918(大正7)年
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 礼拝堂の西側の奥にある結核患者の療養施設で、五つの個室が真ん中の共有スペースを囲むように配置されており、各室の採光及びコミュニケーションとプライバシーの両立を考慮した設計になっている。
 この建物も廃屋状態である。
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 ヴォーリズ記念病院(旧近江療養院)は近江八幡の町から約1キロ離れた北之庄にあり、素朴な建築でありながら、周囲の自然環境と共生する療養施設としての在り方に注目すべき特色をもったもので、ヴォーリズ建築の初期からの設計思想をよく表している。
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# by suzu02tadao | 2012-09-09 10:46 | Comments(0)

ヴォーリズと近江八幡 <1>

◇旧八幡郵便局 1921(大正10)年
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 近江八幡を訪れるのは十数年ぶりで、以前訪れた時の旧八幡郵便局はまだ保存再生運動が始められたばかりの頃で、今は復元されている玄関アーチもなく、ほとんど廃屋同然の姿であった。
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 今回、旧八幡郵便局をはじめとする近江八幡のウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880 - 1964)が設計した建物をいくつか見ていくうちに、それぞれに共通するひとつの言葉が浮かんだ。
 それは、「佇まい(たたずまい)」である。
 ヴォーリズの設計した建物はどれも、その用途にふさわしい「佇まい」を見せており、すなわちそのものにふさわしい雰囲気をかもし出しているように思う。
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「建築物の品格は、人間の人格の如く、その外装よりも、むしろその内容にある」
(ヴォーリズ建築事務所作品集冒頭部分より)
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# by suzu02tadao | 2012-09-08 16:45 | Comments(0)

「表紙構成 --- ひろ・はら」 原弘

◇雑誌『サラリーマン』(1月号):1930(昭和5)年1月1日発行
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 最初にこの雑誌を見た時、表紙のデザインは村山知義か柳瀬正夢ではないか?と思ったが、当たらずといえども遠からず…で、築地小劇場に通い続けて、村山知義や吉田謙吉から多大な影響を受けていた原弘(はら ひろむ、1903-1986)が手がけたものである。

 原が築地小劇場で特に感激したのは、村山知義によるゲオルク・カイザーの「朝から夜まで」の構成主義舞台(下図)であった。
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 また、エル・リシツキーやバウハウス及び「ノイエ・ティポグラフィー(ニュー・タイポグラフィー)」の運動に魅了されていた頃でもあった。

◇原が新鮮さに息が止まるほどの大きな衝撃をうけたというエル・リシツキーのマヤコフスキーの詩集『声のために』の見開きページ
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 このように、革命後のソヴィエトのエル・リシツキー等の芸術家の前衛的な活動に興味をもっていた原は、母校である東京府立工芸学校の教員をする傍ら、「プロレタリア美術研究所」に通い、プロレタリア美術展にも2回出品している。

 月刊誌『サラリーマン』は、戦後にベストセラーとなった『現代用語の基礎知識』等を企画した長谷川国雄(1901-1980)が、1928年8月に「大衆のための経済解説」をコンセプトに世に送り出したもので、原が表紙のデザインを手がけたのも、この雑誌のコンセプトに共感したためであろう。

 この雑誌の目次には、「表紙構成 --- ひろ・はら」と記されており、あえて表紙構成としたところに、当時の原の意識が表れている。

 そして、この年(1930年)に原弘は花王石鹸の新製品パッケージ・デザイン指名コンペに加わり、見事、入賞をはたし、それ以降の活躍の第一歩を踏み出すのであった。

 <~むかしからある花王石鹸の包装を全く変えて、10銭売りの大衆商品として売りだすという、社運をかけた大仕事の、そのパッケージ・デザインの指名コンペの一人にぼくが選ばれたわけである。そのとき選ばれたのは、村山知義、吉田謙吉、広川松五郎それに印刷局の関なんとかという人だったと思う。ぼくはその中では最年少であり、尊敬する先輩が二人もいるので緊張したが、結果はぼくのヴァーミリオンのベタに、ローマ字を白ヌキにしたのが採用になった。~>
『デザインの世紀』原弘著より


◇新装花王石鹸パッケージ(1931年)
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# by suzu02tadao | 2012-09-05 11:45 | Comments(0)