1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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『 ニコニコ 』-第35号-

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 最初、ヤフオクでこの雑誌『ニコニコ』を見た時、何だこれは?と思い、【ニコニコ】でググっても、ニコニコ動画ぐらいしかヒットせず、よく分からないままに、表紙の絵がなかなかこなれていて気に入ったので、とりあえず入札したら、なんとも、初値200円のままで私の所有するところとなった…。
 『ニコニコ』(第35号)は1913年(大正2年)12月1日発行で、表紙は平福百穂のものだが、その内容は、開けてびっくり玉手箱…ではないけれど、いやはや、これが大変に楽しめるものだった。

 まず、松井すま子(須磨子)の思い出日記(一)。これは須磨子の唯一の著書、翌年(1914年)に発刊された『牡丹刷毛』にも収録されている。
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 須磨子の文章はやや独りよがりなところがあり、分かりにくいが、彼女の非常に一途な性格がよく表われているものではある。

 松井須磨子の思い出日記(一)の前には、福澤諭吉の養子となり、「日本の電力王」と言われた福澤桃介(ふくざわ ももすけ、1868 - 1938)が記事を書いており、「来るべき人気役者」として松井須磨子をとりあげている。
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 須磨子は洋服の似合う体格をしていると褒めた後、<~それから、須磨子の顔だが、あの顔は素顔で見る時は一向感服した顔でないが、一度化粧をほどこして舞台に現れると、実に美しい顔になる、~それに声もよい、鼻に抜ける気味はあるが、まずいい声といって差支えない、~今後の問題の女は、まず第一に須磨子というところであろうと思う、~>と評価する一方で、
 その後、1920年頃より同居して夫婦同然の生活を始めることになる川上貞奴については、<日本で有名であるのみならず、世界的に名声を博して居る。~しかし~、どちらかというともう下り坂である。盛りを過ぎた姥桜だ、~>と書いていて、思わず…ほんまかいな!と、つっ込みたくなる。

【下図】村田嘉久子(1893 - 1969)は、帝劇女優。帝劇閉鎖後は松竹の新派に加入し、歌舞伎劇や女優劇で活躍した。
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 すでに、この時点では須磨子と島村抱月との恋愛が問題とされ、文芸協会を脱退して、抱月と芸術座を旗揚げしており、
「文芸笑話 -バドボーイ記-」というコラムには、先生一寸……という題で
 <~何とか旅館へ泊り込んだある日の事、謹厳なる抱月先生、フロックコートで廊下を通っていると、どこからか女の声で「先生、ちょっと……」と呼ぶものがある。見回したところ誰もいない。するとまた声がするので、よく見ると便所の中から聞こえてくる。「何ですか?」と聞くと、「先生、紙…紙!」 抱月先生落着きはらって「少しお待ちなさい」
 この中にいたのは誰だか知ってるかね。道理で臭いなどとは古いゝ。~>
といった有名なエピソードも載っている。
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 また同コラムには、夏目漱石(1867 - 1916)も登場しており、そうか、大正2年には、漱石先生もまだ生きていたんだ…と改めて感慨にふけるのであった…。
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 さて、私はあまり興味はないのだが、この号の『ニコニコ』で一番の特集記事は、超心理学者として念写・透視などの実験や学会発表を行って、激しい非難を受け、この年(1913年)に東京帝国大学を追放された福来友吉(1869 - 1952)の「余と千里眼問題」及び「念写と透視」であろうと思われる。
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 「ニコニコ倶楽部」の幹部役員として、『ニコニコ』の編集主任の松永敏太郎と共に編集顧問として福来友吉も名を連ねており、「ニコニコ主義」をモットーにした不動貯金銀行(現在のりそな銀行)創業者で、雑誌『ニコニコ』の生みの親である牧野元次郎(1874 - 1943)も、冒頭で福来友吉の研究を擁護する記事を書いている。
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 他にも興味をそそられる記事はいろいろあるのだが、「読者文芸欄」短歌の選者・吉井勇の句と、「京都に於ける吉井勇氏 長田幹彦氏の発展通信」という訳のわからない色紙を紹介しておく。

 宇治にて
月夜よし寝じなと云ひし君がため宇治のひと夜は忘れがたかり
ことさらに君にそむきてわれひとり宇治の河原におもひ草摘む 

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【おまけ:蓄音器の広告】踊るビリケン…背後には大仏!?
(中国が清国となっていますが、1912年に清国はなくなっています。)
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# by suzu02tadao | 2012-07-04 18:20 | Comments(0)

「パヴロバ舞踊音楽大会」

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 エリアナ・パヴロバ(Eliana Pavlova 1899 - 1941)は日本にバレエを根づかせた最初の人物として知られている。
 私がパヴロバを知ったのは昨年の事で、例によって、掲載されている広告(下図)に魅せられて、この「パヴロバ舞踊音楽大会」のパンフレットを手に入れてからだ。
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 エリアナ・パヴロバが日本バレエの母と呼ばれるのは、1927(昭和2)年、鎌倉でバレエ教室を開設して、東勇作、橘秋子、貝谷八百子、近藤玲子、大滝愛子、島田廣らの、今日のバレエ・ブームと言われる日本のバレエ界の基礎を築いた人々を育てたからで、それ以前のパヴロバについてはあまり資料は残っていないらしい。

◇「パヴロバ舞踊音楽大会」より
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 この「パヴロバ舞踊音楽大会」は1923年7月の公演のもので、エリアナ・パヴロバと妹?のナデジタ・パブロバの他には、芝麗子、瀬川光子、瀬川正子、春野芳子、深澤君男らが出演しており、なんと、後に日本を代表するオペラ歌手となった藤原義江(1898 - 1976)も出演している!
 ※藤原義江はこの年の4月10日に帰国したばかりで、5月6日には「帰朝第1回独唱会」を開催して大成功している。

◇ナデジタ・パブロバ嬢
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<ナデジタ・パブロバ嬢はエリアナ・パヴロバ嬢の愛妹にして、エリアナ嬢とともに舞踊の名手なり、特にジャズダンス、チャールストン、ステップ等を得意とす。>

◇エリアナ・パヴロバ嬢
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<世界的露国名舞踊家としてのエリアナ・パヴロバ嬢は、幼少の頃から天才的芸術家として前露国帝室技術員の栄職にあり、我が国に来朝して以来、専ら舞踊教授に数多の舞踊家を養成し、現に「パヴロバ高等舞踊研究所」を開き舞踊の教授をしている。>

◇パヴロバ高等舞踊研究所
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 「パヴロバ高等舞踊研究所」の案内で、住所は<東京市赤坂区榎坂町二番地>となっているが、この東京・赤坂にあった「パヴロバ高等舞踊研究所」については、エリアナ・パヴロバについて書かれた様々な資料をあたってみたが、よく分からなかった。
 しかし、よく見ると、案内の中に、舞踊教授(九月一日開始)とあり、アッと気がついた…。1923(大正12)年9月1日は関東大震災が起こった日だった!
 つまりは、教室を始めたその日に被災したというわけだ…。

 関東大震災で被災したエリアナ・パヴロバだが、松竹座とも関係が深く、その後、創成期の大阪松竹楽劇部の指導も行った。
 あの飛鳥明子もエリアナ・パヴロバから多くを学んだといわれる。

◇「松竹座ニュース」【5/22~5/28】〔浅草/新宿〕1930(昭和5)年より
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<エリアナ・パヴロバ嬢は、来朝以来既に数年の間、日本の芸術魅惑に誘われて親しく我が国で舞踊研究にいそしむ熱情的な芸術家であります。その間、かつてはわが大阪松竹楽劇部にあって教鞭をとられた事もありました。嬢が優婉の特技たる瀕死の白鳥こそは、本格的な舞踊芸術の陶酔と感激とにわれわれを魅惑するでありましょう。>
と紹介されている。

◇「松竹座ニュース」【5/22~5/28】〔浅草/新宿〕1930(昭和5)年表紙
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# by suzu02tadao | 2012-07-02 09:40 | Comments(0)

夢の未来 「1969年」版

◇『2001年の日本』 加藤 秀俊・真鍋 博・朝日新聞社 共同編集
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 この本の発行は1969(昭和44)年の1月で、同年7月にはアポロ11号の宇宙飛行士アームストロングとオルドリンが人類として初めて月面に降り立っている。
 そのような時代だったから、宇宙への夢は限りなく広がり、2001年には月旅行は一般的になっているとされている。

◇宇宙旅行
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 <一九七〇年までに、米ソの人間宇宙船が月に到着し、月面に人間が足跡をのこすことができたあと、まるで将棋だおし的に、太陽系内の開発がすすんだ。
 ~西暦二千年。月には恒久的な月基地が開発されて、米ソそれぞれ独自な方法で補給と探検をおこなっている。
 ~西暦二千年を記念して、人気タレントを送りこみ、一大ショー、月ドラマを中継するプランも、やっと実現した。
 ~観光用の月旅行船が二十一世紀からスタートすることになった。
 ~月へゆく宇宙船の発着は、国際管理をうけているが、違反者がいて危険な月旅行をする。~特に一人乗りのロペットという、かんたんなロケットが製造されるようになって、拍車をかけた。若者の間では、ロペットで月をかすめて帰ってくる危険なスポーツが人気を呼び、宇宙カミナリ族と称してあばれまわるようになった。~>

 … と、表現は古くさいが、想像(妄想?)をふくらませている。

 この本の編集とイラストを手がけた真鍋博(まなべ ひろし、1932年7月3日 - 2000年10月31日)は、結局、21世紀を見ることなくこの世を去ったが、この本に描かれた予想がそのとうりになったかどうかは別として、自身の描く未来のイメージは、人と自然が共存する世界と語っていたとおり、多くのイラストは今でも楽しめるものになっている…。

◇遊園地
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◇カメラ
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◇流通機構
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◇電気
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 感心したのは、この本の「コンピュータ」の項で、既に、来るべき情報化社会を予測していたことだ。
 …やはり、スティーブ・ジョブスを生みだす土壌はあったのだった…。

◇コンピュータ
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  <~コンピュータによる情報ネットが、国の隅々まで張りめぐらされ、社会情報の共有が拡大した場合、個々人の社会行動は、“受動的”なものから、“能動的”なものへと、転換していく契機を与えられる。
 ~恐らく、今日、電話やラジオ、TVが、民衆のものになったと同じ状態で、コンピュータも、それに直結する送信・受信装置を、家庭に、職場に、散在させることになるだろう。~今日の情報手段(TV・電話・郵便・各種出版物など)の役割も、このコンピュータ・ネットと何らかの形で融合していくにちがいない。そして、国家的、世界的な情報網が、家庭の茶の間とも密着した形で、形成されることになる。>


 ただし、情報化社会…そして国際化社会を予測していたとしても、具体的にどこがどのように変わるのかまでは予測できない…。
 例えば、「遊園地」の項では、ディズニーランドやUSJのようなテーマパークの発想はないし、あるいは、日本のアニメ文化がここまで世界を席巻するなどということは予想もしていなかった…。

 しかしながら、この本の編集者のひとり、加藤秀俊氏も関わった、翌1970年開催の日本万国博覧会こそ、その後の日本の国際化に多大な影響を与えたようだ。
 「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、未来都市の実験場となった会場は人種のるつぼと化し、至るところで国際交流の輪が広がった。
 「ケンタッキー・フライド・チキン」が初上陸したのも万博会場だったということで、その後、ハンバーガーやホットドッグなども登場し、日本の食生活の国際化も一気に進んだのだった。
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# by suzu02tadao | 2012-06-28 15:30 | Comments(0)

夢の未来 「1956年」版

 1956(昭和31)年は太田道灌が江戸城を築いてから500年目ということで、この年の10月7日発行の「週刊読売」では、五百年祭記念 特集「大東京」の中で、未来の世界を紹介している。
 この年の6月には、「首都圏整備法」が施行されており、
-実現するアノ夢コノ夢-「首都圏整備法」の楽しい構想と題して、20年後の1975(昭和50)年の未来図が描かれている。

◇昭和50年の渋谷付近
 <国鉄、私鉄は地下にもぐり(絵の下の部分)地上にはレールなしの空中カー、地上数メートルの高速道路を時速120キロでハイヤーがすっ飛ぶ。広告はすべて中央の拡大テレビから放送される。ビルの屋上はヘリコプターの発着所だ。>
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◇昭和50年の東京・中野付近
 <左上方は住宅地とスポーツ・センター、中央やや上方の建物は煙突のない工場、右上辺が文教地区、右端中央緑地に囲まれたアパート群、その下の地下鉄と駅、屋根にはヘリコプターの発着場がある。>
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◇昭和50年の住宅内部
 <右壁の時計の隣りははめ込んだ天然色テレビ、その上のヨコ穴は暖房、その下のタテ穴は冷房装置、女の人が立っている台は移動流し、足のペダルをふむと温・冷水が出る。坊やが掛けているのはテレビ電話。>
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 東京は、第二次世界大戦で壊滅的な被害を受け、がれきの山と化した。その後、経済の復興に伴い、東京を中心とする首都圏への人口、産業の集中は著しいものとなった。このため、市街地の無秩序な拡大、居住環境の悪化、交通混雑、公共施設の不足、住宅不足などの過密・過大都市の弊害が深刻化しつつあった。
 こういった問題に対処するために、1956(昭和31)年に制定されたのが「首都圏整備法」であったのだが、やはり、ここにある未来図は、夢というよりは、現状の問題解決といった意味合いが強く、記事の中でも次のように述べられている。
 <~将来の大東京を、少なくとも現状のような無秩序のまま放っておくことは絶対にできないから。
 最近来日したフランスの建築家ル・コルビジェ氏は東京を評してこういった。
 「現代日本の混乱が、そのまま東京に集中されている」~>

 ※ル・コルビジェ(1887-1965)は前年の秋に来日している。

 この特集記事には、当時の東京の写真も載っており、ある意味ではこちらの方が興味深い…。

◇今の東京ビッグサイトの辺りから見た東京港~正面岸壁は竹下桟橋、黒い森は浜離宮、はるかに国会議事堂、そして右手に微かに日本テレビの電波塔が見える。
 ※この時点ではまだ東京タワーはできていない。
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◇浅草六区
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参考:「永井荷風」【浅草にて】(1956年)角川写真文庫より
 ※永井荷風(1879-1959)もまだ健在で、浅草の町を徘徊していた。
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参考:「東京文学散歩(下町篇)」【日本橋】(1955年)角川写真文庫より
 ※首都高もまだできていない…。
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# by suzu02tadao | 2012-06-25 16:50 | Comments(0)

夢の未来 「1931年」版

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 1931(昭和6)年10月1日発行、少女倶楽部十月号附録「最新科学博物館」では、この当時の最新科学技術を駆使した最新鋭の交通手段である汽車・電車、自動車、豪華客船、飛行船・飛行機などと共に、予想される未来の世界を紹介している。
  「未来の都会」ということで、ちょうど、この1931年は、エンパイア・ステート・ビルが竣工した年でもあり、既にニューヨークでは高層ビルが建ち並んでおり、未来の都市もニューヨークと同じようになるだろうと予想しています。
 <~しかしこれから後は、世界中のどの都会も、段々高くなって行くばかりでせう。かうして建物が高くなりますと電車や汽車は谷底のやうな道の上から姿を消して、地下線と高架線にかはる筈です。そして道路には歩く人と自動車のみが残り、又ビルデングの屋上からは飛行機も飛び出したり、降りたりするやうになるでせう。>

◇テレビジョンの時代
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 <~たとえば、宝塚少女歌劇団のレビューが阪神宝塚劇場の舞台でやってゐるのが日本全国到るところで今日のラヂオ同様見物する事が出来ます。もうその時代も決して遠くありますまい。>
 … と予想しており、その後の歴史をみるとまことに的確な判断をしていることがわかります。

◇ロボットとロケット
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 <今日の科学の力で我々が実行するのに一番むづかしいものは、我々と少しも変わりない機械で働く人間を造ることと、今一つは我々の地球から空に輝くお星様のところへ旅行する、この二つの事であります。~>
 … とありますが、まさにロボットとロケットの開発は、現代においても、夢の未来社会へ向けての最重要テーマです。
 しかしながら、そのようなロボットが交通整理をしているというのも、当時のレトロ・モダンな様子を表わしているようで、微笑ましさを感じさせてくれます。ちなみに、この当時は、信号機のことを「ゴー・ストップ」と、ちょっとお洒落に言っていたようです…。

◇漫画「未来の世界」より(部分)
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◇漫画「未来の世界」より(部分)
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 ここに表現されている未来の世界は、今日でも最新鋭の技術と、当時のいまだ田園的な生活風習とが奇妙に混ざり合い、牧歌的ともいえる雰囲気を醸し出していますが、現在、最大の課題であるエコの要素も盛り込まれており、あんがい本来の意味での「夢の未来」の姿なのかもしれません。
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# by suzu02tadao | 2012-06-21 14:45 | Comments(0)