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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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清水寺 -安来紀行(3)-

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 安来・清水寺の歴史は古く、用明天皇2年(587年)、尊隆上人により開かれた天台宗のお寺で、盛時には48の僧坊を抱える勢いで、山陰随一の境内を誇っていたと伝えられている。
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 1859(安政6)年建立の三重塔は山陰唯一であり、清水寺のシンボルとなっている。また、1393(明徳4)年の建立以来、数々の戦火をまぬがれた「本堂」は国の重要文化財になっている。
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 清水寺境内及び参道は、松や杉の老木が枝を差しかわす中に、モミジや桜が四季折々に彩りを添え、一刻一刻と変化する陰影の情景を醸し出しており、自然美と千年の時の流れが、訪れる人をやすらかな表情にさせてくれる。
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# by suzu02tadao | 2012-08-22 09:00

安来市街地 -安来紀行(2)-

 安来は『記紀神話』にも登場する歴史の古い町で、ヤマタノオロチ伝説が生まれたように、古くから製鉄技術が発達していた雲伯地方の中心地であったという。
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 中心市街地の大市場商店街の一角にある「やすぎ懐古館 一風亭」は、おおよそ100年前の明治時代後半に建てられた、市内指折りの呉服・雑貨商を営んだ大商家跡で、各種文化イベント等に利用されており、朝市も開催されている。
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 かつては国内の鉄生産量の実に90%以上にものぼる素鉄・素鋼品の製造・流通を取り扱い繁栄を極め、現在も「安来鋼」をはじめとする日本有数の鉄鋼開発拠点の一つとなっているということで大きな屋敷も多い。
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 安来というと民俗舞踊「どじょうすくい」が有名だが、これは、「安来鋼」を作るたたら吹き製法の際に原料として使われる砂鉄採取の所作を踊りに取り込んだものだといわれている。

◇和鋼博物館
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 陶芸家、河井寛次郎の生誕地でもある。
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 かつてこの地にあった銀行のモニュメントとして玄関部分だけを残したもの。ちょっとシュールです…。
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 ちょうど、「やすぎ月の輪まつり」の最中でした。
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 「やすぎ月の輪まつり」は出雲風土記にちなんだ伝統の神事で、三日月型の行灯は、串刺しにされたワニ(鮫)を表しているということです。(安来港にて)
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# by suzu02tadao | 2012-08-19 12:00

「足立美術館」 -安来紀行(1)-

 米国の専門誌やフランスのミシュランなど、国際的にも高い評価の日本庭園が有名な足立美術館だが、館内にある茶室「寿立庵(じゅりゅうあん)」は、桂離宮の茶室「松琴亭」の面影を写し、京都の専門の工匠によって建てられたもので、襖の大胆な青と白の市松模様のデザインなど和風モダンな雰囲気を醸し出している。

◇茶室「寿立庵」
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 さすがに日本庭園は、ポスターやガイドブックそのままの情景が眼前に広がり、本当に一幅の絵画のようだ…。
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 この庭園の他にも横山大観を中心とした近代から現代の日本画の名作の数々や、河井寛次郎と北大路魯山人の陶芸作品が鑑賞できるなど、見ごたえのある美術館になっている。
# by suzu02tadao | 2012-08-18 14:51

下鴨納涼古本まつり ~『絵画の美(油絵編)』

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 世界遺産である京都・糺の森で開催されている「下鴨納涼古本まつり」は周囲の自然環境もあって、本当に贅沢な気分にさせてくれる。
 広い会場の古本の海の中で、たとえ漂流して疲れ果てても、木々の緑と渓流が心と身体を癒してくれて、また新たなる漁?に向かわせてくれるのである。
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 こういった古本市の楽しみは、なんといっても、自分の好きな作家や関心のある分野のものを古本の海の中から探し出してきて格安で手に入れることだが、それとは別に、値段の安さもあって大して期待もせず、とりあえず買ったものが、後になってから自分にとってはなかなか楽しめるものである場合もあって、それがまた嬉しい…。まあ、どちらにしても「掘り出し」の楽しみになるのは同じで、結局、気がつけばまた数冊購入しているのであった…。

◇『絵画の美(油絵編)』内田巌著:1943(昭和18)年刊
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 『絵画の美(油絵編)』も、300円均一台の中にあったもので、著者の内田巌の名前に見覚えがあったので、とりあえず購入したものだ。
 内田巌(1900 - 1953)については『池袋モンパルナス』(宇佐美承著)「第二部 第七話 祖国と異国」 野田英夫の項で下記のように書かれている。
 <野田が日本にきて、最初に会った絵かきは内田巌であった。やはり絵を描く野田の従妹が内田の家に出入りしていて、その手びきで内田邸を訪れたのだった。
 内田は文人内田魯庵の息子で裕福であった。美校藤島教室で学んだあとフランスへわたり、昭和七年に帰国したばかりの有望な新人であり、光風会に属し帝展に出品していた。すこし先の話をすれば、内田は野田と出あったあと、文相松田源治の画壇統制策に抗して昭和十一年、官展系の光風会を割って出て新制作派協会をおこした。さらにずっとのちの戦後には共産党に入党して「歌声よおこれ」「一九五二年」など、赤旗はためく絵を描いた。坊っちゃんそだちの内田はロマンチストで正義漢であった。そんなところが、アメリカぐらしのせいで率直をよろこぶ野田と通じたのかもしれなかった。>


 この『絵画の美(油絵編)』は青少年を中心とする美術愛好家の美術精神理解の手引き書として著したもので、次のような文章は<ロマンチストで正義漢であった>内田をよく表している。

 <徳川の鎖国の後に、日本では宮本武蔵や宗達や光琳といふ、もっとも日本的な大画家があらはれてゐる。「それは日本をふりかへる機会が来て、今まで輸入してゐた外来文化を日本的気質の上にはげしく吸収した為だ。」とある美術の歴史家が述べてゐる。さあ、日本人の立派な油絵を、皆して作らうではないか。
(第三章 四 日本の油絵)>

 <この稿を終るにあたって、私は美術国日本に、新しいルネサンスの起ることを願ひ、百人のレオナルド、百人のミケランジェロ、百人のラファエロが、諸君の中から出現することを望むものである。
(第九章 これからの絵は日本が中心だ)>


◇「わが室内」藤田嗣治(『絵画の美(油絵編)』)より
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 近代化の中で、いわゆる西洋美術の日本社会への導入及び推移に、私は関心があり、ここでもとりあげた中川紀元や足立源一郎、小出楢重などが著した戦前の美術解説書や技法書を面白く読んでいたのだが、最近になってまた、『印象派という革命』(木村泰司著)を読んでいて、改めて当時の洋画家及び評論家の意識について興味を持っていただけに、これはまた嬉しい一冊になったのだった。
# by suzu02tadao | 2012-08-13 17:30

「神戸みなとの祭り」 宇崎純一

◇第4回 神戸みなとの祭り 【1936(昭和11)年】絵葉書
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 「神戸みなとの祭り」は1933(昭和8)年より開催されており、前回とりあげた小磯良平作のポスターがよく知られているが、上図の絵葉書は宇崎純一(うざき すみかず、1889 - 1954)のものである。
 これは「大阪の夢二」と呼ばれた純一の典型的な画風ではないが、例えば市章山の表現など、下手をすれば陳腐になるところを、さらっと上手く描いており、また全体的にも洒落た味をだしていて、当時の人気と実力の程がうかがえる。

 宇崎純一については、2010年に大阪市立中之島図書館で展覧会が開催された時には、私はあまり関心はなかったのだが、その後、この絵葉書を手に入れてからは興味をもつようになり、先日も、堺市立文化館で開催されている「大阪の夢二 宇崎スミカズと華やかな大阪出版文化」展に行ってきたのだった。

 パンフレットの案内文の中で<純一は当時道頓堀にあったカフェ「パノン」や弟祥二の経営する「波屋書房」を通じて、文士や画家、俳優、若き文学青年たちとの交流があり、大阪の出版文化の一翼を担っていたのは確かです。>とあるように、藤沢桓夫の同人雑誌『辻馬車』を出版したのは「波屋書房」であった。
 宇崎純一については、藤沢桓夫も『大阪自叙伝』のなかでもふれているが、談話としてまとめられた『回想の大阪文学』では次のように語っている。

 <宇崎純一さんは絵かきさんでね、丸の中にカタカナでスという署名でした。いわゆる子どもの自由画みたいなちょっとしたペン画をかいていました。純一絵手本みたいなもの、これはずいぶん売れたんですよ。それから高島屋とか商業的な雑誌なんかに広告が載るでしょう。それにちょっとした絵をかいたりね。何かいわゆる大阪のイメージを自分でまとっておられたのじゃないかと思うんですね。この人が店の仕事をしているのを一度も見たことがないですよ。そしていつでも松竹座の向かいにあったライオンという喫茶店で、昼間、商家の旦那衆でいて、やっぱり芸術家であるような人や、ちょっと歌舞伎の脚本を書く人なんかが集まっているその中で、のらりくらりしているんですよ。それで弟はバイオリンを弾いているわけでしょ。それこそ芸術生活をしている人だったのと違うかな。>

 また会場に展示されていた「パノン」(キャバレー・ヅ・パノン)での仮装会での写真には、純一とともに、画家の住田良三、足立源一郎、赤松麟作、松田種次や歌人の段谷秋比登などが奇抜な仮装で写っており、当時の大阪には華やかな文化交流があったことがうかがい知れる。
# by suzu02tadao | 2012-08-12 18:25