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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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「牧神」復活…中之島フェスティバルタワー

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◇旧フェスティバルホールの「牧神」
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 現在建設中の中之島フェスティバルタワーの南側外壁に、旧フェスティバルホールのシンボルだった「牧神」のレリーフが再びお目見えしたというので、見に行ってきた。
 このレリーフは、彫刻家の故建畠覚造さんがデザインした「牧神、音楽を楽しむの図」で、太陽と月、星のもと、ギリシャ神話に登場する音楽好きの牧神(パン)が竪琴や笛を奏でる様子を表現した作品。
 1958(昭和33)年に開館した旧フェスティバルホールの外壁に掲げられていたが、半世紀を経て劣化が進んだため、建て替えにあたって、建畠さんの長男で彫刻家の朔弥さんと彫刻家の鷹尾俊一さんの監修のもと、再制作し、設置されたという。

 現在建設中の建物はツインタワーの内のイーストタワー棟で、ウェストタワー棟にあたる朝日新聞ビル及び大阪朝日ビルディングも、数年以内に解体が予定されている。
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 この建物の近くにあった旧「大阪ビルヂング」も、「ダイビル本館」として再建される際には外装及び装飾も復活されるということだ。
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 この辺りには「大阪ビルヂング」をはじめ、1920-30年代に竣工した建物が多くある。
 中之島フェスティバルタワーの対岸にあったヴォーリズ建築事務所が設計した大同生命ビルはすでに1993年に再建されているが、住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店営業部)などは竣工当時のままである。
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 もうじき解体される宇治電ビル(1937年)の「稲妻や波と電球を手にした女神」のレリーフ も、再建後には復活されないのだろうか…。
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# by suzu02tadao | 2012-03-22 15:03

「民衆娯楽の理想郷…」 開場記念のコピーライティング

◇昭和四年八月三十一日開場記念 辨天座ブックレット
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◇開場記念 辨天座パンフレット【昭和4年8/31発行】
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大大阪興行界の新鋭出現
モダン辨天座開場
欧米映画芸術の殿堂 民衆娯楽の理想郷
発声映画界の名機 !! シネ・フォン設置


 時は今、昭和四年八月三十一日!
 赤い灯、青い灯の道頓堀の、燦(さん)たる秋のシーズンに栄(は)ゆる時、善美を盡(つく)せる新装のモダン劇場、わが辨天座は、花々しくその晴れの舞台びらきを就(な)さんとします。
 吁(あゝ)!大大阪(グレートおおさか)興行界に、鮮烈なる新鋭は意気熾(さか)んなる行進曲を奏でつつ勇ましく歩(ほ)武(ぶ)を行(や)りつつあります。しかもわが辨天座がその新しき舞台の上演に資(し)せんとするものは、映画、舞踊、音楽、演劇等、あらゆる民衆芸術、民衆娯楽の粋(すい)を網羅し、或(あるい)は有名なる海外の諸芸術家の来朝を促し、之(これ)が紹介に盡(つく)さんとするなど、その「世界」の広汎(こうはん)なる、又、その規構(きこう)の自由なる、――隨(したが)って折にふれ時に応ずるプログラムの、みなさまの意表を衝(つ)く変化はまことに民衆娯楽、民衆芸術の殿堂として完璧を就(な)すものであります。就中(なかんづく)、我等は、日と共に繁(はん)褥(じょく)を極める近代生活圏に處(しょ)せられんとするみなさまのために、わが辨天座をしてよりよき存在たらしむべく、専(もっぱ)ら時間の短縮、諸経済の低減を期し、一方、設備万端(ばんたん)を改め、暖房装置の完全を致し、通風換気を厳しく整え、冬もなお春の如(ごと)く、夏も亦(また)、爽涼(そうりょう)たる秋の日を思わせて、快適なる享楽気分を醸成(じょうせい)するに全努力を傾倒し、尚、従来の下足制度を全廃し、みなさまが「お下駄のままでお気軽な御鑑賞」の便に供(そな)うるなど、すでにて江湖(こうこ)への最善なるサービスに立ちつつあるものであります。
 かくて我等は、一(い)つに「あなたの辨天座」のモットーの下に、誠心誠意、斬新なる興行法と、珍奇奇抜なるプログラムの編成を以(もっ)て、常にすべての興行界に先駆(せんく)し、実にお手頃な享楽殿堂として汎(あま)ねくみなさまの御満足に適(かな)う自信と衿持(きんじ)とに輝きつつ今や華々しくそのスタートを切るのであります。
 吁(あゝ)!あなたの辨天座!願わくばみなさまよ!我等が今日(こんにち)の誕生を、みなさまの歓呼(かんこ)と喝采(かっさい)の下(もと)に、幾久(いくひさ)しく意義あらしめ、栄(さかえ)あらしめられんことを。――


◇(神戸)開場記念号 新松竹座パンフレット【昭和4年10/31発行】
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みなさまの新松竹座!
民衆芸術民衆娯楽の理想郷
善美を盡せるモダン大劇場出誕


 時維(ときこれ)、昭和四年十月三十一日!
 茅(ちぬ)の浦曲(うらわ)に、六甲摩耶(まや)の山(さん)色(しょく)に、秋(しゅう)日(じつ)燦(さん)として照り映(は)ゆる時、新築茲(ここ)に就(な)りしわが新松竹座は堂々として其の晴れの舞台びらきを行なわんとします。
 吁々(あゝ)今こそ、グレート扇港(せんこう)興行界に、善美を盡(つく)せる真のモダン大劇場が、花々しく其の巨(きょ)姿(し)を出現するのであります。 そして、われらが五大都市連衡(れんこう)、六大松竹座チェーン・ショウに俟(ま)ちたる新松竹座が、その新しき舞台の上演に資(し)せんとするものは演劇、舞踊、音楽、映画等、あらゆる民衆芸術、民衆娯楽の粋(すい)を網羅し、或(あるい)は有名なる海外の諸芸術家の来朝を促(うなが)し、之(これ)が紹介に盡(つく)さんとするなど、その「世界」の広汎(こうはん)にして、又、その規模の自由なるを期し、就中(なかんづく)、我等は日と共に繁(はん)褥(じょく)を極める近代生活圏に處(しょ)せんとする諸賢(しょげん)のためにわが新松竹座をして、よりよき存在たらしむべく舊(きゅう)松竹座が三週年史に鑑みて、専ら時間の短縮、諸経済の低減を旨とし、名機「シネ・フォン」の設置はもとより、諸備万端(ばんたん)、暖房装置の完全を致し、通風換気を厳しく整え、冬もなお春の如(ごと)く、夏も亦(また)、爽涼(そうりょう)たる秋の日を思はせて、快適なる享楽気分を醸成(じょうせい)するに全努力を傾倒するなど、もって江湖(こうこ)百般への最善なるサービスに立ちます。かくて我等は、一(い)つに「みなさまの松竹座」のモットー下(か)に、誠心誠意、斬新なる興行法と、独特の名プログラムの編成を以(もっ)て、常にすべての興行界に先駆(せんく)し、神戸唯一の大享楽殿堂として汎(あま)ねく諸賢(しょげん)の御満足に適(かな)はんとするのであります。
 あゝ!みなさまの新松竹座の出現です。
 願はくば諸賢(しょげん)よ!我等の今日の出誕(しゅつたん)を、諸賢(しょげん)の歓呼(かんこ)と喝采(かっさい)の下(もと)に、幾久(いくひさ)しく意義あらしめ、栄(さかえ)あらしめられんことを希(こいねが)ひます――。


以上は、辨天座と神戸・松竹座の開場記念の紹介及び挨拶文です。
どうも同じ人のコピーライティングだと思われます。
しばし、この時代(1929年)の雰囲気を味っわってみてください。
# by suzu02tadao | 2012-03-19 14:00

惜別、そして懐古。

    佃島にて
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 吉本隆明さんが亡くなった。
 実は、この前の天神橋の古書市で田村隆一対話集『青い廃墟にて』(昭和48年刊)を購入したところ、吉本隆明さんとの対談もあって、最近はどうしているんだろうと思っていたところだった。
 その対談「下町について」の中で、田村隆一さんは、吉本さんの著書『都市はなぜ都市であるのか-都市に残る民家覚え書』の一節 <~わたしはマンモス都市のなかに置き忘れられたような民家の古い様式の名残りを愛惜する。~わが近代の展開がもたらした諸悪と諸善が、これらの民家とその住人のまうえをとおりすぎたにもかかわらず、いかなる意味でも爪跡をのこすことができなかったという証拠を、これらの民家が提供しているからである。~をとりあげて、
田村 ぼくは吉本さんの都市と民家に関するエッセイを読みかえしてみて、この一節に心うたれた。とくに「わが近代の展開がもたらした諸悪と諸善」という表現は、ぼくに考えるヒントをあたえてくれた。明治以降の百年の歴史をふりかえると、「近代化」ということを抜きにできないのは当然だが、その近代化が実質的になんらの影響をおよぼさなかった部分そのものにも、ぼくは諸悪と諸善があると思うんだ。>と語っている。
 また、吉本さんは佃島の生まれだが、次のように語っている。
吉本 ぼくは東京の町の要点ともいうべきところは、すべて歩いてみました。下町、すなわち隅田川の東は、もはや下町情緒なんてありませんね。~佃島にしても、もうダメですね、掘割りは埋められてしまうし、ただの場末の町に転落してしまいました。>
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 さて3月16日には、新幹線の100系、300系も最終運転を迎えたが、先日、すでに引退している0系新幹線を見る機会があった。
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 この新幹線は1969年製造のものだが、運転席の操作部や計器を見ると、今日のタッチパネル等のインターフェイスと比べて、なんともアナログで、その当時は未来的だと思っていたものが、非常に古臭く感じられ、また別の意味で「ブリキのおもちゃ」などと同じようなレトロな魅力も感じた。
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 下の写真は私が生まれたのと同じ年に造られた電気機関車(EF15-120)の運転席。完全にレトロです…。
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 最後にもう一つ、3月16日に引退した寝台特急「日本海」のヘッドマーク。
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# by suzu02tadao | 2012-03-17 11:00

「歌舞伎番組」 広告から…

◇「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年10月
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 歌舞伎番組のパンフレットには「三越」以外にも当時を代表するような百貨店や商品などの広告が多く載っている。
 「銀座松屋」は1925(大正14)年5月1日に開店、今に続いている。当初は贅を尽くした内装が特長で、正面玄関入ってすぐの中央ホールの天井には華やかなステンドグラスがあり、また柱などの装飾も話題を呼んだという。
 「カルピス」は1919(大正8)年7月7日の発売。<この一杯に初恋の味>のコピーが初めて使われたのは1922(大正11)年からで、またオットー・デュンケルスビューラー図案の黒人マークが使われたのは1924(大正15)年だが、1990年より差別問題から今では使用を中止している。
 「ドン白粉」は今はもうないが、野口雨情作詞、中山晋平作曲で「ドンの歌」というCMソングがあったようだ。

次も「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年10月の他のページ。
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 ビールの広告では「エビスビール」をはじめ「ユニオンビール」、「キリンビール」の他、珍しいところで「シーズンビール」が載っている。尚、この当時のビール1本(大壜)の値段は34銭。
 「COTY」はフランス製の化粧品。ルネ・ラリックがデザインした香水瓶が有名で、<粉白粉=1円15銭、(小型)65銭。コンパクト=1円35銭。>とあるとおり高級品です。
 「日本橋 白木屋」はかつて日本を代表した百貨店の一つ。尚、有名な「白木屋大火」があったのは、この広告より後の1932(昭和7)年12月の事。
 百貨店ではこの他に「高島屋」と「松坂屋」が載っています。
 「国産 ポリドールレコード」。日本ポリドール蓄音器商会が日本国内でレコードの製造・販売をはじめたのは、この広告の少し前の1927(昭和3)年であり、当時のレコードは一枚1円50銭~3円とあるように高級品だったことが分かります。
 蓄音器の広告では「ビクター」「コロムビア」「マーヴェル」が載っています。「マーヴェル」の広告には値段が記されており、50円から150円となっていて、やはり庶民には買えない贅沢品です。
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 料亭や料理屋の広告も多く、「銀茶寮」はあの「星岡茶寮」の姉妹店。広告も北大路魯山人の書のようです。
 他には「東洋軒」や「精養軒」など、今日もある西洋料理店も載っています。 
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「虎屋」の1930(昭和5)年の広告です。ここにある商品は現在も販売しているようです。
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カフェーの広告では、「本郷座番組」1929(昭和4)年9月掲載、上野公園前の「カフェー世界」。
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【参考】同じ「カフェー世界」の広告。
    これは時刻表で、1931(昭和6)年9月1日改正版。
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◇「明治座番組」1930(昭和5)年7月
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 「現代ユーモア全集」の広告が載っていたので、何故か?と思ったのだが、これは演目の「新家庭双六」の原作者が佐々木邦であるためで、いわゆるタイアップ広告となっている。
 佐々木邦(ささき-くに、1883-1964)は日本のユーモア小説の先駆けにして第一人者。夏目漱石やマーク・トウェイン等の欧米のユーモア作家に影響され、多数執筆。その作風は、良識に裏打ちされたユーモアに富み、昭和初期のサラリーマン階級を舞台に、家庭的な笑いに焦点を当てている。
 また、この芝居で主役を演じている花柳章太郎と(初代)水谷八重子は、戦後も名コンビとして次々に傑作を世に送りだしている。
 「現代ユーモア全集」では、佐々木邦作「明るい人生」と共に第一回配本の「涙の値打」の田中比左良(たなか-ひさら、1891-1974)は大正-昭和時代の漫画家・挿絵画家。当時は岡本一平などと同じように人気作家で、昭和初期のモダンガールを描いた風俗画が有名。
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# by suzu02tadao | 2012-03-16 15:20

「 お買物は三越 」 杉浦非水

◇「帝国劇場・番組」1930(昭和5)年6月【左】、7月【右】
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 「今日は帝劇、明日は三越」というのが大正から昭和初期頃のセレブのライフスタイルだったようだが、上図は帝国劇場の歌舞伎番組パンフレットの「三越」の広告。
 さて、前回は大阪市電切符の裏面の広告だったが、今日は東京の劇場のパンフレットの広告をとりあげてみたい。どのパンフレットも裏表紙は「三越」の広告となっている。そして作者はもちろんのこと、杉浦非水。

◇「東京劇場・番組」1931(昭和6)年4月【左】、3月【右】
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◇「明治座・番組」1930(昭和5)年7月【左】、1929(昭和4)年10月【中】、11月【右】
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◇「歌舞伎座・番組」1930(昭和5)年1月【左】、7月【中】、1929(昭和4)年10月【右】
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◇「新橋演舞場・番組」1926(昭和2)年2月【左】、「新歌舞伎座・番組」1929(昭和4)年11月【中】、 「歌舞伎座・番組」1931(昭和6)年4月【右】
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◇【左から順に】「本郷座・番組」1929(昭和4)年10月、9月、 「市村座・番組」1928(昭和3)年1月、1926(大正15)年1月※「ひすゐ」サイン
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 杉浦非水は商業美術の先駆者であり、現代日本のグラフィックデザインの礎を築いた作家の一人で、三越のPR 雑誌『三越』がよく知られているが、三越の広告についてはこのような小さなものにも秀作が多い。
 例えば下図の同じパンフレットの他の広告と比べてみれば明らかなように、非常に小さなスペースの中ではあるが、その表現力・構成力はさすがに見事なものである。
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# by suzu02tadao | 2012-03-15 10:00