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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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元祖デザイナー「竹久夢二」

◇「歌の翼」セノオ楽譜:1924年(大正13年)
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 上図のセノオ楽譜を古書市で入手したのは3年前だが、当初は竹久夢二の作とは思わなかった。掘り出し自慢となって恐縮だが、値段が500円だったからだ。当時でも、ネットオークション等では竹久夢二のセノオ楽譜は1万円くらいはしていたし、人気のあるものは2万円くらいで落札されていた。サインが入ってないので売り手も竹久夢二とは思わなかったのだろう。ただし、なかなか秀逸なデザインだな…とは思った。今になって見ればレタリング文字など、全てのデザインが夢二調なのだが…。
 これが竹久夢二の作と分かった時の私の夢二観を、デザイナーのセキユリヲ氏が「夢二デザイン」(ピエ・ブックス)の中で、代弁している。以下抜粋…。
~竹久夢二といえば「大正ロマン」「美人画を描く日本画家」だと思っていた。
~それまでの「夢二」観を軽くくつがえされてしまった。
 夢二は偉大なグラフィックデザイナーだった。
~どの作品も、秀逸な配置と手描きのレタリング文字で構成されている。
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 3年前、私は単身赴任で東京に勤務しており、以前は素通りしていた「竹久夢二美術館(弥生美術館)」に初めて行ってみた。これと同じ作品が額装され展示されているのを見た時は感慨無量だったし、その他展示されている夢二が手掛けた装丁本などを見て、改めてデザイナーとしての夢二を認識する事になり、その後調べていくうちに、夢二の仕事がもっと広範囲にわたっていることを知った。
 昨年、開催された展覧会<川西英コレクション収蔵記念展「夢二とともに」>をはじめ、最近では「美人画作家」以外の夢二を紹介する展覧会や本が多くなってきており、以前では、秋山清著「竹久夢二」(紀伊国屋新書)でも書かれているが、夢二は晩年に「榛名山美術研究所」の設立を計画している。

榛名山美術研究所建設につき

 あらゆる事物が破壊の時期にありながら、未だ建設のプランは誰からも示されていない。吾々はもはや現代の権力闘争および政治的施設を信用し、待望してはいられない。しかも吾々は生活せねばならない。

 快適な生活のためには、各々が最単位の自己の生活から立ててゆかねばならない。まず、衣食住から手をつけるとする。

 そういう吾々の生活條綱を充たしてくれるために、今の所僅かに山間が残されていた。幸い榛名山上に吾々のため若干の土地が與えられた。美術研究所をそこに建てる所以である。

 吾々は地理的に手近な材料から生活に即した仕事から始めようと思う。吾々は日常生活の必要と感覚は、吾々に絵画、木工、陶工、染色等々の製作を促すであろう。同様の必要と感興をもつ隣人のために、最低労銀と材料費で製作品を頒つことができる。或いは製作品と素材とを物々交換する便利もあろう。

 そこで、商業主義が作る所の流行品と大量生産の粗悪品の送荷を断る。また市場の移り気な顧客を強いて求めないがゆえに、吾々は自己の感覚に忠実であることも出来る。こういう心構えから、生活と共にある新鮮な素朴な日用品を作る希望をもつ隣人のために研究所を開放する。

 吾々の教師はあくまで自然である。しかし吾々は既成品を模倣するためでなくに、人が自然から学んだ体験をきくために、時に講演会、講習会を開く。また吾等の製作品を人々に示すために、時に展覧会を開く。

 榛名山美術研究所を設ける所以である。

1930年5月
 榛名山美術研究所 竹久夢二

 「榛名山美術研究所」の趣意書には、有島生馬が賛辞を添えており、美術評論家の森口多里も名を連ねている。

 竹久夢二は社会主義の「平民新聞」のコマ絵からスタートしたように、ジョン・ラスキンやウィリアム・モリスの描いた理想社会に憧憬していた。夢二が本の装丁に凝ったのはモリスの影響であるという。

◇「生活の芸術化(ウィリアム・モリスの生涯)」本間久雄著(大正14年刊)
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# by suzu02tadao | 2012-03-02 12:10

クラブ化粧品

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 そもそも私が1920-30年代のデザインに興味をもちだしたのは、20年近く前の骨董市で上図のクラブ化粧品のパッケージに出会ってからだ。
 <光芒の1920年代>という本の見出しで、「現代は'20年代の模倣にすぎない」と言っていたが、まさにこの時代の美術・デザインが今日のモダンデザインの原点であったといって良いだろう。特に、その中でも「クラブ(中山太陽堂)」のデザインは優れており、広告社・出版社「プラトン社」を併設して文芸誌『女性』や『苦楽』を創刊するなど、当時のモダニズム文化を生みだしていた。広告では、どちらかというとポスターが有名だが、全般的に優れたものを多く残している。
◇ 宝塚少女歌劇パンフレット広告:1923年(大正12年)
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昨日、紹介した映画パンフレットの裏表紙も「クラブ」の広告となっている。
◇ミヤコ週報 広告:1929年(昭和4年)
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◇KANDA・NIKKATSU 広告 :1929年(昭和4年)
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◇WEEKLY Paramount 広告:1930年(昭和5年)
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◇小チラシ2点
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この当時「東のレート、西のクラブ」と呼ばれていた。
◇クラブはき白粉、レート粉白粉、資生堂中煉歯磨のパッケージ
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現在の㈱クラブコスメチックス 文化資料室では年2回ほど展覧会を開催しているが、平日のみの公開なので、最近はなかなか見に行けないでいる。
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# by suzu02tadao | 2012-03-01 14:07

映画館パンフレット<東京編>

◇ミヤコ週報<みやこ座 :1929年(昭和4年)6月14日発行>
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 みやこ座は上野・下谷広小路にあった邦画の映画館で、ミヤコ週報のパンフレットのデザインには秀作が多い。<工・映一>のサインが誰(工藤映一?)なのかは不明。
 ところで、これもネットオークションで手に入れたもので、私は表紙にしか興味がないのだが、邦画のパンフレットの場合には俳優などのファンも多く、思いのほか高値で落札される事が多いので、なかなか入手するのがむずかしい。

◇KANDA・NIKKATSU<神田日活館 :1929年(昭和4年)10月17日発行>
  神田日活館は神保町にあった映画館。昭和44年に閉館した。
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◇WEEKLY Paramount<パラマウントチェーン :1930年(昭和5年)4月24日発行>
  パラマウントチェーン(武蔵野館、電気館、邦楽座)のパンフレット。
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 この当時は、関西に比べて東京の映画館のパンフレットのデザインには秀作が少ないのだが、その中では、水島良成のデザインによる「富士週報」が優れている。これもなかなか入手がむずかしくて、私は下記のものしか所有していない。
◇富士週報<富士館 :1936年(昭和11年)10月8日発行>
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 水島良成と「富士週報」については、原弘のコレクションを中心にまとめられた「紙上のモダニズム(1920-30年代 日本のグラフィックデザイン)」(構成・文/川端直道)で詳しく紹介されている。以下はその抜粋…。

 映画製作配給会社の宣伝部で活躍した河野鷹思に対して、俗に「小屋」と呼ばれた映画上映館で活躍した代表的なデザイナーが、水島良成である。
~1931年5月、若手の広告プランナー、デザイナー、編集者が集い、「東京広告美術協会」を結成するのだが、水島も、河野、山名文夫、奥山儀八郎らとともに創設メンバーのひとりとして名を連ねている。30年代に組織されたこの小規模なグループに、真の意味で日本独自のモダンデザインと取り組んでいた若者たちが集結している点には、注目すべきであろう。
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 最後に紹介するのは、新宿 帝国館<1932年(昭和7年)3月3日発行>のパンフレット。ご覧のように、1996年発行の「JAPANESE MODERN」の表紙になった当時の図案集からの引用のようだ。
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# by suzu02tadao | 2012-02-29 11:06

京都散策<3>

岡崎界隈を中心に…
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京都市美術館本館 :前田健二郎設計、1933年(昭和8年)竣工
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京都会館 :前川國男設計、1960年(昭和35年)開館
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有鄰館 :武田五一設計、1926年(昭和2年)竣工
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ブラブラと歩きながら…
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# by suzu02tadao | 2012-02-27 09:15

京都散策<2>

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 京都国立博物館からバスに乗り岡崎へ行く。実は展覧会「中国近代絵画と日本」は近代美術館か市立美術館でやっていると勘違いしていたため、当初から岡崎に行く予定であった。目的は「山崎書店」。ここで、森口多理著「近代美術」と足立源一郎著「人物画を描く人へ」を購入。
 それから京阪三条まで、あちらこちらと寄り道しながらブラブラと歩く。
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いつも、岡崎界隈に行く時に途中で立ち寄る古本屋が「水明洞」。
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 去年の暮、竹久夢二の展覧会の時、ここの店先の100円均一で買ったのが下図の「マチス展パンフレット」1951年(昭和26年)5月~6月 大阪市立美術館。これがなんと、当時の新聞特集記事切抜が17枚も入っていたのだった。
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 切抜の中身は、小磯良平と黒田重太郎と藤井二郎の対談や「私の好きな作品」と題して、竹中郁(詩人)や上田安子(服飾デザイナー)などが寄稿したものなど。
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 この「マチス展」は読売新聞社の主催で、大阪の前に東京でも開催しており、滝口修造も寄稿している。

マチスの「海の動物」に寄す

 かつて野獣派と呼ばれた画家マチス
 あなたはいま海の動物をえがく
 古代文字のような動物たち
 七色のほかに言葉のない動物たち
 太古の暦のなかから歩いてきた
 奇妙な旅人 逆さの旅人たち
 だが今日は地上の旅人たちに
 あなたの画室の扉がひらかれる
 無言の占いをする海をみつめて
 今日と未来の境に立ちつくす
 永い日々に疲れた旅人たちに
 画家マチスの聖なる水族館がひらかれる
 その窓は燃えあがる海藻のうた
 なぜなら地上もまた海だから
 黒い真珠 考える真珠の海だから
 かつて野獣派と呼ばれた画家マチス
 あなたはいま海の動物をえがく
 新しい寓話の作者

(昭和26年4月16日 読売新聞、滝口修造著「今日の美術と明日の美術」より)
 この展覧会は日本で初めてのマチスの大規模な展覧会であり、マチス自らが展示作品を選定したということもあって、当時、相当話題を呼んだものだったらしい。

◇マチス作「室内に立てる裸」1947年
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 マチス翁描きし線もやはらかに 裸婦の熱処(ほと)こそ愛(かな)しかりけれ
  吉井勇
 (昭和26年6月12日 朝日新聞)

◇春のおどり番組 松竹座 (昭和7年)
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 上図は昨年の「みやこめっせ」での古書大即売会にて「水明洞」で購入したもの。
私は「松竹座ニュース」関連のものの多くを「水明洞」で購入していたのだが、ほとんどが、OBP(大阪ビジネスパーク)ツイン21の古書展で購入していたので、長い間、「水明洞」が京都にある店だということを知らなかった。
 ところで、この松竹座パンフレットの作者は明らかに山田伸吉ではなくどうも女性のようだ…?。
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# by suzu02tadao | 2012-02-26 11:58