1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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バヤリース&ビール

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 バヤリース・オレンジが日本国内で製造販売されたのは、1951(昭和26)年かららしいですが、これは、その当時の包装紙のようです。
 アンディ・ウォーホルが手がけたコカ・コーラのポップアート作品みたいで面白かったので、20数年前に老松町の骨董店で手に入れたものです…

 アサヒビール初代社長であった山本為三郎(1893-1966)は、その著書『上方今と昔』の中で次のように語っています。

 こんどの戦争が終ってみると、アメリカでは昔からオレンジ・ジュースはあったのですが、戦争中に瓶詰飲料として非常にはびこって来ていたのです。私が三十数年前に必要だと思って売出したレモラのようなものが、たいへん喜ばれている。そこでバヤリース・オレンジというものを、日本へ採入れたのです。これはカリフォルニア・オレンジです。宝塚でやっているウイルキンソン会社にやらしたのですが、今日ではブームといっていいくらい、各地で瓶詰オレンジ・ジュースがサイダーと並んで盛んに売れています。

 レモラというのはレモンとオレンジのジュースですが…

 これはうまいというので好評だったのですが、当時はサイダーと両立しない、レモラが売れると三ツ矢サイダーが売れなくなるというので、とうとう中止してしまいました。

 アサヒビールの前身であった大日本麦酒株式会社の戦前のパンフを見ると、確かに「三ツ矢レモラ」が「三ツ矢サイダー」や「リボンシトロン」と共に載っていました。
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 やはり、その当時の中心は「三ツ矢サイダー」と「リボンシトロン」だったようです。
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 前回、かつて大阪がガラス産業の中心地だったことにふれましたが…

 明治の昔、当時の農商務省が外国から技術者を入れて、東京の品川でガラス工場をつくり、職工を養成したのですが、それが芽をふき、実を結んだのは関西でした。
 明治の中葉に、島田孫市とか徳水玉吉とかいう人が品川で養成されて、大阪で工場を始めたのも、私の父がビールびん、サイダーびん、それから輸出びんをつくったのもその次くらいでしょう。そのガラスびん製造業が縁になって、私はサイダーに関係し、ビールに関係することになりました。


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    鍋井克之・画(『上方今と昔』より)


 『上方今と昔』では、次のようにも書かれています…

 大阪のアサヒビヤホールでは、コップ一杯五銭で売りました。硝子の中の処が細まった形をしたコップです。明治三十五年に今の新世界と天王寺公園の処に博覧会が開かれた時は、会場内にビヤホールを設けて、やはり一杯五銭で売りましたが、この時に初めてビールというものを味わって、それから好きになった人も多いようです。

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 大日本麦酒株式会社はアサヒ、エビス、サッポロの各ビール・メーカーが合併してできた会社で、当時の市場占有率は約7割もあったといいます…
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 山本為三郎は「民藝運動」の支援者で、河井寛次郎、バーナード・リーチ、濱田庄司、富本憲吉、棟方志功および芹沢銈介といった作家たちの作品をはじめとするコレクションは、アサヒビール大山崎山荘美術館の中核を占めていますが、それらは山本為三郎自身が日常親しく愛用したものばかりだったようです。

 『上方今と昔』は装幀を佐野繁次郎が手がけたもので、こちらもポップでステキですね…

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# by suzu02tadao | 2017-05-28 07:00 | Comments(0)

大阪の「ええもん」色々…

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 老舗の和菓子屋「菊壽堂」の名物、“高麗餅”です。

 高麗餅は、こしあん、粒餡、白餡、抹茶、ごまの5種類。
 5色それぞれの餡でやわらかい求肥(餅)を包み、お寿司のように握った色鮮やかな和菓子。
 餡は甘さ控えめで小豆本来の味が堪能でき、見た目の美しさも一緒に味わえる一品です。

 今から50年位前に「手軽に食べられる和菓子」として考案されたもので、高麗餅の名前の由来は、当時親交のあった歌舞伎役者、八代目の松本幸四郎さんが歌舞伎の屋号である「高麗屋」にちなんで名付けてくれたものだといいます。

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 「菊壽堂」の創業は江戸時代、天保年間(1830年)。
 実際は1600年代の創業のようですが、昭和20年の空襲で店が焼けたため、資料がないらしい…
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 このような大阪の「ええもん」を集めたセレクトショップが、天神橋筋商店街2丁目にある『天満天神MAIDO屋』です。

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 この店のすぐ近くにある大阪天満宮の門前には「大阪ガラス発祥之地」という碑がありますが、宝暦年間(1751年)に長崎商人・播磨屋清兵衛 が天満天神鳥居前に工場(玉屋)を設け、市井に販売したのが大阪のガラス産業の始まりだったそうです。
 それ以降、この界隈は日本のガラス製品販売の中心地として隆盛を極め、第二次大戦前には大阪における輸出第一位を占める重要輸出産業になっていました。

 戦後になると大阪のガラス産業は急速に衰退しましたが、そのような大阪ガラスの伝統を今に伝えているのが「天満切子」です。

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 その他にも『天満天神MAIDO屋』には、大阪の「ええもん」が色々とありました…
 ちなみに店内は自由に撮影OKです。

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 大阪はかつて「水の都」「橋の都」といわれました。
 松川二郎著『趣味の旅 名物をたづねて』(大正15年刊)の中では、牡蠣船が紹介されています。

 舟料理の一種に牡蠣船がある。
 これ亦甚だ大阪気分に富んだもので、頃は十一月木枯しの風やうやく霜を帯ぶるに至ると、彼方の橋の下、此方の河岸にかき船があらはれて、風につれてほのかに鼻を打てくる磯の香に、抑へ方なき味感をそゝられるのであつた。

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 今では、大阪の牡蠣船は「かき広」の1隻だけになってしまいました。
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 大阪の「ええもん」といえば、やっぱり通天閣は外せませんね…
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# by suzu02tadao | 2017-05-25 07:00 | Comments(0)

昭和11年「未来の夢」

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 現在飛行機では不可能だとされてゐる、垂直上昇や空中停止が出来るやうになれば、人間の生活はいよいよ地上から空にも延長されることは確かである。
 そして一年でも二年でも空中に止まり、又時に気象や天候の加減によつて、位置、高度を自由に変へることが出来るやうになれば、空の生活は極めて安全で愉快なものであらう。
 もちろん燃料や、食糧、その他日常の必需品は低空に下りて釣り上げればよいし、又地上に用向きのある場合には、おーいと手をあげて空中間タクを呼べばよい。

 上のイラストは「空の文化住宅」と題されたもので、昭和11(1936)年の雑誌『家の光』9月号の特集記事「科学者の描く未来の夢」の中の一つです。
 ビルそのものが「天空の城ラピュタ」のように空中に浮かぶという大胆な発想には驚かされます。

 この「滞空ビル」は…
 ビルの上方に強力にして極めて軽量な機関(エンジン)で不断に回転される整調推進器(コントラプロペラ)によつて得る風力が卵形の外壁に添って流れ、環状翼に作用して浮力を得て、空中に浮かぶやうな仕掛になつてゐる。
 そして水平運動は下方の垂直推進器によつて行はれる。
 ビルの下方、円型に見えるのは着陸のための建築物である。

 「滞空ビル」には、下のイラストのように可動式のものもあるようで…
 これは左右の回転翼の角度を変へて前進、後進、垂直、いづれの方向にも動くことが出来る滞空ビルの一種である。

 「ロケット式成層圏旅客機」などのロケットの利用も盛んになって…
 太平洋横断も「ちよつと隣まで。」と、気軽に僅か数時間でできるし交通費も安くならう。

 外国行郵便物などは磁気誘導ロケットで安全急速に目的地に飛ばせることができるやうになつて、もはや、陸上、海上の旧式な交通は昔語りとして顧みられなくなつてしまふのではあるまいか。
 その頃は現今では不可能だとされてゐる推進器の音響除去装置なども、当然可能な時代に入つてゐるであらう。

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 最近では未来都市といえば、環境に配慮した構想が当たり前になっていますが、すでにこの当時、「緑の都会と文化的田園」が提案されています。

 人間は、太陽の光と、自然の緑とに接しなくては健康上、精神上堪へられなくなるが、大建築の屋上はいづれも青々と草木を茂らせ、僅かの空地や地下にさへ人口太陽灯の光で大庭園や草園が都会人の心に十分の潤ひと慰安とを与へるから、むしろ現在の無味乾燥なビル街より遥かに理想的なものになるであらう。

 又、都市の空気や川は常に空気及び水路浄化施設によつて清浄に保たれてゐるし、各種の発達した交通機関も不快な音響を立てて市民に過重の心労を与へたり、交通事故、作業能率の低下となるやうな原因を取除くだらう。

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 さすがに農村部を中心とした雑誌『家の光』だけあって、次のような都会と農村が一体になった斬新な構想も描かれていました…

 水利を完備し水田は平地のみでなく、一つの農作用建築物の各層に亙つて年中自由に必要なものの栽培が行なはれよう。家畜、家禽等もすべて立体的な飼育をするやうになるであらう。又絶壁などにも幾層ものコンクリートの柵を作り、こゝに米を植ゑることになるのではあるまいか。
 この時代には地面に栽培する以外には土壌を用ゐず農作物悉く水栽培によるから、栽培が簡単になるばかりでなく、多くの太陽光線も要求せず、又、必要によつては人工光線で補ふやうになるだらう。従つて作物の収穫も平均する。

 田園管理の簡易化は、農村人の富と知識の増進となり、都会と農村とが産業的に、生活的に、知識的に、正しい意味での文化的接近が遂げられると思ふ。

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 この他にも、エネルギー問題や人口増加に対応した食糧問題についても取上げていて、その当時の科学者が描いた世界が、下にあげた、ここ数年の間に提案されている近未来のイメージとほとんど同じような内容であることがわかります。

 さて、このように斬新で素晴らしいビジョンが描かれた、昭和11(1936)年は転機の年でもあったようです。
 日本では二・二六事件があり、また、ヒトラーがナチス・ドイツの台頭を世界に誇示したベルリン・オリンピックが開催される中で、その後、世界情勢はますます緊迫して行き、ついには第二次世界大戦へと突入していったのでした。

 これらの素晴らしいビジョンを実現するための科学技術は、兵器のために活用されることになり、その後の焼け跡からの復興では、経済効率だけを優先させた挙句、多くの公害問題を引き起こしました。
 そして…
 今世紀になったくらいからやっと、同じように環境に配慮した未来図が描けるようになったという次第です。

 なんとも遠回りしてきたものですね…

 それにしても、ここに描かれた世界は本当に近未来なのでしょうか…?
 まさか、また遠回り…!?

[ Urban Skyfarm ]
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[ Floating Responsive Agriculture ]
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[ 2050 Paris Smart City ]
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# by suzu02tadao | 2017-05-22 10:00 | Comments(0)

「景観を尋ねて」中之島まつり

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 大阪は「水の都」で元来水を中心として建設された市街である。琵琶湖に源を発する淀川が大阪市に入って新淀川、安治川、木津川、尻無川、神崎川の支流を分け、東横堀、西横堀、道頓堀、その他大小五十三條の運河が連絡し、総延長百五十八キロメートルの運河網を形成している。これらの川々には汽船、和船、モーターボートなどが、目まぐるしいまでに航行する。
 水の都は又橋の都で、大小合せて一千六百三十餘の橋を数え、中之島を中心として土佐堀、堂島の橋は全部架け替えの予定で、すでに出来上がったものに渡辺橋、肥後橋、四ツ橋、堂島大橋などがあり、付近の高層建築と相和して近代的水の都の美観を添えている。


 昭和8(1933)年に出版された『景観を尋ねて』は、当時の鉄道省が編集したもので、日本全国の景勝地をはじめとする特徴ある優れた景観が、写真と共にまとめられていて、大阪については「水の都」を象徴する中之島が紹介されていました。

 上の写真は、渡辺橋と朝日ビル及び朝日会館。
 下の写真は難波橋から望む土佐堀川です。
 向こうの方にぼんやりと霞んで見えるアーチは明治時代に架けられた天神橋のようですが、岸辺には「北浜レトロビル」も写っています(手前から3番目)。
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 今も当時の景観が残る中之島で開催される「中之島まつり」。
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 この『景観を尋ねて』は「中之島まつり」の古本市にあったもので・・・
 もう買うしかないですよね…
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 堂島川に架かる水晶橋。
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 水晶橋の上で…
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# by suzu02tadao | 2017-05-19 11:30 | Comments(2)

箕面・桜ヶ丘の洋館 <2>

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 3連のアーチ窓が印象的です…

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 この建物は「住宅改造博覧会」開催に際して行われたコンペで、1等となった案をもとにつくられたもので、国の登録有形文化財に指定されています。

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 「住宅改造博覧会」では、単に建物のみならず住宅地としての整備・改良も重要であると考えられたため、街路割をはじめ庭園や生け垣など街全体としての一体的な計画がなされており、当時の区画がそのまま残るこの界隈は、独特の美しい景観を形作っています。

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 桜ヶ丘は以前に取り上げた百楽荘と同じく、箕面有馬電気軌道(現在・阪急電鉄)の開業に伴って開発された住宅地ですが、その当時の郊外住宅地の多くは和風の住宅が中心だったため、このように洋風住宅がまとまって残っている例は少なく、そういった意味でも、桜ヶ丘の洋風住宅は貴重であると言えます。

 参考までに、昭和4(1929)年に東京朝日新聞社から出版された『朝日住宅図案集』の中から、桜ヶ丘の洋風住宅に近い案をいくつかあげてみました。
 『朝日住宅図案集』は、最新のコンセプトにもとづく当時の住宅が、85事例も紹介されていますが、既にこの頃になるとモダニズムの影響を受けた“白い箱”風の案も多くなっていました。

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# by suzu02tadao | 2017-05-16 11:30 | Comments(0)