1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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モダン心斎橋筋 <文化発信>

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 大正13(1924)年、心斎橋筋2丁目にひときわモダンなビル、「丹平ハウス」が誕生しました。

 今治水や健脳丸で知られる丹平製薬が建設した画期的な複合商業ビルで、1階には薬局のほかに、アメリカ式の大理石のカウンターや最新式の清涼飲料機械が導入されたソーダ・ファウンテンがあり、上階には美粧部(美容室)や写真スタジオ、そして赤松麟作の洋画塾「赤松洋画研究所」がありました。

 「赤松洋画研究所」は夜間部も備え、画家をめざす若者だけではなく、近隣の大丸などの百貨店から、デザイナーたちもデッサンに通ってくるほどの人気ぶりでした。
 このように、最新流行スタイルのモボ・モガや先進的な文化人たちが集う「丹平ハウス」は、まさに大阪のモダニズム文化の発信地でした。

 下図は前回取り上げた「心斎橋筋案内」がつくられたのと同じ昭和2(1927)年の丹平製薬の従業員ノートですが、赤松麟作が手がけたと思われる、ジャワの影絵人形をモチーフにしたエスニックなデザインがなかなかオシャレです…

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 「心斎橋筋案内」を見ると、「丹平ハウス」の向かいにあって、共に大阪のモダニズム文化の発信地となった「をぐらや」のビルは建設中になっています。
 また、八幡筋の東角に今もある「不二家」や「森永キャンデーストア」など、モダン心斎橋筋を彩った店もこの時点ではまだできていません。

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 かつて「丹平ハウス」があった現在の場所です…
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 「丹平ハウス」の隣は「小大丸」。

 小大丸の店先に吊られた提灯と、黒く光る軒柱は、昔の心斎橋筋をしのぶ唯一のものであらう。どうせ世の中が変つてしまへば、人間の生活が変つてしまへば、このクラシツクが、却つて、モダアンぢゃないかとおもはれるほどの、ちか頃の心斎橋筋である。

 北尾鐐之助 が<心斎橋筋の一考察 『近代大阪』>の中で上記のように述べていた「小大丸」も今はビルの中です。
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 昭和のはじめから今も同じ場所にある店は、本当に貴重になってしまいました…
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 ところで、「不二家」の角を曲がったところの八幡筋は当時、美術・骨董街だったようで、畳屋町八幡筋角にあった「柳屋画廊」も大阪のモダン文化の一翼を担う店だったと言われています。
 下の写真は「柳屋画廊」があった辺り。この道を奥(東)に歩いて行くと「浪花組本社ビル」があります。
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 美術・骨董街の面影もないわけではありません…
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 さて、下図は「心斎橋筋案内」の1丁目の北端です。
 現在、石原時計店の「石原ビル」が淀屋橋のランドマークになっていますが、この当時、心斎橋のランドマークは石原時計店のビルでした。
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 その当時の絵葉書より…心斎橋と「石原時計店」。
 アサヒビールの看板の「いろは食堂」も有名だったようです。
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【参考】大阪市パノラマ地図(大正12年当時)
    心斎橋筋1、2丁目(丹平薬局があった辺り迄)
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# by suzu02tadao | 2017-07-12 07:00 | Comments(2)

モダン心斎橋筋

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 先日の古本市で昭和2(1927)年につくられた「心斎橋筋案内」を手に入れました。

 これはコンパクトサイズの折り本で、心斎橋筋の1、2丁目の店舗が描かれているのですが、橋爪紳也監修『心斎橋筋の文化史』によれば、各店から注文を取って各々の広告を表紙に使って印刷頒布し、それを各店が顧客に配ったものだということです。
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 当時は「大大阪」と云われ、「東の銀座、西の心斎橋」と並び称され、「銀ブラ」に対して「心ブラ」が大流行していました。

 一口に心斎橋筋といふが、大体これを四つに分ける。
 長堀川に架つた心斎橋から、北の方新町橋通り付近に至るものを心北(しんきた)。それから心斎橋を渡つて南へ、大丸百貨店の、もう一つ南の辻、周防町までを心斎橋筋一丁目。それからまた南へ、道頓堀川に架つた戎橋までを同じく二丁目。戎橋から更に南へ、難波までを戎橋筋。
 かう分けてみると、世にいふ=心ぶら=とは・・・その一丁目及び二丁目がもつところの、凡そ七百メートルほどの小売商店街を覗きながら歩くことをいふのである。

 北尾鐐之助 <心斎橋筋の一考察『近代大阪』より

 「心斎橋筋案内」は、あの肥田晧三先生が所蔵する他には、現在ではほとんど残っていない貴重資料だということですが…それにしてはリーズナブルでした(^^)

 下図は『心斎橋筋の文化史』で紹介されていた図版です。
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 現在、建て替え工事中の大丸心斎橋店のフェンスでは、大丸の歴史が紹介されていますが、昭和初期の説明に「心斎橋筋案内」が使われていました。
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 大丸が近代的な百貨店のビルとして完成したのは御堂筋側ができた昭和8(1933)年ですが、昭和2年当時、「心ブラ」でにぎわう心斎橋筋の側は既にできており、こちらが正面玄関でした…

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 「心斎橋筋案内」に描かれた図と比べてみると、中央玄関の孔雀や周辺の装飾は、ほとんどが当時のままだったことがわかります…

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 心斎橋筋の大丸の屋上にのぼつて大都市街を展望する。近く完成した大阪歌舞伎座のビルディングや南海高島屋のビルディングなど、いづれも、空際に新しい色と線とを画して聳立してゐる。其他にも、新しいビルディングの出現はだいぶふえてきてをる。が、併し、よく見ると、自分の立つてるビルディングの脚下から、依然として、累々連つてをるあの大阪独特の町家のドス黒い屋なみを見出すであらう。
 橡内吉胤 <大阪の色から『日本都市風景』より

 関東大震災により古い町並みが無くなってしまった東京とは違って、心斎橋筋には古い町家が残っていましたが、後に村野藤吾の設計によりモダンなビルになった「そごう百貨店」も、まだこの当時は「十合呉服店」の時代で大正時代の面影を残す店舗でした。
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 余談になりますが、現在の「大丸心斎橋店・北館」の建物は「そごう百貨店」のリニューアルの際に建てられたものですが、出入口の庇のデザインは、「十合呉服店」のデザインを踏襲しているような気がしないでもない…?
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 私が手に入れた「心斎橋筋案内」は「羽田貴金属店」のもので、店舗は「十合呉服店」の向かいにありました。

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 かつて「羽田貴金属店」があった辺りと思われる現在の店頭風景。
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# by suzu02tadao | 2017-07-09 07:00 | Comments(2)

紫陽花祭 <力餅食堂>

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 明治時代から続く老舗の大衆食堂「力餅食堂」は、京阪神を中心に現在およそ100店舗あるようです。

 近年はマニュアル化された外食チェーン店の勢いに押され、更には後継者不足もあって店舗は減少しつつありますが、うどんやカレー、丼モノといった定番メニューに加えて、名物のおはぎなどの甘味もいただける、昔ながらの下町の食堂として、庶民的でくつろげる雰囲気の店内はとても魅力的です…

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 藤森神社の近くにあるこの「力餅食堂」には、紫陽花祭にちなんで店先にあじさいの鉢が置かれていました。

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 この店が面している道筋には、昔ながらの八百屋さんや衣料品店などもあって、昭和レトロな商店街の面影を残しています…

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 また、この道は豊臣秀吉によって開かれたといわれる旧街道でもあるので、前回紹介した「椿堂茶舗」のように、いにしえの風情を残す町家も残っていました。

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 藤森神社の周辺は、さすがに外国人観光客の姿もなく、散策しながら、京都洛外の普段着の生活の移り変わりも楽しめたような気がします…

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# by suzu02tadao | 2017-07-06 11:00 | Comments(2)

紫陽花祭 <茶房竹聲>

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 藤森神社の近く、
 明治12年創業の「椿堂茶舗」に併設された「茶房竹聲」。
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 石畳の細い路地を進み店内に入ると、アンティークな家具や調度品が飾られた落ち着いた雰囲気の中、小さな坪庭を眺めながら静かにお茶や和菓子を楽しむことができます…

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 藤森神社の紫陽花祭にちなんだ季節限定の冷茶付「あじさいセット」をいただきました…
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 「椿堂茶舗」は東福寺や伏見稲荷大社などの社寺御用達をつとめる日本茶専門店。抹茶、煎茶、玉露のほか、京都府産茶葉でつくった和紅茶などめずらしい茶葉も揃っています。

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# by suzu02tadao | 2017-07-04 10:10 | Comments(0)

紫陽花祭 <藤森神社>

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 京都の紫陽花名所の一つ、藤森神社のあじさいです。

 藤森神社の紫陽花苑は約3500株のあじさいで埋め尽くされていて、西洋あじさいや額あじさいをはじめ、柏葉あじさい、おたふくあじさい、アナベルなど種類がとても豊富でした。
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 そんなあじさいを改めて見ると、花弁の一つ一つが折り紙細工のようでもあって、その「つくりもの」感がハンパではないことに気づきました。
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 まるで精巧につくられた和菓子のようで、食べられるのではないかと思える…あじさい。
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 あるいは儀式に使われる装飾品や宝飾品のような…あじさい。
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 ちょっと変わったアングルから撮ってみたり、いろんな撮り方をしてみると、また違ったあじさいの魅力が見えてくるような気がしました…
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 普通に撮っても…やはり「つくりもの」感があるあじさい。

 あじさいの原産地は日本だということですが、なんとなく納得できるような気がします…
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# by suzu02tadao | 2017-07-02 10:20 | Comments(0)