1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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道頓堀今昔 『大阪弁』-2-

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 大阪の食い倒れというが、ちか頃道頓堀では「食い倒れ」という飲食店ができた。近年華々しい洋行から帰ったこの家の経営者でも考えたのであろう。昔の櫓太鼓に代って、入口の西洋人形が、ジャングル劇のような一本調子の小太鼓を叩いている。

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【参考】
 今では、大阪を代表する有名人?として、歴史上の人物と肩を並べるほどになっています…!
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 かつてモダン都市として大きく変貌しながら躍進してゆく大阪の街を、好意的な眼差しで綴った『近代大阪』(昭和7年刊)の著者である北尾鐐之助ですが、『大阪弁』では、戦災の後、再建しつつある道頓堀が戦前とはあまりにも様変わりしてしまったため、その姿を嘆きながら、上記に続いて次のように書いています…

 道頓堀は消滅した。戦後五年、すべてがおもうようにならぬ世の中ではあるが、せめて一人位「大阪道頓堀の保存再建」を叫ぶ人がありそうなものである。日本橋の北詰にある「安井道頓、道卜紀功碑」が、雨にぬれてすゝり泣くようである。
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 五座の櫓に代わって、派手なネオンや看板がずらりと並ぶ今の道頓堀は、昔とはまったく別の街になったといえるでしょう…
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 さて、もうひとつ面白いと思ったのが、すでに『暮しの手帖』を発刊していた花森安治が書いた「大阪紳士風景」(「新大阪」新聞:昭和26年6月8日)が載っていたことです。
(以下、抜粋)

 衣裳というものは、人間のレッテルみたいなものだ。
 馬子にも衣裳などとは、すこし古いが、れっきとした紳士でも、ひとたびアロハを着ると、トタンに見ただけではどうしてもヨタモン、ゴロツキ、バラケツ、不良ということになる。~(略)~
 だから、いまも昔も、中味が三級酒的人物ほど特級酒的レッテル的衣裳を身にまといたがるのは、洋の東西を問わぬところ、~(略)~
 そこへゆくと、大阪人というのは、三級酒はチャンと三級酒のレッテルをはっているのがえらい。カンカン帽にステテコで、平気で心斎橋あたりを歩いている。
 東京で男が日傘をさして歩いていると、みんなビックリしてふりかえるが、大阪紳士は、例の裏青表白の日傘を、サッソウとしてかざしている。~(略)~
 ところが、時移り世は変り、ちかごろはオッサンもオバハンも、オジンもオバンも、大阪中で猫も杓子もビニプロというのを愛用しはじめたらしい。ビニプロ、正しくいえば、ビニイルの風呂敷。
 雨が降っても、持ち物がぬれないでいい、いざといえば頭にかぶれます。~(略)~
 しかし、待ちなさい。ステテコも日傘も、理屈にかなっていて正直だから賛成するのだが、ビニプロは、雨の日以外は、理屈にかなわぬ。天気の日にコーモリ傘さして歩いたら、いくら日傘におどろかぬ大阪でも、アホかいな、でしょう。ビニプロも同じこと。これでは三級酒がショウチュウのレッテル貼ってるみたい。戦後は、さしもの大阪紳士もヤキがまわりましたな。


 表紙の絵は、信濃橋洋画研究所で小出楢重に学び、戦前は二科会、戦後は二紀会で活躍した田村孝之介(1903-1986)です。
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 田村孝之介はこの情景がとても気に入っていたようで、同じような絵を、藤沢桓夫と共著の『大阪 我がふるさとの… 』(昭和34年刊)にも載せています。
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# by suzu02tadao | 2017-08-29 07:00 | Comments(0)

道頓堀今昔 『大阪弁』-1-

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 「大阪ことばの会」編集による雑誌 『大阪弁』は、方言を中心に研究していた郷土史家・牧村史陽によって、昭和23~26年にかけて第7集まで発行されました。
 昭和26年8月1日発行の『大阪弁』第6集は、ミナミの特集で、五座の櫓がずらりと軒を並べ、赤い灯、青い灯のカフェーに彩られた、戦前の道頓堀の様子が書かれています。

 その中で、竹沢淳「女給さんから社交嬢へ」のイラストは、「大阪の夢二」といわれた宇崎純一(1889‐1954)が手がけています。
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 女給さんの仕事が舶来である事を立証するのは、エプロンだけでなく、女給さんの居る店を「カフェー」と呼んだことである。
 カフェーの店頭には「西洋御料理」と書いてあった。~(略)~
 西洋料理を食べて、ビールを飲むのである。それを運んで来て横に座ってサービスしてくれる女給さんの仕事は何と云っても舶来である。
 当時の西洋料理で一番人気のあったのは、カツレツ、オムレツ、ハムサラダであった。勿論殆んどがビーフである。それをナイフとフォークで食べるのですぞ!ソースを皿に溢れる程かけるのですぞ!

 大正時代には、カフェーの女給さんはイラストのようなエプロン姿でしたが、昭和のエロ・グロ・ナンセンス時代になり、ユニオン、赤玉、マルマタ、美人座などのいわゆる大カフェーのエロ・サービスが流行り出すと、給仕をしなくなったため、エプロンも小さくなり、大きなリボンがついただけの単なるファッションになったということです。
 なるほど、このようなイラストは、大正時代のカフェーを知る宇崎純一でなければ、描けないというわけですね・・・


 また、「春のおどり」をはじめ松竹座の舞台の企画を手がけた食満南北は「私のしつてゐる南」の中で、次のように述べています。

 面白いではないか。一体道頓堀の
旗のバー
 なんて云ふものからソロ/\堕落しはじめて、とう/\勝ったり負けたりして、今のやうになつてしまつたのだ。
 ~(略)~
 五十年以前、まだ南北が紙衣姿にならぬ頃、キャバレーの、映画の、SPの、OSの、加工ずしの、電髪の、ワンピースの、ストリップショーの、そんなやゝこしいもののなかつた五十年前、・・・

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 ただし、昔から道頓堀界隈は歓楽街であり、花街でした。
 しかし、そこにはしみじみとした情緒があったといいます。
 その辺りを宇野浩二が少年時代の回想を元に書いていますが、昭和初期から風俗画家として活躍した、藤原せいけん(1902-1993)のイラストが趣きをそえています…
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 ここで、大正時代と昭和10年頃と思われる道頓堀の絵葉書を比べてみると…
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 通行人の服装が変化しており、特に男性と子供は大正時代には和装だったのが、昭和になるとほとんどが洋装になっているのがよくわかります。


 さて、戦前ばかりではなく、戦後のミナミを描いた小説、京都伸夫「大阪の恋人」も載っています。
 イラストを手がけた米良道博(1903-1983)は、信濃橋洋画研究所で小出楢重や鍋井克之らの指導を受け、戦前は二科会、戦後は一陽会で活躍しました。
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# by suzu02tadao | 2017-08-27 08:00 | Comments(0)

ラヂオ体操

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 昔は夏休みの早朝には、小学生のラジオ体操というのが定番でしたが、最近は行っていない地域も多いようです…

 モダンでお洒落なイラストが気に入って手に入れたのは、戦前の『ラヂオ体操』のレコードの解説書です。

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 ところが、冒頭のイラストは「ラジオ体操第1」なのですが、よく見ると、どうも自分が知っている動作や順番とは全然違っていたので調べてみたら・・・
 現在の「ラジオ体操第1」は1951(昭和26)年に制定された3代目なのだということです。

 1928(昭和3)年11月1日に昭和天皇の御大典記念事業の一環として、東京中央放送局で放送を開始したのが、ラジオ体操の始まりでした。

 これが、初代の「ラジオ体操第1」で、「国民保健体操」として<老幼男女何人にも容易、実行が出来、而かも過労に陥らせるやうな心配はない>もので、3代目の今も「子供からお年寄りまで一般の人が行うことを目的とした体操」として親しまれています。

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 「ラジオ体操第2」は、1932(昭和7)年に職場向けとして制定されたもので、<国民保健体操第一を基調とし、幾分その程度を高めて構成されたもので保健の積極的意志を強調する意味に於て躯幹の運動が増されてゐる>と、この解説書にも書かれています。
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 現在の「ラジオ体操第2」は、1952(昭和27)年に制定された、やはり3代目です。

 「♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ…」が歌い出しの、おなじみの「ラジオ体操の歌」は1956(昭和31)年にできたもので、堀内敬三作曲の初代の歌は1931(昭和6)年のものです。

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 <ラヂオは號(さけ)ぶ 一、二、三>とありますが、日本初のラジオ放送は1925(大正14)年で、翌年には「社団法人日本放送協会」が発足。
 この歌ができた頃には、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるラジオ受信機も、国内メーカーによってどんどん生産されるようになっていたようです。

 また、ラジオ体操の放送が始まるとすぐに、ラジオ体操のレコードも発売されています。

◆帝国劇場「番組」広告(昭和5年6月)より
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 ラジオ体操で思い出したのが、昔(2009年)、上野公園で撮影した「ラジオ体操ひろばの碑:1991(平成3)年銘」です。
 これは<ラジオ体操ひろばとして永年にわたり多くの人に親しまれている当地に、ラジオ体操制定五十年を記念し建立したもの>ですが、その後、東京国立博物館前の噴水広場などの大改装があって、この碑も当時から50mほど南に移転しているそうです。
 ただし、今も朝の6時半になるとこの碑の前で、大勢の人々がラジオ体操をしているようです…
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# by suzu02tadao | 2017-08-25 07:00 | Comments(0)

港神戸と旧居留地

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 今年、神戸港は開港150年を迎え、様々な記念事業が行われているようです…

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 神戸開港と同時に「兵庫運上所」という名称で開設され神戸税関も今年、150年を迎えました。
 神戸税関前から望む、旧神戸市立生糸検査所(デザイン・クリエイティブセンター神戸)は、いかにも日本を代表する国際貿易港の玄関口にふさわしい風景ですね…
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 ここから、全長187.1m しかない「日本一短い国道」として知られる国道174号を北に行ったところにある公園(東遊園地)は、やはり150年前に旧居留地の開設に伴い、外国人専用の運動公園としてできたものです。
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 園内のグラウンドで外国人が、野球、ラグビー、サッカー、ボウリングなどのスポーツを行ったことで、日本にそれらのスポーツが広まるきっかけになったと言われています。
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 かつて外国人の社交場であった神戸倶楽部は1945年の戦災で焼失しましたが、今は再建されて公園の管理事務所になっています。
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# by suzu02tadao | 2017-08-22 15:00 | Comments(2)

ボート・ガールは招く

『旅の友』1930(昭和5)年8月号
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 以前にも紹介したことがある趣味の旅行雑誌『旅の友』ですが、モダンな表紙は同じく杉本健吉のデザインです。

 夏といえば海ということで、「モダン風景 -ボート・ガールは招く-」と題して蒲郡海水浴場が紹介されていました。

 「ボート・ガール」は、喜多壯一郎監修『モダン用語辞典』(1930年刊)によれば、〈 三十年型の新職業として生まれた職業。ボート・ガールと云ふのは、一時間のボート遊び一円で、娘さんがオールを握ってお相手もすれば、お望みで海水着で水泳のお相手もするといふモダン職業娘。と解説されています。

蒲郡の海をいろどるボート・ガール
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 ヂャバッ!テン/\/\/\とオールは水滴を走らせて再びヂャバッ!軽快な艇身はグッ/\と浪乗り越えて進航します。
 「フレー/\」涼しい浜風に乗って聞えて来るのは、他のボートに居る、サービス嬢からの音信です。
 「フレー/\、千鳥さん!」我が舟からの返信です。
 「二人で、泳ぎッこしませうか。」
 と云へば、彼女は終いに人魚にもなります。
 ~(略)~
 で、あちらでも、こちらでも海の人気者は嬉々と夏の恵みに浴して遊んで居ります。
 そして蒲郡の浜はさながら、海の銀座になりました。
   ラッシュアワーに
   拾った薔薇を
   せめて、あの娘の
   思ひ出に・・・・
 と云ふ行進曲は、たゞ陸だけのメロデーではない。ピッタリ、此処蒲郡海水浴場にも摘要出来るものであります。

 当時の大ヒット・ソング『東京行進曲』の一節が紹介されていますが、蒲郡海水浴場ではボート・ガールのサービスの他にビールとお菓子付で1円50銭になっており、まさにエロ・グロ・ナンセンス時代の世相を象徴するような語り口で、他にも富田浜のSeaとSheと」では…

 「波なんて随分SKね」
 「なぜ・・・・」
 「くちびるをぬすみに来るじゃないの」
 「君は開放主義者だからさ・・・・もっと沖へこいよ・・・・さ。」
 「わたし心配だわ、しみるんじゃない・・・・」
 「何が・・・・一体海の中迄ケープ着て来る奴あるかい。」
 「だって・・・・ないんだもの」
 「とるんだよ」
 「・・・・・・・」
 で、僕は与へられたチャンスを完全につかまねばならぬ。
 「こいつあ海のオキテさ」
 「ないんだから・・・・」
 彼女の足はタコの様にからみつく、そして次の瞬間潮だらけになったフタリである。
 「さあ、とるんだ。」
 「・・・・あのね、ほんと言うと、ズロースないの・・・・」
・・・・オヤ・・・・ナルホド・・・・

 これらは「避暑地ナンセンス」と題された特集記事の抜粋ですが、こんなバカバカしくて軽薄な内容の記事が、一般向けの旅行雑誌に載っていたとは…ビックリですね!
 まァ他には、「避暑地では相当な家庭の子弟に見せかけた偽大学生の誘惑にだまされないよう、女学生は御用心!」というような真面目な?記事もありましたが…
 
 このような時代を謳歌していたモボ・モガの人たちにとってみれば、その後の戦争へと突入していった時代を「暗黒時代」と言いたくなるのも、確かに分かるような気がします。

【参考】


 その他、海外でも話題になっている当時のモダンガールたちの雄姿です…

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# by suzu02tadao | 2017-08-20 08:00 | Comments(2)