1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
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移転いたしました。

下記に移転いたしました。

モダン周遊Ⅱ

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# by suzu02tadao | 2018-02-03 12:00 | Comments(0)

Memories<朝日ビル>

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 前回は1929年の「週刊朝日」を取り上げましたが、ついでに調べてみたら、1931年竣工の大阪朝日ビルは、この雑誌が発行された時点ではまだできていなかったわけですね…

 早いもので、大阪朝日ビルと1968年竣工の朝日新聞ビルが解体されてから今年で5年になるわけですが、解体直前に撮影した写真には現在とは微妙に違うその当時の空気が映し出されているような気がします…

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「朝日新聞ビル店舗ご案内」…すでにこの時点ではほとんどのテナントが退去していました。
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 朝日新聞ビルは、大阪朝日ビルをL字型に覆うような形で建てられていて、それぞれのビルの間の空間は「朝日新聞コミュニーケーション広場」になっていました。
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 この「朝日新聞ビル」のロゴが、なかなか渋くて味わい深いものでした…
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 フェスティバルタワーと大阪朝日ビルのコンビネーションも良かったですね…
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 渡辺橋の上から…
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# by suzu02tadao | 2018-02-01 07:00 | Comments(2)

週刊朝日・新年特別號<1929年>

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 しばらく古書は買わないつもりでいたのですが、先日の古書市で、この1929(昭和4)年の創刊満七周年『週刊朝日・新年特別號』に出会ってしまいました…

 表紙は先日取り上げた松竹座の大阪朝日新聞五十周年記念レヴュー「開国文化」と同じような南蛮船をモチーフにしたもので、同じ朝日新聞なので何か関連があるのかと思ったりもして…

 芹沢銈介のような染色作家の手がけたもののように見えますが、なんと!日本画家の木谷千種(きたに ちぐさ、1895-1947)の作品でした!
 木谷千種は、島成園と共に大阪を代表する女性画家として活躍しました。

 扉絵は、「中之島風景」をはじめとする大阪市街地の風景画で有名な国枝金三(1886-1943)。
 国枝金三は他にも挿絵を手がけています。
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 そして、谷崎潤一郎の作品などの挿絵で最も定評のあった小出楢重(1887-1931)。
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 更には、渡仏してアンドレ・ロートに師事した黒田重太郎(1887-1970)。
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 国枝金三、小出楢重、黒田重太郎の3名は、大阪に「信濃橋洋画研究所」を設立した中心メンバーで、表紙の木谷千種を含め、この当時の朝日新聞は大阪が中心だったことを物語るような顔ぶれですね…

 ところで、小出楢重の挿絵の石濱金作、黒田重太郎の長谷川浩三、あるいは当時は流行作家だった三上於菟吉(みかみ おときち)など、今日では忘れられた作家の作品も多く載っていて、長崎洋一郎の小説『上海異聞 人獣製造』は典型的ないわゆる<エロ・グロ・ナンセンス>の小説なのですが、長崎洋一郎についてはネットで調べても全くわからない作家でした…

 ただし、挿絵を描いた不二木阿古(ふじき あこ、1896‐1943)は、やはり大阪で活躍した日本画家で、晩年は奈良に住み、志賀直哉(ここに小説を載せています)とも親交があり、現在、奈良ホテルに作品があるようです。

 以下、挿絵とキャプションの抜粋です…
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 さっぱりした日本紳士に早変りした大井宗平が、騒々しいジャズ、乱舞する男女の群、官能的な女の嬌声、強烈な電燈の色彩――そうした歓楽の渦の中で、過ぎ去った日を追うように、ポツリポツリと話しだす世にも不思議な物語。

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 陰惨と怪奇の地下室――肥大漢の鞭が風を切ってヒュウッと鳴った。鳴った鞭の下からごそり/\と這い出た女。顔は白蛇のような――陰々とした燐光を放ち、髪は、胸は、手は、足は。
「人魚って事にして売り出したら、ちょっと金目ものだと思うんだがね……」と肥大漢はいう。


 この他、三上於菟吉の小説『おお青春』の須藤しげる(1898-1946)の挿絵も相当におどろおどろしいものです…
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 須藤しげるの他、岡本一平前川千帆宍戸佐行清水岳坊細木原青起河野通勢伊藤晴雨などの漫画や挿絵を専門とする画家の作品も多いのですが、この当時は帝展や二科展で活躍する多くの画家も挿絵を描いていたことがわかります。

 鏑木清方門下の山川秀峰(1898-1944)の作品もありました。
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# by suzu02tadao | 2018-01-29 07:00 | Comments(2)

惜別の風景

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 大正にあるレトロ建築と言えば、昭和モダンな銭湯が少し前までは数件残っていたのですが、ここ数年でほとんどが姿を消してしまいました…

 この洋館は、知る人ぞ知るといったレトロ建築で、以前から取り上げようと思っていたのですが、ついこの間から解体工事に入っており、1ヶ月後には姿を消すようです。

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 なんといっても、門柱の装飾がカッコイイのが特徴でしたが…

 現時点で、この装飾は門柱及びレンガ塀ごと既に解体されて姿を消しています。
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 明治時代に建てられたということで、もともとは医院でしたが、10年位前からは空家になっており、窓枠などは建てられた当時のままのようです。

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 所々に残る長い歳月を示す痕跡は味わい深く、風格が感じられます…

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 風格が漂う風景が見られなくなってしまったのはさびしい限りです…

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# by suzu02tadao | 2018-01-26 07:00 | 大正Kai-Wai | Comments(0)

アイリーン・グレイ<Design Works>

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 アイルランド生まれのアイリーン・グレイ(1878-1976)は、ロンドンやパリで美術を学び、家具のデザイナーとして活動を始めました。
 パリでは日本人の漆職人、菅原精造と出会い、漆工芸の技法を用いた作品を生み出すと、ベル・エポック期を代表するファッションデザイナーであり、美術のコレクターでもあったジャック・ドゥーセに見いだされました。

 漆のスクリーン(1913年作)はその当時の代表作ですが、典型的なアールデコ・デザインですね…
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 裏面が抽象的なデザインになっているところは、後年の作品を彷彿とさせます…
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 1913年のアイリーン。
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 ジャック・ドゥーセの美術コレクションの一部。
 ピカソ、ブラック、モディリアーニ、ザッキン、ブランクーシなど当時の前衛作家の作品が並んでいますが、今はオルセー美術館所蔵のアンリ・ルソー『蛇使いの女』の手前にある花瓶が載っている小さな丸テーブルがアイリーンの作品です。
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 その後、<ブリックスクリーン>などの幾何学的な表現へと、漆を用いた家具も作風が変化してゆき、デ・スティルの建築家J.J.P.アウトに賞賛されて広く紹介されるなど、同時代を代表するモダニズムの建築家たちと接点をもつようになっていきました。
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 そして、建築家として1927年から1929年にかけて、自身の別荘<E.1027>を設計。
 この家の家具としてデザインされたメタリカルな家具群は彼女の代表作になったのでした。
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 これらの家具はニューヨーク近代美術館の永久コレクションのサイドテーブル<E.1027>など、レプリカ製作され製品化され現在も人気を博しています。
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 アイリーンは他にもメタリカルな家具をデザインしていますが、パンチングメタルを使用したこの書類入れのデザインにしても、他のモダニズムのデザイナーならば、穴の大きさを均一にするところを、それぞれの引出しごとにランダムにすることでポップに仕上げていて、こういうところにもクリエイティビティを感じます。
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 これは彼女が設計したもう一つの自邸<タンプ・ア・ペヤ>のテラス。
 居心地が良さそうですね…
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 晩年のアイリーン。
 マントルピースの上にあるのは、ザッキンの作品やアンティークの品々。
 そして背後には<ブリックスクリーン>が置かれています。
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# by suzu02tadao | 2018-01-23 08:00 | Comments(0)