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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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山田伸吉と「松竹座ニュース」<その1>

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 このブログのタイトル画像は山田伸吉がデザインした「松竹座ニュース」の表紙(※shinのサイン入り)で、1925年(大正14年)9/11~9/17 のもの。そして上図は1925年(大正14年)9/4~9/10 のもので、図案の中のモチーフ(精子のような・・・)が共通のところから、これも山田伸吉の作と思われる。この2点は3年前に手に入れたものだが、上記写真のものは1996年発行の「JAPANESE MODERN」で紹介されている。

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 ところで、1925年といえば、フランスのパリで「アール・デコ博」が開催された年であり、ル・コルビュジェが活躍しはじめた頃だ。この「松竹座ニュース」のデザインはまさに時代の先端を行く表現であったことが分かる。
 そこで、このデザインが生まれる頃までの山田伸吉のプロフィール及び時代背景を簡単にまとめてみた。


山田伸吉(1903.6.13~1981.3.14)
1903年(明治36年):大阪で生まれる。

1911年(明治44年):大阪の箕面市と東京・銀座に「カフェ・パウリスタ」がオープン。

1912年(明治45年):大阪の川口に「「カフェ・キサラギ」がオープン。「通天閣」をシンボルとする「新世界(ルナパーク)」がオープンする。

1914年(大正3年):道頓堀に「キャバレー・ヅ・パノン」が誕生。「キャバレー・ヅ・パノン」の建物の設計は山田敏之助(山田伸吉の父)と足立源一郎(洋画家・春陽会)。「宝塚歌劇団」、初演。大阪・千日前に娯楽施設「楽天地」がオープンする。※第一次世界大戦(~1918年)

1918年(大正7年):大阪市中央公会堂(中之島)が完成。竹久夢二、『宵待草』セノオ楽譜から発刊、全国的なヒットとなる。

1919年(大正8年):【ドイツ】ワイマールに「バウハウス」が創立。

1922年(大正11年):山田伸吉(19歳)、松竹座に入社。※最初の仕事:映画「底なしの湖」(10/11~主演:諸口十九、川田芳子)のポスター。
5月、「女性」(プラトン社)創刊(タイトルデザイン=山六郎)

1923年(大正12年):5月10日、道頓堀「松竹座」、大阪初の洋式劇場として開場。
※~映画というメディアによって、東京と大阪、さらに、ニューヨークやパリ、ベルリンなど世界中の都市が、2、30年代に活発に交流しあっていたことを思い出そう。松竹座は、大阪のモダニズムの窓だったのである~「モダン・シティふたたび」海野弘 著(1987)。
プラトン社に山名文夫が入社。大阪市立工芸学校、開校。7月、村山知義、柳瀬正夢等が中心となって前衛美術団体マヴォ結成。9月1日、関東大震災。

1924年(大正13年):山田伸吉(21歳)、ポスター「ネロ」を制作。
1月、「苦楽」(プラトン社)創刊(タイトルデザイン=橘文策)。

1925年(大正14年):山田伸吉(22歳)、ポスター「罪と罰」「十誡」「ジークフリート」「クリームヒルトの復讐」「ドン・Q」等を制作。
7月1日、大阪に娯楽施設「市岡パラダイス」がオープンする。

1926年(大正15年):松竹座で「春のおどり(第1回)」開演。山田伸吉も1929(昭和4年)頃より舞台意匠の仕事が中心となっていく。


松竹座ニュース【9/13~9/19】〔京都・新京極〕 1928年(昭和3年)
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by suzu02tadao | 2012-02-16 12:30
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