1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28


吉原治良 「図説」 -抽象美術運動のエポック-

c0239137_1331176.jpg

 先日の「吉原治良」展では展覧会図録がなかったので、絵ハガキを探していたら、古書店で第24回二科展出品作「図説」を見つけることができた。

 この作品は先日の展覧会には展示されていなかったものだが、調べてみると、吉原治良及び日本の抽象美術運動にとっては重要な作品だということが分かった。
 昭和9年に制作されたこの作品は、同年に二科展デビューを飾った吉原治良が、それまでのデ・キリコ風のスタイルから脱却して抽象絵画への転向を図って、昭和12年の第24回二科展で発表した中の一点である。

 下の写真は第24回二科展会場のもので、ちょうどこの「図説」が展示されている前にいるのが吉原治良(右)と長谷川三郎(左)である。
c0239137_13313189.jpg

 吉原治良が抽象絵画に転向した1937(昭和12)年は、戦前の抽象美術運動がひとつのエポックをなした年であり、長谷川三郎や村井正誠、山口薫らが中心となり抽象美術を標榜する「自由美術家協会」が結成された。
 また長谷川三郎は同年に日本ではじめての本格的な抽象美術の解説書『アブストラクト・アート』を著している。

長谷川三郎 「蝶の軌跡」 1937(昭和12)年
c0239137_1334576.jpg

 このような動きの中で吉原治良は、翌1938(昭和13)年には二科会の前衛画家らと「九室会」を結成する。
 「九室会」という名は、東京府美術館で開かれる二科展で前衛画家たちの作品が第九室に集められていたことに由来する。

 抽象美術運動は戦時中には中断を余儀なくされるが、終戦後、吉原治良は1954年に前衛的な美術を志向する「具体美術協会」を結成し、リーダーとなって国際的に活躍する。
 長谷川三郎は1950年にイサム・ノグチを日本に紹介するなど、日米の現代美術交流で活躍した後、サンフランシスコ美術大学客員教授として渡米し、各地で個展等を開催し制作活動も意欲的に行なったが、1957年、アメリカで客死する。
by suzu02tadao | 2012-05-28 13:30
<< 足立源一郎 ~ 奈良にて 芦屋市立美術博物館 >>