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藤沢桓夫と「大阪」もうすぐ「天神祭」だからという訳でもないのだけれど…、引続き大阪…そして大阪を代表する小説家の藤沢桓夫(ふじさわ たけお、1904 - 1989)についてふれてみたい。 上図の『大阪手帖』【1946(昭和21)年刊】の装丁は吉原治良ということで、ちょっと意外で…藤沢桓夫と接点があったことが嬉しく思えたのだが、戦前からこの時代にかけては、藤沢桓夫をはじめ、画家と密接な交流があった小説家は多く、この本の「わが交友録」の中で、画家では田村孝之介(1903 - 1986)を紹介している. 後には、田村と共著の『大阪 我がふるさとの』を著しており、こちらでは『大阪手帖』で発表したものを再載した随筆もあるのだが、同じ大阪出身ということで大変にうまが合ったようで、『淡雪日記』の装丁や朝日新聞に連載し大評判となった『新雪』の挿絵を田村孝之介が担当している。 ◇田村孝之介:画 「道頓堀」(『大阪 我がふるさとの』)より そして、藤沢桓夫にとっては、学生時代の同人誌「辻馬車」の表紙を手がけた小出楢重との交流が一番忘れられないものだったようだ。(※田村孝之介は信濃橋洋画研究所で小出楢重に学んでいる。) 私が藤沢桓夫にハマるきっかけとなったのは『大阪自叙伝』だが、私は小出楢重の絵「市街風景」(中之島風景)が表紙になっている中公文庫版のほうが好きだ。それは、この本の「大阪文化と中之島」に次のようなくだりがあるからだ。 <大阪が生んだ天才洋画家、小出楢重が好んで描いた中之島風景の画面でも、裁判所その他の青銅の円屋根は不滅の美しさを観る者の心にしみこませる。あの文明開化調の蒼古美を後世につたえるためにも、中之島風景は、破壊するなどもっての他、府市民によって保護され、生きつづけて行くべきである。 ≪追記≫ 私がこの文章のこのあたりを書いたのは、昭和四十七年の暮れ頃だったと思うが、中之島の裁判所の建物は、直後の四十八年に取り壊されたと聞く。地下の小出楢重がこのことを知ったら、きっと、「無茶しよるな」と眉を寄せるに違いあるまい。> 余談だが、小出楢重をはじめ鍋井克之、足立源一郎など大阪出身の画家には文章のほうでも筆がたつ人が多かったのも事実である。 ところで、私が本当に藤沢桓夫にハマったのは以前に東京にいた時だった。 東京古書会館で『傷だらけの歌』【1947(昭和22)年刊】を見つけて購入した後、さわりだけ読んだだけで放っておいたのだったが、大分経ってからのある日、池袋界隈を探索しようと思って、『池袋モンパルナス』(宇佐美承著)を読みなおしていたら、唐突に『ローザになれなかった女』のことが出てきたのだった。そこで、改めて『傷だらけの歌』を読んでからは、藤沢桓夫に対する認識も深まったのだった。神保町の東京堂書店で『回想の大阪文学』(なにわ塾叢書)を購入したのもこの頃だった。(※本当に神保町はスゴイ所ですね…) ここで、話は少し飛ぶが、『モダン・シティふたたび』(海野弘著)の中で、大阪出身でフランスで活躍したグラフィックデザイナー、里見宗次(さとみ むねつぐ;ムネ・サトミ、1904 - 1996)についてふれているが、里見は今宮中学校で藤沢桓夫と同学年だったはずであり、また里見がパリに留学したのは、小出楢重の勧めであったことを考えると、お互いに全く知らなかったはずはないともいえるが、藤沢桓夫の著書(回想録)の中には里見の名前は出てこない…。 それにしても、藤沢桓夫の著書のタイトルには「大阪」が付くものが多い。 ここで取りあげた以外にも、『大阪の話』、『大阪物語集』、『大阪千一夜』、『大阪五人娘』、『大阪八景』、『新・大阪物語』、『私の大阪』など…。 そして、『大阪 我がふるさとの』の「あとがき」では次のように語っている。 <私は、大阪で生まれ、大阪で育ち、現在も大阪に住んでいる。大阪以外の土地で暮らしたのは、東京での学生生活の前後の数年間だけだ。三十歳以後はずっと大阪を離れたことがない。そして、もう少し具体的に言うと、私は、明治の大阪に生れ、大正の大阪で育ち、昭和の大阪を生きて来たことになる。~> まさに、藤沢桓夫はミスター・モダン大阪そのものである。 ◇田村孝之介:画 「夏祭の思い出」(『大阪 我がふるさとの』)より
by suzu02tadao
| 2012-07-23 16:20
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