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『広告界』
◇『広告界』第12巻9号【1935(昭和10)年9月1日発行】
先日、図書館から『近代広告の誕生』(竹内幸絵著)を借りて読んでいたら、私の所有する雑誌『広告界』(上図)からの引用があったので、改めて読みなおしてみた。 ところで、どうも『近代広告の誕生』の著者と私とでは価値観が異なるようで、私は、この著者が云うように、東京オリンピック(1964年)のポスターによって戦時イメージから完全に解放されたとは思えない。 このポスターの作者のGマークのデザインについて、柏木博氏がナチス・ドイツのハーケンクロイツを思わせると評したように、何か背景に全体主義的な国家意識が感じられるように思えてならない。まあ、当時の敗戦から急速な復活を遂げた日本が、このオリンピック大会以降、再び国際社会に復帰し、その後の高度成長につなげたという意味ではシンボル的な表現ではあると思うのだが…。 現在開催中のオリンピックが、今のように明るく楽しいスポーツの祭典になったのは、日本においては、もう少し後になってからだと思う。 また横尾忠則や黒田征太郎などの、このデザイナーに反発した作家を私が好むからなのかもしれないのだが…。 また、<今さら「美人画ポスター」でもあるまい。>というのも違うような気がする。 『近代広告の誕生』の中で、この『広告界』の「商業美術座談会」を引用して、関東=「レイアウト」、関西=「写実」というような流れで論じているが、実際は下記の通りの結論で終わっている。 ここで多田は当時の広告業界及び印刷業界から最も信頼のおけるデザイナーとして評されていた多田北烏であり、河田はカワタレイアウト工房を主宰するレイアウト派を代表する河田榮の意見であることを考えると、既に当時から「美人画ポスター」に対する一定の見識があったことが理解できる。 <多田 私はポスターを依頼された場合はその全目的を探求してみる。 さうして掲示場の問題、それから主として対象となるべき被広告者の階級などをよく極めるとハッキリしてくる。訴える階級によって図様が違ふ訳ですからね。例へばこの広告の狙ふ階級は美人に特に興味をもつ相手があるかどうかといふことなどを考へて製作します。 河田 総ての目的を考へると、やはり美人画より外はないと思ひます。一般生活に合目的性と言ふと、先づ美人の嫌ひな人はないと思ふ。ですから、美人画のポスターは平凡とか何とかで無闇に排斥すべきでなく、又目的によっては無闇に賛成すべきものではないと思ひます。 多田 その美人を相手に印象せしむる方法如何ですね。写実的な美人もあり、単化された範囲に於ての美人もありませう。> それよりも、私がこの『広告界』で注目したのは下図の広告図案資料である。 ◇マッチ図案・早川四志緒(案) 作者は早川四志緒とあるが、これは、どう見ても、後の早川良雄(1917 - 2009)の作品に間違いないと思うのだが…。 しかしながら、そうだとすると、この当時、早川はまだ18才で大阪市立工芸学校の学生だったはずである。 「栴檀(せんだん)は双葉より芳し」なのだろうか…? 他にはグリコの広告で有名な岸本水府の「川柳と広告」。 広告には穿(うが)ちと軽味とユーモアが必要と言っています。 なお、「穿ち」とは「人情の機微などを巧みにとらえること」です。念のため…。 【参考】当時の新聞のグリコ「豆文広告」。これなど、ある意味では現代より進んでいるとは思いませんか…?。
by suzu02tadao
| 2012-08-01 12:10
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