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大阪朝日ビル
◇朝日ビルの夜景(「大阪朝日新聞社案内」【1934(昭和9)年】より)
四天王寺春の大古本祭りで手に入れた、1934(昭和9)年発行の「大阪朝日新聞社案内」の中で、わが国を代表するモダニズム建築として1931(昭和6)年に竣工した大阪朝日ビルは次のように紹介されている。 朝日ビルディング 大阪一の高層建築の偉観 ~その外観は第一、第二階の外部は未だかつて世界の建築界に試みられたことのない「錆びない鋼鉄板ニッケルクロームスチール」をもって装被した鮮麗な銀色であります。第三階から上は純白色のモザイックタイル張りにし、窓ガラスの面積を非常に多く取入れた壮大にしてモダーンな設計で夜間の大電飾(イルミネーション)を全館に施し、高塔上に設置する「航空標識塔」は光達距離実に百キロメートル(二十五里)に及び灯質は紅、緑、白光の交三連閃光で、その燭光数は五十三万燭光、実に偉観を呈しているのであります。 設備の概要は第一階の半部は朝日新聞営業局が進出し、表玄関内にはサービスショップを設け正面には自動一分間五百尺昇降のエレベーター四基を備え、特別の装置を有するポスターケースあり。 第二階全部は「朝日ビル専門大店」の経営する商店街となり、中之島洋画研究所(旧信濃橋洋画研究所)と飛行家倶楽部は三階に室を持ち、第五階は朝日会館公演場に通じ、社交倶楽部、理髪、美粧、歯科医院等のほか朝日会館の集会休憩室もあります。 説明はまだ続くが、上記にあるように、このビルには商業施設や文化施設などもあって、小出楢重や鍋井克之らが設立した「信濃橋洋画研究所」も大阪朝日ビルの竣工とともに「中之島洋画研究所」と改称して移転してきており、昭和19年戦争激化に伴い閉鎖されるまで、大阪の近代洋画界の発展に大きく寄与したのであった。 表紙には大阪朝日新聞社全景の写真が載っている。 土佐堀川に面した本社別館裏口の桟橋から巻取紙を運んでいる写真。対岸には旧大同生命ビルと住友ビルディング(現三井住友銀行大阪本店)が見えている。 さて、時代は下って、「あまカラ」終刊のあとをうけて、季刊のPR誌として刊行された「甘辛春秋」1969年春の巻。この表紙にイメージではあるが、大阪朝日ビルが登場している。 なお、この巻の執筆陣は藤沢桓夫、司馬遼太郎、小松左京、佐多稲子、岡部伊都子など豪華な顔ぶれであった。 つい最近の大阪朝日ビル(ほんの数ヶ月前の姿はこちら)です。 すでにネットが張られ、全体がフェンスに覆われるのも時間の問題のようです…。
by suzu02tadao
| 2013-05-05 13:10
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