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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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『ホトトギス』の挿絵

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 俳句文芸誌『ホトトギス』には、前回の渡辺与平の他に、その当時、第一線で活躍していた画家の挿絵が載っていて、なかなか見ごたえがあります…

 小川芋銭(1868-1938)は表紙も手がけています。
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 珍しいところでは、秦テルヲ(1887-1945)のものがありました。
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 石井柏亭(1882-1958)
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 昨年から今年にかけて回顧展が開催されて、最近になって見直されている感のあるマルチアーティストの小川千甕(1882-1971)です。
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 前川千帆(1888-1960)
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 細木原青起(1885-1958)
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 斎藤与里(1885-1959)
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 そして内容も、高浜虚子の「子規居士と余」では…

 ~そのバッチングはなかなかたしかでその人も終には単衣の肌を脱いでシャツ一枚になり、鋭いボールを飛ばすようになった。そのうち一度ボールはその人の手許を外れて丁度余の立っている前に転げて来たことがあった。余はそのボールを拾ってその人に投げた。その人は「失敬。」と軽く言って余からその球を受取った。この「失敬」という一語は何となく人の心をひきつけるような声であった。やがてその人々は一同に笑い興じながら、練兵場を横切って道後の温泉の方へ行ってしまった。
 このバッターが正岡子規その人であった事が後になって判った。


 …と、子規との野球を通じての最初の出会いの場面が載っていて、嬉しかったのです (^^)

◇上野恩賜公園正岡子規記念球場
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by suzu02tadao | 2015-05-26 14:50
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