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わが家の風景「武相荘」1950(昭和25)年9月号の『婦人画報』には、白洲正子が「わが家の風景」と題して『武相荘』での生活随想を載せているのですが、後年の随筆にみる小気味のいい“正子節”が堪能できます… 2008年11月に私が『武相荘』を訪れた時の写真とともに、一部抜粋して紹介します。 なお、この年、白洲次郎 48歳/正子 40歳です。 その村の一つ。T――というところに、私どもが家を買つたのは昭和十五年、戦争前のことでした。「先見の明がお有りですナ」。戦争中たずねて来た人々は、異口同音にそう言いました。が、実はそんな悧巧な考えは少しもなく、私たちにしてみればごみごみした市内の借家住いはあきあきしたあげくのはて、今から思えばただみたいな値段で、はじめて自分の家を持つたというだけのことでした。 総じて農家というものは、田の字につくると言いますが、この家もその例に洩れず土間は別として、住居の部分はその単純な形を守つています。これらは四つの別々の部屋でもあり、場合によつては襖をはずして一つにもなるという、必要に応じて小さくもなれば大きくもなる伸縮自在の形式で原始的であるとともに、またきわめて新しい外国の建築に似なくもありません。その上、柱も建具もすべて必要以上にたくましく、どんなに大きな家具でも、とけこむようにはまりこんでしまいます。 日本人の欠点は、私たちが日本の物を知らなすぎる所にあると思います。あまり外を見ることに忙しく、内を見ることを忘れている。だから外国人に教えられると、前後の見境もなくとびつきます。しかしそういうものはいくら自国の物であつても、一度外国の文化を経て逆輸入されたものです。青い眼を通して見たものです。一度疑つてみる必要がある……というより、もつと私たちは自分の眼を信用してもいいのではないでしょうか。 世の中は人間が悧巧になつたために進歩するとはかぎりません。ぬけ目がないものが、必ずしも得をするとはかぎりません。薄手の安いものは、その出来上つた瞬間が絶頂です。それにひきかえまともなものは、古くなればなるほど落ちつき、使えば使うほど美しさを増してゆきます。 たとえば画家のアトリエなどでも、取乱してあつても何となく綺麗に見えるものなのです。女の人は生活といえば直ちに台所――即ち現実的な家事万端を思いがちですが、女として当然そうあるべきでしょうが、他にも立派な、それ以上の生活があることを忘れたくはありません。 それぞれ勝手な方向を向いて働いたり遊んだりしているというのが、ここ、T―村のわが家の風景です。そういう呑気な家のことですから、お客はむやみやたらに多く、泊まる人も週に七、八人はくだらないので、いちいちかまうわけにはいきません。家の名をかりに『武相荘』(武州相州の境なので)と名付けて、いやならよせ、とすましているのも、ハッタリからでも何でもなく、しんから底からぶあいそうな家族がそろつているからです。 人間に生まれて人間とつき合う以上、交際も必要ではありましょうが、それは一つの手段にすぎず、「社交」にひきずり廻されるのは見苦しいことです。 ~(略)~かの石田三成が秀吉に茶を献じた時の心構え。暑いときには冷たいものを、寒いときには暖いものを――畢竟するところ、社交とはまごころ以外の何物でもありません。 補足すると、白洲正子は、1946(昭和21)年に小林秀雄と青山二郎に出会っており、既にふたりの影響で骨董の世界に踏み入っていました。 また、銀座に染織工芸の店「こうげい」を始めたのは、1956(昭和31)年のことです。
by suzu02tadao
| 2016-06-06 11:25
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