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1920~30年代を中心に、あれこれと・・・
by 大阪モダン
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『わびずみの記』と『書斎随歩』

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 又政経書院から出た、吉井勇の『わびずみの記』は杉の外皮をそのまゝ使用したのであつたが、ゲテとして野趣に富むと云へぬこともないが、披く毎に皮のむけるのなどは、書物を包むものとしての目的を全く忘れた大失敗の装である。
(斎藤昌三『書斎随歩』より)

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 吉井勇は、いわゆる「不良華族事件」後に妻・徳子と離婚。失意のうちに歌行脚を重ねた末に、1934(昭和9)年から高知県の山峡、猪々野に隠棲しました。

 『わびずみの記』は、後に吉井勇が「私は一種の人間修業をすることができて、不遇時代のさすらいの身から再び起ち上がることができたのです」と振り返った猪々野での暮らしの中で書かれた随筆集です。

 この本は、昨年末の「口笛文庫とトンカ書店の冬の古本市」で、杉の外皮を使った大胆な表紙に魅せられて手に入れたものです。
 背のつなぎの酒袋が破れて裏表紙は外れていましたが、大胆にも自己流に補修して、一層、野趣あふれるゲテ装本になっています。

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 さて、この本を手に入れた翌日、「全大阪古書ブックフェア」に行くと、なんと!斎藤昌三の『書斎随歩』があったんですね…

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 生涯書物を愛でて已まなかった斎藤昌三は、古書学、蒐集家、発禁本研究などで「書痴」と呼ばれた人物ですが、『書斎随歩』は斎藤昌三の戦前最後の随筆集で、敗戦間近のモノが無い時代の、1944(昭和19)年3月に発行されました。

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 見返しに少雨荘の書庫のイラストをあしらうなど、凝ったデザインになっており、装訂、イラストともに池田木一が担当したものです。

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 斎藤昌三は、この本の「げて装本の話」の中で、上記のように『わびずみの記』を大失敗の装であると評しているわけですが、他にも横光利一『時計』については次のように書いています。

 それから思ふと、昭和になつては九年に創元社から出た横光利一の『時計』は装幀の先駆とされる佐野繁次郎の考案とは云へ、表の平面、中央に長方形の切抜きを作つたニューム板を、表紙一杯に四隅から木綿糸で結び付けたのなどは、餘りにも能が無さ過ぎた。若し僕だつたら直ぐ切れるやうな糸の力などは借りずに、地布に密着させてお目にかける所だ。

 僕だったら…云々と言っている所に、本音が垣間見えていて…
 あんがい『わびずみの記』を酷評しているのは、杉の外皮を使った装幀を自分でもやってみたかったのに、先を越された悔しさからであるようにも思えます。

 「贅沢は敵だ」のスローガンの下、大日本帝国が挙国一致で戦争に突入していった時代にもかかわらず、斎藤昌三はゲテ装本造りに邁進しており、「げて装本の話」では、他にも自身の失敗談や成功した自慢話もふんだんに盛り込まれています。

 書物の他にも様々なメディアが存在し、また書物そのものの電子化が進む現在では、このようなゲテ装本の文化も廃れつつあって、まさに「昭和の残像」になってしまっているのは寂しいような気もします…

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by suzu02tadao | 2017-03-02 11:00
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